青春グラフィティ

青春時代に見に行った映画のパンフレットやレコードのコレクションから懐かしい場面にタイムスリップ

グラシェラ・スサーナ 私の好きな歌

2007-07-31 10:06:01 | レコード

グラシェラ・スサーナ 私の好きな歌

スサーナ第三回です。4回目の来日の時のL
Pだった。すっかり日本に馴染んで、テレビや
ラジオに出演。大活躍。テレサ・テンとスサー
ナは本当に日本の心を表現したと思う。特に
小椋佳の「少しは私に愛を下さい」が気に入っ
ていた。

曲目:少しは私に愛を下さい、別れた人と、
    愛の忘却、愛の怖れ、別れの夜明け、
    リオの夜、歩きつづけて、ゆきずりの人、
    おさみし谷の別れ唄、旅立つ彼、
    心がさむい、酔いしれて


愛の詩を今あなたに グラシェラ・スサーナ

2007-07-27 11:06:20 | レコード

愛の詩を今あなたに グラシェラ・スサーナ

前回に続きスサーナ。スサーナの日本でのLPとしては「愛の
音」「アドロ/サバの女王」(前回に紹介)に続く4枚目のLP。
(3枚目は解らない)
静かに聴くと長い髪を肩まで垂らし、ギターを弾きながら歌う
姿が目に浮かぶ。当時二十歳とは、とても思えない説得力の
ある歌唱。日本語も上手とは、言えないのに、その心はまっ
すぐに届く。凄いとしか言いようが無い。

曲目:愛の詩を今あなたに、街燈、涙の時計、美しい忘れ物、
    夏、黒い海、太陽へつづく道、淋しい女、段々畑に遠い
    鐘、雨の朝、鳥によせて、最後の15分


グラシェラ・スサーナ

2007-07-25 11:32:45 | レコード

グラシェラ・スサーナ アドロ・サバの女王

 アルゼンチンの「天使の歌声」と賞賛された、グラシェラ・スサ
ーナ。1953年1月22日生まれ、このLP作成時、20才。
小さい時から歌とギターに関心をもっていた。13歳頃には比
類ない才能を発揮していたらしい。タンゴについての探求と感
受性は彼女の青春そのものだった。1970年アルゼンチン・コ
ルドバ州ラ・ファルタで開かれた「第6回タンゴ・フェスティバル」
で優勝。グラシェラ・スサーナの名前が世間に知られることとな
った。1971年11月来日(南米旅行中の菅原洋一がスサーナ
のステージを見て、最も感動した歌手の一人として紹介し、共
演の為)。1973年第二回目の来日。このLPもこの時録音さ
れた。日本語で彼女のギターの弾き語りを中心に組まれたLP
ですが、日本人には無い、感性と言うか、味わいと言うか、独
特の雰囲気が堪らなく、はまりました。

曲目:アドロ、遠くへ行きたい、雪が降る、誰もいない海
    サン・トワ・マミー、時計、サバの女王、竹田の子守唄
    あなたのすべてを、恋心、忘れな草をあなたに
    夜霧のしのび逢い、爪、希望


サウンド・オブ・ミュージックLP

2007-07-17 09:34:55 | レコード

昨年11月映画のパンフレットで紹介した、サウンド・オブ・ミュ
http://blog.goo.ne.jp/isc_info/d/20061102
ージックのLP(オリジナル・サウンド・トラック)

