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チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「坂の上の坂」

2017-01-13 14:07:20 | 独学

 123. 坂の上の坂   (藤原和博著 2011年11月)

 『 校長時代、私は中学生に学問だけを教えるのではなく、世の中の成り立ちや学問と世の中のつながりについて教えていく[よのなか]科という授業を提唱し、実践してきました。

 そのなかで私は、人の言うことを簡単に信じてはいけない、もっと疑え、と教えていました。いわゆる「クリティカル・シンキング(複眼思考)」の技術を伝授したのです。

 しかし、私自身は、いったん「クリティカル・シンキング」で自分の意見や進むべき方向を定めたら、その実現段階では、世の中を信じ切って進めるところがあります。行動を起こすときには、信じて動いたほうが勝負には有利だからです。

 [よのなか]科で十年以上実践している「クリティカル・シンキング」を、義務教育に導入することと、地域が学校を支援する仕組みを全国に広めていくこと。そうして、学校を核に学習コミュニティを再生することがメインの仕事です。 』


 『 ロンドンに一年一ヵ月、そしてパリに一年三ヵ月。家族を連れた私のヨーロッパ赴任は二年半に及びました。私はここで、「成熟社会」の本質を垣間見ることになります。

 日本の高度成長期のように「みんな一緒」の社会ではなく、一億総中流社会と呼ばれた塊が「それぞれ一人一人」に分かれていく社会です。上下にも、左右にも、前後にも、タテ・ヨコ・ナナメにも。

 そこには、生活を楽しもうとする、人生を豊かに生きようとする真摯な人々の姿がありました。例えば、パリの人々に教えられた”Art de vivre”(アール・ド・ヴィーヴル)。

 これは、国よりも、産業社会よりも、自分自身の人生と人々との関わりを大事にするフランス人の生活信条です。フランス語で”Art”は「術」、”de”は英語の”of”、”vivre”は「生活」という意味。

 直訳すれば、「生活術」になりますが、実体験した私の感覚では、「人間と人間の間を取り持つコミュニケーション手段としての芸術的生活術」というのが適切かなと思います。

 しかも、人々の間には「アール・ド・ヴィーヴルとはつまりこれだ」という一般解はありません。一人一人自由に考え、選択し、味わっているのです。夫婦でも考え方が別々だったりする。まさに、これこそが成熟社会の生き方だと感じました。

 この生活信条をイメージするのにわかりやすい事例として、リクルート社が当時行ったフランスの若者へのインタビューを紹介したいと思います。

 「何よりも生きることを楽しみ、日常の平凡さから抜け出す知恵です。ご婦人に道を譲りながら、その服装や髪型を褒めることや、料理を楽しむために美しいテーブルクロスを選ぶことも入ります」

 「それは機会を利用して楽しむ術。昨日の繰り返しを続けないことです。ゆとりある時間の中で生れる楽しみ。”義務感へのアンチテーゼ”ではないでしょうか」

 「電車を一台やり過ごし、次の電車で座っていくことから始まります。時間をとって行動に余裕をもてば、人は胸いっぱいに人生を呼吸できます」

 これを語っているのが二十代前半の若者、というのがミソではないかと思います。「アール・ド・ヴィーヴル」は日常の中に息づき、完全に人々に浸透している。当たり前のように人々は実践しているのです。

 日常の中にちょっとした喜びを発見し、コミュニケーションし、それを楽しんでいる。実際、彼らは食事を大事にし、会話を大事にし、そこで幸福を共有する時間をきわめて大事にしています。

 日常のささいな事象の中にこそ幸せの本質があると考える彼らの生き方に、私は様々な場面で感動させられることになりました。対して日本人の人生観の中心的価値は何か。

 私はパリでくらしている間に考え込むことになりました。結局、出てきた結論は「上手に生きる」ことなのではないか、という仮説でした。 』


 『 私は、日本に「それぞれ一人一人」の兆候が本格的に出現し始めてから、すでに一五年が経っていると見ています。そして、ここにきて多くの人が「心の拠り所」を強く求めるようになっているように思えます。

 その現れが「ケータイ」メールの大ブームです。普段の生活の中で、人々はほとんどがケータイをいじっている国など、世界の中で日本だけではないでしょうか。

 それだけ現代の日本人は寂しく、不安なのです。一人になってしまう恐怖心から、誰かとつながっていようとする。もうひとつ、日本人の異常なブランド信仰もわかりやすい例です。

 「エルメス」を持っている。「グッチ」を手にしている。それが、特定の価値を共有した仲間、つまりコミュニティへの参加権になる。ちなみに私は、ブランドのことを「制服」と呼んでいます。

それがあれば、同じ仲間だと認めてもらえる、わかりやすいアイコンだから。ヨーロッパでは、そうした孤独に対する不安は、別の社会的機能がやわらげてくれていました。その社会的機能が、宗教です。

 宗教が、心の拠り所を作ってくれている。産業社会とは別に、教会を中心としたコミュニティが地域社会の隅々で機能しています。それが、個人と社会をつなぐ中間集団になっている。

 でも、宗教べったりなのかというと、そうでもありません。うまく宗教を使って、癒しや免罪や、背中を押してもらう行動をとるための道具にしている。フランス人の友人はこんなことを言っていました。

 「フランス人の多くはクリスチャンだけど、大人になるにつれて教会から足が遠のく。行くのは結婚式とか、葬式くらいかな。でも子どもができると、また毎週のように通うようになるんだ。彼らには家庭や学校以外の場が必要だからね。」

 よくできた仕組みだと思いました。日本では、宗教が本来果たす役割をケータイやブランドのコミュニティが受け持っているように思えます。もちろん、私はそれを否定するつもりはありません。

 ただし、自覚を持っておくことが大切です。ケータイもブランドも宗教も、わかってやっている、と認識しておくこと。自分の人生を切り拓くために、宗教的なものもツールとして使う。

 そんな感覚が、成熟社会には必要なのです。何しろ、孤独に加えて、老いもやって来るのですから。 』


 『 新聞やテレビは、日本のシステムの歪みや腐敗をさかんに取り上げますが、私にはどうにも納得がいきませんでした。

 だって、当時のヨーロッパの失業率の高さや福祉の厳しさ、企業の競争力不安や地域紛争、若者の兵役義務など、むしろ「日本はなんて平和でいい国なんだろう」と思うことのほうが多かったからです。

 では、どうしたら日本人は真に豊かになれるのか?何が必要なのでしょうか?やがて私は、いくつかの結論に思い至ります。

 一つ目は、住宅問題。土地が安くなって住まいの値段が売買賃貸とともに値頃になり、地主と店子の新しい関係作りが進めば、日本人の幸福感の一役買うと考えました。

 二つ目は、広い意味でのサラリーマンの比率がもっと下がることです。会社にしがみつかなければいけないことが、人々を苦しめているのではないか。

 さらにいえば、子どもたちを前時代的な「標準化」の罠に引き込んでいるのも、こうした雇用形態が関係しているのではないか。フェロー(個人と会社が対等な契約を結ぶ)のような、企業と個人の新しい関係作りのためのさまざまなチャレンジがなされていいと思いました。

 三つ目は、日本流の個人主義が徐々に浸透しながら、同時に公共心が育っていくことです。個人と個人、個人と社会の新しい関係が求められている。そのためには、産業社会、企業の側も発想をシフトチェンジしていく必要があると感じました。

 さらに四つ目が、高齢化社会を迎え、生きていくということにどう立ち向かっていくか。身体的、あるいは精神的な対策が必要ではないか。

 こうして私は、自らの四十代、五十代でやるべきテーマを四つ、はっきりと自覚するに至りました。住宅、介護を中心とした医療、教育、そして組織の壁を越えて個人と個人を柔らかくつなぐネットワークです。 』


