国境の南/south of the border

ysaÿe design officeの いえ 音楽 旅

We are St. GIGA

2005-11-28 15:10:57 | St.GIGA


“I'm here." "I'm glad you're there." We are St. GIGA

・・・
というフレーズをご存知でしょうか。
今から14年前、WOWOWの音声チャンネルで始まった、世界初の衛星デジタル・ラジオ。
St.GIGA(セント・ギガ)

放送衛星から、地球のタイド・ウェーブに合わせて音楽の潮流を紡ぎ出し、自然音で各作品をつないでゆくというコンセプトで、
一日を「潮の満ち干」による、自然の運行に呼応した“タイド・テーブル”で構成するという、画期的な放送内容でした。
アンビエント(環境音楽)、自然音、クラシック、民族音楽、Jazz・・・。
ジャンルにとらわれることなく、その「時」に最良な音が、ただ、ただ、静かに降ってきていました。
「癒し」とか「アロマ」なんて言葉がはやる、はるか以前のことです。
コンセプトは24時間フォーマットの「音の潮流」。

「音が宇宙(そら)から降ってくる」という概念にすっかり虜になり、夢中になって聴きつづけました。
これは強烈な音楽体験でした。

音楽が降りてくる
空から 星から
・・・
月に導かれて水が満ちてきます

という女性のナレーションのバックには自然の音。そしていつの間にか音楽に切り替わっている絶妙な構成。
放送メディアがArtの領域まで達したかのような瞬間です。

すごい時代になったものだと、当時は思いました。
St.GIGAは至福のときそのもの、だったのです。
ほとんど採算を度外視したかのような放送でしたが、やはり1993年に経営悪化のため「普通の」音楽番組が放送されるようになり、2002年には消滅してしまいました。
後にも先にも、St.GIGA(セント・ギガ)以上の音楽番組はないし、放送局もありません。
バブル期の隙間のような空間に、咲いた奇跡のような放送によるアートの空間。
聴きたい。どうしても聴きたい。
しかたがないので、今は下記のCDで疑似体験しています。

St.GIGA Sound of the Earth / 小笠原諸島 水平線の物語
東芝EMI  TOCT-6532

僕の所有するSt.GIGA Sound of the Earthの2枚のうちの1枚。
波の音、珊瑚の音、鳥の声・・・。
KAKAという丸太を即興で叩く演奏がいい。夕暮れ時の浜辺で、遠くの方から聞えてくる。
数年前、沖縄一人旅を決意させた1枚。

St.GIGA Sound of the Earth / ネパール 天に最も近い場所
東芝EMI  TOCT-6921

僕の所有するSt.GIGA Sound of the Earthのもう1枚。
川の音、虫の音、ここは「ポカラ」だ。
バンブーフルートとパーカッションが風景の中で鳴っている。
これを聴くと、なんて我々の住む社会は騒々しいことかと、思ってしまう。
静寂の音風景。

FUTURE MUSIC
発売日: 1996/10/25 FRCA-1014 (税込価格3,059)
レーベル:   Foa Records

テクノ~アンビエント・アーティスト が集結した究極のコンピレーション。
細野晴臣、ケン・イシイ、越智義朗、WORLD STANDARDなどなど・・・。
St.GIGA(セント・ギガ)とは時期がずれるので、直接は関係がないのだけれど、アンビエントを体験するには最良の一枚です。

Aqua / 越智義朗
発売日:1996/10/02  FRCA1013
レーベル:   Foa Records

越智義朗はパーカッショニストでアンビエントの第一人者。
「Aqua」という、水をコンセプトにしたアンビエント・サウンドは、更なる静けさを体験できます。
甲田益也子やDREAM DOLPHINのVoiceが何とも言えない味を醸しだし,夢と現の狭間を浮遊させる。


St.GIGA(セント・ギガ)の復活は多くの方の願望で、インターネットで検索すれば多くの署名運動などが見受けられます。
しかし、その声むなしく、貴重な音源のDATまでも競売にかけられたようで、復活は絶望視されているようです。
だれか、心ある大金持ちの方。その音源のDATを回収してCDシリーズかなにかにして下さい。・・・って、無理な注文だよなぁ。

儚く美しいSt.GIGAは、なんだか「内藤礼」さんのアートみたいに思えてきたので、次回は内藤礼さんの「地上にひとつの場所を」で記事を書きたいなと、思います。


今日はイタリア!

