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輸入雑貨店「イトウ・ショウジ」の店長日記

ネパールやアジアの国々の衣料、雑貨を直接買い付けて輸入販売している雑貨店イトウ・ショウジの店長の営業日記

富士山頂に丁寧(ていねい)に納められていた

2011年01月31日 | 蒼き神々の行方
「ここにも、厳島神社が?」神田は何か因縁めいたものを感じ始めていた。

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「それで、その鉄の棒が剣が峰から奥宮へと移ったいきさつは?」高見刑事が、神田が口を開く前に尋ねた。
 「それは存じております」宮司は静かに答えた。
 「先ほど刑事さんがおしゃっていらしたレーダードーム。あれが建てられるかなり前のことです。1895年といいますから明治28年のことでございますよ」宮司は引き締まった顔で軽くうなずきながら話を続けた。

 「野中至(のなかいたる)という方が、私財をはたいて、その富士山頂、剣が峰に気象観測所をお作りになられましてましてね。それはそれはご苦労をされ、なにしろ、今でさえ山頂での越冬は大変なことですのに、当時は、まだ、ましな装備もないことでしょうし、日本国のことを心底思ってのことでございましょうねぇ・・・」そう言って、袂(たもと)からハンカチを取り出し目に当てた。
 「それで、その鉄の棒は?」高見刑事は質問を続けた。
 「はいはい、それで、その観測所を作るために、剣が峰の大きな石を動かしたところ、鉄の箱が出てきたらしゅうございまして、その中に、なにやら、御文書(ごぶんしょ)と一緒に、その、鉄の棒が納められていたらしいのです」お茶を一口飲んで、落ち着きを取り戻し、話を続けた。

 「これは、私が直接聞いたことではございませんで、先代の宮司から私は聞いたものですから、確かなことは分かりかねますが、なにやら、そういうことらしゅうございます。そして、野中様は、これは、富士山頂に丁寧(ていねい)に納められていたところから察するに、富士山と、よほどのいわく、因縁(いんねん)があるものであるものに違いない、とまあ、こんな風に思われたのでございましょうね。先々代の宮司に頼んで、爾来(じらい)、浅間大社奥宮にお祀(まつ)りさせて頂いていたのでございます」


 「誠に恐縮ですが、その、鉄の棒を、捜査協力ということで、しばらく、拝借(はいしゃく)できないものでしょうか?」高見刑事は、両手をテーブルに置いて宮司を見つめた。
 「私といたしましても、あれが宮島さんと何かの関係があるということが分かりましたし、あの鉄の棒と私どもとの関係が解明できるのであればありがたいことでございます。それに、あれは、もともと、神社庁とはかかわりのあるものではございませんし、後日、返還いただける、ということを条件にお貸しいたしましょう」宮司はニッコリと微笑(ほほえ)んだ。
 「ありがとうございます。ご協力感謝申し上げます」神田と高見はテーブルに両手を着けて頭を下げた。

 「じゃあ、明日にでも、登ってみますか?神田(かみた)さん」高見刑事は神田を見て言うと、神田は、
 「でも、もうシーズンも終わりましたし、鍵が掛けられているのでは?」そう言って宮司を見た。
 「いえ、ちょうどよろしゅうございました。明日は職員が、鍵を開けますので」
 「と、言いますと?」
 「新聞社の取材が急に入りましてね。何でも取材の皆さんは明後日にはお国に帰られるとかで、この台風でスケジュールが大狂いだと嘆いておられましたよ。本来ならば、丁重にお断りするのですが、何しろ、大使館からのたってのお願いでございまして」

 大使館と聞いて、神田と高見は緊張して尋ねた。
 「大使館?どちらの?」
 「中国でございます」

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レーダードームがあったところが富士山頂、剣が峰

2011年01月30日 | 蒼き神々の行方
その頃、東京新宿のホテルの一室では、大男が新聞を食い入るように見つめていた。

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 その日の午後、神田龍一(かみたりゅういち)と高見刑事は新幹線に乗り込んだ。

 「しかし、神田さん。神田さんは、捜査する権限も、する気もないと言ったばかりじゃないですか?」駅弁の包みを外しながら高見はチラッと横に座っている神田を見た。
 「台風のおかげで、いろいろと業務もあるんですけど、警察と市から観光推進協会へ要請がくれば、私が動かないわけにはいかないですからね」と、言い訳のような返事をした。
 「そう言う高見さんも、この件は警察庁へ移ったと言ってたじゃないですか」神田は弁当を頬張りながら言った。 
 「いやー、私は、もうじき定年でね、わりと自由にさせてもらってるんですよ。それに、民間人一人に危ない橋は渡らせられませんからね。言ってみれば、ボディーガードみたいなものですよ。それに、この一件の担当はもともと私ですから」そう言って登山ズボンのベルトをゆるめた。

 「で、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)さんへは連絡を?」神田は高見刑事に聞いた。
 「ええ、本署が連絡をしてくれていると思います。窃盗事件の件で、お話を・・・と。しかし、富士山かぁ。体力、大丈夫かなぁ。学生時代に一度登りましたがね。もう登ることはないと思ってましたが」高見刑事はお茶を一口飲んだ。

 「高見さんは山登りがお好きなんですか?」神田もペットボトルのお茶に手を伸ばしながら聞いた。

 「いや、昔の話ですよ。わたしの爺さんが山登りが好きでね。家には爺さんや曽祖父(ひいじい)さんが山で拾って来た石っころやら木の根っ子やら、何やらわけの分からない物がたくさんありましたよ」と、懐かしそうに答えた。そして、思いついたかのように「定年になったら日本百名山でも踏破してみるかな」と言うと「ははは」と、愉快そうに笑った。

 新大阪を過ぎた頃、
 「ちょっと、ここまでの話をまとめておきませんか?」そう言うと神田は、きりっとした眼差しで高見を見た。
 「そうですね」高見もそれに静かに応えた。
 「まず、あの大男ですが。宝物館(ほうもつかん)に忍び込む2日前にはビデオに写っていた。その時、たまたま、例の中国大使館の連中と一緒になった。ここまではいいですね」
 「ええ。そして、いったん引き上げ、台風がやって来るのを知りながら、弥山(みせん)頂上へ登って、なにやら、怪しげな行動をして、そのまま、夜までどこかに身を隠していた」高見は箸を持った手を右、左へ動かした。
 「展望台の主(あるじ)の話だと、大きなザックを背負っていたらしいんです」
 「しかし、神田さんが見た時は裸同然だったんですよね」神田のほうを見て高見は言った。
 「なぜ、台風の危険を冒(おか)してまでもその日でなければならなかったのか?普通の日の夜でもいいじゃないですか」そう言いながら、高見を見て同意を待った。
 「台風だと、万が一の時に、警察が駆けつけるのが遅くなるとか、逃げやすくなるとか、考えたんですかね?」
 「それとも・・・」
 「それとも、もう、時間がなかったのか」神田の言葉を次いで高見は言った。
 「中国大使館の連中に先を越される。時間がない。そう思って、台風の日にやむを得ず侵入した。こう考えられませんか?」神田は再び高見の同意を待った。
 「なるほど。それも、その男の国の外交ルートは使えない理由がある。こういうことですね」
 「たぶん」
 「しかし、たまたまにしても、よくも、あの日、宝物館でかち合ったもんですね」
 「あの鉄の棒が展示されているという情報を、同時か、ほぼ同時に耳にしたということじゃないですかね」
 「うーん・・・どこから?」高見は弁当から顔を上げ聞いた。
 「さあ、それはまだ・・・」神田は、箸を置き、蓋(ふた)をしながら小さな声で言った。
 「シューマイ残すんですか?」神田の弁当を覗き込んで高見は言った。
 「え?ええ。最近ちょっとダイエットを・・・」
 「じゃ、いただきますよ」高見は箸でつまんで、ポイッ、と口に放り込んだ。


 「のぞみ」を名古屋で「こだま」に乗り換え、新富士駅からはタクシーで富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)に向かった。
 「さすが、立派なものですねー」高見刑事は、ホーッ、という感じで言った。
 富士山本宮浅間大社は全国1300社以上ある浅間神社の総本宮で、駿河(するが)の国の一の宮として全国的な崇敬を集める東海最古の名社である。
 「残念だなー。本来ならここから富士のお山が見えるんでしょうがねえ」と、高見刑事は本当に残念そうに言った。日も暮れかけ、おまけに上空は雲が流れている。また、雨でも降りそうな気配だ。

 境内(けいだい)に入ると、夕暮れ時にもかかわらず、散歩といった感じの人たちや、観光客の姿もまだ見える。参拝客も多いのであろう、境内の木はおみくじの白い花を咲かせている。砂利の敷き詰められた参道を進み、社務所で案内を請うた。
 「はい、聞いています。こちらへどうぞ」巫女(みこ)さんに案内されて奥の部屋に入った。しばらくして、宮司が現れた。

