インターネット検索で特に印象に残った記事のポイントを記録しておきます。
●47トピックス・・・米紙、小泉氏の脱原発主張を評価「健全な論議を」
・【ニューヨーク共同】15日付の米紙ニューヨーク・タイムズは社説で、小泉純一郎元首相による原発ゼロの主張を取り上げ「日本は小泉氏の介入を歓迎し、原子力発電の将来に関する健全な議論を始めるべきだ」と訴えた。
・東京電力福島第1原発事故後も健全な議論は行われていないと指摘。国会の事故調査委員会が「福島(の事故)は人災だったと結論づけたのに、国会での真剣な議論にはつながらなかった」と批判した。
・社説はまた、小泉氏の「大胆で新しいスタンス」は、原発の再稼働や海外輸出を追求する安倍晋三首相に対する異議申し立てになると分析している。 2013/10/16 03:40 【共同通信】
●日経BPNnet10月24日 田原総一朗「小泉元首相の『脱原発』発言は何をもたらすか」
・原発は様々な問題を抱えている。福島第一原発では汚染水の問題があり、廃炉の問題もある。使用済み核燃料の最終処理については、世界の多くの国がまだ最終案を持っていない。
・日本の最大の問題は、原子力を含めエネルギーの総合戦略ができていないことだ。原発だけをとってみても、省庁の縦割り問題がある。原発を推進するのは経済産業省、除染は環境省、高速増殖炉は文部科学省が担当する。方々に分かれていては総合戦略が策定しにくい。
・今回の小泉「脱原発」発言は、その総合戦略の策定を後押しすることになるのではないか。自民党内には「小泉発言は困ったものだ」という声もあるが、もし脱原発の世論が再び高まれば、将来のエネルギーのあり方を前倒しして考えざるをえないからだ。
・しかし、私は小泉発言には二つの問題があると思う。(1)すでにある使用済み核燃料については、いずれ最終処理しなくてはならない。米国やイギリス、フランスなどがまだ最終処理していないのは、今後、新しい技術が開発できると期待しながら研究開発を続けているからだ。今急がなくても、新技術の完成を待ってから着手してもよいという考え方である。(2)原発ゼロは「いつなのか」について、小泉さんは言及していない。私は、原発は過渡的なエネルギーだと考える。少なくとも30年、40年は原発と共存しなければならないだろう。
・貿易収支の赤字は今年上半期で約5兆円にも上る。液化天然ガスなどの輸入代金がかさんでいるためだ。この問題をどう考えるのだろうか。野党は小泉さんの味方のように見えるが、彼らは現に横たわる原発の様々な問題を十分に認識しているだろうか。単に「小泉劇場」の再来では、問題は解決しないのだ
●小澤徳太郎氏10月26日ブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”、誰も関心を示さない“循環型社会”」
・10月19日の読売新聞の「論点」で、小泉さんは「循環型社会」というキーワードを次のように3回使っておられます。
①私は、今、政府・自民党が「原発をゼロにする」という方針を打ち出すべきだと主張している。そうすれば、原発に依存しない、自然を資源にした「循環型社会」の実現へ、国民が結束できるのではないか。原発の代替策は、知恵のある人が必ず出してくれる。(冒頭部分)
②千年、万年の年月を経過しても、放射能の有害性が消滅しない処分場を建設する莫大な資金やエネルギーを、自然を資源にする循環型社会の建設に振り向ける方が、やりがいがあり、夢があるのではないか。(後半部分)
③挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい。(結びの部分)
・小泉さんの寄稿の中に3回登場した「循環型社会」という概念は国際的には「持続可能な社会(Sustainable Society)」と同義の21世紀社会を展望する際のキーワードだと理解するのですが、論説委員の遠藤さんの対論には一言もこの言葉が出てきません。また、ネット上に飛び交う「小泉元首相の原発ゼロ」に賛成する人も,反対する人もこの「循環型社会」という言葉にはまったく関心がないようです。
・日本では、「循環型社会形成推進基本法」と称する法律が、2001年(平成13年)1月6日をもって全面施行されました。しかし、この法律は持続的経済成長を追求する日本の社会から大量に排出される廃棄物の処理・処分関連の法律であって、小泉さんが「原発ゼロ」という主張の中でイメージしておられると推測する“循環型社会”とはまったく似て非なるものです。
・大切なことは21世紀にめざすべき社会のビジョン「持続可能な社会」を描き、そのビジョンを実現するためのエネルギー体系を構築することだと思います。
・私は国際社会の共通の認識である「持続可能な社会」の構築のためには、原子力エネルギーゼロをめざして原発を段階的にフェーズアウトすると同時に化石燃料の使用も段階的に削減して行く経済活動が望ましいと思います。
●小澤徳太郎氏ブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”」が明らかにした”治療志向の国ニッポン”
・小泉元首相は講演で、「原発をゼロにしろという一番の理由は処分場がないということだ」と述べておられます。
