isorokuのこころの旅路

遊行期に生きる者のこころの旅路の記録です

象徴天皇制についての新しい論述をめぐって

2016-09-07 10:52:36 | Weblog

◇印象に残った新聞記事のポイント

 ▼毎日新聞9月7日1面記事 政府、今春「退位は困難」

・「生前退位ができるか検討したが、やはり難しい」。今年春ごろ、首相官邸の極秘チームで検討していた杉田和博内閣官房副長官は宮内庁にこう返答した。

・チームの結論は「摂政に否定的」という陛下の意向を踏まえた上でなお、「退位ではなく摂政で対応すべきだ」だった。

・陛下がおことばを表明する数日、宮内庁から届いた原稿案を見た官邸関係者は、摂政に否定的な表現が入っていることに驚いた。・・・政府にできたことは、表現を和らげることだけだった。

・おことばには「象徴天皇の務めが安定的に続いていくことを念じ」ともあり、典範改正を望むようにも読み取れる。政府は、退位の条件などを制度化するのは議論に時間がかかるとして、特別立法を軸に検討している。

<所感>

・陛下のおことば発表の後の安倍首相の発言をテレビで拝見しましたが、その内容と表情、態度に違和感を感じておりましたが、なるほどこういう背景があったからだなと、納得しました。

 ▼毎日新聞9月7日9面記事 

・「天皇像自問自答」 象徴としての在り方

おことばは、象徴としてのあるべき姿を実践してこられたことが強調されている。陛下は国事行為に含まれない活動も象徴として行ってきた。

・陛下の被災地や避難所へのご訪問は50回以上に上る。陛下は即位してから15年目の2003年までの間にすべての都道府県を訪問している。こうした活動を陛下は「人々への深い敬愛をもってなし得たこと幸せなことでした」と振り返った。

・「信頼と敬愛」は、昭和天皇が46年1月の「新日本建設に関する詔書(人間宣言)で用いた文言だ。「終始相互信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依り生ぜるものに非ず」と述べた。

<所感>

・昭和20年日本の主要都市が焼け野原となり、広島・長崎に原子爆弾がおとされ、満州や北方諸島にソ連軍が侵入し、劣悪な武器で戦うしかない本土決戦で一億玉砕が叫ばれるという、亡国の淵に立った日本が採用した道が、ポツダム宣言受諾でした。その結果としての象徴天皇制、昭和天皇の人間宣言だという背景を日本国民は忘れるべきではありません。

 <参考資料>

▼毎日新聞9月3日 時の在りか 2・26事件から80年の夏 伊藤智水(編集委員)

・軍部の大陸侵略も日米開戦も止められなかった昭和天皇の下した数少ない決断が、2・26事件鎮圧とポツダム宣言受諾だった。

・だが、青年将校の無法を許さなかったことは正当でも、戒厳令による蜂起制圧は、軍の官僚派勢力をかえって増長させ、「天皇あって天皇なしというべき軍部独走、戦線拡大に弾みをつけた「逆クーデター」とされるゆえんでえある。

・ポツダム宣言受諾は、天皇の言うことを聞かなくなった軍の解体と引き換えに、天皇家存続(国体護持)を保証してもらう条件取引だった。日本国憲法にはその「証文」の意味もある。

・そうしたいきさつを今日、だれよりも肝に銘じているのは、天皇、皇后両陛下であろう。父天皇の名の下に戦ってあれだけの大敗を喫し、無数の死者を出した以上、本来なら「王家断絶」も避けがたい。

・延命した天皇家の当主として、今度こそ天皇自ら民と丁寧に心通わせ、家の祖先に礼を尽くし、何よりも戦争で亡くなった多くの人々を国籍を問わず慰霊する。それが象徴としての務めだと、天皇は8月の「お気持ち」表明で懇々と説かれた。語り口は柔らかくても固い信念が伝わった。

・今の天皇が、象徴的行為の中でも、戦没者慰霊を特に重視している。・・・昭和天皇にはかなわなかった海外慰霊の旅をやり遂げた暁に、父天皇に代わって自分が「生前退位」を決断しよう。子の代になっても責任は果たそう。そんな言葉にできない秘めた意思の表明、と私は聞いた。

・来年は象徴天皇制70年、戦前と断絶し、国柄継続させる難役を今の天皇は父天皇と違うあり方で示された。元首でなく象徴だったからできたのだろう。

<所感>

・敗戦後延命した天皇家の当主として、「今度こそ天皇自ら民と丁寧に心通わせ、家の祖先に礼を尽くし、何よりも戦争で亡くなった多くの人々を国籍を問わず慰霊する。それが象徴としての務めだ」とする今上天皇の固い信念が国民敬愛の源泉となり、象徴天皇制が確立されてきたゆえんだと思います。

▼9月2日毎日新聞 証言でつづる戦争 大戦の教訓 憲法に反映

・「戦時中の天皇と軍のあり方を見て、これはもう明治憲法ではいけない。天皇制というものから権力を取ってしまい、国民の良識によって政治をやっていく時代をつくる」との思いを抱いた」。