 『 会社と個人との関係を、私は次の三つの言葉で表してます。「企業人」、「起業人」、「寄業人」です。「企業人」は一般的な会社員のこと。入社した会社に忠誠を尽くし、異動したり、昇進したりしながら、一部は経営陣に加わることもあります。

 「起業人」は自ら新しい組織を作る人のことです。会社で培ったノウハウや人脈を生かして、まったく新しい事業を立ち上げます。しかし、大きなリスクも抱えるので、全体から見れば数は少ない。

 「寄業人」は、組織とパートナーシップを保ちながら仕事をする個人を指します。「自営業者」に近い感覚です。士業をはじめ、新聞記者たテレビのディレクターなども寄業人的資質があります。

 あえて組織を離れず、組織にいながら個人の力を発揮することができる仕事のやり方です。会社の中で個人が力を発揮していくためには、会社と個人が互いに合意できる方向性が重要になります。

 いくら個人が力を発揮したくても、それを会社が求めていないのであれば、力を発揮することは難しいでしょう。だから、寄業人=企業内自営業者を目指すときに重要なことは、会社と自分の「ベクトルの和」を最大にしよう、と心がけておくことです。 』


 『 欲しい時計が見つからなかった私は、ではどんな時計が欲しいのか、自分で絵を描いてみることにしました。そんなことをしていると意外な出会いはあるもので、企業や大学で作るオリジナル時計の制作を請け負っている、という人物に出会うことができました。

 もともと時計メーカーにいらした清水新六さんです。諏訪市にある時計企画室コスタンテという会社を経営しておられました。時計のOEM(Original Equipment Manufacturing)製造メーカーです。

 私は単刀直入に聞いてみました。「清水さん、たった一個をOEMで作る、なんてことはありえますか?」こういう無茶な質問にどう答えてもらえるかで、私はその人と付き合うかどうかを決めます。

 「条件付きでありえます」 条件がついていようがなんだろうか、「ある」とおしゃる。こういう人が、私は好きです。「Yes, but ……」の思考をする達人です。やらない理由をあれこれ挙げて、責任回避するタイプの人とは根っこから違う。

 私は普段から、世の中を幸せに生きていくコツは、「そうですか、ちょっとやってみますか」という思考を持った人と付き合うことだと考えています。オモシロいと思ったことは、実現する過程で条件をつけていけばいいだけのことですから。

 さらに私は、日本人として世界で恥ずかしくない時計にしたくて、あれこれとアイディアを出しました。例えば、漆は世界が認める日本文化の一つで、英語で「japan」と呼ばれるほどですが、これを使ってみてはどうか、と考えました。

 やがて、清水さんはこうおしゃいました。「もうちょっと物語があれば、これは製品として作れるかもしれない」 和田中の校長時代、ゲストティーチャーでいろいろな人たちが来てもらっていたのですが、その常連に、根本特殊化学という夜光塗料で世界一の会社の社長がいました。

 連絡すると、門外不出の橙色の夜光塗料を出してくれるといいます。ただ、大量に生産する場合、品質が安定しないとも。そういうチャレンジもできるのが、オリジナル時計づくりの面白いところです。

 結果的にこの時計は、私のラフスケッチを参考にして「ネオジャパネスク」をコンセプトに専門の時計デザイナーに細部のデザインをしてもらうことになりました。

 こうして、ゴールド系とシルバー系の二種類が、二十万円前後、五十個限定でコスタンテから売り出されることになります。私がデザイン画を持ち込んでから、九ヵ月後のことでした。

 日本の職人の技と愛情を結集して作り込んでもらったこの時計は、ネット上だけの販売だったのですが、一か月で完売。こうして私は本当に欲しい時計を手に入れました。

 世界に五十個しかない時計。時計に目を留めてくれる人がいたら、私はこの物語を話します。 』


 『 不動産の相場感覚を身に付けると、いいことがあります。言われた通りにするのではなく、自分の意見を持つ。自分のマンションに値付けしてみる。そんな分析はなかなかできないと思うなら、「自分の土地勘」のあるところだけに投資すればいいのです。

 私が今住んでいる家の土地も、「土地勘」があったからこそ出会いました。今のエリアはもう二十年以上暮らしており、このあたりのことはとてもよくわかっています。

 実は今の家が建っているのは、かって住んでいた家から駅に向かう途中にあった土地でした。かっての家は建て売りで求めたものでした。

 ヨーロッパから戻ってきて、ずっと自分の家を建てたいと思っていた私は、かっての家から駅までの間に徹底的に土地を探したのです。

 土地が出そうなところ(例えば、駐車場になっているところとか、古家が建っていて誰も住んでいなそうなところ)の情報は、市場に出ない物件も含めて、ほとんど当たっていました。

 そんなふうに集中して情報を集めてるうちに、七十五坪ほどの綺麗な敷地にで出会いました。(普通は、三分割されて建売業者に分譲されてしまいます) 』


 『 私の家には同い年の画家、杉山邦さんの絵が飾ってあります。彼は自分の絵を売ったり、描いた絵をシルクスクリーンにして売ったりするときに画商を使うのですが、私は画商から買いませんでした。

 彼に描いてほしいテーマを伝えて、オリジナル作品を描いてもらったのです。画家の絵は一般的に、画商が買った瞬間に三倍くらいになります。ということは、消費者が持ち帰った瞬間、価値は三分の一以下になってしまうということです。

 ならば直接、画家に頼んだほうが安い。これも、画家への思い入れがあってこそ、できることでしょう。やり方はいくらでもあります。例えばマンションの玄関に飾る小さな絵がほしいとする。

 どこかから絵を買ってきてしまえば、ただの消費者です。しかし、展覧会で見た画家に依頼して描いてもらったら、それはただの消費者では終わりません。

 例えばクルマ好きな人なら、カーデザイナーから車をデザインした際のデザイン画を買ってもいいと思います。誰かが勝手に価値を算定したモノをその値段で買うのではなく、自分が価値を与えて、新しいソフトを創出する。

 自分が付加価値のつくり手になる。これこそが本当の投資だと思います。室町時代から江戸時代にかけて、ある程度暮らしの豊かだった人々はそうやって「投資する」行為を楽しんでいたように思えます。 』


 『 私は、二〇〇八年から、橋本徹大阪府知事のもと、大阪府教育委員会特別顧問を務めていました。私は橋本さんのことをよく知らなかったのですが、東京の教育界での仕事が知られるようになった私に、橋本さんが白羽の矢が立ったのです。

 橋本さんについていろいろ調べてみると、彼はどうにも孤軍奮闘しているようでした。メディアからもずいぶん叩かれていましたが、私から見れば言っていることは正論だと思いました。そこで、私も一肌脱ごうと考えました。

 実際に会ってみると、これなら大丈夫、と感じたので、「教育については七つやりたいことがありますが、やれますか」と単刀直入に聞いてみました。

 すると、「ぜひお願いしたいです。でも、こんなことまでしてもらったら、いったいいくら払えばいいんでしょうか」と不安顔で聞くのです。私は、お金をもらわず、タダで引きうけたい、と伝えました。

 橋本さんは驚いておられましたが、これには明快な理由があったのです。私が杉並区立和田中学校で行った改革は、言ってみれば”点”の改革でした。

 和田中ではできたけれども、他の中学校ではそう簡単にはできないだろう、と多くの人が考えてました。ましてや東京ではなくて文化の異なる大阪です。[よのなか]科という発想が合うか合わないかも含め、不安要素のある大勝負になります。