・日本では、今でこそ放射性廃棄物の処分の重要性が語られていますが、日本の反原発運動は主として「原発の安全性」への市民の疑問から出発していました。一方、スウェーデンの初期の反原発運動の発端は「原発の安全性」ではなく、たとえ安全に原発が稼働していても必ず発生する「放射性廃棄物」の処分に対する懸念からでした。
・小泉元首相が、今年8月に三菱重工、東芝、日立、清水建設といった原発に関わる企業の幹部と一緒に訪問したというフィンランドの高レベル放射性廃棄物の地下特性調査施設「オンカロ」(将来、最終処分場として致命的な地質学的問題がなければ、最終処分場の一部分として有効活用しよういう計画になっている)は、スウェーデンのSKBの「KBS-3」という処分概念 をベースにして、フィンランド独自の研究開発の成果をプラスする形で設計されています。
・一連の流れの中で注目すべきことは、スウェーデンでは原発に関わる科学者や技術者などの専門家が原発の抱えるさまざまな問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです
・1973年に第1次オイルショックが起こりました。40年前の「オイルショックの時の政治的決断」とその決断による具体的な対応が2013年の現状を創り出しているのです。その意味で、「政治が決断すれば,原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えは正しいと思います。
●小澤徳太郎氏ブログ「エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う」
・21世紀の・たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。他のエネルギー源についても同様です。
・このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀の議論であったかが理解できるでしょう。
・21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います
<参考>
小澤徳太郎氏のブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”、誰も関心を示さない“循環型社会” ?」(2013-10-26)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/9bb679296076fa66d31eabfeaebcb45f
小澤徳太郎氏ブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”」が明らかにした”治療志向の国ニッポン”(2013-10-21)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/6bc06e478a4de8a31f418cf40813da37
小澤徳太郎氏ブログ「原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う」(2007-04-14)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/240dee93c6d128b3f2b71d0c7412503a
<所感>
・ニューヨークタイムズはアメリカのリベラル派の考え方を反映していると言われています。アメリカの保守派の考え方はこれとは異なる考え方ですから、アメリカの動きを一枚岩で認識してはいけないようです。ジョセフ・ナイ氏やキャンベル氏など従来日本に大きな影響を与えてきた人々の存在を眺めると、原発問題をめぐるアメリカの動きが流動的になってきたのかもしれません。
・田原総一朗氏と小澤徳太郎氏は、立場は違いますがいずれも将来のエネルギー体系構築の重要性を主張されています。原発問題を理性的に考えるためには、アメリカの動向に右顧左眄するよりも、日本国民と指導層がまず日本の将来のエネルギー体系構築を巡って、しっかりとしたビジョンと基本政策を構築することが大切だと思います。
・小泉政権時代は経済成長こそが政策の第一目標であり、安倍政権においてもその姿勢は変わりません。しかし、安倍政権による原発再稼働や原発輸出という政策推進には感覚的についていけません。福島第一原発の汚染水問題、4号機の使用済燃料棒の危険性、放射性物質の健康被害拡大の危険など、脱原発でなければ未来は危ういことを痛感しています。
・小澤徳太郎氏の「原発を段階的にフェーズアウトする」という主張の具体的内容が重要です。過渡的エネルギーとしての原発をどのように削減していくのか、火力発電増加による貿易収支赤字にいかに対応するのか、国全体のエネルギー消費の削減にいかに取り組むのかなどについて、中長期のビジョンと基本政策が求められます。小泉流にいえば、脱原発の旗を掲げなければ、こうしたビジョンや基本政策は促進されないということになります。
・小澤徳太郎氏が主張するように「原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだ」と思います
・田原総一朗氏の「米国やイギリス、フランスなどの、今急がなくても、新技術の完成を待ってから着手してもよいという考え方」については、地震・津波・台風の巨大化にさらされる日本という現実を考慮すれば、日本が追随してはいけない考え方だと思います。(アメリカの原発で地震多い地域に存在しているのはたった2基だそうです)。