2005-11-27 11:28:43 | ボサ・ノヴァ


Freedom Jazz Dance Book II / V.A.
レーベル: Schema  No: SCCD402 発売国:   Italy
 

先日、タワーレコードの店内に流れていた曲。思わずグッときて、衝動買いしてしまった。
イタリア発Schema(スケーマ、スキーマ?)レーベルのコンピレーション。
クラブ系ラウンジ系カフェ系が楽しめる上質なボッサジャズ。
どちらかというと、夜のお店で流れている曲っぽいのがいい。
Schemaにしては硬派なJazzアルバムといった感じで、Jazz好きも楽しめるんじゃないかと思う。
でも、さすがにSchemaレーベル。イタリア的オッサレーなんですわ、これが。

moca / Mondo Candido
2003.5.21発売 / アルバム / VICP-69003 / \2,520(税込)

シエンタのTVコマーシャルで有名になったモンド・カンディド。イタリアン・ボッサの注目株。
もう、ほんとうにこの俗っぽさがたまらない。むかしのB級映画を観ているよう。
ジャン・ポール・ベルモントがマシンガンもってジャン・ギャバンをフェラーリで追いかけているような、
そんでもって「不二子ちゃ~ん」なんていってるような気がする(なんかむちゃくちゃ)。
ボーカルのルイゼーラは絶対に確信犯。ポップでスタイリッシュで甘く切ないイタリアン・ジェラード。

Copenhagen-rio Non Stop
2001.04.07日発売 / アルバム / CD30052
レーベル:  Music Mecca 発売国:   Europe 

70年代から80年代にかけて、デンマークのコペンハーゲンで録音された、ブラジリアン・フレーバーのサウンドを厳選してNon Stopミックスに編集したコンピアルバム。

ということはイタリアじゃないけど、ヨーロッパのジャズ/ブラジリアンつながりということで・・・。
コペンハーゲン、リオ・デ・ジャネイロというつながりが面白くて購入。
よくみるとレーベルはドイツのレーベル。へ?ドイツ、デンマーク、ブラジルか!
なんだかこの無国籍感がいい。
聴いてみると、とってもいい。
いい意味でヨーロッパっぽい。上品なブラジリアン・テイストというところか。
思わずジャケ買いしたほどのジャケットであるが、中身もすばらしい。

ラウンジ、カフェ等とっても楽しめる、ある意味不思議な一枚です。


思えば、アメリカ、日本のポップミュージックをあまり聴かなくなってしまっていた。
ロック一筋の若い頃はあんなに聴きまくっていたのに・・・。
というか、音楽に対して無節操になってしまったのかな。
沖縄民謡から現代音楽までなんでもこい、ですからね。


天上桟敷、グレゴリオ聖歌、ECM、アンサンブル・プラネタ

2005-11-20 11:40:50 | ヨーロッパ関連

大分県湯布院には「天上桟敷」という喫茶店があります。
一歩入ると、グレゴリオ聖歌がながれる、俗世から隔絶された空間。
古い民家を改造した建物は、今はやりの「古民家再生」を先取りしたものでした。

このグレゴリオ聖歌。
再現可能な最古のヨーロッパ音楽なのですが、我々が思っている音楽の構造とはちょっと違う。
単旋律でハーモニーがなくユニゾン。ビブラートだとかの装飾といったものがなく、あくまで静かで荘厳。
バッハ以前のプリミティブな状態で現存している稀有な音楽。
8世紀ごろの音楽を、現代において表現するグループがあるということは、すごいことだと思います。

海の星 / トリオ・メディーヴァル
Stella Maris: Trio Mediaeval
ECM New Series 1929
ASIN: B000AGK7HU

97年にオスロで結成された、ノルウェー出身の女性ソプラノ・トリオ。
デビュー作は中世の賛美歌でした。天使の世界に漂うような極上のコーラスです。
この第3作は、聖母マリアを意味する“Stella Maris(海の星)というタイトル。
12世紀と13世紀に書かれた英国とフランスの音楽と、韓国の女性作曲家が書いた現代音楽(ミサ曲)を収録。
さすがはECM。
静謐で透明感あふれる聖歌の世界はまさに「沈黙に次ぐ最も美しい音」といえましょう。

