クリスチャン的 1
8年前になるから、1999年の今日、初めて自分が乳がんであることを知ったのだ
った。
結婚・出産・離婚など、様々な人生の転機を経験したけれども、この日私に訪れ
た転機は、人生の中でもっとも大きなもののひとつだ。
病気にならなかったら、どんな人生だったのだろう。8年前を遡ってみると、私
は32歳。子供は上の子が4歳下の子が1歳。当時はまだ結婚していた。下の子がその
の4月から保育園に入れることができて、これから仕事に本格的に復帰しようと焦
っていた。今から考えれば、まだまだそんな時期ではなかったのだが、私はどうし
ても自分の仕事で成功したかった。出産をしたことによって、思うように仕事がで
きなくなっていたのだ。そんな再スタートを切ったばかりの時に、大きな困難が目
の前にある私の新しい計画を阻んだ。経験したことのないような大きな、大きな挫
折だった。今までは自分が努力すれば、何とか乗り越えられる問題だった。時間が
掛かることであっても、少しずつでも現状は改善していっていた。しかし、病気と
なると別である。運命を完全に他のものに乗っ取られたように感じ、自分ではもは
や手も足も出ないような暗闇の中に引き込まれていった。
今振り返って見ると、この経験がなかったら私は上っ面の人生を今も生きていた
に違いない。この経験をしたからこそ、多くのことに目を開かれていった。そして
何よりも、真にキリストと出会う事ができたのだ。キリストとは宗教ではないの
だ。これを理解してもらうのは非常に難しいことだ。キリストとは教会の前に飾っ
てある、青い目をした美しいナイスガイではないのだ。完全な孤独と絶望の中で
で、唯一私を助けてくださった方、これが生きるキリストだ。あなたの人生におい
てもその出会いが待っていると私は信じる。そのとき、彼の差し出す手を振り払う
ことの出来る人は、そんなに多くはない。人は皆、孤独に弱い。神は私たちをその
ように造られたのだ。隣人と、神を愛するために。
8年前になるから、1999年の今日、初めて自分が乳がんであることを知ったのだ
った。
結婚・出産・離婚など、様々な人生の転機を経験したけれども、この日私に訪れ
た転機は、人生の中でもっとも大きなもののひとつだ。
病気にならなかったら、どんな人生だったのだろう。8年前を遡ってみると、私
は32歳。子供は上の子が4歳下の子が1歳。当時はまだ結婚していた。下の子がその
の4月から保育園に入れることができて、これから仕事に本格的に復帰しようと焦
っていた。今から考えれば、まだまだそんな時期ではなかったのだが、私はどうし
ても自分の仕事で成功したかった。出産をしたことによって、思うように仕事がで
きなくなっていたのだ。そんな再スタートを切ったばかりの時に、大きな困難が目
の前にある私の新しい計画を阻んだ。経験したことのないような大きな、大きな挫
折だった。今までは自分が努力すれば、何とか乗り越えられる問題だった。時間が
掛かることであっても、少しずつでも現状は改善していっていた。しかし、病気と
なると別である。運命を完全に他のものに乗っ取られたように感じ、自分ではもは
や手も足も出ないような暗闇の中に引き込まれていった。
今振り返って見ると、この経験がなかったら私は上っ面の人生を今も生きていた
に違いない。この経験をしたからこそ、多くのことに目を開かれていった。そして
何よりも、真にキリストと出会う事ができたのだ。キリストとは宗教ではないの
だ。これを理解してもらうのは非常に難しいことだ。キリストとは教会の前に飾っ
てある、青い目をした美しいナイスガイではないのだ。完全な孤独と絶望の中で
で、唯一私を助けてくださった方、これが生きるキリストだ。あなたの人生におい
てもその出会いが待っていると私は信じる。そのとき、彼の差し出す手を振り払う
ことの出来る人は、そんなに多くはない。人は皆、孤独に弱い。神は私たちをその
ように造られたのだ。隣人と、神を愛するために。