 しかし、もし大阪で再度ムーブメントを起こすことができれば、今度は”点”でなく、”面”の改革が展開できる。こんな機会は滅多にありません。ぜひチャレンジしてみたい、という気持ちのほうがお金の問題よりもはるかに大きかったわけです。

 そしてもうひとつ、例えば特別顧問で給料をもらってしまったとすると、その瞬間に私は橋本知事の部下になります。私はそれが嫌でした。申し訳ないのですが、私は知事の部下にはなれません、と宣言し、それでいいのならやります。と申し上げました。

 返答は「ぜひお願いします」でした。最初の四十日くらい大阪に詰め、二十五市町村で五十五の小中学校を回りました。これを手引きしてくれたのが、大阪教育大学の監事を務めている野口克海さん。

 現場を知っている人に教育委員に入ってほしいということで来たもらったのが蔭山英男さんです。いろいろな人にサポートしていただき、半年後には全国学力調査で小学校の算数の学力から上がっていくという実績を残すことができました。

 現場では一部に府知事への反発もありましたが、私は橋本さんの部下でもなければ給料ももらっていません。どうも藤原は橋本さんに命じられてやっているのではない、と気づいてもらえたことで、スムースなコミュニケーションが図れたのです。

 お金が発生しないことをするなんて、そんな余裕はない、忙しい、と感じる人もいるかもしれません。しかし、忙しいと思ってやらない人は、一生、忙しいままです。

 自分にとって、何か新たなチャレンジをすることなく終わってしまう可能性もあります。それでは、あまりにも残念な人生ではないでしょうか。 』


 『 そんな思いをもっていたとき、ひとつの出会いがありました。仙台のNPOが集まる会議に参加していたときのこと、飛び込みでやって来た中年の男性がいました。

 彼は自分の家も、水産品の加工工場も、カキやヤホやホタテの養殖のための筏もすべて流されてしまった漁師だったのですが、一人の父親として、雄勝の中学校を救ってほしいという。(宮城県石巻市の雄勝町)

 その申し出はなんともささやかなものでした。硯の産地なのだが、書道の道具が流されてしまった。だから、書道のセットがほしい。子どもたちを元気づけるためにも音楽の授業が大切になるのだが、リコーダーがない。リコーダーを手配してもらえないか。

 「 書道のセットとリコーダーを五十一セット」という、実に具体的でつつましい要望が、私の心を打ちました。あとで聞いてみると、彼は雄勝中学校のPTA会長だったのです。

 自分の家もホタテの養殖場も筏も何もかも流されていまったのに、現地に踏みとどまり、子どもたちのために学校を再興しようとしている。

 私は、この出会いをチャンスとして、「チーム立花」の面々とともに、雄勝に絞って支援活動を展開することになります。雄勝中学校を、さらには雄勝の町を復興させるために自分に何ができるのか。ささやかな取り組みを始めたのです。

 オリジナルの復興時計を作って、その収益金を支援に充てる、というのもその一つでしたが、他にもいろいろな取り組みをすすめています。

 和田中時代にお世話になった方々をはじめ、文化戦略会議(エンジン01)でご一緒している著名人が、相次いで雄勝中での〔よのなか〕科特別授業を引き受けてくださいました。

 夏には、雄勝中学校の校長、ソフトテニス部の部員と顧問の先生をお呼びして、仙台近郊でテニス合宿を開きました。子どもたちは大会を控えていたのですが、練習場所にも困っていました。

 そこで、東京から合宿に参加してくれる仲間を募り、少し多めに費用を払ってもらって、子どもたちが無料で合宿に参加できるようにしました。いわば、スポンサー付き合宿です。

 中学生たちが声を張り上げ、噴き出す汗を拭きながら必死で練習しているすぐ隣で、テニスをする。こんな経験は、オジサンたちにはなかなかできることではありません。

 これだけでも都会からの参加者には新鮮な感動がある。おかげで、あっという間に参加者が集まり、夏合宿を成功させることができました。 』 


 題名の「坂の上の坂」は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」からのパロデーです。「坂の上の雲」は明治維新から日露戦争の時代の日本人の心意気を見事に描いた作品です。

 日露戦争を戦った百年前に比べ、平均寿命が大きく伸び、雲を夢見て懸命に生きた、先にすぐ死がありましたが、現代では、さらに坂を登った先に、天国があるという意味だそうです。 (第122回)


ブックハンター「HAIKU Vol.2」

2017-01-07 15:37:04 | 独学

 122. HAIKU  Vol.2  Spring (俳句 第2巻) (R.H.Blyth著 1990年1月)

 本書は、71.HAIKU Vol.1 (俳句 第1巻)で紹介しレジナルド・ホーラス・ブライスの(俳句 第2巻)です。

 俳句の初心者で、英語の劣等生である私が、なぜ、再度、英語の俳句の本を紹介するかというと、最近の俳句ブームに乗って、何冊かの俳句の本を読んで見ましたが、私はよく理解できませんでした。

 なぜ、俳句が理解できないかが、最近解かりました。それは以下の4つの理由によるものでした。

 ① 一句の中に正しく読めない漢字がある。

 ② 一句の中の上句、中句、下句の区切りが見えない。

 ③ 季語がどれであるかを理解できない。

 ④ 一句の中に、わからない言葉がある。

 著者のブライスは、英語は無論のこと、日本語、漢文、日本文学、禅についても、超一級の学者です。

 改めて本書を読んでみますと、日本語で俳句を記述し、つぎにローマ字で、読みを記述してますが、このとき、上句、中句、下句に分かち書きし、さらに、単語に分かち書きされてます。

 次に翻訳した英語を記述し、さらに英文で説明されています。今回の第2巻は、新年と春の俳句が紹介されてます。

 俳句は、17文字の中に季語を一つもって、情景を表現し、そこにかもちだされる心情を表現する、世界最小の文学です。さらに、ブライスの尽力によって、俳句は現在日本だけでなく、世界の俳句です。


 本書で紹介されている、芭蕉、蕪村、一茶、子規です。松尾芭蕉は、1644年、三重県に生まれ、「奥の細道」を残して、1694年に50歳で没しました。

 芭蕉の没後、22年の後に、蕪村が大阪にうまれ、江戸に出て絵を修行するかたわら俳諧を学び、京都に住んで、画家として成功する。1783年に67歳で没しました。

 一茶は、1763年、長野県の農家に生まれ、14歳のとき江戸に出て、働きながら俳諧を学ぶ、多くのすぐれた俳句を作りながら、生活が成り立たず、50歳のとき故郷に帰る。1827年64歳で没す。

 一茶没後、40年後の1867年に子規が愛媛県に生まれる。東京の一橋大学予備門でに入り、夏目漱石と友達になる。日清戦争の従軍記者として中国に渡り、帰国し、30歳で結核性カリエスで寝たきりとなり、1902年35歳で没す。

 子規が俳句を学んだ時は、江戸時代から明治時代に変わり、西洋の文化、文明を学ぶことが主力で、江戸時代の古めかしい俳諧は、忘れ去られようとしていた。

 この俳句を私たちの前に甦らせたのは、子規の功績である。年代をたどると、芭蕉は、蕪村も、一茶も、無論、子規を知る由もない。

 蕪村と一茶は、年代的には重なり合うが、蕪村が没したとき、一茶は20歳になっていたが、その時、一茶は俳句と出会ていたかとうかは不明であり、京都と江戸では、出会うことはなかつた。

 蕪村は、一茶を知ることはなかった、ましてや子規など知る由もない。この4人の俳句を並べて読んでいると、お互いに知り合いだったような錯覚に陥ます。


 本書は、大きく新年(The new year)と春(Spring)の二つから構成され、Spring は、さらに、The Season (季節)、Sky and Elements (空と(構成)要素)、Fields and Mountains (野山)、Gods and Buddhas (神と仏)、Human Affairs (行事)、Birds and Beasts (鳥と昆虫)、Trees and Flowers (樹木と花)によって、構成されてます。