麗しのアリア / アンサンブル・プラネタ
PCCA-01884
ポニーキャニオン - ASIN: B00008NX3Z

日本発。5人編成の女性ア・カペラグループ。
「アメイジング・グレイス」「G線上のアリア」など、ヨーロッパの民謡やバッハなどの作品を収録しています。
とにかく、このようなアプローチをするグループが日本から出てきたというのが、うれしい驚き。
最新作の「コラール」ではやっとグレゴリオ聖歌を取り上げてくれました。
じつはファンです。


那覇、エイサー、三線、古謝美佐子

2005-11-18 11:42:21 | 沖縄関連

久しぶりの「沖縄関連」の話題です。
那覇に着くと、まず行きたいのが国際通り。
それも表通りの賑やかなところではなくて、路地に入った平和通や市場通り。
「琉銀(琉球銀行)」だとか「沖銀(沖縄銀行)」だとか「沖電(沖縄電力)」なんて言葉が耳に入ってくる。
その言葉だけで、うれしくって、うれしくって、もう、とろけそうである。
夏に行くと、「もうすぐエイサーだねぇー」って声が聞こえてくる。
地元の盆踊りなんてワクワクしないのに、「エイサー」という言葉を聞くと無性にワクワクしてしまう。
「そうか、エイサーかぁ」なんて参加したこともないくせにジーンとくる。

以前、夏に泊まった久高島の小中学校では、夜遅くまで「エイサー」の練習が行なわれていた。
パーランクーのどんどんという音が、なにもない夜空に消えていった。
賑やかなエイサーよりも、厳かなエイサーに魅かれるのは、この時の体験からだろうか。

七月エイサー / 謡・三弦 嘉手刈林昌、比嘉康春他
太鼓・はやし 園田青年会他
マルフク 1990 ACD-9
沖縄で有名な園田エイサー、沖縄民謡界の巨匠 嘉手刈林昌歌唱の貴重な録音。

嘉手刈林昌大先生である。
そして、園田エイサー隊の荘厳な舞が想像できるようなCD。
夏の沖縄を体験できるCDといってもいいのではないだろうか。
最後のトラックに収められた「実況録音」は臨場感があってとってもいい。
夏の夜の雰囲気が、見事に収められている。
レーベルはもちろん、老舗のマルフクレコード。


さて、僕も三線をやっています。↑これが僕の三線。
三線を買ったのは、平和通にある新垣三線店。
今年の3月にお邪魔したときは、ちょうど3月4日で「さんしんの日」だったため、店長の新垣さんは不在でした。
事前にイベントのため不在と聞いていたのですが、僕宛のメッセージがちゃんと添えられていました。なんてうれしい心配りなんでしょう。
店内には、ずらーっと三線の列。ひとつひとつが手作りなので、当たり前ですが同じものはありません。
いくつか弾かせてもらいましたが、お店の人のアドバイスがなければとても一人じゃ決められません。
沖縄で三線を買おうという方は、時間に余裕を持って行きましょう。
僕の三線はスンチー塗り(黒塗りではなく透明塗料)の強化張り(二重張り)。
本革貼りにしようかと迷ったのですが、むかしバンドをやっていた経験上、もし、万が一、なにかの偶然でステージに上がることがあっても、マイクで拾うことやPAのことを考えて、耐久性も考慮しました。
もちろんいい音。
じつは店長の新垣さんに「古謝美佐子さんの天架ける橋みたいな音がいい」とリクエストしておいたのです。
素人ゆえのわがままと許してください。

天架ける橋 / 古謝美佐子
DISC MILK DM002

これが僕にとっての沖縄CDのなかで、ナンバーワン。
アレンジがいい、曲がいい、唄がいい・・・。
そしてこのやさしい三線の音色。
震えるような「音の線」がいいです。
室内楽とギターの音色が三線と歌声に絡みつく、奇跡のようなレコーディング。
1曲目の「サーサー節」からもう虜。「天架ける橋」「童神」と名曲ぞろい。ドボルザークにいたっては、涙ちょちょぎれ。
癒し系とされる音楽はあまり聴かないのですが、古謝さんの唄は和み系。
和みます。
有機栽培無農薬のお味をどうぞご賞味あれ。