 「お忙しいところ申し訳ございません」神田(かみた)と高見は立ち上がって頭を下げた。
 「いえ、いえ、ご苦労様です。で、窃盗事件と当社と、どういう関係が?」宮司は少し怪訝(けげん)な様子で椅子を勧めながら聞いた。高見刑事はこれまでのいきさつをかいつまんで話し、新聞の写真を見せた。

 「さようでございますか。これが、宮島さんにも・・・」宮司は、考え込む様子で新聞をテーブルに置き、目を閉じた。
 「その、鉄の棒について何かご存知のことがございましたらお教え願えませんでしょうか?」高見刑事は体を前に出しながらたずねた。
 「私は、あれが何かは、全く存じていないのですよ。何度か目にした事はございますが。もともとは、あれは、奥宮(おくみや)にあったものではございませんで」
 「え?すると、どこからか移されたということですか?」



 神田(かみた)の問いかけに、宮司は
 「はい、さようでございます。もともと、あれは、富士山頂にあったものでございまして・・・」
 「え?山頂に?奥宮は富士山頂じゃないんですか?」

 コツコツ、とノックがあって、職員が入ってきた。宮司は、ドアのほうを振り返りながら、
 「はっ、はっ。富士山頂は剣が峰でございますよ」そう言った。入ってきた職員は、 
 「あの、先ほどのお客様がお帰りになられますが・・・」と言うと、
 「あ、そうですか」と、立ち上がりかけると、
 「いえ、お見送りは結構です、ということでした」職員はそう言って出て行った。その間、高見刑事は、自慢げに、
 「そうですよ、神田さん。レーダードームがあったところが富士山頂、剣が峰。日本一のてっぺんですよ」
 「そうなんですか。知らなかったなぁ」神田は椅子に座りなおした。その時、社務所の壁にポスターが貼ってあるのに目がいった。そのポスターには「御鎮座(ごちんざ)1200年記念事業奉賛会」とあった。
 「これは?」神田は立ち上がり、ポスターのところへ行って聞いた。
 「はい、来年2006年(平成18年)が坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)様が浅間大神(あさまのおおかみ)様を当地に遷宮(せんぐう)されまして1200年の節目の年に当たりますので、その記念事業へのご協力をよびかけるポスターでございます」
 「へー。実は、宮島も、空海さんが宮島に渡って、弥山(みせん)で修行をし、開基したのが806年ですから、来年2006年が、弥山開基1200年の記念の年になるんですよ」
 「はい。そういうお話は伺っています。奇遇でございますね」宮司は、ニコニコしながら応えた。

 神田は椅子に戻ろうとして、ポスターの横のスケジュールボードにふと目をやった。その年間スケジュールの中に「厳島神社例祭」と書き込まれているのを目にしたのだ。
 「ここにも、厳島神社が?」神田は何か因縁めいたものを感じ始めていた。

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外交ルートの圧力で、その鉄の棒を頂いちゃうんじゃないですか

2011年01月29日 | 蒼き神々の行方
神田は、その中のひとつの写真に眼が釘付けになった。鉄の棒と同じものが写っているのだ。

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「神田(かみた)さん」
 「神田さん!!」
 何度か呼ばれて、顔を上げると、高見刑事が立っていた。今日は背広にネクタイ姿だ。
 「え?あっ、これは失礼しました」そう言って、新聞をたたみ、椅子の横に置いて立ち上がった。
 「どうしました?ボーっとして」心配そうに顔を覗き込んで、「少しお疲れじゃないですか?」と言った。

 高見刑事の後ろにはキチッと背広を着こなした男が4人立っている。
 「紹介させていただきます。こちら、警察庁、外事課の鈴木刑事。それと・・・」
 「警察庁?外事課?」神田は「はぁ?」という顔で高見を見た。事務所内にいた職員も全員、緊張の面持ちで男達と神田の顔を見た。高見刑事は、それには構わず、紹介を続けた。
 「そして、こちらの方々は、中国大使館の・・・」そう言いながら、内ポケットから名刺を取り出してパラパラとめくったが、「中国大使館の・・・」と紹介された男達は順に、
 「カクといいます」
 「サイといいます」
 「ショウといいます」
 日本語で、それぞれが、例文通りといった感じで自己紹介した。
 「中国?・・・大使館?・・・」
 いづれも立派な体格をした40代くらいの男達だ。
 「何事だ・・・?」神田は名刺を出しながら事態を理解しようとした。

 「この男たちには見覚えがある。どこだったか?」そう考えていたとき、高見は、
 「今回の一件は、こちらの鈴木刑事が引き継がれます」そう言って、神田(かみた)から目をそらした。
 「それで、何か?」神田は鈴木刑事を見つめた。
 「実は、例の鉄の棒ですがね」鈴木刑事は背広のうちポケットから書類を出しながら言った。
 「はい」
 「外交ルートを通じて協力要請が来ましてね」そう言って、その書類を神田の方へ向けて渡した。
 「協力要請?」そう言いながら、神田は書類に目を通した。
 「ええ。ところが、正式に市のほうへ要請しようとした矢先、今回の件が起こったというわけです」神田から戻された書類を丁寧にたたんで封筒に入れながら、鈴木刑事は中国大使館の職員だと紹介された男たちのほうに向かって言った。
 「既に、こちらの方々は、その現物を確認されていまして」
 そう言われて思い出した。あの大男と一緒にビデオに写っていた男たちだ。
 「あの棒は、我が国にとって重要な物なのです。あなたは、あの棒がどこにあると思いますか?」最初に名乗ったカクという男が直接的な言い方で聞いた。冷たい声だった。
 神田は、この男の眼が不自然な動きをしているのに気がついた。

 「そんなことは分かりません」神田(かみた)は少しムッとしながら答えた。
 「あの台風の晩に盗まれたきりですから」事務所の女の子が立ち上がって、コーヒーメーカーのところに行こうとしたのを目で制した。

 「それに、私は観光推進協会の一職員にすぎませんから、捜査にご協力はさせていただきますが、私自身で捜査する権限も、またその気もありませんし」
 高見刑事は、白髪頭(しらがあたま)に手をやり、上目遣(うわめづか)いで神田を見た。
 鈴木刑事もネクタイの結び目に手をやりながら、天井を見上げている。

 「言てること理解します。私、日本語、上手でないですから、気分害したら、謝ります」カクと名乗った大使館員はそう言いながら内ポケットに手をやり、プルプルと震えている携帯電話を取り出し、右目だけ動かしてボタンを押した。左目は義眼であった。
 「あなたは、犯人と接触した一番の人です。ちょと、失礼します」そう言って携帯に出た。
 カクは二言三言(ふたことみこと)電話で話し、
 「鈴木さん、急用ができました。私達、これから東京に帰らなくてはいけません」そう言いながら、連れの二人に顎(あご)をしゃくって指示を出した。
 「それはまた急な。たった今、着いたばかりですよ。まだ、宝物館の館長にも話を聞いていないし、・・・」
 カクは鈴木刑事の言葉を手で制し、
 「高見さん、代わりにお願いします。後日、報告は鈴木さん宛てにメールでお願いします」
 そう言いながら、もうドアのほうに向かっていた。鈴木刑事もあわてて後に続いた。
 「ご協力感謝します。ではまた後日お会いしましょう」カクはドアの手前で振り向き、そう言って出て行った。
 「お騒がせしました。何か進展がありましたら連絡お願いします」鈴木刑事は、やれやれ、といった顔をして、神田と高見にそう言って、頭を下げ、ドアを閉めた。

 「いったいどうなっているんですか?」神田はそう言うと、ドッカ、とソファーに腰を下ろし、高見にも座るよう促(うなが)した。
 「さあ・・・」と、言いながら、高見も椅子に腰掛けた。
 「私も、何も聞いていないので・・・。何だか、ややこしくなってきたなァ」そう言いながら、また、白髪頭に手をやった。

 「あっ!!」神田は椅子から飛び上がった。
 「何ですか!!ビックリした」高見も、ビクッ、として背を伸ばした。
 「これですよ」そう言って、新聞をめくって、台風被害の写真のひとつを指さした。それは「富士山頂にも被害が」という見出しで、富士山本宮浅間大社奥宮(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃおくみや)の被害状況の写真が載っている所だ。社殿内の被害の様子が写っている。
 「へー、今回の台風は大変だったなー」
 「そうじゃないですよ。これ、これですよ」そういいながらルーペを持ち出し、写真をジックリと見た。

