isorokuのこころの旅路

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小室直樹著「危機の構造」を学ぶ(5)

2013-03-29 21:10:49 | Weblog
引き続き小室直樹氏が1976年に発表した「危機の構造」のポイント(私が感銘した箇所)を記録し、所感を記します。

●共同体的機能集団とアノミー

・アメリカなどの近代社会においては、普通機能集団と共同体とは分化する傾向がみられる。つまり、宗教共同体、人権共同体、地域共同体などが、企業などの機能集団と重なることはなくなってゆく。

・ところが戦後の日本においては、これと正反対の現象がみられる。つまり企業、学校、官庁などという機能集団が、そのまま共同体を形成するようになってきたのである。(年功序列や企業間移動が困難になったのは、戦後もかなり最近に近い時期である)。

・なぜこのように奇妙な現象がみられるようになったのだろう。ここに現在日本社会を理解する鍵が潜む。その発端になったのが、戦後日本における全面的急性アノミーである。

・アノミーとは無規範(状態)と訳されるが、意訳してみると、無連帯(状態)とでも訳すべきか。
(註)アノミーには、規範の全面的解体を意味する急性アノミーと、規範の葛藤を意味する単純アノミーがある。

・急性アノミーとは、信頼しきっていた者に裏切られることによって生ずる致命的打撃を原因とし、これによる心理的パニックが社会全体的規模で現れることにより、社会における規範が全面的に解体した状態をいう。

●現代日本における急性アノミー

・戦前の日本において、天皇は『神』として超出し、あるいは又、最大の最高の『家父』として日常的親密をもって君臨する。しかし又、政治的主権者として万能の『君権』を意味していた。ゆえに、天皇の人間宣言は、根本規範の否定であり、全宇宙の秩序の崩壊である。そこで、国民の国家意識は家族・村落・地方的小集団の中に還流することになる。

・ところが、身分秩序と共同体的生産様式に内在する矛盾の展開により解体の危機に直面していた村落共同体の解体過程は、高度経済成長のスタートによって全面的なものとなったのである。解体した村落共同体に代わって、機能集団が運命共同体的なものになった。これを共同体的機能集団という。

・官庁、学校、企業などの機能集団は、同時に生活共同体である。各成員は、あたかも「新しく生まれたかのごとく」この共同体に加入し、ひとたび加入した以上、他の共同体に移住することは著しく困難である。しかも彼らは、この共同体を離れては生活の資が得られないだけでなく、社会的生活を営むことすら困難である。

・このような共同体構成の社会学的帰結は、第一には、二重規範の形成であり、第二には、共同体が自然現象のごとく所与なものにみえてくることである。この両者は相互に補強しあいながら、特殊日本的行動様式の構造的特徴を再生産するものであると思われる。

・このような社会学的背景において、自己が所属する通産省、企業などの共同体の機能的要請は絶対視され、それを達成するための技術は、社会分業における役割遂行の手段とはみなされず、物神的に崇拝される。

●構造的アノミーの拡大再生産

・最大の問題は、こうしたアノミー状況が存在することではなく、不断に拡大再生産するようなプロセスが作動していることである。

・生活水準が高まるにつれ、物的欲望の比重は低下し社会的欲望の重要性が増大する。
経済財といえども、その物的欲望のゆえにではなく、社会的欲望のゆえに求められる。
この場合にはデモンストレーション効果が中心的役割を演ずる。

・このことは、自動車などの耐久消費財の普及過程を思い出すと容易に理解できる。隣人、知人などが買ったという理由が、この場合最大の購買動機になっている。

・デモンストレーション効果も、アメリカの場合には、自分より高い消費水準の人々の生活を見ることによって自分の効用が低められる半面、より低い消費水準の人々の生活水準をみることによって自分の効用は高められる。

・しかし、日本の共同体構造では、共同体の内外は峻別されるから、共同体外にどんな消費水準の低い人があっても比較の対象にならない。共同体内の人間関係は全人格的なものとならざるを得ないので、共同体的基準が要求する最低の消費水準は共同体での地位を維持するために不可欠である。このように日本のデモンストレーション効果は、下には歯止めが付されている反面上限は常に上昇の可能性を含む。

・この恒常的に上昇する消費生活を維持するため、日本人は必死になって働かなければならない。深刻なアノミー状況において、「宇宙の中で失われた自己の位置」を再発見するひとつの有力な方法は、すべてを忘れてガムシャラニ働くことである。・・・このようにしてエコノミック・アニマルが誕生する。

・高度成長による消費水準の上昇は、さらに一層の上昇への衝動を生むだけであって、何ら満足度の上昇を生まない。かくてアノミー状況は、高度成長と互いに育成しあいつつ、無限に拡大再生産される。ゆえに、新環境に対する再適応と新規範の受容という困難な作業はすべての人びとに強制される。

・デュルケムが分析したように、アノミーからの帰結の一つは自殺である。しかし別の帰結もある。破壊衝動である。現在日本に普遍的に蔓延する不気味な破壊衝動は、深刻なアノミー状況を雄弁に物語る。

(註)小室直樹氏は上述したアノミー以外に、複合アノミー、原子アノミーについて論述を展開していますが、専門的で複雑になりますので、ここでは省略いたしました。


<所感>

・企業別組合、終身雇用、年功制の3つのを柱とする日本的経営は、高度成長後のオイルショックや公害などの荒波を乗り越えて、日本経済をGDP世界2位の地位まで押し上げ、1980年代末までに一億総中流社会を形成しました。

・しかし、1990年代以降世界経済のグローバリゼーションの大波をかぶり、失われた20年を経て、日本的経営の三種の神器は根本的変容を迫られました。たとえば、一部上場の大企業が赤字で倒産するなど、戦後の昭和時代には想像もしなかったことが発生しました。

・正社員の比率が低下し、非正規社員の比率が増加しています。正社員もリストラの危険が高いので、企業の共同体的性格は弱まっています。但し、中央や地方の役所の場合はまだ共同体的性格は従来とあまり変わらない状況かもしれません。また地方における地域共同体の遺産はまだ強く存在しているので、大都会とは異なる形の変容を遂げると思われます。

・それでも、構造的アノミーの拡大再生産が相変わらず作動しており、日本の都会地では、欧米の市民のように様々な共同体に支えられる基盤が少ないため、機能的組織が共同体的性格を帯びることは強固に存続していくと推測されます。

・その意味で、小室直樹氏が提起した様々なアノミー概念による日本社会の理解は、今後も役に立つと思います。

・日本再生の道は、日本社会の宿痾(持病)といえる「官僚的意志決定」と「様々なアノミー」という二つの社会的存在をどう乗り越えるかにかかっていると思います。そのためにはまず敵を知らねばなりません。



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