●47トピックス・・・米紙、小泉氏の脱原発主張を評価「健全な論議を」
・【ニューヨーク共同】15日付の米紙ニューヨーク・タイムズは社説で、小泉純一郎元首相による原発ゼロの主張を取り上げ「日本は小泉氏の介入を歓迎し、原子力発電の将来に関する健全な議論を始めるべきだ」と訴えた。
・東京電力福島第1原発事故後も健全な議論は行われていないと指摘。国会の事故調査委員会が「福島(の事故)は人災だったと結論づけたのに、国会での真剣な議論にはつながらなかった」と批判した。
・社説はまた、小泉氏の「大胆で新しいスタンス」は、原発の再稼働や海外輸出を追求する安倍晋三首相に対する異議申し立てになると分析している。 2013/10/16 03:40 【共同通信】
●日経BPNnet10月24日 田原総一朗「小泉元首相の『脱原発』発言は何をもたらすか」
・原発は様々な問題を抱えている。福島第一原発では汚染水の問題があり、廃炉の問題もある。使用済み核燃料の最終処理については、世界の多くの国がまだ最終案を持っていない。
・日本の最大の問題は、原子力を含めエネルギーの総合戦略ができていないことだ。原発だけをとってみても、省庁の縦割り問題がある。原発を推進するのは経済産業省、除染は環境省、高速増殖炉は文部科学省が担当する。方々に分かれていては総合戦略が策定しにくい。
・今回の小泉「脱原発」発言は、その総合戦略の策定を後押しすることになるのではないか。自民党内には「小泉発言は困ったものだ」という声もあるが、もし脱原発の世論が再び高まれば、将来のエネルギーのあり方を前倒しして考えざるをえないからだ。
・しかし、私は小泉発言には二つの問題があると思う。(1)すでにある使用済み核燃料については、いずれ最終処理しなくてはならない。米国やイギリス、フランスなどがまだ最終処理していないのは、今後、新しい技術が開発できると期待しながら研究開発を続けているからだ。今急がなくても、新技術の完成を待ってから着手してもよいという考え方である。(2)原発ゼロは「いつなのか」について、小泉さんは言及していない。私は、原発は過渡的なエネルギーだと考える。少なくとも30年、40年は原発と共存しなければならないだろう。
・貿易収支の赤字は今年上半期で約5兆円にも上る。液化天然ガスなどの輸入代金がかさんでいるためだ。この問題をどう考えるのだろうか。野党は小泉さんの味方のように見えるが、彼らは現に横たわる原発の様々な問題を十分に認識しているだろうか。単に「小泉劇場」の再来では、問題は解決しないのだ
●小澤徳太郎氏10月26日ブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”、誰も関心を示さない“循環型社会”」
・10月19日の読売新聞の「論点」で、小泉さんは「循環型社会」というキーワードを次のように3回使っておられます。
①私は、今、政府・自民党が「原発をゼロにする」という方針を打ち出すべきだと主張している。そうすれば、原発に依存しない、自然を資源にした「循環型社会」の実現へ、国民が結束できるのではないか。原発の代替策は、知恵のある人が必ず出してくれる。(冒頭部分)
②千年、万年の年月を経過しても、放射能の有害性が消滅しない処分場を建設する莫大な資金やエネルギーを、自然を資源にする循環型社会の建設に振り向ける方が、やりがいがあり、夢があるのではないか。(後半部分)
③挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい。(結びの部分)
・小泉さんの寄稿の中に3回登場した「循環型社会」という概念は国際的には「持続可能な社会(Sustainable Society)」と同義の21世紀社会を展望する際のキーワードだと理解するのですが、論説委員の遠藤さんの対論には一言もこの言葉が出てきません。また、ネット上に飛び交う「小泉元首相の原発ゼロ」に賛成する人も,反対する人もこの「循環型社会」という言葉にはまったく関心がないようです。
・日本では、「循環型社会形成推進基本法」と称する法律が、2001年(平成13年)1月6日をもって全面施行されました。しかし、この法律は持続的経済成長を追求する日本の社会から大量に排出される廃棄物の処理・処分関連の法律であって、小泉さんが「原発ゼロ」という主張の中でイメージしておられると推測する“循環型社会”とはまったく似て非なるものです。
・大切なことは21世紀にめざすべき社会のビジョン「持続可能な社会」を描き、そのビジョンを実現するためのエネルギー体系を構築することだと思います。
・私は国際社会の共通の認識である「持続可能な社会」の構築のためには、原子力エネルギーゼロをめざして原発を段階的にフェーズアウトすると同時に化石燃料の使用も段階的に削減して行く経済活動が望ましいと思います。
●小澤徳太郎氏ブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”」が明らかにした”治療志向の国ニッポン”
・小泉元首相は講演で、「原発をゼロにしろという一番の理由は処分場がないということだ」と述べておられます。