 「これだ。やっぱりこれだ」
 「何なんですか」高見は新聞を覗(のぞ)き込んだ。
 「これですよ。宝物館にあったのは!!」あの鉄の棒が写真の端のほうに写っている。
 「ええ!?なんでまたこんなところに?」
 「いいですか。富士山頂の被害は宝物館の一件よりも2日、3日前のことですよ」
 「・・・ってことは、同じものが二つあったってことですか?」 
 「そうなります。今の大使館の連中の慌(あわ)て方は、大使館もこの記事を目にしたんじゃないですか?」
 「それで、帰って来い、って言う指示が出たってことか」
 「いったん東京に帰って、どうするつもりだろう?」
 「ここ、宮島と同じように外交ルートの圧力で、その鉄の棒を頂いちゃうんじゃないですか?もっとも、ここ宮島では誰かに先を越されちゃいましたがね」
 そう言ってふたりは顔を見合わせて黙った。

 その頃、東京新宿のホテルの一室では、大男が新聞を食い入るように見つめていた。

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2005年(平成17年)9月 弥山と富士山

2011年01月28日 | 蒼き神々の行方
この日の夜明け前、弥山(みせん)頂上から一羽の巨大な烏(からす)が飛び立った。

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2005年(平成17年)9月 富士山

 宮島に大きな傷跡を残して台風14号は日本海へ抜けた。しかし、この台風は、そのゆっくりとしたスピードもあって、秋雨前線を刺激し、九州に上陸する以前には、すでに激しい雷と共に記録的な豪雨を関東地方にもたらし、首都東京にも床上、床下浸水など大きな被害を与えていた。

 そして、富士山頂では、自然が、神の怒りとなって、命の存在は微塵(みじん)も許さないかのように荒れ狂い、雨と風は人工の建物に襲いかかった。すでに登山シーズンも終わり、多くの山小屋は営業を終え無人となっている。そして、期間中は登山者でにぎわう郵便局や富士山本宮浅間大社奥宮(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃおくみや)の扉も固く閉ざされている。

 浅間神社奥宮のすぐそばにある富士山頂館の主(あるじ)は、台風の接近によって下山時期をいつもより遅らせ、この夜は山小屋の中で過ごした。そして、雨の上がった翌朝、下山する前に奥宮(おくみや)へ手を合わせるために、鳥居のところへ来て、奥宮の屋根の一部が陥没していることに気付き、携帯電話で富士宮市にある富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)に連絡を取った。

 2日後、浅間大社職員が富士山頂へ奥宮の整理と補修のためにやってきた。
 本殿内は一部土砂で埋まっていた。
 「なんでしょう。これは?」一番若い職員が、シャベルですくった土砂(どしゃ)の中に変なものを見つけた。
 「なんだ?」もう一人の職員は、腰に手を当て、背伸びしながら、すくい上げた職員が手にしたものを見つめた。
 「なんだろう」他の職員たちも集まってきた。
 「巻物かなァ?」
 「こんなものあったかなァ?」
 「いや、記憶にないな」そういって、職員たちは雲の見える天井を見上げた。
 「とりあえず、先にここを片付けよう。ところで、写真は撮ったかい?」
 年長の職員が言うと、
 「いけね、忘れてた」そう言って、ザックからデジカメを取り出し、作業前の状況を記録した。

 富士山頂は、酸素濃度は平地の3分の2で、厳しい自然環境は北極圏なみである。雨は下から降り、夏でも雪が降る。強風が吹けば岩さえも転がる。台風14号はこの時日本海のほぼ真ん中あたりに達していたが、何しろ富士山は日本一の独立峰であるため、風の影響をもろに蒙(こうむ)る。自然の神に許しを請いながらの作業は時間がかかった。1日がかりでようやく作業を終えた神社の職員たちは下山の準備にとりかかった。

 「ちょっと、作業終了の記録を・・・」
 そう言って職員の一人はデジカメで社殿内の写真を撮り、最後に5人全員の写真を撮った。
 「これ、どうしましょう?」最初に鉄の棒を発見した若い職員が、その棒を握って、年長の職員に聞いた。
 「宮司(ぐうじ)の指示を仰(あお)ごう」そう言うと、携帯で写真を撮り、メールに添付して本宮のパソコンに送った。
 「なんだろうな、この模様は?」職員の一人が鉄の棒を見ながらつぶやいた。
 「文字のようでもあるし、模様のようでもあるし。結構古い感じがするよね」
 「けど、こんなもん、どこにあったんだろう?」
 「土砂に混じってたってことは、土砂と一緒に流れ込んだってことかな?」
 「さあー、祭壇の中にあったのかも」
 「どうなんだろうね」

 そうこう言っているうちに、その鉄の棒は、「祭壇にお祀(まつ)りしておくように」と宮司から電話があった。
 「祭壇に?」年長の職員はいぶかしげに首をひねったが、指示通り、祭壇に鉄の棒を供え、忘れ物はないか最終チェックをし神社の扉を閉じ、施錠して下山した。

2005年(平成17年) 広島・宮島 

 神田(かみた)は今、歯向かう老犬を見るような、あの男の獅子のような眼を思い出していた。そして、あの「暴力団襲撃事件」のときに抱いた闘争心が湧き上がってくるのを感じている。
 「老犬になるにはまだ早いだろう、エエ?」濡れたシャツの下にある贅肉(ぜいにく)を触り、そう口にして、ゆっくりと走り始めた。この尾根を登りつめると宮島の東のピークにたどり着く。そこには宮島ロープウェイの終点駅「獅子岩駅(ししいわえき)」があるが、ロープウェイはまだ動いていない。獅子岩から弥山本堂(みせんほんどう)へは緩やかなアップダウン道でつながっており、そこから巨岩が折り重なる弥山頂上へはやや急な上りとなる。
 
 神田には、今日は頂上へ登る体力は残っていないので、紅葉谷を下ることにした。1945年(昭和20年)の枕崎台風で土砂崩れをおこした谷だ。下り始めて10分ほどで、膝がガクガクと笑い始めた。登山道脇の石に腰を下ろしてスポーツドリンクで水分を補給しながら、宮島は豊かな原始林に包まれていることを実感した。さっきまで降っていた霧雨で一層深みを増している。その時、下から、弥山頂上のレストハウスの主(あるじ)が登ってきた。

 「やあ神田(かみた)さん。こんなところで何を?」
 「いや、ちょっと、状況を見ておこうと思って・・・」
 「そうですか。ご苦労さまです。私も、上のほうが気になって。それにしても、大聖院の参道が、あんなことになって、大変ですね」
 「そうですね。復旧までには相当時間がかかるでしょうね」
 「それはそうと神田(かみた)さん」
 「エ?」
 「何でも、外人の大男を捜してるとか聞いたんですが」
 「そうです。こそ泥ですがね」
 「私は、見たんですよ。台風の前の日に」
 「え?どこで」
 「頂上でですよ。大きなザックをかついでね。ツルツル頭でしたよ。頂上の大岩に、こうやって、両手をあてて、ジッとしてたんですよ」そう言って、主(あるじ)は頭を下げて両手をそばの大岩に当て、岩に体を預けるような格好をした。
 「ちょうどこんな風に、なんか、こう、岩に祈りを込めるというか、岩から霊気をもらうというか、そんな格好でしたよ」
 「で、その後(あと)は?」ペットボトルを手にしたまま神田は聞いた。
 「さー、私が下山する時にはまだ展望台の上にいましたからね」主はタオルで首筋の汗をぬぐいながら答えた。
 「警察には?」
 「いえ、まだ何も。さっき、下で聞いたもんですからね。後でいいか、と思って」と、悪びれずにタオルを頭に巻きながら言った。
 「ビデオに写っていたのが、台風の3日前。と言うことは、その翌日、弥山頂上へ登って・・・、その日は、夜まで頂上にいた・・・ということになるな」神田は両膝に手をやり、立ち上がりながら思った。

 宮島観光推進協会の事務所に出勤する前に一度自宅へ帰ってシャワーを浴びた。着替える時、携帯の着信ランプが点滅しているのに気がつき、神田(かみた)は事務所に電話を入れた。
 「あ、神田さん。先ほど高見刑事さんから電話がありましたよ」
 「へー、なんだろ?ありがとう。電話してみる」
 「いえ、なんだか、もうこっちへ向かってると言うことでしたから、そろそろお着きになるんじゃないですかね」
 「あ、そう。じゃ、私も、すぐにそっちへ行くから」
 神田の自宅は事務所から歩いて10分のところにある。今まではその距離をバイクで通勤していたが、今日からは軽いランニングで通勤することにした。

 事務所で朝刊各紙をチェックした。各紙とも台風被害の記事と写真がトップを飾っている。今回の台風14号は典型的な雨台風で、各地に雨による大きな被害を残している。東京でも雷雨で首都機能が麻痺し、再び「危機管理」の重要性を訴える記事が目に付いた。社会面でも、宮島をはじめ各地の被害の状況が細かく伝えられている。
 神田は、その中のひとつの写真に眼が釘付けになった。鉄の棒と同じものが写っているのだ。