・ これは岩淵と親交のあった寺師睦宗が著書で、岩淵の当時の思いを紹介した一節である。(岩淵辰雄は東京日日新聞(現毎日新聞)や読売新聞の政治記者で、戦争中近衛文麿と一緒に終戦工作をした。岩淵は吉田茂らと相談し近衛に持ちかけ、近衛を説得、昭和天皇に終戦を進言(上奏)した。岩淵はその草稿を任され た)

 ・岩淵は雑誌の執筆陣らでつくる民間の憲法研究会に参加。45年12月26日に58項目の「憲法草案要綱」を発表する。1日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス 2天皇は国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ責任者ハ内閣トス 3天皇ハ国民ノ委任二ヨリ専ら国家的儀礼を司ル。 

・この要綱に「象徴」はないが、研究会の森戸辰男は連合国軍司令部(GHQ)のエマーソンとの会話で、「天皇は単なる道徳上の象徴」という考えを伝え、米国は要綱を高く評価した。

・岩淵の終戦工作と憲法作りの論文がある東大学術研究院の福島啓介(44)=国際政治学は言う。「米国が恐れていたのは天皇制の廃止で日本混乱すること。岩淵らの要綱は渡りに船で、今憲法のひな形の一つと言えます」。

・ 岩淵は、統治機構の欠陥や明治以来のしがらみを熟知していた。戦争の教訓があったからこそ「象徴天皇制」にこだわった。岩淵は寺師にもらした一言がある。 「占領軍の圧力がなかったら、おそらく日本人による憲法改正はなかったろう。その言葉にはGHQの圧力を利用して、日本人の手で新生日本の指針となる民主的な憲法を作ることにかかわった誇りがにじみ出ている。

<所感>

・「現行憲法はGHQの押し付けだから改正すべし」という論述は、帝国日本の在り方の失敗の反省に立つ岩淵ら日本人の動きの影響を軽視する見解だと思います。

<参考資料>

・明治憲法的発想にとらわれるグループを基盤とする安倍政権が、今上天皇のおことばに反して摂政制を唱え、それに加担する学者の見解が東京新聞に2回掲載されました。しかし私はその論述に説得力を感じませんでした。

▼東京新聞8月30日 生前退位をこう考える 慶応大教授 笠原英彦「天皇の地位不安定化懸念」のポイント

・陛下は憲法に定める告示行為のほかに、象徴天皇として行う公的行為(象徴的行為)に当たってきた。公平性維持の観点から公務は簡単に減らせないとした上で、象徴的行為を安定的に次世代に受け継いでもらいたいというのが陛下の考えだ。

・一番驚いたのは、陛下が望む象徴的行為の維持が、重患や重大な事故の場合に置ける摂政によっては解決できないとされた点だ。摂政の制度と「生前退位」は別次元の問題であるとの認識を示されたのだろう。

・だが、安易な制度化は危険だ。「生前退位」は天皇の終身制に終止符を打つことになる。明治の皇室典範を踏襲している現行の皇室典範の制定過程においても、終身制がすんなりと決まったわけではなかった。・・・いづれ皇室典範改正も視野に入れ た本格的な検討も必要だろうが、今回は皇継承問題と切り離して論じないと、肝心の「生前退位」問題が吹き飛んでしまいかねない。

・生前退位には高いハードルがあり、実現は難しいだろう。なぜなら、天皇の政治利用が懸念され、天皇の地位が不安定化するからだ。

・象徴天皇制度の趣旨からいっても、天皇と前天皇の二人が共存することは国民の混乱を招きかねず好ましくない。前天皇に権威があると、いつまでも新天皇は「国民統合の象徴」たりえない。

・冷静に考えれば、摂政の規定の柔軟な解釈と運用は可能だ。皇太子殿下も陛下のお言葉を重く受け止めたと報じられているが、それが新天皇の考えを完全に拘束するわけではない。

<所感>

・「生前退位に対する高いハードル」についての笠原教授の論旨に説得力を感じません。今上天皇が全身全霊で公務に努められた結果国民の敬愛が高まり、象徴天皇制が安定しました。その陛下が高齢のため従来のように公務ができなくなっていわば引退され、新天皇が公務を引き継がれて活躍される状態に対して、なぜまたいかにして国民が混乱するのでしょうか?

・前天皇に権威があっても公務から引退されるので、新天皇が公務を活発に行われれれば、新天皇の権威も増大します。象徴天皇の権威は万世一系の皇祚ヲ踐メルという存在だけではなく、今上天皇がはぐくまれた公務によって安定しているわけです。その公務を引退される今上天皇と並列して、皇祚を継ぐとともに公務に努められる新しい天皇は立派に国民統合の象徴になれます。生前退位が天皇の地位を不安定化する懸念は杞憂だと思います。

 ▼8月18日 東京新聞 九州大学名誉教授(憲法学)横田耕一「公務とは」まず問いたい

 この記事は私のブログですでに取り上げていますので、論述を省略します。

 

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