・日本では、今でこそ放射性廃棄物の処分の重要性が語られていますが、日本の反原発運動は主として「原発の安全性」への市民の疑問から出発していました。一方、スウェーデンの初期の反原発運動の発端は「原発の安全性」ではなく、たとえ安全に原発が稼働していても必ず発生する「放射性廃棄物」の処分に対する懸念からでした。
・小泉元首相が、今年8月に三菱重工、東芝、日立、清水建設といった原発に関わる企業の幹部と一緒に訪問したというフィンランドの高レベル放射性廃棄物の地下特性調査施設「オンカロ」(将来、最終処分場として致命的な地質学的問題がなければ、最終処分場の一部分として有効活用しよういう計画になっている)は、スウェーデンのSKBの「KBS-3」という処分概念 をベースにして、フィンランド独自の研究開発の成果をプラスする形で設計されています。
・一連の流れの中で注目すべきことは、スウェーデンでは原発に関わる科学者や技術者などの専門家が原発の抱えるさまざまな問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです
・1973年に第1次オイルショックが起こりました。40年前の「オイルショックの時の政治的決断」とその決断による具体的な対応が2013年の現状を創り出しているのです。その意味で、「政治が決断すれば,原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えは正しいと思います。
●小澤徳太郎氏ブログ「エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う」
・21世紀の・たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。他のエネルギー源についても同様です。
・このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀の議論であったかが理解できるでしょう。
・21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います
<参考>
小澤徳太郎氏のブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”、誰も関心を示さない“循環型社会” ?」(2013-10-26)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/9bb679296076fa66d31eabfeaebcb45f
小澤徳太郎氏ブログ「小泉元首相の”原発ゼロ”」が明らかにした”治療志向の国ニッポン”(2013-10-21)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/6bc06e478a4de8a31f418cf40813da37
小澤徳太郎氏ブログ「原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う」(2007-04-14)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/240dee93c6d128b3f2b71d0c7412503a
<所感>
・ニューヨークタイムズはアメリカのリベラル派の考え方を反映していると言われています。アメリカの保守派の考え方はこれとは異なる考え方ですから、アメリカの動きを一枚岩で認識してはいけないようです。ジョセフ・ナイ氏やキャンベル氏など従来日本に大きな影響を与えてきた人々の存在を眺めると、原発問題をめぐるアメリカの動きが流動的になってきたのかもしれません。
・田原総一朗氏と小澤徳太郎氏は、立場は違いますがいずれも将来のエネルギー体系構築の重要性を主張されています。原発問題を理性的に考えるためには、アメリカの動向に右顧左眄するよりも、日本国民と指導層がまず日本の将来のエネルギー体系構築を巡って、しっかりとしたビジョンと基本政策を構築することが大切だと思います。
・小泉政権時代は経済成長こそが政策の第一目標であり、安倍政権においてもその姿勢は変わりません。しかし、安倍政権による原発再稼働や原発輸出という政策推進には感覚的についていけません。福島第一原発の汚染水問題、4号機の使用済燃料棒の危険性、放射性物質の健康被害拡大の危険など、脱原発でなければ未来は危ういことを痛感しています。
・小澤徳太郎氏の「原発を段階的にフェーズアウトする」という主張の具体的内容が重要です。過渡的エネルギーとしての原発をどのように削減していくのか、火力発電増加による貿易収支赤字にいかに対応するのか、国全体のエネルギー消費の削減にいかに取り組むのかなどについて、中長期のビジョンと基本政策が求められます。小泉流にいえば、脱原発の旗を掲げなければ、こうしたビジョンや基本政策は促進されないということになります。
・小澤徳太郎氏が主張するように「原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだ」と思います
・田原総一朗氏の「米国やイギリス、フランスなどの、今急がなくても、新技術の完成を待ってから着手してもよいという考え方」については、地震・津波・台風の巨大化にさらされる日本という現実を考慮すれば、日本が追随してはいけない考え方だと思います。(アメリカの原発で地震多い地域に存在しているのはたった2基だそうです)。