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盗まれたのは平家納経か

2011年01月27日 | 蒼き神々の行方
神の島を襲った60年振りの山津波であった。

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渡辺と警官達は、山津波がうねりながら白糸川(しらいとがわ)に流れ込み、あふれ出した泥と岩が道を埋め尽くすのを眺めるばかりであった。渡辺は、その後当分の間、海の波を見てもめまいを感じるほどの後遺症に悩まされた。
 神田(かみた)は山津波のやってくる暗闇を見つめていた。
 「あの男は、何者だったんだ」
 「あいつ、これに飲み込まれたかのう」警官の一人がつぶやいた。 
 「これに飲み込まれたら、助からんじゃろう」もう一人の警官が、うねる泥を見ながらつぶやいた。

 夜が明けて、被害の全貌が明らかになった。厳島神社は、前年2004年(平成16年)の台風18号では、重要文化財である厳島神社の回廊や左楽房が倒壊するなどかなりの被害に遭ったが、今回の台風14号では、幸いなことに、神社そのものへの被害は少なかった。しかし、神田(かみた)達が直接眼にしたように、雨による、土石流は、町に甚大な被害を与え、雨と風は、女神の肌に大きな傷跡を残した。

 その夜、神田(かみた)は自宅へは帰ることが出来ず、警官達に派出所で事情聴取され、そのまま、派出所で仮眠を取った。夜が明けてからは、宮島観光推進協会の事務所で、マスコミ、旅行会社など、各方面から、台風被害についての問い合わせや、実際の復旧作業の陣頭指揮に忙殺され、気がついたときには、日も暮れかけていた。事務所でやっと一息つき、コーヒーを飲んでいるとき、昨夜の警官の一人が、本署の刑事とやってきた。

 「やあ、神田(かみた)さん、お疲れさんです。こちらは、本署の高見さんです」
 「高見です。よろしくお願いします」
 「や、」と、高見と名乗った刑事は、既に、事務所内に陣取ってフェリーの改札口を見張っている二人の刑事に軽く手を上げて挨拶した。色黒で白髪交じりの短髪で、定年前の、いかにも叩き上げといった感じだ。宮島観光推進協会の事務所はフェリー乗り場の建物の二階にあり、改札口を行き来する人間のチェックに好都合の場所にあるのだ。

 「神田です。ま、どうぞ」と、椅子をすすめた。
 「昨夜はどうも大変だったようですね。いや、大筋は、彼から聞いているんですが」と、警官のほうを持ち出した手帳で指した。
 「高見さん、私はこれで・・・」警官は高見に敬礼し、神田にも軽く会釈をして去っていった。
 「彼も、昨夜から動きどうしだろうが・・・」と、疲れきった警官の背中を見つめた。
 「あ、ごくろうさん」刑事は、警官に言って、再び、神田のほうに向き直った。
 「で、土石流の現場から何か?」神田は、コーヒーを飲みながら立ち上がり、刑事のためにコーヒーを淹れた。
 「こりゃ、どーも」高見刑事は、カップを受け取りながら「男の遺体ってことですか?」と言った。
 「いや、まー、手がかりになるようなものとかは?」神田は、言葉を濁(にご)した。
 「今んとこは、まだ何も。ただね、さっき、宝物館(ほうもつかん)の館長に聞いてみたんですが、よく分からん、って言うんですよ」
 「よく分からん、とは?」神田は、椅子に腰掛けながら、尋ねた。
 「被害がですね。奴が忍び込むのに壊したガラス窓と、展示ケースのひとつが壊されていたということなんですが・・・」
 「金庫室は?」言葉をさえぎって神田は聞いた。
 金庫室には、国宝をはじめ、重要文化財が何百点も収納されている。「それが狙いのはずだ」と思っていた。
 「異常がないんですよ」高見刑事は背中を椅子の背もたれに預けた。
 「異常がない?あの男は、確かに、口に巻物のようなものをくわえていたけど、あれは、平家納経(へいけのうきょう)だと思ったんですけど」

 展示場には、通常、国宝級のものは、レプリカが展示されており、本物は、年一回の特別展にだけ展示される。「まさか、あの男、レプリカを盗み出したのでは?」だとすると、間抜けな話だ。
 「いや、展示されている、レプリカもそのままなんですよ」
 「え? じゃ、何が?」
 「それなんですがね」高見刑事は、腕を組んで、神田を見た。

 「何でも、戦後、GHQ(じー・えいち・きゅー)の命令で紅葉谷(もみじだに)で工事が行われたそうじゃないですか」高見は手帳を繰りながら言った。
 「ええ、終戦直後の1945年(昭和20年)の9月の枕崎台風(まくらざきたいふう)のとき、宮島も相当な被害をこうむりましてね」神田(かみた)はコーヒーを一口すすって続けた。
 「あの時も、今回と同じようなコースでしたしねェ。土石流の被害も相当出ましてね。今の紅葉谷公園(もみじだにこうえん)は、その復旧工事でできたんですよ。確か、工事は、その3年後から始まったと・・・」

 「そうらしいですね。館長さんもそういってました。で、その工事の時、鉄の棒が土砂の下から出てきたとか。ちょうど、巻物のような」
 「巻物?じゃあ、なくなったのは、その巻物だと?」
 「そうらしいんですよ」
 「それで、当時の工事関係者が、発見者ですがね、GHQには内緒で、こりゃ珍しいもんだと思ったんでしょうね。長い間、自宅に保管していて、その後、民族資料館が開館された時、展示品のひとつにと、寄付したということらしいです」高見刑事は手帳のページを一枚めくって続けた。

 「それが、昭和49年、っていいますから、1974年のことですね。それから、調査のために、いったん宝物館に仮展示されていたらしいんですよ」
 「あの男が口にくわえていたのは、平家納経じゃなく、その鉄の棒だったのか?」神田は首をひねった。

 「おっと、肝心なことを忘れるところだった。さっき、宝物館で防犯ビデオをチェックしたんですがね。ひとり、大男が写っていたんですよ。それも、その、鉄の棒を展示しているケースの前で。ちょっと、確認していただきたいんですが。このテープですが。ここには、デッキは?」
 「あります」そう言って、高見刑事からテープを受け取り、デッキにセットした。
 テープが再生されるまで、高見刑事は質問を続けた。

 「大まかには聞きましたが、外人風で、大男で、と。他に何か思い出されたことはありませんか?」高見刑事は、ボールペンを取り出し、カチャ、と芯を出した。
 「いや、これと言っては別に。確かに、普通の男じゃありませんね、あれは。武術か何かの相当な使い手ですよ」と、ここまで言って、
 「そう言えば、一瞬手に触れた時、ヌルッ、とした感触で、スルッ、と手から滑り出ましたね。最初は雨で体が光っているのかと思いましたが、今思うと、あれは、油か何か体に塗っていたのかなァ・・・」
 「油を?」高見刑事は顔を上げた。
 「ほら、よく、寒い時には油を体に塗って泳ぐって、聞くじゃないですか」
 「なるほど。じゃ、奴は、泳いで上陸したと。もちろん、台風前でしょうがね」
 「その可能性もありますね。何しろ、あの体だ。船だと目立つでしょうし」
 「神田さん、この男ですか?」高見刑事は、画面を指差した。

 確かにあの男だ。何人かの外国人観光客に混じって、頭二つ飛び出している。男は、背広姿で、顔を隠す様子もなく、展示されている鉄の棒を凝視している。「ということは、目立つ、目立たないは関係ないってことか」
 「この男に間違いありません。これは・・・」
 「3日前の記録です。つまり台風の前々日です。おかしいでしょ?最初から顔も隠さず、じっと見つめて。これじゃ、私が犯人ですって言ってるようなもんだ。それとも、最初はそんな気はなく、その現物を見て思いつき、いったん、引き上げて、再度、今度は、台風前日に泳いでやってきたのか?」高見刑事は自分自身につぶやいた。

 「どうも、納得できる話じゃありませんね」神田は左手をテレビの上において画面を覗き込んだ。
 「で、男の捜索のほうは?」神田(かみた)は聞いた。
 「山狩りとかは・・・?」
 「いやー、今のところは、こそ泥一人ってとこですからねぇ。被害状況もよく分かってないし、これが、国宝でも盗られたっていうんなら話は別ですがね。それに、この状況でしょ。人手の問題もありますからね」
 「そうでしょうね。まぁ、あの大男なら、目立ちますから隠れようもないし、第一、あの土石流に巻き込まれたんじゃあ・・・」

この日の夜明け前、弥山(みせん)頂上から一羽の巨大な烏(からす)が飛び立った。

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2005年(平成17年)9月 広島・宮島

2011年01月26日 | 蒼き神々の行方
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1968年(昭和43年)「楯の会」結成後間もなく「新宿駅騒乱事件」が起き、三島は、会員と共に、この騒乱の視察をした。