さて、工工四で練習しようかな。
「尺」ってどこだったっけ・・・。


テンペラ技法とアクリル絵具

2005-11-17 10:47:28 | 絵画

テンペラという絵画の技法があります。
主に14世紀イタリアのルネッサンス期に用いられた技法で、フラ・アンジェリコ、ボッティチェリなどが有名。たとえば、こんなの↓

油絵具が発明される以前の絵画技法で、顔料を乳化材としての卵黄と混ぜて、絵具を作っていました。
いい点は、水に溶ける絵具でありながら乾くと耐水性になり、重ね塗りができるという点。それと、独特のあの雰囲気。
めんどくさい点は、いちいち絵具を作らなければならないこと。そして細かいハッチング。
とにかく大量にできない絵具なので、チューブから出してドバーっと、という方には向いていません。
そういう僕も、学生時代に勉強したのですが「こりゃ、できんわ」と諦めていました。

社会人になり暇を見つけては、リキテックスのアクリル絵具で好き勝手に描いていたのですが、ある日はたと気がついたのです。
「アクリル絵具ってテンペラだよなぁ」と。

まず、水に溶ける絵具でありながら乾くと耐水性になるというのは、アクリル絵具そのもの。
アクリルは下地にジェッソという白色の下地材を使うのですが、このジェッソ、もともとは石膏という意味だったらしく、テンペラも石膏の上に描いていたらしいです。
もっと調べていくと、アクリル絵具のことを「合成樹脂テンペラ」なんて書いてある解説書もあるくらい。

ということは、リキテックスでテンペラすりゃいいじゃん!
アクリル絵具を細かい筆でハッチングし、薄く溶いたアクリル絵具のグラッシを重ねていく技法にしました。

製作途中ですが、なかなかテンペラっぽい雰囲気が漂っています。
で、このテンペラですね、この細かい作業が病みつきになりそう。


大いに悩もう!

2005-11-13 14:50:39 | 社会科

インターネットは便利だ。こと情報の受け渡しといった分野では、出版や放送よりも群を抜いている。
でも、というかやはり、弊害は多い。
情報の「正しさ」が保証されていない。
匿名が多いので基本的に「無責任」である。
簡単に悪口が活字になって、なんの検閲も受けずに、流布する。
そして、いつの間にか僕たちの社会は「平気で悪口を言う」社会になってしまっていた。

基本的にネット上の言葉は、匿名である限り「床屋談義」以上のものではないと思っている。もちろん僕のブログも含めて。
でもネットの言葉は時に人を凶暴にし、誘導し煽る。
特に日本人のような、個人としてのアイデンティティーが希薄な社会では、はっきりいって煽られやすい。

何を言っているのかというと、もちろんコイズミの「自己責任」発言に端を発した、イラクでの人質事件に対する「国内」の騒動のことである。

あの騒動を異常だと感じた人はいた。しかし、単純な悪口の連呼に参ってしまった。
悪口は単純でわかりやすく即効性があった。
そして、これほど「お上」の肩を持つ一般人のなんと多いことかと、やはり参ってしまった。
なんてこの国は統治しやすいのだろう。

「みんなに迷惑をかけて・・・」という攻撃があった。みんなって誰だ?役人か?
政府の愚策に個人が迷惑をかけられたのではないのか?
日本政府がアメリカ政府の政策に追従したという以上の意味が、あったのか?

ボランティアに対する意識が低いのは認める。もともとそういった文化が根付いていないのだ。
だからボランティアを、「定職」に就かずにブラブラしている若者が、自分探しなんて「青臭い」動機でやるものだ、なんて思っている。ここでも「個人」よりも「仕事(=会社=共同体)」を優先する考え方だ。
浅はかで勉強不足で問題意識のない受け止め方であり、全世界のボランティアを侮辱している。

当時、日本の異様な反応に対してル・モンドやパウエルがボランティアを擁護する発言があった。しかしバッシングした側からのル・モンドやパウエルに対しての有効な反論は目にすることがなかった。
ここでも「強いもの、大きなもの」には何もいえないのか?