 

  それでは、新年の句から、読んでいきましょう。

『 ◎  日の光 今朝や鰯の かしらより    蕪村

   ( Hi no hikari   kesa ya iwashi no   kashira yori )

  A day of light   Begins to shine   From on the heads of the pilchards.          Buson


  ◎  元日や 思えば淋し 秋の暮    芭蕉

   ( Ganjitsu ya   omoeba sabishi   aki no kure )

  The First Day of the Year:   I remember    A lonely autumn evening.            Basho


  ◎  目出度さも 中位なり おらが春    一茶

   ( Medetasamo   chugurai nari   ora ga haru )

   A time of congratulation,—   But my spring   Is about average     Issa


  ◎  元日や 上々吉の 浅黄空       一茶

   ( Ganjitsu ya   jojokichi no   asagi-zora )

   New Year's Day:   What luck!  What luck!   A pale blue sky!     Issa


  ◎  正月の 子供になって 見たきかな     一茶

   ( Shougatsu no   kodomo ni natte   mitaki kana )

   Ah!  to be   A child,—   On New Year's Day!     Issa


  ◎  梅提げて 新年の御慶 申しけり    子規

   ( Ume sagete   shinnen no gyokei   moushikeri )

   In my hand a branch of plum-blossoms,   I spoke the greetings   Of the New Year.    Shiki


  ◎  初芝居 見て来て晴着 未だ脱がず    子規

   ( Hatsu shibai   mite kite haregi   mada nugazu )

   The first theatre of the year;   Coming back, and not yet taking off   Her gala dress.    Shiki


  ◎  初空を 今こしらへる 煙かな    一茶

   ( Hatsuzora wo   ima koshiraeru   kemuri kana )

   The smoke   Is now making   The first sky of the year.    Issa 』


 次に春の中の The Season (時候) より、紹介いたします。

 『 ◎  門々の 下駄の泥より 春立ちぬ     一茶

   ( Kado-gado no   geta no doro yori   haru tachinu )

   At every gate,   Spring has begun   From the mud on the clogs.    Issa

 

  ◎  大佛の うつらうつらと 春日かな     子規

   ( Daibutu no   utsura-utura to   haruhi kana )

   The Great Buddha,   Dozing, dozing   All the spring day.    Shiki  

 

  ◎  あっさりと 春は来にけり 浅黄空     一茶

   ( Assari to   haru wa ki ni keri   asagi-zora )

   Spring has come   In all simplilicity:   A light yellow sky.     Issa


  ◎  あたゝかに 白壁並ぶ 入江哉     子規

   ( Atataka ni   shirakabe narabu   irie kana )

   In the warmth,   The white house-walls   Ranged along the creek.     Shiki


  ◎  のどかさや 浅間のけむり 晝の月     一茶

   ( Nodokasa ya   asama no kemuri   hiru no tsuki )

   Peacefulness:   The smoke from Mount Asama;   The midday moon.    Issas


  ◎  遅き日の つもりて遠き 昔かな     蕪村

   ( Osoki hi no   tsumorite toki   mukashi kana )

   Slow days passing, accumulating,—   How distant they are,   The thing of the past!    Buson


  ◎  等閑に 香たく春の 夕かな     蕪村

   ( Naozari ni   ko taku haru   yube kana )

   Indifferent and languid,   I burned some incense:   An evening of spring.    Buson


  ◎  春の夜や 妻なき男 何を読む    子規

   ( Haru no yo ya    tsuma naki otoko   nani wo yomu )

   A spring evening;   What is the bachelor   Reading?    Shiki


  ◎  草臥れて 寝し間に春は 暮れにけり    几董

   ( Kutabirete   neshi ma ni haru wa   kure ni keri )

   While I shumbered,   O'er-wearied,   Spring drew to its close.    Kito


  ◎  ゆく春や おもたき琵琶の 抱きごゝろ        蕪村

   ( Yuku haru ya   omotaki biwa no   dakigokoro )

   As spring departs,   How heavy   This biwa feels!     Buson 


  ◎  ゆく春や 逡巡として 遅桜     蕪村

   ( Yuku haru ya   shunjun to shite   osozakura )

   Departing spring   Hesitates   In the late cherry-blossoms     Buson   』


  今度は、春の中の Sky and Elements (天文) より、紹介いたします。

 『 ◎  是きりと 見えてどつさり 春の雪    一茶

    ( Krekiri to   miete dossari   haru no yuki )

    As though this were the lot,   A geat deal fell,—   Spring snow.    Issa


  ◎  梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈     蕪村

   ( Ume ga ka no   tachinoborite ya   tsuki no kasa )

   The halo of the moon,—   Is it not the scent of plum-blossoms   Rising up to heaven?     Buson


  ◎  草霞み 水に聲なき 日暮かな     蕪村

   ( Kusa kasumi   mizu ni koe nake   higure kana )

   The grasses are misty,   The waters now silent;   It is evening.    Buson


  ◎  春風や 牛に惹かれて 善光寺     一茶

   ( Harukaze ya   ushi ni hikarete   Zenkoji )

   A spring breeze!   Led by  cow   To zenkoji.     Issa


  ◎  春風や 堤長うして 家遠し    蕪村

   ( Harukaze ya   tsutsumi nagoshite   ie toshi )

   The spring wind is blowing:   The embankment is long,   Houses far away.     Buson


  ◎  春雨に 濡れつゝ屋根の 手鞠かな     蕪村

   ( Harusame ni   nuretsutsu yane no   temari kana )

   A hand-ball,   Wet with the spring rain falling   On the roof.     Buson


  ◎  小芝居の 幟ねれけり 春の雨     子規

   ( Koshibai no   nobori nurekeri   haru no ame )

   A travelling show;   The banner is wet   In the spring rain.     Shiki


  ◎  春雨や 暮れなんとして けふもあり     蕪村

   ( Harusame ya   kurenan to shite   kyo mo ari )

   Spring rain;   It begins to grow dark;   Today also is over.     Buson 

 

  ◎  春雨や ものがたり行く 蓑と傘     蕪村

   ( Harusame ya   monogatari yuku   mino to kasa )

   Spring rain:   An umbrella and straw-coat   Go chatting together.     Buson  』


 今回、英訳の句と日本語の句を比較してみますと、以下の三つの点で異なっていることを感じました。

 ① 英語には、"The" や ”A” の冠詞があることです。日本語にはないのですが、ある意味で英語のすぐれた面です。

 ② 英語には、パンクチュエーション(punctuation ,句読点)を、配置して ”や” を ” : ”で詠嘆したり、” ; ”を使って段落を表しています。

 ③ 英語にない言葉を、例えば、蓑を straw-coat という風に、二つの単語を” - ”で組合せて、作っています。

 英語ができる日本人も増えてきたましたが、日本文化を理解していて、日本の文化を世界に発信できる人は、まだ少数のように感じます。 (第121回)


ブックハンター「投資バカの思考法」

2016-12-28 19:45:58 | 独学

 121. 投資バカの思考法  (藤野英人著 2015年9月)

 『 ある社長の部屋に、松下幸之助さんからいただいたという「色紙」が飾られていました。色紙に書かれてあったのは、「素直」の2文字です。松下幸之助は、「素直」を次のように解釈しています。

 「何物にもとらわれず、物事の真実、何が正しいかを見極めてこれに従う心の姿勢である。素直になる努力を重ねよう。素直を深くきわめるならば人間は強く正しく聡明になり、限りなく成長することができる」(松下幸之助 成功の日めくり)

