竹富島の町並み保存と持続可能な観光スタイル!
竹富島は、石垣島から6キロのところ。
観光客を乗せた複数の会社の高速艇が1時間おきくらいに運行されているようでした。
それだけ観光客が多いようです。
竹富島は、珊瑚礁で出来た平べったいお盆のような島で、山も川もなく、直径は約3キロ、周囲わずか9.2キロ。
赤山公園の丘の上に立つ展望台(なごみの塔)の高さが24mあり、島の最高地点とか。
平均気温24度、平均雨量2400ミリ。
世帯数169戸、人口345人(今年4月比4人増)、民宿・旅館13軒、土産品店9軒、食堂・喫茶9軒
島全体が国立公園、集落部分が"町並み"保存地区。
120以上の舞踊・狂言、300以上の歌謡伝承、種子取祭には二日間で約80点もの芸能を奉納すると言う芸能の島。
天然素材を植物染料で手染めして、手織りするミンサー・芭蕉布・麻布など民芸の島。
345人中65歳以上は92人、いたって健康・元気という長寿の島。
古い沖縄の良さを一番残していると言われる竹富島です。
島に着くと、港には観光客送迎用のミニバスが何台か待ち構えており、予約をしていない人も自由に選んでおり、私たちは婿たちの知り合いのバスに乗車。
まず30分の「水牛車観光」(一人1、200円)に出かけました。
10メートルくらい(20人乗り?)の荷台車を大きな角の水牛がゆっくりと引いていくのです。
水牛は、町並みの狭い四つ角もロングボディの荷台車を塀にこすらないように、実に上手に回っていきます。私たちの運転よりはるかにうまいねーと話していました。
のんびりと動く水牛と、たずなをもつ案内人のおじさんの呼吸はぴったり。
その案内人のおじさんは、現場を見せながら町並み保存の取り組みを説明するので、臨場感があります。
"町並み"保存地区では、屋根は赤瓦以外はダメ、サンゴの白い砂を敷き詰めた道以外はダメ、もちろん舗装はダメ、塀もコンクリートはダメでサンゴの小石を積み重ねたもの。
サンゴで出来た島なので材料は沢山あり、昔からやってきた風に強い家づくりとか。
防風・防火対策に、フク木・ガジュマルなどの亜熱帯植物を庭に植えています。
婿は、昔から"福木の花が咲いたらフエフキダイが釣れる"と言われている、と話していました。
塀の周りには、真っ赤なハイビスカス、年中咲き乱れるブーゲンビリア、パパイヤなど。
案内人のおじさんは、屋根で大口を開けて目玉をむいで力んでいる魔除けのシーサー(唐獅子)、役人が見初めたとクヤマと言う娘さんの話など巧みに語ります。
そして、三線(さんしん)片手に荷台車の天井に歌詞が手書きされている竹富民謡「安里屋(あさどや)ユンタ」を歌います。
実に調子が良いので「サーユイユイ」の合いの手が、観光客から自然に出てきて、見知らぬ同士が盛り上がります。
降りるときには、一人1、200円(送迎付き)の乗車料金満足で、又乗りたいと思いました。
二台の水牛車は、水牛を入れ替えて、またお客さんを乗せてゆっくりと出て行きました。
休憩がてら立ち寄った民宿をやっている喫茶店では、年配の人懐こいおばあさんが話し相手で、もっと話して居たいなと思い、泊まるのだったらここにしたいと思いながら店を出ました。
話では、一泊2食付で5,200円、組合ではそのうちに値上げをすることを話しているとか。
3泊4日で、のんびりと滞在していくして人が多いですよ!と話していました。
私たちも1日ではもったいないと思いながら、あちこち急ぎ足で回りました。
滞在するとなれば、国立公園でキャンプは禁止の島ですから、民宿・旅館に泊まります。でもこの値段なら滞在しやすいと思いました。
夕方私たちが竹富島を後にするとき、2艇の高速艇からはかなりの人が降りてきました。
食堂・喫茶も沖縄そばなど種類も豊富で、"よその釜の飯は美味い"だけでなく、しかも安いと思いました。
サンゴの白い砂を敷き詰めた道は、住んでいる人が毎朝掃いているとか。あちこちにほうき目が残っていました。
お金をかけるのではなく、あるものを保存し受け継ぐ(町並みや文化・芸能を守る竹富町民憲章)、また訪れた人と人との心の交流(絆)が、持続可能な観光資源となり、
地元にある食材を活かしたオリジナル料理は安くておいしく、手頃な料金は長期滞在を生みやすく、のんびりとした交流が絆となりリピーター作りの条件ともなるのでは・・・
"癒しの時代"注目度は一層高まるのではないかと思いました。
高知にも、おいしい料理やおもてなしの心があり、よさこい踊り、優れた歴史上の偉人や文化が沢山あります。
高知らしい"持続可能な観光スタイル"をみんなで紡いで行けたら良いなーと思いました。
次回は、今でも交流の続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の話です。
HN: 龍馬 (2008年11月27日 07:57)