1ヵ月、更新しなかった。
というのも転職して毎日PCばかりいじっているので、平日に家でPCを開けることが少なくなった。
視力も驚くほどに落ちてしまった。新年にはメガネを新調しようと考えている。
2014年は過去にない激動の1年だった。大きく変わったのは転職をしたことだった。
年越しは飛行機、空の上。(おそらくタイ上空ら辺)
元旦はホーチミン一人旅で始まり、素敵な年明けの始まりでした。
1~2月は仕事の記憶しかない。そして、とてもストレスに悩まされていたような気がする。
脳みそが凝り固まって、週末には一人で旅に出て、というよりも現実逃避していた。
仕事は相場も良かったので、成績もそれなりに良かった。
しかし“出来る自分”を保つことに、相当な精神的なプレッシャーを感じていたと思う。
その結果に得た優績者の月間賞、それはとても単純に嬉しかった。
ただ、その月間賞の賞状を受け取ったのは、住んでいたマンションのポストだった。
3月に自分でも驚くほどに体調を崩した。
私は前職の3年目の冬に一度、会社を休職している。
あの時もそうだった、突然に物凄い頭痛に襲われて歩けなくなった。
その痛みが私にまた訪れたのだった。
2週間近く仕事を休み、心療内科に行き、そして病院からも会社からも休職することを勧められた。
ただその代わりに、私が担当しているお客さんはすべて他の人に引き継ぐと、そう言われてしまった。
あまりにも担当しているお客さんが多いので、このまま放置することは出来ないと。
会社側からすれば当然の処置だったと思う。けれど、私には辛すぎた。
私が新規開拓したお客さんも、私が担当者がいいと言ってくれたお客さんもたくさんいたのに、
どうしてどうしてって、ずっと自分に問いかけてた。
でももう、会社には戻れない。きっと戻れないんだって感じた。
言われたその日に、ロッカーのスーツを全部取り出して会社を出た。
営業用のスーツはすべてネットオークションで売りさばいた。
そこから2ヵ月、ずっと風邪を引いたような状態が続いた。
体重が10キロ以上落ち、色んな人に心配された。
ほとんどベットの上で過ごす、不思議な日々だった。
6月になると、昇格出来ないことがわかった。
さすがに2回も休職すれば、昇格は難しい。
わかっていたけれど、やっぱり課長代理になりたかった。
もう、会社からは辞めろと言われているようなものだ。
欠陥品のレッテルを貼られた様な気がした。
もう戻れないんじゃない、会社に戻らないと決めた瞬間だった。
復職は出来ない、もう会社は辞めよう、そう決めた。
休職は9月末まで伸ばしてもらい、7月から本格的に転職活動を始めた。
とはいえ、実は転職活動は去年の10月からしている様なものだった。
もう、その時から会社は辞めようと思っていた。
去年の秋にペルーから帰ってきた時、もう今の証券会社の営業は辞めよう、何となく感じた。
そして、見つけた公務員試験の民間企業経験者採用。
去年の27歳の誕生日を機に、通信教育に申し込んで勉強を始めた。
親にも誰にも相談せず、休日や仕事終わりに勉強を少しずつしていた。
ただ、試験勉強をするために休職したわけではない。
働いている時から決めていたことだった、これだけはわかって欲しかった。
試験勉強はしているものの、このまま休職し続けるわけにはいかない。
万が一の事を考えて新しい仕事を見つけておこう、8月中旬に今の会社に内定が出た。
少しでも証券会社での知識が使える仕事がいい、同じ金融機関でいくつか内定を取った。
そして、信託銀行で10月から働くことが決まった。
9月に会社に辞めることを伝えた。
月末付で辞めようと考えていたが、15日付で辞めることも出来ると言われたので、そうした。
紙切れ一枚とハンコ1つで簡単に辞めることが出来た。
私の5年半という証券会社での会社人生は、意外とあっさりを終わってしまった。