投資家として、フラットにマーケットと会社を見極めるためには、「素直」に物事を見るべきです。「主観から逃れることはできない」という宿命の中で、主観から離れる努力をしなければなりません。

 正しい情報を見抜くためには、「素直な心」を身に付ける。では、どうすれば素直になれるか。「素直」にマーケットを見るために、私は、次の3つの習慣を心がけています。

 ① 他人の目になりきる。

 「自分ではどう思うか」ではなく、「相手がどう思うか」をイメージできれば、主観とは別の視点で物事が観察できます。

 ② 関心事を増やす。

 関心事が増えれば、それに比例して、インプットする情報量が増えます。

 ③ 物事を複合的かつ立体的に見る。

 マーケットにおける経験、人生における経験、会社における経験を積むほど、断片の情報から全体を埋めていくことができます。 』

 

 『 投資に関して、決断力は不可欠な力と言えるでしょう。「決断」という漢字には、「断つ」という意味が含まれています。「決めて、断つ」のが決断です。

 何かを「決める」ためには、選ぶものと選ばないものに分けて、後者を捨てなければなりません。決断とは、「しないことを決めること」だと、私は考えています。

 日本株は約3500社ありますが、この中からどの会社の株をどの比率で持つかを決めるわけですが、残りは捨てることになります。


 以前、日本銀行総裁を務めていた福井俊彦さんが、東京証券取引所での基調講演で、「リスクを最小化せれるのは、好奇心の多さである」とおっしゃいました。

 好奇心が旺盛な人は、いろいろな対象にトライするので、結果としてリスクが低くなります。好奇心を分散するほど、リスクが減ります。アジア株、日本株、アジアの債券、ブラジル、アメリカ株などに投資するとき、知識のないまま投資すると、リスクが高くなりなす。

 けれど、「ブラジル株はどうなっているのだろう」 「株はどういうしくみで動いているのだろう」 「アメリカにはどういう会社があるのだろう」と好奇心を分散させれば、たくさんの情報を集めることができます。

 そして、好奇心を持つほど、チャンスも増えるし、リスクヘッジにもなる。「見たい、聞きたい、知りたい」という気持ちがあれば、知識と経験の量が増えるので、さまざまな投資先を「素直」に検討できるようになるでしょう。 』


 『 損を覚悟で値下がりした株を売ることを「損切り」といいます。投資の世界では、株価は上がることがあれば、下がることもあります。もちろん、買った価格以上で売れることばかりではありません。

 個人投資家からは、「損切りは難しい」という声を聞くことがありますが、投資家は、損切りにもしっかりとした哲学を持たないかぎり、勝ち続けることはできません。

 損切りでもっとも大切なことは、「簿価(取得価格)を忘れる」ことです。失敗する人の多くは、投資した金額や、かけた時間、費やした労力をなかなか捨て去ることができません。

 投資の世界では、回収できない費用のことを「サンクコスト(sunk cost)」といいます。「一生懸命に頑張ったから何とか取り戻したい、回収したい」という気持ちのことです。

 投資で大切なのは、簿価を忘れて、「時価」=「今の市場価格」で考えることです。私は、株をいくらで買ったかに、ほとんど関心がありません。簿価に関係なく、「このままもっているのは良くない」と思えば、躊躇なく売ります。

 なぜそんなことができるかというと、投資で大事なのは、「”今”の価格をどう評価するか」であって、「いくらで買ったか」は関係ないからです。

 どの株価で株を買ったかというのはその人固有の事情であって、経済情勢や会社の成長性などとはまったく関係ない話です。だからこそ、今売ると損か得かということよりも、将来成長しそうなのかしないのかを考えることが大事であると考えています。 』


 『 「結婚すれば、相手が自分を幸せにしてくれる」 「私には、自分を幸せにしてくれるパートナーがいない」と考えている人は、結婚相手が見つかりにくいそうです。理由は、「幸せは、相手から与えられるもの」と考えているから。

 「自分が幸せにしてあげたい人」ではなく、「自分を幸せにしてくれる人」を見つけたいと思っているうちは、なかなか相手に恵まれません。そこには、「幸せを求めているうちは、幸せになれない」というパラドックスがあります。

 逆に「相手を幸せにしてあげたい」という気持ちが、結果的に自分をハッピーにします。株式投資も恋愛に似ています。投資先を選ぶときは、「自分が儲けたい」という気持ちが先立つと、不思議と儲からないものです。

 儲けることも大切ですが、それ以上に、「この会社は世の中に役立つ」 「この会社が生み出す価値は、社会に貢献している」と、確信が持てる会社に投資すべきだと私は考えています。

 情けは人のためならず、です。自分の「時価」を上げるためにも、「相手本位で考える」ことからはじめてみてはいかがでしょうか。 』


 『 時は金なり。時間は、もっとも大切な資源です。私は、「お金よりも、時間のほうが絶対に大切である」と信じています。人生は有限です。人ひとりの一生は、長くても100年で終ります。たとえ1兆円のお金を持っていても、200年に延ばすことはできません。

 私の行動原理の中でも上位にあるのは、「時間を味方につける」ことです。投資をするときも、消費をするときも心がけているのは「時間が経つほど価値があがるもの」に時間を使うことです。仕事も、人生も、長く積み上げることがとても大事だと考えています。

 「レオス・キャピタルワークス」という会社も、「ひふみ投信」という投資信託も、時間の経過とともにお客様が増え、信頼が獲得できる方法論を探しています。

 投資では、「時間を敵にしない」ことが重要です。相場は上下動しますし、個別の会社は、相場の影響を必ず受けます。

 しかし、長期的には株価は収益に収斂(しゅうれん)していくので、着々と利益を積み上げていく会社へ投資すれば、大きなリターンが期待できるはずです。

 あなたが投資信託で資産形成できていないとしたら、保有期間が短いことも要因のひとつです。投資信託の平均保有期間は、「3年間」と言われています。

 ですが、相場循環は5~6年程度の動きをしているため、3年で手放してしまうと、「相場のピークの手前で買い、ボトムで売る」ことになります。「高く買って安く売る」ことを繰り返しているうちは、資産形成はできません。

 相場循環を考えると、最低でも「5年間」は保有したうえで、「上昇したか、下降したか」を判断したほうがいいでしょう。長期投資が有効なのは、収益の上がる会社に投資すれば、時間が味方してくれるからです。

 投資で収益を上げるには、時間を味方につけて、「5年間は、ゆっくりじっくり投資する」ことが大事です。 』


 『 地方で上場企業を経営する社長が、「今までIR(投資家に向けて業績に関する情報を発信する活動)をしたことがないので、投資家にアピールしたい」と考えたとします。すると、社長はまず、証券会社に「東京に出張するときに、機関投資家に会いたい」と連絡します。

 連絡をうけた証券会社の担当者は、機関投資家に対して「今度、〇〇という会社の社長が東京に出てくるので会ってみませんか?」と情報を流すわけですが、多くの機関投資家は興味を示しません。

 ムダ撃ちに終わることもたしかに多いので、「会わない」という機関投資家は、とても合理的です。ですが私たち(ひふみ投信)は違います。「どんな会社でも、連絡をいただいたらお会いする」 「どんな会社でも、丁寧に、大切に扱う」

 なぜなら、十中八九はムダに終わっても、「ひとつくらいは、伸びる会社があるかもしれない」からです。また、投資につながらないからといって、社長と会う時間がムダとは思いません。

 なぜなら、その会社の業績のことや、地域のことなど、有益な情報がたくさん拾えるからです。その会社には投資できなかったとしても、業界の情報を得ることによって投資アイデアが生まれたり、新たな投資相手が見つかる可能性もあります。

 どんな会社の社長も、私たちにとっては、「先生」のような存在です。ですから、決して上から目線にならず、「先生」として遇して、「学ばせていただく」 「気持ちよく帰っていただく」という心持で接しています。

 私たちが丁寧におもてなしをすると、社長はどうするとおもいますか?社長は証券会社に電話をかけ、こんな話をするでしょう。「いや~、はじめて東京の機関投資家たちに会ったけど、レオス(ひふみ投信の運用会社)さん以外、みんな偉そうなことを言うんだよね。

 地方の会社を下に見ているところがあってさ。でも、藤野さんにはすごく丁寧にしてもらって、本当によかった」では、この話をきいた証券会社の担当者は、どう思うでしょうか?

