20代から30代の頃は一年おきにアメリカに視察旅行行っていました。
あるSC(ショッピングセンター)を視察していたときのことです。
それは、掃除をしている姿でした。
掃除に必要な道具がしっかりと揃えてあるのです。台車にはもちろん車輪が付いているし、いろいろな種類の洗剤もある。集めたゴミを収納する大きなバケツ。モップや雑巾のたぐいも・・。
実に合理的なのです。
(東京ディズニーリゾートに行けばわかります)
日本も近ごろはそのように変わってきましたが、日本の掃除とは「修行」のような要素があります。
バケツと水それと雑巾。以上が掃除道具です。
小生は家ではやりませんが、会社の掃除はやります。まさに、バケツ・水・雑巾の三点セットです。それにホウキとチリトリですね。
腰を屈め、床の拭き掃除をするのは「修行」のようなものです。
(これは好きでやっているのです)
視点を変えます。
腰を曲げないで床をキレイにする方法はないか?
(そうしないと腰が痛くなって長時間出来ないし、生産性が悪い)
たとえば床にこびりついたガム。
水と雑巾だけで取るのは大変ですね。立ったまま(腰を屈めず)柄の先に付いている刃で床を傷つけずに取る道具を使う。
仕事とは誰がやっても同じようにできる「しくみ」をつくること
こういうことが云えると思います。
日本人は決められたことを決められた通りにやることが「善」だと思っています。
そのやり方を変えようという意識が薄いのです。
特に農業ではその傾向が強いです。
これは、何度も触れましたが「米つくり社会」の独特な考え方なのです。
地域は共同体であり、皆が助け合って生きてゆく。人手に頼っていた米つくり社会はそうしないと生産性が悪いことが分かっていたからです。
みんなでやるもので、ひとりでやるものではないという考え方です。
こういう考え方が日本を支配しています。
たとえば農業をしている主人が自宅で本を読んでいる。インターネットで調べものをしている。
メールで仲間と情報交換している。
きっと遊んでいると思われてしまうのではないでしょうか?
農業の仕事は現場に出て土や植物あるいは家畜の世話をするのがシゴトだと思っているのではないでしょうか?
商店経営も同じです。
昨日と同じ作業の繰り返しでは生産性は上がりません。また、変に職人意識があって、自分がやらなくちゃだめだと思っている人も少なくありません。
(米屋では精米は自分がしなくちゃダメだと思っている人が多い)
自分が現場から離れることができなくては、病気になったらアウトということです。
メチャメチャ大きなリスクを負っていることに気が付かないのです。
考えることは重要で立派なシゴトです。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2004年
人気記事