こんなものだったんだ、とても虚しくなってしまった。
9月初旬に試験は終わり、後は結果待ちという10月1日に今の会社に入社した。
そして、試験結果は不合格だった。誕生日の次の日のことだった。
人生は上手く出来ている、そう思った。
ただ、わかっていたものの、心のどこかでとても傷ついていたんだと思う。
転職して勤務地が都内になったので、引っ越しをして最初は23区内で一人暮らしをしていた。
ただ環境が大きく変わったのもあったのか、一人でいられなくなった。
試験に落ちたショック、まだ慣れていなかった新しい会社、精神的に参りに参り実家に帰った。
同じ金融機関とはいえ、営業と事務では大きく仕事内容が変わる。
いくら資格を持っていたって、営業成績が良くても、今の会社では何も役に立たない。
またゼロからのスタートになってしまって、とても悲しくなった。
性格上、向いていない事務職の仕事。
今の仕事で困惑を感じるたびに、前の営業時代のことを考えていた。
どうしようもなく辛かったはずなのに、辞めたくて逃げたかったはずなのに、
今さらになって綺麗なところだけが思い出されてしまう。
仕事は厳しかったものの、仲の良かった同僚、楽しかった会社の飲み会。
入社1年目でもスターになれる達成感、走り回っていた支店の営業フロア。
お給料も激減してしまった。冬のボーナスは前職の10分の1だった。
お金がすべてじゃないってわかっているけれど、仕事にもお金にも未練ばかりでどうしようもなかった。
仕事の帰りの電車で前の会社の名刺を見て、私は辞めたかったんだよねって毎日のように問いかけてた。
辞めたかったから、試験勉強始めたんだよねって言い聞かせてた。
毎日のように怒られて、辛かったじゃないか、
2回も体調崩して、不眠症にもなって、恋愛でもひどい目に遭ったじゃないかって言い聞かせてた。
もう戻れないんだよ、クビになったようなものなんだよって思い込むので必死だった。
でももう、今の会社で頑張るって決めたんだ。
前の営業職は自分に向いていた仕事かもしれない、だから5年も続けることが出来た。
けれど、所詮は一社員。大企業の歯車のひとつに過ぎない。
営業成績を出せなければ会社からは必要とされない、はっきり言えば使い捨てのようなものだった。
今の会社は私の2、3年後のキャリアプランを考えてくれている。
前の証券会社の営業職のように、すぐに代わりがきくような単純作業のような業務ではない。
会社の規模は小さくなったものの、ひとりひとりの仕事の裁量が大きい。
自分が頑張らないといけない、そう奮い立たせてくれた。
たった2週間で決めた会社だった。最初から辞めるつもりで入社を決めたけれど、
もう公務員試験は受けず、この場所で私は全力を尽くそう、そう決めた。
前職は良くも悪くも、とても良い経験。
それでも、私の人生の素敵な思い出の一部、輝いていた日々だった。
円満な退社が出来なかったからこそ、未練があるからこそ、今の仕事を頑張れる。
経験を積んで仕事を覚えていけば、いつか私も今の会社で活躍出来る日がくる。
入社して3ヵ月、まだまだこれからだと、そう年の瀬に思うのでした。
::::::::::::::::
12月15日に前職の退職金が出たので、2015年は海外にたくさん旅に出ようと考えています。
今年はベトナムへの1回しか旅に出なかった。
逆に旅に出ないという選択もいいかもしれません。旅をしない、をするということ。
去年の12月31日に羽田空港で買ったスイスフラン10万円分が、この円安で利益になってます。
今年に行く予定だったから、地球の歩き方も買ってある。
来年はスイスにも行きたいな。
金融機関の宿命、12月30日まで今年も仕事です。
2014年の目標、年末を以て今ある環境を変えること。
10月1日付と3ヵ月、早い形となりましたが、転職を機に人生の節目を迎えた年になりました。
C'est la vie!これが人生だ!