 「そうか。レオスの藤野さんなら必ず会ってくれるから、すぐアポとれる。しかも丁寧に接してくれるから、社長も喜ぶ。「機関投資家に会いたい」という社長がいたら、これからはレオスに連絡を取ろう。そうすれば、オレ自身の評価も上がるぞ!」

 ということは、日本の証券会社(の支店)は、「レオスのエージェント」になったようなものです。なぜなら、「いい会社、いい情報があったらレオスに連絡をしよう」と思ってくれるからです。 』


 『 私はある会社に投資して、5年間で60倍以上にまで増やしたことがあります。ある会社とは、アイウェア(メガネ)の「JINS](株式会社ジェイアイエヌ)です。

 かつて、JINSの経営が行き詰まっていたとき、田中仁社長は、ユニクロの柳井正社長に相談にいったことがあります。田中社長が「どうしたら会社がうまくいくでしょうか?」と質問すると、柳井社長はこう言ったそうです。

 「このままだと倒産しますね」 そうして今度は逆に、柳井社長が田中社長に質問してきました。「あなたは、メガネを通じて何がしたいのですか?」 「あなたは、何のためにメガネの会社をやっているのですか?」

 「あなたにとって、お客様とは何ですか?」 明確な返事ができなかった田中社長は、ショックで2日間寝込んだそうです。

 その後、田中社長は社員と合宿して、社員と向き合い、「これからどうなりたいのか」を考え、「世界中のすべての人に、アイウェアで豊かな未来を見せる」という答えにたどり着きました。

 「世界の多くの人がJINSのメガネを好きになってくれれば、商品を作った日本人のことも好きになってくれる。世界にメガネを出すわけだから日本一になるのは当然だし、そうなればおのずと会社も大きくなる。社員もハッピーになるし、やりがいのある会社ができる」そう考えたのです。

 ミッションが決まってから、JINSの躍進がはじまりました。JINSが変わったのは、売上や利益や株価を上げること以上に、「メガネを世界の人に届けて、喜んでもらおう」というメッセージを持つことができたからです。

 私が田中社長にお会いしたには、JINSが変わりはじめた頃でした。柳井社長との一件を知った私は、「この会社に投資しよう」と決めました。「世界中のすべての人にメガネを届ける」という田中社長のミッションに共感したからです。

 私たちは、JINSの株価が上がっても、途中で売り切ってしまうことはありませんでした。60倍になるまで、株を持ち続けました。なぜなら、私は、田中社長が率いる会社の「価値」の変動に投資したのであって、「株価」の変動に投資したわけではないからです。 』


 『 投資を英語で表記すると、「invest」(インベスト)です。つまり、「ベスト(衣類)を着用する」ことであって、「身に付ける」という概念です。一方、日本語はどうかというと、「投資」とは「資本を投げる」。

 身に付けるとは反対の概念ですね。この話は草食投資隊の澁澤健さんから聞きました。 「invest」…身に付けるイメージ。 「投資」…手放すイメージ。 

 「お金を貯めている人」の心の中を覗いてみると、「お金が増えている状態が幸せ」 「手元から現金がなくなるのが怖い」という気持ちが見てとれます。

 本物の「お金持ち」とは、「お金(現金)を持っていない人」のことを言います。「お金持ち」とは、「株持ち」のことです。「お金持ち」とは、「資産家」のことです。

 本物のお金持ちになりたかったら、現金を貯めずに、成長する会社や不動産に投資するしかありません。お金持ちになりたいと思っているかぎり、お金持ちにはなれません。現金をつかんで離さない人は、お金持ちにはなれないのです。 』


 『 個人投資家にとって、無理のない投資のコンセプトは「小さく、ゆっくり、長く」です。初心者の投資の大切な5つのポイントは

 ① すぐにはじめる。

 ② 「手に汗をかかない額」を投資する(小さく)

 ③ 情報をしっかり集める

 ④ 一気に投じない(ゆっくり)

 ⑤ 最低3年間は実践する(長く)


 私の父親は、典型的なネガティブ・シンカーです。「人生は悪い方向に向かっていく」というのが、父の人生観です。常に「最悪の状態」を想定しています。

 試験は、落ちるもの。株は、損するもの。友達は、裏切るもの。病気は、罹るもの。人生に対する期待値がとても低いのですが、だからこそ父は、いつも期待値を上回っています。

 たとえば、「人事異動では、左遷されるもの」だと思っていますから、たとえ昇進しなくても、「現状維持」であれば大喜びできるわけです。


 古代ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスは、「この世にあるあらゆるものは、絶えまなく変化してやまない」という万物流転説を説いた人物です。万物流転説は、投資をするうえでも、自分の成長をうながすうえでも、とても重要な考えです。

 世に中は変化します。 変化するから、対応します。 変化するから、チャンスがあります。 変化するから、失敗しても次の挑戦があります。世の中が変化する以上、ファンドマネジャーは現状に留まることなく、常に緊張感をもって動き続ける必要があるのです。 』 (第120回)

 

 

 

 


ブックハンター「チャンスと選択肢と投資について」

2016-12-24 11:03:43 | 独学

 120. チャンスと選択肢と投資について  (五十嵐玲二談 2016年12月)

 チャンスと選択肢と投資の三つに共通していることは、現在の行為が、未来に於いて何らかの結果を生じることです。ここで、まずこれらの言葉を本稿での意味を定義しておきます。

 ◎ チャンス(Chance)は、運、機会、好機などで、本来の意味と同じです。この運、機会、好機の中には、常に変化していて、それを逃したら、チャンスは、消えてなくなる危険性を孕んでいることです。

 ◎ 投資(Investment)は、一般には、経済用語で、企業が資本を投下して、事業を行うことを指します。ここでは、個人が時間と労力を傾けるすべての行為を投資と考えます。

 例えば、朝の5分間の体操を、自分で考え、実行し、一か月後、半年後、1年後とその成果を観察することも、一つの投資と捉えます。もちろん、50万円で、上場企業の株を買うことも、定期貯金をすることも、投資です。

 貯金も立派な投資です。預金の利息はもちろん変動しますし、円が外国の通貨や、金(ゴールド)についても変動します。一つの例として英国の通貨ポンドとのレートについて、見てみましょう。

 大英帝国時代のポンドは固定相場で、1ポンド=1008円の固定相場時代が、1967年の11月まで続きます。(今の物価に換算すると1ポンド=4,5千円です。) 1967年11月にウイルソンにより、1ポンド=864円に切り下がります。

 1971年8月にアメリカのニクソンショックにより、変動相場制に移行します。1980年には、1ポンド=500円前後に。1990年には、1ポンド225円前後、2000年には、1ポンド=170円前後、2010年には、1ポンド=130円前後となります。

 現在、2016年12月現在は、1ポンド=145円前後です。ここで私が言いたいことは、未来という時間軸に対して、すべては変化していることを、知ってもらいたかったのです。さらには、政治形態やモラルさえも、大きく変化します。


