▼8月18日(木)東京新聞の「生前退位こう考える」欄で、九州大学名誉教授(憲法学)横田耕一先生の「『公務とは』まず問いたい」の論述がありました。
・今上天皇陛下が象徴天皇としてい実践されておられる行為(私は、国民の大多数がその行為に敬愛の念をいだき、象徴天皇制がますます権威を高めている淵源だと思います)の意義に対する、重大な異論であると受け取りました。
・こうした見解が憲法学者の中に存在していることに大変違和感を感じ、全くの素人ですが、一国民として賛成できないと感じました。
・特に下記の論述には大変違和感を抱きました。
1)「天皇がしなければならないのは国事行為のみであって、政府の見解でも、公的行為は「やってもよいという行為」です。・・・天皇陛下のお忙しさは、その多くが公的行為です。
2)憲法の「国民統合の象徴」とは、天皇に国民統合を期待しているのではなく、天皇は国民統合をあらわしているものにすぎません。ただし社会心理的に統合する機能を果たす、と解釈されています。
<所感>
・上記の論述を素直に読むと、今上天皇陛下のご即位以来精魂込めて実践されてきた行為がなくても天皇制は維持できるという発想だと思います。
・これは万世一系の皇祚であるだけで国民統合の鏡になるという皇国史観的な発想(神話であって近代精神とは調和できない)だと思います。
・昭和16年12月8日「万世一系の皇祚ヲ踐メル大日本帝国天皇」のお勅語を拝して戦いに入った我が国が、力戦奮闘したにも関わらず戦勢日に日に不利となり、ついにはすべての大都市が焼け野原となり、広島・長崎では原子爆弾を落とされ、満州や北方諸島へのソ連軍の侵入という亡国の淵に立ち、ポツダム宣言受諾によってかろうじて国家として存続を許された重い歴史があります。
・横田耕一先生の論述は、こうした歴史を背景にした象徴天皇制であるこという事情を無視した学者の空論だと思われます。
・昭和天皇の人間宣言や全国ご巡回、今上天皇陛下の精魂込めた28年にわたるご公務に対する国民の心からの敬愛がなければ、象徴天皇制が今日のような存在として存続できなかったと思います。
・象徴天皇制には今上陛下が実行しておられるような行為は、形は違っても次世代に継承されることが望ましいと思います。したがって、こうしたご公務は実行しにくい摂政制度では今上陛下の生前退位のご希望には添えないと思います。
・今上天皇陛下のビデオのお言葉は説得力があります!
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