2014年、一年間お世話になった方々、本当にありがとうございました。
というのも転職して毎日PCばかりいじっているので、平日に家でPCを開けることが少なくなった。
視力も驚くほどに落ちてしまった。新年にはメガネを新調しようと考えている。
2014年は過去にない激動の1年だった。大きく変わったのは転職をしたことだった。
年越しは飛行機、空の上。(おそらくタイ上空ら辺)
元旦はホーチミン一人旅で始まり、素敵な年明けの始まりでした。
1~2月は仕事の記憶しかない。そして、とてもストレスに悩まされていたような気がする。
脳みそが凝り固まって、週末には一人で旅に出て、というよりも現実逃避していた。
仕事は相場も良かったので、成績もそれなりに良かった。
しかし“出来る自分”を保つことに、相当な精神的なプレッシャーを感じていたと思う。
その結果に得た優績者の月間賞、それはとても単純に嬉しかった。
ただ、その月間賞の賞状を受け取ったのは、住んでいたマンションのポストだった。
3月に自分でも驚くほどに体調を崩した。
私は前職の3年目の冬に一度、会社を休職している。
あの時もそうだった、突然に物凄い頭痛に襲われて歩けなくなった。
その痛みが私にまた訪れたのだった。
2週間近く仕事を休み、心療内科に行き、そして病院からも会社からも休職することを勧められた。
ただその代わりに、私が担当しているお客さんはすべて他の人に引き継ぐと、そう言われてしまった。
あまりにも担当しているお客さんが多いので、このまま放置することは出来ないと。
会社側からすれば当然の処置だったと思う。けれど、私には辛すぎた。
私が新規開拓したお客さんも、私が担当者がいいと言ってくれたお客さんもたくさんいたのに、
どうしてどうしてって、ずっと自分に問いかけてた。
でももう、会社には戻れない。きっと戻れないんだって感じた。
言われたその日に、ロッカーのスーツを全部取り出して会社を出た。
営業用のスーツはすべてネットオークションで売りさばいた。
そこから2ヵ月、ずっと風邪を引いたような状態が続いた。
体重が10キロ以上落ち、色んな人に心配された。
ほとんどベットの上で過ごす、不思議な日々だった。
6月になると、昇格出来ないことがわかった。
さすがに2回も休職すれば、昇格は難しい。
わかっていたけれど、やっぱり課長代理になりたかった。
もう、会社からは辞めろと言われているようなものだ。
欠陥品のレッテルを貼られた様な気がした。
もう戻れないんじゃない、会社に戻らないと決めた瞬間だった。
復職は出来ない、もう会社は辞めよう、そう決めた。
休職は9月末まで伸ばしてもらい、7月から本格的に転職活動を始めた。
とはいえ、実は転職活動は去年の10月からしている様なものだった。
もう、その時から会社は辞めようと思っていた。
去年の秋にペルーから帰ってきた時、もう今の証券会社の営業は辞めよう、何となく感じた。
そして、見つけた公務員試験の民間企業経験者採用。
去年の27歳の誕生日を機に、通信教育に申し込んで勉強を始めた。
親にも誰にも相談せず、休日や仕事終わりに勉強を少しずつしていた。
ただ、試験勉強をするために休職したわけではない。
働いている時から決めていたことだった、これだけはわかって欲しかった。
試験勉強はしているものの、このまま休職し続けるわけにはいかない。
万が一の事を考えて新しい仕事を見つけておこう、8月中旬に今の会社に内定が出た。
少しでも証券会社での知識が使える仕事がいい、同じ金融機関でいくつか内定を取った。
そして、信託銀行で10月から働くことが決まった。
9月に会社に辞めることを伝えた。
月末付で辞めようと考えていたが、15日付で辞めることも出来ると言われたので、そうした。
紙切れ一枚とハンコ1つで簡単に辞めることが出来た。
私の5年半という証券会社での会社人生は、意外とあっさりを終わってしまった。
こんなものだったんだ、とても虚しくなってしまった。