以前はこういった「浅はかで勉強不足で問題意識のない」意見はいえなかった。発言できる機会がなかったのだ。
それこそ、床屋で談義する類の発言だ。
しかし、インターネットの登場である。我こそは我こそはと、猫も杓子も「自分の意見」を主張し始めた。
この「自分の意見」といったものにバリエーションがあればまだ健全だと思う。
でも、なかった。
「自分の意見」を発表するには、ある程度の訓練が昔は必要だったのだ。
論として構築できているかどうか、整合性はあるかどうか、モラルは守られているか、オリジナリティーはあるか・・・。
出版に携わっている方ならわかると思うが、「自分の意見」はまず先輩がたから、こっぴどくやられないといけない。
そうやって鍛われて鍛われて、鋼のような「意見」がいえるようになって、やっと人前に発表できたのである。
今はそういった「訓練」の期間がないまま、誰でも「自分の意見」を活字にできる。

インターネットの掲示板や2ちゃんの類は一切見ない理由はこれ。
「自分の意見」をまずいったん、相対化し、批判し、咀嚼し、・・・といった過程を踏まえていないから、便利さと引き換えに寛容さが失われ暴力的になっていく空間がつくられていく。

愛してるって、どう言うの?―生きる意味を探す旅の途中で
高遠 菜穂子 (著)
出版社: 文芸社 ; ISBN: 4835540743 ; (2002/06)

ずいぶんと長々と書いたが、本書とはあまり関係がなかったかもしれない。
この本は、高遠さんのボランティア遍歴をつづる、アジア好きにはたまらない一冊です。
とにかく知らないことが多く感心させられるし、問題提示が多いし、痛快。
ひとことでいって、おもしろい。
ああ、アジアだぁ・・と読んでいて何回も思った。モンスーンのむわっとした空気が匂いそう・・・。

高遠さんは悩んでいる。いいのだろうか、いいのだろうかと、いつも悩んでいる。
孤児院の子供と、母親に抱かれながら眠る路上生活者の子供。どっちが幸せなんだ?
これはまるで、宮沢賢治みたいな悩み方ではないか。
高遠さんは「自分探し」なんかしなくても、十分に個が確立され、行動力があって問題意識が誰よりも深い。
すくなくともパソコンの前に座って、あーだこーだ唸っている人間よりも、よほど充実した人生を送っている。
こう書くと、ボランティアをする人間が善で、しない人間が悪と捉えられるが、けっしてそんな意味ではない。
どのくらい自分の人生を悔いのない充実したものにできたか、ということで、高遠さんが優れているということだ。
ボランティアでなくてもいい。絵を描くことでもいいし、歌を歌うことだっていい。
すべての創造的な行為に対して言えることではないだろうか。

高遠さんは十分悩み十分悲しみ十分戦っている。
その個人の「深さ」については他人がとやかく言う筋合いのものではない。

坂本龍一らが「ZERO LANDMINE」を発表し高遠菜穂子がイラクを走り回った。
僕が賛美したいのは、彼らのクリエイティビリティである。

この地球上に61億人も人間がいて、誰一人として、ブッシュ氏の戦争を止められなかった。どの言葉も、どの思想も、どの宗教も、芸術も止めることができなかったということは、ちょっと大げさかもしれないけど、人類の敗北です。
『非戦』出版記念会にて   2001/12/19

と坂本龍一氏も悩んだのである。

自分の行動や思想が、戦争を止めることができなかったという敗北感。これこそが分水嶺ではないだろうか。

太宰治が、自分が他の作家よりもただひとつ優れているは、ということで「他の誰よりも悩んだことだ」と打ち明けている。
「悩んだこと」だけは誰にも負けないらしい。
その結果があの珠玉の小説になったのだ。

話はそれるけど、近頃の子供の中には、理科の実験を嫌がる子がいるということだ。
どうしてかというと、実験が怖いわけではなくて、実験なんてまどろっこしい事はいいから、早く結果を教えてくれということらしい。
ものの見事に、試行錯誤や悩みといった「過程」に価値を見出していない。

以前、星野道夫の「世界の見方」で記事を書いた。星野道夫は道夫の方法で世界を把握していた。
高遠さんは高遠さんの視点で世界を見ている。
僕にはこの二人がうらやましい。独自の視点を持ち、その軸にそって生きている。
こんな生き方が難しくなったというわけだろうか。