郷戸(ごうど)は、三島の命を受け、銀座から新宿へと回り、新宿駅の近くで、機動隊員に囲まれて、めった打ちにされている学生を見つけた。機動隊員に「楯の会」の会員であることを告げ、そして、学生を解放させた。学生に名前を聞かれ「楯の会の郷戸だ」と名乗り、学生の割れた額を赤いタオルで巻いてやった。

 「新宿駅騒乱事件」の視察の後、三島は、自衛隊の存在に危機感をつのらせ、2年後の1970年11月25日、「楯の会」会員4人と共に、自衛隊の決起を促すべく、自衛隊東部方面総監部へ乗り込み、割腹して果てた。
 郷戸(ごうど)は、事前にこのことを知らされず、尊敬する三島と共に死ねなかったことに落胆した。その後、警察の取調べを何度か受け、翌年には三島の支援者の政治結社のひとつに身を寄せ、やがて、暴力団の用心棒へと身を落とした。

 咲姫(さき)は木刀を左手に移し、他の部員と共に、濡れたポニーテールを揺らしながら道場へと向かった。神代(こうじろ)は郷戸(ごうど)が投げてよこした赤いタオルで割れた額を押さえたが、新宿の時と同じ様に血は流れ続けた。神田(かみた)は、拳法部の部室入り口に積まれたブロックの上に座り込み、天を仰いで、降り続ける雨を口に含んだ。雨はそのまま翌朝まで降り続いた。

2005年(平成17年)9月 広島・宮島

 神田龍一(かみたりゅういち)は今、雨に打たれながら身をかがめて、この30年以上前の出来事を鮮(あざ)やかに思い出していた。その後、修道館大学の運動部は、全ての公(おおやけ)の活動には1年間参加できなかった。暴力団の大木会は広島県警の頂上作戦により、壊滅に追いやられ、郷戸(ごうど)は大木会の刺客に追われ姿を消した、と言う噂を聞いた。あの時、一緒に闘った仲間とは卒業以来一度も会っていない。そして、10年前からは宮島観光推進協会の仕事も忙しくなり、拳法の練習からは自然と遠のいていた。

 雨と風は一層激しさを増し、渡辺は、警察を呼びに行ったまま帰ってこない。神田(かみた)は、合羽(かっぱ)のズボンと上着を脱ぎ、着ていたシャツとズボンも脱ぎ捨て、体を動き易くし、肩を回し、拳(こぶし)を握り、広げ、屈伸運動を始めた。
 「今の俺は、あの男に勝てるだろうか?」

 宝物館(ほうもつかん)の壊された窓から男が現れた。男は、「スルッ」と、頭から回転しながら飛び降りた。飛び降りたそのままの姿勢で、片膝をついて、あたりを見回し、警戒している。やがて、すっく、と立ち上がった。頭はスキンヘッドで、素っ裸だと思っていた腰の前部分は、黒い小さな革か布の様なもので覆(おお)っている。大胸筋は発達し、手足の長い格闘家の体だ。雨にうたれて体は光り、男の体は一層大きく見える。改めてこうして見ると、2m近い長身だ。男は黒い巻物ののようなものを口にくわえ、こちらを獣(けもの)のように凝視している。

 「気付かれたか!?」
 神田(かみた)は、
 「今の俺には、この男は倒せそうもない」そう思ったが、ゆっくりと立ち上がり、男のほうへ一歩進み出た。

 「何をしている!!」
 返事はない。もう一歩、前へ出た。男は動かない。男との距離は6m。さらにもう一歩進んだ。男は動かない。
 「どういうつもりだ・・・」
 その時、宝物館の裏に黄色い合羽が見えた。渡辺が警官を連れて戻ってきたのだ。男はそれに気付いて「俺と警官達の距離を測っているのだ」と知った。神田(かみた)はジリジリと間をつめた。

 「何をしている!!」
 警官が3人、警棒を伸ばして、後ろから声をかけた。男は、それには何も答えず、神田のほうを見たままだ。三人の警官はお互いの距離をあけ、男を、神田と共に囲む体勢を作ろうとしたが、「バッ!!」と、それより速く神田に向かって駆け出してきた。神田は、身構え、警官は、男を追って、男の背中へ向かって走った。

 男は、神田(かみた)の手前2mで体を伏せ、「ビュン」と、体を伸ばしたかと思うと、後方へそのまま回転して、追って来た警官達の頭上を、背中を下にして飛び越した。警官達は、獣が頭上を飛び越えたかのように、思わず頭をかがめた。神田は、警官の間をすり抜け、着地した男に組み付いた・・・かのように思ったが、「スルッ」と、神田の腕は空をつかんだ。男は振り向きざまに左裏拳を放った。神田はかろうじて、左手で払い、体をかがめながら、得意の右横蹴りを放ったが、男はあっさりとそれをかわし、巻物のようなものをくわえたまま、左頬を、ゆるめ、「ニヤッ」と笑ったように思えた。男は、大聖院(だいしょういん)方向へ走った。大聖院は、真言宗御室派(しんごんしゅおむろは)の大本山であり、関西屈指の名刹(めいさつ)で、厳島(いつくしま)の総本坊である。このまま行くと、空海が修行した、霊火堂(れいかどう)、弥山本堂(みせんほんどう)を経由して弥山(みせん)山頂へと続く。

 「待てーっ!!」
 警官達は叫んだが、男は、あっというまに、強い横殴りの雨と、弥山から吹き下ろす強風の中に入り込んだ。神田(かみた)は、追わなかった。男の裏拳は間違いなく手加減されたものだった。得意の右横蹴りも難なくかわされてしまった。全く歯が立たなかった。

 その時、遠くから「メリ、メリッ!!」「ガガッ!!」という地を揺さぶるような音と共に、あたり一面に土のにおいが漂ってきた。

 大聖院と厳島神社をつなぐ通りは、小さな商店や民家が並ぶ、門前町のようになっており、その通りは、やがて、V字型の谷になり、谷に沿って、参道が弥山(みせん)山頂へとつながっている。その谷の上部から、雨と風の音に乗って、生木(なまぎ)を裂く音が聞こえてきた。地面は揺れ始め、腹に響く地鳴りが聞こえてきた。
 「逃げろー!!」
 「山津波(やまつなみ)じゃー!!」
 警官達が叫びながら、必至の形相で駆けてきた。
 茶色の巨大な生き物が、うねるように迫ってきた。その巨大な生き物の頭には、松の木が何本も生え、背中には大きな石のこぶが何個もある。狭い道を、獣と化した泥が、商店のドアを飲み込み、民家の玄関を押し破り、そのまま、頭は厳島神社へと向かった。神田(かみた)達は、間一髪で高台に逃れ、呆然(ぼうぜん)とその巨大な獣の背中を四つんばいになって見つめた。

 神の島を襲った60年振りの山津波であった。

>>>続く

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三島は、反革命の起爆剤となるべく「盾の会(たてのかい)」を結成し

2011年01月24日 | 蒼き神々の行方
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全身の筋肉は、隆起し、血が噴き出さんばかりに赤くなっている。

「ドドーン!!」
 雷鳴と共に、南は、ついに、大男を肩で担ぎ上げた。
 「おおーっ!!」という声が周りから起こった。
 暴力団の男達も、学生達も、今や、このふたりの闘いを見守っている。
 大男は、信じられないという顔で南を見つめながら、それでも、地面に足をつけようとしてもがいる。
 南の体は仁王のように膨れ上がり、足を一歩踏み出した。雨は降り続き、グラウンドは田んぼのようになっている。南の足は、泥沼となったグラウンドに10cmは埋まり込んだ。

 「ビシャッ」一歩、「ビシャッ」また一歩と、南は、大男を担いだまま、歩(ほ)を進めた。その後ろには、穴となった足跡が残り、雨が流れ込み渦を作った。
 再び、「ピカッ」と光った稲妻の中で、ついに南は、両手で男を持ち上げ、「ドカーン」という雷鳴と共に、大男を、ダンプめがけて投げつけた。大男は肩でダンプの前部を壊し、そのまま泥沼と化したグラウンドに頭から落ち、悶絶(もんぜつ)した。大きく開いた口に泥水が流れ込んだ。これが大男にとって最初の敗北であった。
 「おおーっ!!」という驚嘆と歓喜の声が、学生達から沸きあがった。
 学長の小森は、窓を開け、振り込む雨に打たれながらこの様子を満足げに眺めていた。木野花咲姫(きのはなさき)は、木刀を上段に構えたまま、感動で動けなかった。日本拳法部の山口は部員に肩を預け、右拳を天に突き出し、雨粒を打った。神田(かみた)は乱れた胴着を正し、南に礼を尽くした。

 「バーン!!」
 雷鳴とは違う音が鳴り響いた。大男が投げつけられたダンプから、一人の男が降り立ち、雨の降る空に向かって拳銃を発射したのだ。未だに意識の戻らない大木仁一郎の息子、隆伸(たかのぶ)である。
 「もう、容赦はいらん!!」
 「ぶっ殺してやる!!」
 銃口は、南に向けられ、引き金に指がかかった。