9月初旬に試験は終わり、後は結果待ちという10月1日に今の会社に入社した。
そして、試験結果は不合格だった。誕生日の次の日のことだった。
人生は上手く出来ている、そう思った。
ただ、わかっていたものの、心のどこかでとても傷ついていたんだと思う。
転職して勤務地が都内になったので、引っ越しをして最初は23区内で一人暮らしをしていた。
ただ環境が大きく変わったのもあったのか、一人でいられなくなった。
試験に落ちたショック、まだ慣れていなかった新しい会社、精神的に参りに参り実家に帰った。
同じ金融機関とはいえ、営業と事務では大きく仕事内容が変わる。
いくら資格を持っていたって、営業成績が良くても、今の会社では何も役に立たない。
またゼロからのスタートになってしまって、とても悲しくなった。
性格上、向いていない事務職の仕事。
今の仕事で困惑を感じるたびに、前の営業時代のことを考えていた。
どうしようもなく辛かったはずなのに、辞めたくて逃げたかったはずなのに、
今さらになって綺麗なところだけが思い出されてしまう。
仕事は厳しかったものの、仲の良かった同僚、楽しかった会社の飲み会。
入社1年目でもスターになれる達成感、走り回っていた支店の営業フロア。
お給料も激減してしまった。冬のボーナスは前職の10分の1だった。
お金がすべてじゃないってわかっているけれど、仕事にもお金にも未練ばかりでどうしようもなかった。
仕事の帰りの電車で前の会社の名刺を見て、私は辞めたかったんだよねって毎日のように問いかけてた。
辞めたかったから、試験勉強始めたんだよねって言い聞かせてた。
毎日のように怒られて、辛かったじゃないか、
2回も体調崩して、不眠症にもなって、恋愛でもひどい目に遭ったじゃないかって言い聞かせてた。
もう戻れないんだよ、クビになったようなものなんだよって思い込むので必死だった。
でももう、今の会社で頑張るって決めたんだ。
前の営業職は自分に向いていた仕事かもしれない、だから5年も続けることが出来た。
けれど、所詮は一社員。大企業の歯車のひとつに過ぎない。
営業成績を出せなければ会社からは必要とされない、はっきり言えば使い捨てのようなものだった。
今の会社は私の2、3年後のキャリアプランを考えてくれている。
前の証券会社の営業職のように、すぐに代わりがきくような単純作業のような業務ではない。
会社の規模は小さくなったものの、ひとりひとりの仕事の裁量が大きい。
自分が頑張らないといけない、そう奮い立たせてくれた。
たった2週間で決めた会社だった。最初から辞めるつもりで入社を決めたけれど、
もう公務員試験は受けず、この場所で私は全力を尽くそう、そう決めた。
前職は良くも悪くも、とても良い経験。
それでも、私の人生の素敵な思い出の一部、輝いていた日々だった。
円満な退社が出来なかったからこそ、未練があるからこそ、今の仕事を頑張れる。
経験を積んで仕事を覚えていけば、いつか私も今の会社で活躍出来る日がくる。
入社して3ヵ月、まだまだこれからだと、そう年の瀬に思うのでした。
::::::::::::::::
12月15日に前職の退職金が出たので、2015年は海外にたくさん旅に出ようと考えています。
今年はベトナムへの1回しか旅に出なかった。
逆に旅に出ないという選択もいいかもしれません。旅をしない、をするということ。
去年の12月31日に羽田空港で買ったスイスフラン10万円分が、この円安で利益になってます。
今年に行く予定だったから、地球の歩き方も買ってある。
来年はスイスにも行きたいな。
金融機関の宿命、12月30日まで今年も仕事です。
2014年の目標、年末を以て今ある環境を変えること。
10月1日付と3ヵ月、早い形となりましたが、転職を機に人生の節目を迎えた年になりました。
C'est la vie!これが人生だ!
2014年、一年間お世話になった方々、本当にありがとうございました。