といいわけで、みなさん大いに悩みましょう。
くれぐれも単純な言説に惑わされないように。


米国産牛肉の輸入再開

2005-11-02 16:24:38 | 社会科

米国産牛肉の輸入再開を容認する答申書を提示したそうです。
まず、どんな病気なのか知ってほしいので、以下の文章を読んでください。
日本医師会ホームページから抜粋したものです。

クロイツフェルト・ヤコブ病と狂牛病
http://www.med.or.jp/kansen/jakob.html
(略)
古典的CJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)は精神症状と高次機能障害(記憶力低下、計算力低下、失見当識、行動異常、性格変化、無関心、不安、不眠、失認、幻覚など)で初発する。発病より、数ヶ月で痴呆、妄想、失行が急速に進行し筋硬直、深部腱反射亢進、病的反射陽性が認められる。さらに起立、歩行が不能になり、3-7ヶ月で無動性無言状態に陥る。1-2年で全身衰弱、呼吸麻痺、肺炎などで死亡する。
(略)
nv CJD(新変異型クロイツフェルト-ヤコブ病)は20代の若年に好発する。不安、感覚障害で初発し経過が長いのが特徴とされ、無動性無言状態に陥るのに1年を要する。
(略)

死亡までにかなりの時間を要する病気だということがわかると思います。患者は数年の間、絶対に苦しまなくてはならない。
そして治療法はない。
どうも政治家やマスコミにはこの病気に対する認識が希薄のようです。
なかには「確率は非常に低いからBSEを気にするより、交通事故に気をつけたほうがいい」という論調もあるほどです。
「非常に稀な病気」=大丈夫、という図式はもちろん当てはまりません。
天気予報で「雨の降る確率は10%」ということは、雰囲気的に小雨がぱらぱらと降ることではありません。
10%の確率で「局地的集中豪雨」になり「裏山が崩れ土砂災害」になることだってありえる。
だから「確率」の話がでたら、まず警戒しなければならない。
この疾病の危険度を考えると、百万人に一人の割合で生じるということは、一億二千万の人々めがけて、120発の銃弾を放つようなものだからです。
同じように、内閣府のプリオン専門調査会がまとめた答申案の「危険性の差は非常に小さい」はあくまで「(日米の)差が小さい」のであって「危険性が小さい」のではない(この辺うまく逃げてますよね)。

僕の生態に対するイメージは非常に複雑なそして精巧な「ケミカルマシーン」です。
ミクロのバランスでどうにかこうにか、平衡を保っている。特定危険部位だけを除去すればいいという、大雑把な話ではない。
事実、「(特定危険部位ではない)筋肉組織中の末梢神経や副腎から微量の異常型プリオンタンパク質を検出した」(動物衛生研究所プリオン病研究センター発表)という報告があります。
牛丼の吉野家の株が上がったとか、「これで牛丼が食べられる」といったインタビューがありましたが、こんな放送を見ると本気でメディアのモラルは大丈夫なのかと心配になります。

BSE関連の書物ではありませんが分子生物学や生命システムを知る上での恰好の名著が下の2冊です。
これを機会に生命の神秘に迫ってみましょう。

■精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか
立花 隆、利根川 進
出版社: 文藝春秋 ; ISBN: 4163444300 ; (1990/06)

好奇心の塊、ジャーナリスト立花隆氏がノーベル賞受賞後の利根川進氏に20時間に及ぶ徹底インタビューをした。
受賞当時の新聞記事を憶えているが、まったくもって低レベル。利根川氏の偉業の片鱗さえも見当たらなかった。
そこで業を煮やした利根川氏は一度だけ本格的なインタビューに応じることにした。
その相手が立花隆だったというわけ。
とにかく僕の場合、知的興奮という言葉がこの本からはじまった。

■免疫の意味論 / 多田 富雄
出版社: 青土社 ; ISBN: 4791752430 ; (1993/04)

実は病に倒れてからの多田氏の著作はまだ読んでいない。
「能」に造詣の深い著者の生命に対する、多重かつ繊細なエッセイを読んでみたいものだ。
この本は「免疫」というスーパーシステムについて書かれた本で、自己、非自己という認識論をサイエンスの側から倫理哲学へ突き抜けていこうとする啓蒙書だ。

では、小泉さん。ヤコブ病に感染しても「自己責任」ということ?