 「やめろ!!」
 ダンプの屋根の上に立つ長身の男が、雨音を切り裂くような太い声で言った。
 「俺たちの負けだ」
 頭に赤いタオルを巻きつけ、右手に赤い木刀を持った男の顔が、稲妻の中で白く浮かび上がった。
 「郷戸(ごうど)・・・!?」
 剣道部の木野花咲姫(きのはなさき)、新聞部の神代(こうじろ)、そして、日本拳法部の神田(かみた)、三人は同時に郷戸の名前を口にした。

 「なんでじゃァ!?」
 「ドカーンッ!!」「ゴロゴロゴロ・・・」
 隆伸の声は雷鳴に打ち消された。
 「引き上げだっ!!」
 郷戸の声に、男たちは体を引きずり、仲間を支えながらトラックの荷台に乗り込み始めた。倒れた大男は10人がかりで荷台に引きずり上げられた。
 「ま、待てェ」
 「お、お前ら!!」と、隆伸は顔を赤らめ男達に叫んだが、所詮、隆伸も一人では何も出来ない男であった。



 ダンプは、後輪をスリップさせながらグラウンドを一周し、校門へと向かった。郷戸(ごうど)を屋根に乗せたダンプが、咲姫(さき)、神代(こうじろ)、神田(かみた)の前に来たとき、郷戸は、屋根を木刀で、「ゴンッ」と突き、停まるように合図した。

 「勝負はお預けだな」神田(かみた)に言った。
 「腕を上げたな」木野花咲姫(きのはなさき)に言った。
 「血を拭け」神代(こうじろ)にこう言って、額に巻いた赤いタオルを神代に投げた。

  体力を使い果たして、雨の中に座り込んだ南は山岳部の多良千月(たらちづき)に背負われて相撲部部室に運ばれた。多良は、その脚力を買われて、2年前の1970年、日本山岳会のエベレスト登頂隊の一員として、植村直己(うえむらなおみ)のエベレスト登頂をサポートした経歴がある。多良にとって、南を背負うことなどわけはなかった。山岳部部員の間では、当時、騒がれた、中国山地の「ヒバゴン」は、この多良のことではないかと言う噂があった。多良はエベレスト遠征に備えて、広島県と島根県にまたがる比婆山中で、連日、荷揚訓練(ぼっかくんれん)をしていたのだ。多良は、毛皮のベストを着て、毛の帽子をかぶり、毛の尻皮を腰にぶら下げて山中を歩いていたので、住民が見間違えたのではないかというのだ。



 郷戸(ごうど)は学生時代から天才剣士として全国に名をはせ、その、殺気を帯びた剣さばきにあこがれる者も多かった。木野花咲姫(きのはなさき)もその一人であった。しかし、その太刀筋(たちすじ)は日本剣道連盟からは邪道の剣として認めてはもらえず、全国大会に出場する権利は与えられなかった。郷戸の剣は、咲姫の、面を打ちに行く正統派の剣道とは違い、隙あらば、どこでも打ち、突き、反則と判定されることを恐れない「邪剣」であった。その頃の郷戸は自分が陰の道を歩んでいることを気付くには若すぎた。

 その剣の素質を見抜き声をかけてきたのは、三島由紀夫であった。三島は、時代が急速に旋回するのを憂(うれ)い、反革命の起爆剤となるべく「盾の会(たてのかい)」を結成し、その会員として郷戸を誘ったのだ。郷戸は、自分を認めてくれた三島のためには眠る時間さえをも削って動いた。
 1968年(昭和43年)「楯の会」結成後間もなく「新宿駅騒乱事件」が起き、三島は、会員と共に、この騒乱の視察をした。

>>>続く

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新宿駅構内では、停車中の電車に火が放たれ、電車は、めらめらと燃え上がり

2011年01月23日 | 蒼き神々の行方
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日本政府は、ベトナムに向かうアメリカのジェット戦闘機の燃料を中央線を使って横田基地へ送ることを認めた。

 学生達は、ジェット燃料輸送阻止のため、10月21日国際反戦デーのこの日、全国から、新宿駅に集まった。神代もその中にいた。
 神代は「革命前夜」になることを願っていた。あちらこちらで、火の手が上がり、催涙ガスと投石は「革命」の前兆に相応(ふさわ)しいものだと神代(こうじろ)には思えた。
 しかし、実態は、程遠いものであった。神代や学生達の思い込みは一般大衆からの支持を得ることはできず、大衆から非難の声さえ聞こえてきた。また、神代自身も、民衆の支持のない学生運動の限界を、このとき初めて感じた。

 催涙ガスでうずくまる神代に機動隊員の警棒による打撃は容赦(ようしゃ)なく振り下ろされた。気を失いかけた時、背広姿の若い男にようやく助け出されて、その男の差し出した赤いタオルで額を押さえながら新宿駅構内に逃げ込んだ。新宿駅構内では、停車中の電車に火が放たれ、電車は、めらめらと燃え上がり、鼻をつく異臭が充満していた。

 神代(こうじろ)の眉間にはすでに、この時に機動隊から受けた警棒の傷があった。 学生達には、神代の額の傷は輝いて見えた。今また、その傷口が、暴力団の投石によって広がったのだ。

  ダンプカーの荷台が大きく揺れて、巨大な男が上半身むき出しで降り立った。跳び下りた足元からは、砂塵が舞い上がり、さらに、その大男は荷台から、まだ、皮もはいでいない、直径が、30cmほどの丸太を引きずり出し、肩に担いで、学生達の輪の一角に向かっていった。遠目にも、男の巨大さが分かり、学生達は動揺した。男の盛り上がった肩とはちきれんばかりの胸の筋肉には圧倒的な威圧感があった。

 男は、4m近い丸太を振り回し始めた。振り回すたびに、ブン、ブンと音がし、木屑(きくず)が飛び散った。大男が向かっている学生の輪が崩れ始めた。陸上部の槍投げ選手が角材を投げ、それに続いて、次々と、他の学生も、角材を大男に向かって投げ始めたが、大男は、体に当たる角材をものともせずに学生達に向かっていき、ついにその、振り回す丸太は、学生達をなぎ倒し始めた。倒れた学生を足蹴(あしげ)にしながら、大男は前進している。

 「戦場で、歩兵に向かう戦車だ」
 そう思いながら、神代はその大男の向かう先へと走った。

 学生達の崩れた輪の間から日本拳法部部長、山口と神田(かみた)が現れ、大男の前に立ちはだかった。山口と神田(かみた)は、はだけた胴着を合わせ、帯を締めなおし、お互いの距離を4m開け、大男から5mの距離を空けて大男に対峙(たいじ)した。

 大男は、丸太をブンブンと振り回しながら、右と左に分かれて立つ山口と神田(かみた)をギロリと見やり、小柄な山口の方へと足を踏み出した。神田はそれを待っていた。バッ、と胴着を風に鳴らし、地を蹴り、大男の首筋に横蹴りを見舞った。大男の首筋から汗が飛び、一瞬ぐらついた。その隙を狙って、山口は連続直突と横打ちをわき腹に打ち込んだ。そして、横に回転しながら、脇を抜けて、男の後ろに逃げ込もうとした。しかし、大男の丸太が、一瞬早く、回転する山口の背中をとらえ、山口を弾(はじ)き飛ばした。神田は大男が丸太を山口に向かって振り上げた隙を狙って、わき腹の同じ箇所に左横突き蹴りを放ったが、大男が振り向きざまに振った丸太が神田の肩を殴打し、神田も地面に向かって倒れこんだ。

 山口と神田(かみた)は、倒れながらも回転し、大男から離れ、態勢を取り直し、再び、大男に向かおうとしたとき、
 「神田さん!!」と、後ろから声がした。

 相撲部主将の南幸吉(みなみこうきち)である。

 胸に修道館大学のマークの刺繍されたジャージを着て、まわし姿で南は立っていた。
 南は、角材を、束のまま両方の脇の下に一束ずつ挟み、その角材の一方の端は大砲のように大男に向けられている。
 「神田(かみた)さん、ここは俺に任せて、あんた達は他へ・・・」
 「すまんな」
 「この場は南に任せるしかないだろ」ふたりは、そう思いながら戦いの不利になっているところへと向かった。
 すでにあちらこちらで、学生達の輪は崩れて、個人戦の形になっている。

 南は、抱えていた角材の束を下へ落とし、着ていたジャージを「バッ!!」と脱ぎ捨て た。大男も、南の意図を察し、抱えていた丸太を軽々と投げ捨てた。そして、やっと己(おのれ)にふさわしい対戦相手を見つけた喜びで、にやりと笑い、額から流れ落ちる汗をぺろりとなめ、口の渇きを潤した。