 ◎ 選択肢(Choose又はSelect)という言葉は、最も誤解されている言葉です。その元は、学校教育に於ける、選択問題であると、私は考えます。選択問題の答えはすでに存在し、この選択肢は、変化しません。

 しかしながら、現実の問題に於いては、答えは用意されてません、さらにどこに正解あったのかは、神のみぞ知ることです。現実の選択肢は、自分で用意しますが、その選択肢の結果は、選択するタイミングによっても、結果は異なるものです。

 選択肢には、タグが付いているわけでもなく、自分がいくつかの道のひとつを、選んだ結果、存在するものです。その選択肢の範囲は、昼食に何を食べるか、から結婚相手の選択から、これからどう生きるべきかという選択まで、広く漠然としたものです。


 チャンスには、以下の特徴があります。

 ① チャンスは、そのチャンスが自分の側に来た時は、気がつかず、そのチャンスが消え去った時、人は始めて気づくものです。

 ② チャンスは、来る時は、不思議に重なるものです。なぜか運気があがっている時に、チャンスが重なるからなのかもしれません。

 ③ チャンスは、棚ぼた式に来るものではなく、むしろ本人の努力によって引き込むものです。

 ④ チャンスは、掴み取るものではなく、むしろ、チャンスは育むものです。

 ⑤ ちょっと気づかない小さなチャンスを見逃すことなく、そのチャンスを自分のものにすることは、大切なことです。

 ⑥ チャンスのように見えても、実は落し穴という場合もあります。チャンスをものにするには慎重さと大胆さが必要です。


 選択は、切羽詰まって、一か八かの選択は、必ず破れます。選択はゆとりをもって、選択の巾を持って、選択肢を自分で考えて、用意すべきです。

 すなわち、選択の自由度が高まるように、選択肢を準備すべきです。世の中の動向、自分の現状も常に変化し、未来の状況に対応した、選択をすることが、重要です。

 選択の巾を狭めることは、得策ではありません。戦場に於いては退路を断つことも必要かもしれませんが、日常に於いては、選択の自由度を高めるべきです。

 自分の労力を集中させるために、針路を決めることは必要ですが、それでも選択の自由度は確保すべきです。それでは選択の自由度を上げるためには、どうすべきでしょうか。

 ① 知的自由度を高める。

  様々な角度から、工夫して選択肢をたくさん用意することです。そのために知識や知恵を動員して、紙の上に書きまくるのも、一つの方法です。

 ② 経済的自由度を高める。

  経済的に安定性を高め、さらには経済的拘束をゆるくする。まず種銭を作って、わずかでも利益が得られる仕掛けを工夫する(このとき出費を抑える)。個人でも企業でも、損益分岐点を意識することは、大切です。

 ③ 時間的自由度を高める。

  あせって、物事を行っても、良い結果は得られません。時間的に余裕があるうちに、決定することです。仕掛けや投資を工夫して、時間を自分の味方につけることです。

 ④ 身体的健康度を高める。

  柔軟な体と前向きな心を持って、積極的選択肢を用意し、楽しくくらすことを心がける。

 ⑤ 人間的自由度を高める。

  様々な分野のすぐれた人たちと自由に会話する選択肢を工夫する。本を読んですぐれた人の足跡や思想を学ぶ。

 ⑥ 空間的自由度を高める。

  自分を生かす様々な場面に、選択肢を想定し、空間をより自由に自分の味方に引き込む。

 ⑦ 思考の自由度を高める。

  自然科学、科学技術、芸術、宗教、政治経済、歴史、……すべての分野について、自由に選択肢を工夫して、それぞれのすぐれた思考方法を自分の知恵として活用する。


 仕掛け(仕組み、ビジネスモデル)を組み立てて、そこに用意された選択肢の中から、どれかを選択(決断)して、投資します。このときから、マイルドストーンに従って、その効果を測定します。

 その効果が測定可能なものは良いのですが、測定不能なものは、自分の満足度で判定します。仕掛けは事前にシュミレーションを行いますが、現実に投資してみると、予想通りにはいかないものです。

 この仕掛けや仕組みやビジネスモデルは、自分で何度も経験して、改良して精度を高めるしかありません。そのためには、いきなり大きなリスク(損失)が、予想される投資は避けるべきです。

 そのためには、丁寧に、小さな仕掛けや小さな投資を積み重ねて、精度を高めて、リスクを最小限にする努力はすべきです。負けない(リスクのない)投資は、理想ですが、現実には、予想外のリスクは発生するものです。

 そして、その投資が、想定したマイルドストーンと比較して、続行するか、断念するかの決断をしなくてはなりません。投資に於いては、利益が得られるか、リスクが発生するかは、解かりません。

 しかし、その仕掛けや仕組みやビジネスモデルの中に、自分での意義や自分の興味を発見できれば、成功する確率が高まると考えられます。


 最後に、人の人生のどの地点にいるかで、仕掛けや選択肢や投資についての考え方も異なってきます。私が勝手に人の一生を七つの期に分類します。

 ① 0歳~14歳  幼年・少年期。

  近年は長寿であるため、15年を一区切りとし、幼児期を含めて少年期とします。

 ② 15歳~29歳  青年期。

  青年時代は、時代の流れで、青年期は、一昔前に比べて長くなったと感じます。

 ③ 30歳~44歳  成年期。

  選挙権や成人式は、20歳までに完了してますが、この期間が成年期だと考えます。

 ④ 45歳~59歳  壮年期。

  論語では、40にして、惑わずと言ってますが、広辞苑で壮年とは、血気盛んで、働き盛りとあります。

 ⑤ 60歳~74歳  熟年期。

  広辞苑では、人生の経験を積み、円熟したとあります。私は70歳なので、熟年です。

 ⑥ 75歳~89歳  老年期。

  後期高齢者で、初めて老年期です。年輪を重ねて、ますます充実した実績を上げている人がたくさんいます。

 ⑦ 90歳~104歳  終末期。

  日本人の平均寿命は、83.7歳だそうです。すでに70歳まで、生きた人は90歳を超えて生きなければなりません。自分で食事をし、自分の足で歩き、自分の頭で考え、充実した人生を送りたいものです。 (第119回)


ブックハンター「ヨシダソース創業者ビジネス7つの法則」

2016-12-16 09:34:00 | 独学

 119. ヨシダソース創業者ビジネス7つの法則  (吉田潤喜著 2011年11月)

 『 「 I  love  myself 」 こんなことを言ったら、日本では気が狂ったと思われるだろうか。 「自分のことを愛している、大好きだ!」 上等やないか。僕は自分自身を、自分自身の生き方をとても愛している。

 子どものときは、片目だのチョーセンジンだのと言われいじけてばかりで、こんなことは思いもしなかったが、アメリカに来て、空手を人に教えるようになり、さらにはビジネスをはじめるようになって確信した。

 自分を愛してない人間が、どうしてエネルギーを持てるだろうか。はっきり言ってしまえば、これは言ったもの勝ちだ。思えないから言えないのではなく、言ったら思えるようになる。

 試しに鏡の前に立って「自分の生き方が本当に好きだ」と毎日100回言い聞かせてみるといい。だんだん顔つきが変わり、性格も変わって、人生がいい方向に進んでいくのがわかるだろう。

  心の中でむにゃむにゃと寝言のように不平ばかり言っていると、生き方そのものもはっきりしないものになってしまう。僕が 「 I  love  myself 」 と言えるようになって、大きく変わったことがある。自分のペースに周りの人を巻きこめるようになったことだ。 』

 

