HAYAKAWA

私が生きた奇跡

夢を持ち続ける意味モフモフ(´ω`*)

2013-09-27 13:52:26 | 今すぐ見ろ!
















夢を持ち続ける意味


60年もの長い間、つまり半世紀以上、胸に抱き続けた夢をかなえた男性がいます。
74歳の細野壽一さんが、その人。
細野さんの夢は「作詞家になること」でした。
貴方に夢はありますか?

頸椎損傷にも負けず

細野さんが「作詞家になりたい」と思ったのは、中学生のときでした。
自作の歌詞をあるレコード会社に送ったところ、真っ赤に添削された歌詞が送り返されてきたのです。14歳の少年は、それが嬉しくてたまらず、当時全盛だった演歌の作詞家になろうと心に決めたのでした。
でも、家は貧しく、6人もの妹弟がいて、長男だった細野さんは中学を卒業すると工場に就職しました。
多くの人は、ここで「夢は、所詮夢だ」とあきらめてしまうのではないでしょうか。
しかし、細野さんは違いました。
一時は夜遊びに興じたこともあるそうですが、「作詞家になりたい」夢が背中を押して、土木工事の仕事につきました。
作曲家の船村徹さんに師事し、作詞を続けながら、ガムシャラに働き、30代で会社を興したのです。
ところが、「一寸先は闇」。働き盛りの45歳のとき事故にあいました。
自転車から落ちただけなのですが、なんと、頸椎損傷。首から下がまったく動かないからだになったのです。

「こんなからだで何ができる」と自暴自棄になったこともあったそうですが、ある日、「自分」という字は、「自分を分ける」と書くことに気づいたそうです。働いていた自分と、動けなくなった自分を分けて生きればいいと思い直したのです。
少年の日の夢を叶えよう、自分の作品を世に出そうという思いが、細野さんに大きな力を与えたといいます。

それからは、小さな機会を見つけてはさまざまな働きかけをする日々。それが実って、この秋、キングレコードから演歌「冬の風鈴」というCDが発売されました。
作詞はもちろん、作曲も細野さんです。
ペンネームの「ホソノ壽一郎」が印刷されたCDです。
志を抱いてから60年。車椅子生活になってから29年目で、少年の日の大きな夢を叶えたのでした。

夢はいのち

「夢を持て」とよく言われます。
でも、夢を持ち続けることは決して生やさしいことではありません。
人は叶わない夢にジタバタし、落胆し、むやみに傷つき、何度も失望や絶望を味わう。そのうち、「夢をあきらめたほうが気持ちはラク」――そんな思いになって、夢を葬ってしまう場合が多いのではないでしょうか。
でも、苦しい思いをしても、夢があれば、それが生きる大きな力になるのもこれまた事実。
そして、夢がなければ夢を叶えることもできないのも事実です。

夢がない方は夢を探して、夢がある方は夢をあきらめないことです。
細野壽一さんの持論は、「夢は絶対に捨ててはいけない」。
私たちに勇気と励ましを与えてくれる話ではないでしょうか。

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