今回は少し詳しく紹介します。

尼僧見習いのマリア(ジュリー・アンドリュース)は、今朝もア
ルプスの山々に囲まれた草原で大好きな歌を歌っています。
(サウンド・オブ・ミュジック)
修道院の祈りの歌、マリアはこのおつとめにも遅れてしまい
ます。とても尼僧の資格はありません。他の尼僧たちは院長
に訴えます。(マリア)
院長はマリアに、やもめ(独身)で7人の子供がいる退役海軍
大佐トラップ家の家庭教師になるよう説得。自信がなかったマ
リアですが勇気を出して、トラップ家に向かいます。(自信を持
って)
トラップ家,7人の子供は16才のリースル,14才のフリードリッ
ヒ、13才ノルイザ、11才のクルト、9才のブリギッタ、7才のマ
ルタ、それに4才のグレートル家庭教師には手ごわい連中で
す。悪戯ざかり。リースルはお年頃、郵便配達のロルフとちょ
っぴり恋心(もうすぐ17才)
急に雨、雷、リースルはマリアの所へ、雷雨に怯えた子供達
は、マリアの部屋にあつまります。マリアは(私のお気に入り)
を歌い、元気づけます。リースルとロルフの事を心配してやっ
て来た男爵に心配ないと、リースルをかばいます。
男爵がウイーンに出発、厳しく躾けるよう命令、でもマリアは
無視し、手作りの服を着せ、みんなでピクニック。お客を迎え
る歌を教える。(ド・レ・ミの歌)
やがて、男爵は、シュレーダー夫人とマックス伯父さんを連れ
て帰ってきます。邸の中には子供達がいません。湖でボート遊
びです。男爵は、いらいら探し廻ります。子供達は父の姿を見
つけ、あわてて、湖に落ちてしまいます。
男爵は、かんかんです。勝手なことばかりするマリアに「出て
行け!」と。家の中で、歓迎の歌が始まります。(サウンド・オ
ブ・ミュージック) 男爵は、怒っていたのも忘れ、一緒に歌い
始めるのです。勿論マリアは引き止められます。
数日後マリアと子供達は「あやつり人形劇」をお客に見せます
(一人ぼっちの羊飼い)
マックス伯父さんは、すっかり感心、合唱グループとして、ザル
ツブルグのお祭りに参加させようと言います。男爵は、子供達
と(エーデルワイス)を歌います。
男爵は、シュレーダー夫人を友人達に紹介するパーティを催し
ましたが、ナチにかぶれている友人と衝突してしまいます。
子供達の歓迎の歌(さよなら、ごきげんよう)
マリアは男爵とレントラーというダンスを踊り、男爵への愛に気
づきます。その苦しみから逃れる為、修道院に帰ります。
院長はマリアに愛することは尊いと(すべての山に登れ)励ま
します。マリアはトラップ家に帰ります。帰って来たマリアに男
爵は愛を打ち明けます。(何かよいこと)
こうして二人は結ばれ、新婚旅行に出かけます。この間にオー
ストラリアはドイツと合併、男爵にもヒトラーからの召集令状が
届きます。一方マックス伯父さんは、ザルツブルグのお祭りに
合唱グループとして、参加する手続きを済ませていました。
召集の為、ナチ隊員が男爵のもとにきます。マックス伯父さん
は合唱グループとして、参加が終わるまで待て、と誤魔化しま
す。お祭りの会場、男爵は(エーデルワイス)を歌います。一家
は(さよなら、ごきげんよう)を歌い、それが一等になります。
発表のときには一家は亡命の為、修道院へさらにアルプスを
越えようと・・・
アルプスの美しい景色が眼前に・・・
彼らの新しい人生が始まります。


ジョーン・デンバー

2007-07-13 09:43:32 | レコード

ジョーン・デンバー スーパーデラックス 

素朴で屈託のない明るさが魅力のジョーン・デ
ンバー。1971年7月カントリー・ロードがヒット
カントリー・ソングが一躍注目されるようになっ
た。何処でも歌声が聞こえていた。
”Take Me Home,Country Roads・・・・・・・・”

故郷に帰りたい(Take Me Home,Country Roads)
緑の髪のアニー (Annie's Song)
バック・ホーム・アゲイン
フォロー・ミー
他 前14曲

 


