弱者を支援すると弱者がもっと生きにくい社会になる
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■弱者を支援すると弱者がもっと生きにくい社会になる
世の中にはいろいろ直感に反することがたくさんある。たとえば某プロブロガーは一生懸命、NPOによる弱者支援を応援している。しかしそれは結果的に弱者をさらに困窮へと導くことになる。
某プロブロガーが主張するのは、助け合いによる生活の低コスト化。シェアハウスとかボランティア活動で、無料のものを増やそうという考えらしい。無料のものが増えれば、安い給与で働いている弱者の生活は確かに楽になるだろう。一見…。
問題は本来営利企業が行うべき仕事をボランティア活動で行ってしまうと、その分企業の仕事が減ってしまう点。そうなれば雇用も減り、弱者の雇用機会がさらに狭まってしまう。
ボランティアによる弱者支援は回り回って弱者の雇用機会を奪うことになる。
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途上国支援でさんざん言われること。途上国には物や金を支援するのではなく、産業を育てる支援をすべき、と。飢えている人間には魚そのものではなく、魚の取り方を教えよ、と。
低コストで生活できる環境を整えてしまうと、それで社会が安定してしまう。低い賃金でも「しかたない」と受け入れるようになってしまう。それでなんとか生活できるのだから。するとどんどん賃金は下がり、結果的にデフレになる。低い賃金では生活できない社会にしなければならない。
弱者の賃金を上げるには、仕事を増やさなければならない。人手不足だからこそ、高い賃金を払ってでも人手を確保しようとする。そのためにはボランティアで営利企業の仕事を置き換えてはならない。ボランティアとは究極の低賃金労働であり、それで働く人がいる以上は、賃金は上昇しない。営利企業はボランティアと競争しなければならないのだから、ますます賃金を下げざるを得ない。
ボランティアは弱者が働く機会を奪っていることに留意しなければならない。弱者を支援したいなら「労働」ではなく、なんらかの形で「金」で支援すべき。それなら金は仕事を生み、雇用を生み、弱者が仕事を得る機会が増える。
こういうシビアな考えが大事なのだが、なかなか人間は感情があるから難しい。たぶんこの文章を読んで「なんて血も涙もないことを言う奴だ」と思う人が大半なんだろうね…。でも社会を本当の意味で良くするには、こういうシビアな考えをしなければならない。
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