 南も190cm、160kgの巨漢であるが、大男は、さらに一回りは大きい。その大男が、闘牛のごとく南めがけて突進してきた。南も、腰を落として、前のめりで大男めがけて突進した。お互いの距離は10m。あっという間に距離は縮まり、「ガッ!!」と、岩と岩がぶつかる音がし、汗と砂塵が舞い上がった。飛び散った汗が夕陽で光った。ぶつかった反動で、南は上体を起こし、大男の分厚い胸に速射砲のようにツッパリを放った。「バ、バ、バ、バンッ!!」大男の気勢が弱まった隙に、右手で大男のズボンを鷲掴(わしづか)みにし、左に身を回して投げを打とうとした。しかし、大男は、上から南を押しつぶすように被(かぶ)さってきた。大男の左手は南の右上腕を掴み、ぎりぎりと指を喰いこませ、右手は南の肩越しに後ろまわしを「ガッシ!!」と掴んだ。南の頭は、大男の胸の下に入り込んだ。

 夕陽が映る本館の5階の窓から、眼下で繰り広げられている闘いを眺めている男がいた。修道館大学学長、小森喜楽(こもりよしもと)である。学校職員達は警察に連絡する許可を学長に求めたが、小森は頑(がん)として拒否した。
 「学問の自由と、学校の自治独立は、官憲の介入で守られるべきものではない」
 それが、明治生まれの漢物、小森の信念であった。つい2ヶ月前には、ミュンヘンオリンピック、水泳種目へ出場する多口、本田、両水泳部員の壮行会で、赤ふんどし姿になって、ふたりに檄文(げきぶん)を読み上げたばかりである。小森は学生達の圧倒的な支持を得、また、小森自身も、学生達を全面的に応援、信頼していた。

 木野花咲姫(きのはなさき)は、ただ、ひたすら、男たちの振り下ろし、振り回す棍棒や木刀をかわしながら、面を打ち続けていた。その、咲姫の耳に「ドン、ドン」と大太鼓の音が聞こえてきた。
  「あの音は・・・」
 紛(まぎ)れもなく、修道館大学応援部の大太鼓の音である。音のする方向を、中段に構えながら、対峙(たいじ)する男の頭越しに見ると、本館屋上で団旗を翻(ひるがえ)す部員のそばには、いつもの、大太鼓を叩く応援団団員の姿があった。その前には、学生服姿に下駄履きの男が立っていた。修道館大学応援団団長の連山国男(れんざんくにお)だ。

 連山(れんざん)は両手に大根を持ち、「闘いの唄」を張り上げていた。運動部が大会に出場する前に開かれる壮行会で聴くいつもの歌だ。
 日本拳法部の山口も得意の連続突きを入れながら、神田(かみた)も蹴りを打ちながら、その太鼓の音を聞いていた。学友会会長、そして新聞部部長の神代(こうじろ)も夕陽に浮かぶ本館屋上を見上げていた。

 相撲部主将の南幸吉(みなみこうきち)は大男の下になったままだ。すでにこの体勢のまま5分はたっていた。最初の激突から、お互いの体勢は変わっていない。ふたりは、全身の力を出し続けていた。ふたりは、新たな技を出そうとはせず、ただ、力と力を出し切り、雌雄(しゆう)を決しようとしているのだ。相撲部員は、ふたりの闘いに邪魔が入らないように、ふたりを取り囲む輪を作り、固唾(かたず)を呑んで両者の闘いを見守っている。南の全身の筋肉がぶるぶると震え始め、ついに、南は、「ガクッ」と左膝を落とした。無理もない、あの200kgはあろうかと思われる大男が全身の力を出して、南の上にのしかかっているのだ。
 「あ、あーっ!!」相撲部員が悲痛の声を上げたとき、太鼓の音が響いてきた。

 応援団長の連山国男(れんざんくにお)は、のども裂けよとばかりに「闘いの唄」を歌い続け、太鼓を叩く部員も、バチよ折れ、皮も裂けよとばかりに、太鼓を叩き続け、団旗は千切れんばかりに振られている。唄も太鼓も、そして応援団旗も、いまや、相撲部主将、南一人のために向けられているのだ。

 「むおーっ!!」
巨大な背中から野獣の咆哮(ほうこう)とも思える声が上がり、さらに、南を押さえつける。ふたりの闘いを見つめる者たちには、何トンという重さが、南の肩にのしかかっているかのように思えた。
 大きな背中に大粒の雨が一粒落ちた。やがて、二粒、三粒と、雨粒が落ち始め、雷鳴と共に、大雨になった。2ヶ月ぶりの雨である。
 「ピカッ」と光った稲妻に、大男の背中が光った。

 「むおーっ!!」
 再び、大男が叫んだ時、大男の背中が、「ぐぐっ」と、わずかに持ち上がった。南が、その巨大な男を持ち上げようとしているのだ。
 雨は、ますます激しさを増し、海辺に近い修道館大学のグラウンドは、一面水浸しになってきた。
 南に覆(おお)いかぶさる大男は眼を剥(む)いて全身に力をこめている。しかし、「ドン、ドン」という太鼓の音と共に、南の膝は徐々に伸び、全身の筋肉は、隆起し、血が噴き出さんばかりに赤くなっている。

>>>続く

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ジェット戦闘機の燃料を中央線を使って横田基地へ送ることを認めた

2011年01月22日 | 蒼き神々の行方
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「この場を収めるには俺の小指を落とすしかないか」
 左小指の付け根にバンテージを巻きながら前へ進んだ。

 本館から数名の職員が、背広の裾とネクタイを風になびかせながら駆けつけたが、
 「いったい何事ですか?あなた方はなんですか?」と、遠くから叫ぶしかなかった。
 男たちは、それには耳を貸さず、男はドスを山口の前に投げた。

 山口は、投げられたドスの前に跪(ひざまず)き、左手で鞘(さや)を握り、右手で柄(つか)を持ち、手前に引いた。ためらいはなかった。一瞬、夕陽で刃(やいば)が光った。時が止まったようであった。夕陽が本館の窓に大きく映っていたのを木野花咲姫(きのはなさき)は今でも覚えている。

 風が吹き、砂塵が大きく舞った。
 男達も学生達も、一瞬目を細めたその時、学生達の輪から風と共に走り出て、山口を跳び越した男がいた。「あっ」と、咲姫(さき)が思ったそのときには、ドスを投げた男は頭を右へ傾(かし)げたまま吹っ飛んでいた。神田龍一(かみたりゅういち)の横蹴りであった。


 吹っ飛んだ男の体が地面に落ちる前に、神田(かみた)の左裏拳(ひだりうらけん)は左側の男の顎(あご)を砕(くだ)き、右上げ蹴りで右の男をくの字にへし曲げた。一瞬の業(わざ)に、男達は、ばっと、輪を広げたが、神田が素手だと分かると、次々に、神田にかかっていった。

 神田(かみた)は立ち上がった山口と共に、男達の竹ざおや、棍棒(こんぼう)、木刀などをかわしながら、一人、二人と、確実に倒していった。大柄の神田(かみた)と小矩(しょうく)ながらもスピードのある連続技が持ち味の山口の二人は、他の大学の拳法部からは、「牛若と弁慶」と呼ばれている。今、その二人が、150人を超える荒くれ男どもを相手に戦いをはじめたのだ。
 後に「暴力団と学生の大乱闘事件」として海外メディアも取り上げた事件の始まりである。
 
 いくら、「牛若と弁慶」でも「限度がある」と、咲姫(さき)が思った時、男達は、学生達に向かって得物(えもの)を振り上げながら、いっせいに向かって来た。そして、男達の一団が、剣道部員のいる方向にも近付いて来た。
 咲姫(さき)に向かって、男の一人が棍棒(こんぼう)を振り下ろした。もう迷っている暇はない。咲姫は、木刀で、その棍棒を左へ払い、返して、胴を打ち込んだ。加減をしたつもりであったが、男は、あばらを押さえて、右膝(みぎひざ)から崩れ落ちた。

 学生達の一部は、新聞部の部室になだれ込んだ。新聞部の部室の床下には、鉄パイプと、角材(げばぼう)が隠されていることは、学生達の間では、公然の秘密であった。さらに、新聞部の部室の裏には、学園祭にかこつけて入手した長尺、3、6m物の角材の束が何束も立てかけてあった。

 「輪を崩すなーッ」 神代(こうじろ)は、額からの血が首筋に流れ込むのを感じながら叫んだ。3年前の「新宿駅騒乱事件」の記憶が一瞬よみがえった。

 今の状況なら、「男達をつぶせる」と思っていた。
 男達は、学生達の輪に取り囲まれた形になっている。これで、バラバラになっては学生達に不利だ。
 「輪を崩すなーッ!!」
 再び、神代は、顎(あご)を上にして、首を回しながら、声を張り上げた。