ウォーカー・ブラザーズ

2007-07-10 12:30:56 | レコード

ウォーカー・ブラザーズ イン・マイ・ルーム 孤独の太陽

1960年中頃のポップス界で若者に指示された、アメリカのグ
ループ・サウンズ。イギリスと日本で人気グループとなる。
ウォーカー・ブラザーズはスコット・ウォーカー、ジョン・ウォーカ
ー、ゲイリー・ウォーカーの3人で(兄弟と違う)、スコットとジョン
は学生時代からの友人、デュオ・グループで音楽活動。1965
年ゲイリーが加わってウォーカー・ブラザーズとなる。1967年
5月解散。1968年、来日の為一時再結成。
ダンス天国
孤独の太陽
太陽はもう輝かない
涙でさよなら
他 全18曲


ポール・モーリアLP

2007-07-06 16:53:26 | レコード

 "l'amour est bleu” ポール・モーリア2枚組

どうも洋盤らしいフランス語と英語ばっかり、小生、がっかり。
訳が解らない。それもそのはず、我が女房の持参品だった。
http://blog.goo.ne.jp/isc_info/d/20070417
で紹介した様に一家に1枚、ポール・モーリアという事。
女房のがLPで、小生はSP。夫婦の力関係そのままみたい。
ポール・モーリアは2006年10月末、フランス南部ベルビニャ
ンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したところ、急
性白血病であることが判明。同年11月3日午前1時、急性白
血病による心不全のためペルピニャンの病院で逝去。6日に
火葬にふされ天国へ旅立った。81歳であった。
(小生の小学校の恩師も昨年の秋、亡くなられた。共に残念)

曲目 
L'AMOUR EST BLEU・・・・・・・・・・・恋は水色
LES PARAPLUIES DE CHERBOURG
               ・・・・・・・・・・シェルブールの雨傘
LA CHANSON DE LARA・・・・・・・ララのテーマ
MAMY BLUE・・・・・・・・・・・・・・・・・・マミー・ブルー
NOCTURNE・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・蒼いノクターン
ARANJUEZ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アランフェス
Pénélope・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エーゲ海の真珠
LA REINE DE SABA・・・・・・・・・サバの女王
Toccata ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涙のトッカータ
他全24曲


ドリス・デイ

2007-07-03 09:36:04 | レコード



ドリス・デイ ベスト選曲2枚組30曲

太陽のように明るく、ウォームでチャーミングなポピュラー・シ
ンガー、ドリス・デイの魅力あふれる歌の数々。
「ケ・セラ・セラ」「先生のお気に入り」から「二人でお茶を」「秘
めたる恋」まで。
アメリカを代表する女性シンガー、誰からも好かれる、明るく
親しみやすいキャラクターはアメリカの素晴らしいさを代表す
ると言ってもいい。
ドリス・デイは1924年4月3日オハイオ州シンシナティに生
まれる。12才の時、バレー団に加わったが、巡業中に自動
車事故にあい脚を痛め、バレー・ダンサーを断念、歌手に転
向し、シンシナティの放送局で歌うようになった。まもなくバー
ニー・ラップ(1920代から活躍してきたダンス・バンド・リーダ
ー)に見出され「デイ・アフター・デイ」をもじってドリス・デイと言
う芸名がつけられた。バーニー・ラップ・ダンス・バンド・シンガ
ーとして歌うようになってからボブ・クロスビー楽団、レス・ブラ
ウン楽団と移る。1944年レス・ブラウン楽団の専属歌手とし
て吹き込んだ「センチメンタル・ジャーニー」が翌年大ヒット、ミ
リオン・セラーとなる。1948年ワナー映画「ロマンス・オン・ザ
・ハイ・シリーズ」で映画デビユーしました。
 ケ・セラ・セラ・・・・・・・・・・「知りすぎていた男」の主題歌
 先生のお気に入り・・・・・・「先生のお気に入り」の主題歌
 秘めたる恋・・・・・・・・・・・・「カラミティ・ジェーン」の主題歌
映画に歌に大活躍 素晴らしいアメリカ女性