isorokuのこころの旅路

遊行期に生きる者のこころの旅路の記録です

「病人の生き方」から学ぶ(2)

2012-10-28 21:17:03 | Weblog
引き続き、小林昭洋「病人の生き方」サンマーク出版から、大いに共感した部分を記録しておきます。

<長期闘病期>

●病気からの逃げ場所はない。できないことを紙に書いて認識していきました。「できていた過去」へのこだわりを捨てることができたときから、素直にこれからの取り組みをはじめていきました。

●その先を行く人がヒントを教えてくれる。今の不安は未来を知ることで変わります。


<闘病人生の覚悟>

●病気であっても病人にはならない。ココロまで病気には侵されない。自分の希望に突き進む勇気を大切にしよう。

●病気で生きていくと腹をくくることは、人と違った人生を覚悟することです。マイノリティで生きていくことです。

●病気は多くの可能性を失わせますが、一つのことに集中できるから、事を成し遂げる可能性が高くなります。病気になったあなたのほうが、病気になる前のあなたよりも特徴が際立ち、より個性的な存在になるのです。


<所感>

・長期闘病でも現在の私のように前途に治る見込みがある場合だと、この著者の覚悟と同じような覚悟で生きていけると思いますが、治る見込みがないと言われた時には、なかなかこうした覚悟になれないように感じます。まだまだ修行が足りません。

・日本型資本主義で造り上げた一億総中流の安定社会がグローバリゼーションの大波によって崩壊し、厳しい格差社会になってきた日本社会は、長期の病気に罹った人と似たような状況と思われます。

・日本社会は今までできたことができなくなる。今まで平穏だった環境が荒々しく変化する。まるで病魔に脅かされる状態です。日本国民は病人の覚悟を持つ必要がありそうです。



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「病人の生き方」から学ぶ(1)

2012-10-23 11:12:19 | Weblog
小林昭洋「病人の生き方」サンマーク出版を読みました。大いに共感した部分を記録しておきます。

<闘病初期>

●挫折感は「小分け」にできる

・事実は一つなのに感じ方は千差万別です。陸上選手と足が悪かった老人では足が動かなくなった場合の感情は違うでしょう。その「思い入れ」と「病気症状」を別々に考えよう。

・つらさの小分けは、心の治療において最速の方法となります。細切れにできれば、その一つ一つを個別に直していけるので、早く回復できます。

●困った時にはヒーローをよべ

・きちんと尊敬し憧れる存在を明確に持つとくじけたときに救われる。

・自分が限界だと思ってしまっても、ヒーローなら状況を好転させて乗り越えられる。

<少し長めの闘病期>

●不公平を嘆くと余計に辛くなる

・クサらないことが闘病家の仕事だ。人生は不公平なものだと自覚し納得したときから、病気の自分と正面から向き合うことができるのかもしれません。

●「させられている感じ」から「やってみる感じ→やりたい感じ」へ

・「やりたい」という気持ちは、パワーを最大限に引き出すエネルギー源なのです。

・やりたい気持ちには魂があります。ダメでもくじけません。発想を変えます。さらなる情報を得ようとします。他人の力を借ります。道具を使います。

●重大なドラマがここにある

・何事もどうしても今じゃなければならないことなど、ほとんどありません。ですが、身体の異変を知らせるタイミングは突然現れ、今この時しか闘うことのできない一大事になります。

・人生において、こんなにも本気になるタイミングはほかに見当たりませんよ。

●過去の自分と決別する勇気

・戻りたくても過去に戻ることなど絶対にできません。嘆いて泣いて、その先がいくら過酷でも繰り返してようやく慣れることができたときに、新たな一歩が始まるのです。

・社会の基準ではなく自分の基準を創りあげていく必要があります。


<所感>
・身につまされる体験談でした。特に「小分け」という発想は大いに活用しなければと思いました。米粒から糊を作る作業での弁慶と義経の違いの話を思い出しました。

・今の日本の社会は、重い病気に罹ったと同じ状況ではないかと思われます。この「病人の生き方」の視点は、日本の社会に生きている者にとって参考になる視点だと思います。



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保守思想の視点を学ぶ

2012-10-09 13:37:59 | Weblog
インターネットで「保守と右翼の違い」を検索したところ、下記の記事がありました。
西部邁(にしべすすむ)氏の記述があり、印象に残ったので下記に記録します。
                      記
真正保守思想家である 西部 邁(にしべすすむ)氏が、保守と右翼の違いについて記述したものを発掘した。 『サンチョ・キホーテの眼』1989年 文藝春秋刊 P51
引用します

・正義のみを過剰に求めると抑圧に堕し、勇気のみを過剰に追うと野蛮に落ちる。右翼の間違いは、徳の過剰は不徳に転ずるというラテンの諺(ことわざ)を理解していないところにある。保守派は、平衡感覚を重んじることからして当然であるが、右翼だけでは、左翼だけと同じように、飛行機がきりもみで墜落すること必定とわかっている。
 
・つまり、ドン・キホーテのほかにサンチョ・パンサもいなければならないわけだ。サンチョが豊富な世間知に裏づけられた思慮と節度を与えてやらなければ、キホーテはやはりドンキーになってしまう、がんこなロバになってしまう。サンチョのもつ思慮と節度も立派な徳なのであって、それらがあってはじめて、最後の死の床においてであったとはいえ、騎士道が夢の次元に属するのだとキホーテは知りえたのである。

・しかし、思慮のみの過剰は臆病に陥り、節度のみの過剰は凡庸に流れる。けっきょく正義、勇気、思慮、節度の四徳がそれぞれ最高度に発揮されつつ、それらが互いに調整し合って平衡している状態、それが真の徳ということなのだ。したがって、われらはいまや決然と立って、サンチョ・キホーテ党を結成しなければならない。


<所感>

・「正義、勇気、思慮、節度という四徳を過剰に求めると、それぞれ抑圧、野蛮、臆病、凡庸という不徳に転ずる」「四徳を同時にバランスよく求める必要がある」という西部氏の論述は、イデオロギーに関係ない真理だと思います。

・これを読んで、論語の「仁を好んで学を好まざれば、その弊や愚」「信を好んで学を好まざれば、その弊や賊」「勇を好んで学を好まざれば、その弊や乱」という言葉を思い出しました。やはり中庸の徳が大切なようです。


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