 最初に、突っ込んできた男達に、学生達は、棍棒(こんぼう)、竹竿(たけざお)で体を打たれながらも、後ろに下がらず、懐(ふところ)に飛び込んで男達と組み合った。その学生達のほとんどは、柔道部、空手道部、少林寺拳法部、ボクシング部などの部員達である。様々な気合と共に、男達は投げ飛ばされ、打ち据えられていった。

 新聞部の部室から運び出された角材や鉄パイプは手渡しで学生達に回されていき、学生達は、その、角材や、鉄パイプを、輪の内側に向け突き出したり、地面を叩いて、男達を威嚇(いかく)した。
  大きな人間の輪の中からもうもうと砂塵が舞い上がり、まるで、火山の噴火口の様(さま)となり、さらに、その輪の中には、小さな輪があり、その人間の輪が、右に左にと動いている。その中にいるのは、日本拳法部の「牛若と弁慶」の山口と神田(かみた)である。輪から、一人、二人と男がはじき出されている。輪の中のふたりが、男達を倒しているのだ。
 「あのふたりを連れ戻さなければならない」神代(こうじろ)が思った時、 ビュン、ビュン、と硬球が中の男たちに向かって飛んで行った。野球部員が次々と硬球を投げつけ始めたのだ。 
 山口と、神田を囲んだ輪が一瞬ゆるんだ隙に、二人は全速で、外に向かって走り、外に向かっていた男達の頭上を跳び越した。

 この間にも、木野花咲姫(きのはなさき)達、剣道部員は、男達と戦っていた。ここでは、女子長刀(なぎなた)部員の長刀(なぎなた)が男達の足を次々と砕(くだ)き、男達をへたり込ませていた。
 咲姫の小手、面の二段打ちも面白いように決まり、男達は棍棒や角材を投げ捨て、苦痛にゆがんだ表情を浮かべて、打たれた箇所に手を当てている。しかし、その男達を押しのけて、次から次へと新手(あらて)が押し寄せる。

 男達の、振り下ろし、振り回す、棍棒や竹ざお、鉄パイプに木刀で対戦するのは不利だが、咲姫は、それらを、ひらり、ひらりと、難無くかわしながら、甲高い気合と共に、目にもとまらぬ早業(はやわざ)で、踏み込んで、得意の面を打ちに行った。
 この面で、咲姫は中四国女子学生チャンピオンになったばかりであった。

 これまでのところは、状況は、学生達が有利であった。この時間には、一般学生は、授業も終わり、すでに校内に姿はない。校内に残っている学生達は、何らかの部に属しているものたちばかりである。そして、今、暴力団と戦っている学生達の大部分は運動部に所属している者達だった。運動部に所属している学生達の連帯意識は高かった。
 そして、その学生達の指揮を執っているのが、新聞部の部長、神代陽平(こうじろようへい)である。神代は、学生達に一目おかれた存在であった。

1968年(昭和43年)アメリカは50万人の兵隊をベトナムに送り込んでいた。1月には、アメリカ海軍空母エンタープライズが佐世保へ入港し、日本のベトナム戦争前線基地化は拍車をかけ、アメリカ軍は、3月、南ベトナムのソンミ村で老人、婦女子ばかり500人以上を虐殺した。そうした状況の中で、日本政府は、ベトナムに向かうアメリカのジェット戦闘機の燃料を中央線を使って横田基地へ送ることを認めた。

>>>続く

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この場を収めるには俺の小指を落とすしかないか

2011年01月20日 | 蒼き神々の行方
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 暴力団が大挙して、大学に乗り込んできたのだ。


 仁一郎は、用心棒たちによって、大木会の本部に運び込まれた。大木会の本部は、広島市内にある丘の頂上にそびえたち、まるで要塞のような建物である。
 すぐに、お抱えの医者が呼ばれたが、やがて救急車によって近くにある大学病院へと搬送された。

 「郷戸(ごうど)、お前がついていながら、どういうことじゃ」
 大木会の会長、大木鷹男(おおきたかお)は集中治療室の前で、痩せぎすで長身の男を睨(にら)み付けた。
 「お前の木刀でもダメだったか」
 太い眉の下の眼を、再び、力なく横たわる息子の顔に落とした。

 郷戸(ごうど)と呼ばれた男は、壁に背をもたれさせ、タオルを巻いた頭を壁につけ返事をしなかったが、二人の用心棒たちは、頭を下げて、小さくなっていた。

 3日間こん睡状態は続き、医者は、回復には「時間がかかる」ことだけを鷹男に告げた。
 鷹男は医者の言葉の意味することをすぐに理解したが、もし、仁一郎にも意識があるなら、これまで、父親の権力と金の力に守られ、育てられた自分の無力さを悟ったことであろう。
 すでに、学生の身元は分かっていた。
 「このままにしてはおけない」
 たかが学生に転がされて、大木会の2代目が意識不明のまま、万一のことがあっては全国の暴力団の笑い種だ。もうじきこの一件は全国に広まるだろう。


  乾いた竹刀(しない)の打ち合う音と、甲高(かんだか)い気合の合間から怒号(どごう)と悲鳴が聞こえてきた。面をかぶったまま、木野花咲姫(きのはなさき)は道場の窓から覗(のぞ)くと、工事用の大型ダンプが大学正門から入り、何か月も前から「授業料値上げ阻止」と書かれた立て看板を突き破り、そのまま、看板の一部を引きずりながら本館の裏へ向かっているのが見えた。同じ型のダンプが2台、後(あと)に続いた。荷台には、作業者風の男達がすし詰めに乗っている。最初は、事故だと思ったが、どこか違う。よく見ると男達は、手に手に木刀や、棍棒、鉄パイプ、竹ざお等を持っている。

 何が起こっているのか分からなかった。すぐに裸足(はだし)のまま駆け出したが、何かを感じ、すぐに引き返して、運動靴を履き、手にした竹刀を木刀に替えて再び飛び出た。途中、何人かの部員も道場へ引き返していた。
 「何があったの!?」
 「わかんねー!!」男子部員は叫びながら道場へ引き返していった。

 一般学生は授業が終わり、バイトか、デートで校内には多くは残っていない。熱心な学生は図書館で学習している時間だ。今いるのは、教授と職員、それに、木野花咲姫(きのはなさき)のようにクラブ活動に精を出しているものだけだ。


 第一グラウンドへ行くと、ダンプは野球部員を蹴散(けち)らし、最初の一台が、ピッチャーマウンドに停車したところだった。最近の日照りで、埃(ほこり)が舞い上がっていた。気象台は、今日は雨になる予報を出していたが、咲姫(さき)は、前を走る男子部員達の袴(はかま)が巻き上げる砂埃を見て「今日もまた外れそうだ」と、思った。

 続く二台も距離をおいて、グラウンドの周囲に向かって扇型に停まった。
  グラウンドの周囲にはプレハブで作られた部室が並んでいる。

 やがて荷台に乗っていた男達がばらばらと降りてきた。降りるたびに埃が舞い上がる。男達の風体は様々であった。アロハシャツに白ズボンにセッタ履きという、典型的なチンピラ風の男もいれば、黒のスーツにサングラスのやくざスタイル、タオルの鉢巻に上半身裸の男もいる。その男達の手にはそれぞれ、何らかの得物(えもの)が握られていた。あるものは木刀を振り回し、あるものは、竹やりを突き出していた。はだけた腕や肩の刺青が汗で光っている。

 「こういうのがヤクザの出入りというものなのかしら」咲姫(さき)は、ぼんやりと思いながら、大きく離れた学生達の円の中からそれを眺(なが)めていた。

 一台目の運転席から二人の男が出てきた。
 一人が叫んだ。
 「拳法部の野郎共、出てきやがれッ!!」
 「これで、分かった」咲姫(さき)は、何日か前の、日本拳法部と大木会のトラブルを噂で聞いていた。


 「出てきやがれー」男は叫んだ。
 遠巻きに見ていた学生の間から一人の学生が進み出た。学友会会長の神代陽平(こうじろようへい)だ。神代(こうじろ)は、新聞部の部長である。
 神代(こうじろ)は、アジで鍛(きた)えた太い声で、
 「あなた方の要求は、校外で聞く」と、叫び、そして、
 「あなた方は今、学校の自治を犯している・・・」と続けたとき、「ビューッ」と石が飛んできて、避ける間もなく、神代(こうじろ)の額に当たった。

 額からは血が流れ出た。
 「何をする!!」
 神代(こうじろ)の後ろから新聞部の一人が叫んだ。
 「うるせーッ、警察がくるまでに話をつけよーぜ、拳法部!!」
 「指一本ですむんだよー!!」
 
 日本拳法部の山口大河(やまぐちたいが)が神代の肩を引いて前に出た。
 「おー、お前かー」
 「お前の指一本で済むことじゃ」
 山口は覚悟は決めていた。
 「この場を収めるには俺の小指を落とすしかないか」
 左小指の付け根にバンテージを巻きながら前へ進んだ。

>>>続く

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