 『 日本にいる頃はケンカに明け暮れて、恋愛なんて見向きもしなかった。なんて言うとかっこいいけど、真相は、恋愛に対して奥手だっただけ。「ワシみたいなやつがモテるはずがない」と思い込んでいた。

 そんな僕がアメリカに来て、突然女にモテはじめた。なぜか? 空手がブームになっていたことだけが理由ではない。こちらの気持ちを伝えれば、相手は受け入れてくれることに気がついたからだ。

 それからというもの、気になる女の子を見つけたら「好きや! 結婚してくれ!」と手当たり次第に猛烈アタック。その中で出会ったのが、リンダ(妻)だった。

 恋愛だけでなくビジネスでも、好きな気持ちや感動を伝えることを疎かにしてはいけない。口に出さなくても伝わるだろうなんて言う考え方は傲慢だ。僕は部下を褒めるときは、徹底して褒める。それこそ、キスするのかっちゅうくらいの勢いで褒める。

 面白いアイデアを前にしたときは素直に興奮し、プロジェクトがうまくいったときは素直に喜ぶ。ごく当たり前の感情表現ではあるけれど、その素直さをビジネスの現場ではなぜか抑えてしまう人が多い。

 ビジネスをはじめて以来、「社長」と呼ばれる人に大勢会ってきたが、サラリーマン社長とオーナー社長では、感情表現のしかたが違うように思う。

 自ら会社を立ち上げたオーナー社長は、ある意味子どもぽい部分もあるし、出る杭そのものだし、感情というエネルギーを素直に表現する人が圧倒的に多い気がする。

 そういう人は意外と、学校では手のつけられない問題児だったりするのだが。少なくとも、僕はそうだった。いくつになっても物事に感動でき、それを素直に表現できる大人でいたい。そういう大人こそ、魅力という大きなエネルギーがあるからだ。 』


 『 僕はソースのビジネス以外にも、事業の多角化を積極的に行ってきたが、初期に手がけたビジネスのひとつに、「オレゴン航空貨物」(OIA)がある。OIAの社長には、僕の空手道場の生徒でもあるスティーブ・エーカリーを選んだ。

 彼はもともと地元の空港貨物会社に勤務していて、僕が日本へミル貝を輸出するとき、仕事を頼んだ仲間だった。そこで「独立してOIAの社長をやってみないか?」と、誘ったのだ。

 この会社がのちに、NIKEとの契約を巡って、大成長を遂げることになる。NIKEの本社は、僕が最初に空手道場を構えたオレゴン州のビーバートンという街にある。

 世界のNIKEも80年代はまだ小さい会社にすぎず、現在は大幹部になっている面々が空手を習いに僕の道場に通っていた。その中のひとりが、ある日、困り果てて僕のところへやってきた。

 「先生、ある荷物を3箱ほど韓国の釜山に送らなければいけないんだけど、日系の輸送会社に依頼したらことごとく断られちゃったんですよ」それは1箱10キロほどの、何の変哲もない荷物だった。

 「なんで断られたんや?」 「3日以内に届けることをギャランティ(保証)してほしいと言ったら、1週間や10日ならできるけど、3日以内なんて責任もてませんって……」

 今から20数年前の話だ。ビーバートンから釜山まで荷物を運ぶには、まずロサンゼルスまでトラックで運び、そこからソウル行の飛行機に載せ、ソウルに着いたら、再びトラックで釜山へ運ぶのが最短ルート。たしかに3日はかなり短い。

 しかもこの間に、荷物が紛失してしまうなんてことも、当時は珍しくなかった。日系の輸送会社の駐在員たちは、自らの首を危うくしかねないこんなリスキーな仕事には、関わらないほうが得策だと判断したようだった。

 ちなみに箱の中身は、ただの風船みたいな空気のクッションなので、危険性はないとのこと、それ以上の情報はもらえなかった。なんてことはない。今まで扱ってきた生鮮食品と同じに考えればいいのだ。

 早速、スティーブに話を持っていくと、これがもう大反対。できない理由を延々と並べまくり、勢いづいて空手の師匠(僕)に向かって、「こんな仕事を請け負うなんて無責任だ」とまで言い放つ始末。

 「あのなあ、ワシが聞きたいのはひとつだけや。箱を送れる方法を一つでいいから教えてくれ」 「不可能です。そんな方法ありません」 予想通りの反応。こちらの答えはもう出ていた。

 「ほなおまえ、今からコリアン航空のチケットを買うてこいや」 スティーブは、きょとんとした顔をしている。「箱3つ、お前が釜山まで持って行くんや!」 「そんなやり方プロじゃない!」

 「アホか、プロかアマかなんて関係あらへん。3日以内に箱を持って行くことがすべてなんや! そのかわり、釜山のNIKEの事務所に着いたらな、お前が手持ちで持ってきたことがばれないように、3つ箱を置いたらすぐに逃げてこい。誰にも見つかったらあかんで」

 時間はすでに限られている。チケットを買うとスティーブは翌日、ブツブツ言いながら3つの箱とともに旅立った。さらにその翌日、NIKEの本社から連絡が入った。「先生、箱が無事に届いたようです! だけど一体、どうやって送ったんですか?」

 まさかOIAの社長が、直々持って行ったなんて言えるわけがない。 「企業秘密や。そんなん教えてしもたら、大変やがな!」 実を言うと、この荷物がNIKE大躍進のきっかけとなったシューズのクッション、「エアソール」だった。

 NIKEのシューズは秘密兵器であったエアソールのみビーバートンの工場で製造して、それ以外の部分は韓国で製造していたのだ。この一件を機に、OIAはNIKEのエアーソル輸送を独占することになった。 』


 『 チャンスを逃す人というのは、言い換えればチャンスをチャンスと気づけない人である。宝石の原石をただの石ころと思って捨ててしまうか、磨けば光る石だと気づけるか。分かれ道はそこにある。

 ソースのビジネスも、偶然が偶然を呼んで巡ってきたチャンスだった。遅ればせながらではあるが、僕がソース会社を興した経緯をお話ししよう。

 ある日オレゴン州のビーバートンで空手道場を開いていた仲間が急死して、弟子たちに請われる形で僕はシアトルからビーバートンに移り、その道場を引き継ぐことになった。

 ビーバートンではやがて大学や警察学校でも指導するようになり、弟子たちが手取り足取り動いてくれたおかげで、元市庁舎という好物件を買って、新しい道場を持つことができた。道場経営はかなり順調だった。

 しかし3人目の子どもが生れようとしていた矢先に不況が起こり、道場の生徒数はみるみる減少、ピーク時の3分の1になってしまった。そんな不況の最中、忘れもしない1981年のクリスマスのこと。

 例年のように、生徒たちからたくさんのクリスマスプレゼントをもらった僕は、恥ずかしいことにお返しをする余裕さえなかった。困り果てて頭を抱えていたときに、ふと思いついたのが、母の作るバーベキューソースだった。

 日本を離れる前、母は焼肉屋をやっていた。そこで手作りしていたソース、つまりは焼肉のタレの味を懐かしさとともに思い出したのだ。

 バーベキューソースは多々あれど、醤油ベースはアメリカでは珍しかった。しかもあの甘辛い味つけは、アメリカ人にもきっとウケるにちがいない! 早速、母に電話をしてレシピを聞き出し、準備に取りかかった。

 8時間じっくり煮込んだソースを牛乳ビンくらいの小ビンに詰め、リンダがリボンをつけてくれた。生徒たちに配ったところ、これがなんと大好評。「先生、この前のソース、また作ってくれませんか?」

 「アホか! クリスマスのプレゼントなんやから来年まで待てい!」 「じゃあ、お金を払うからまた作ってくれませんか?」 ——冗談かと思ったが、生徒はどうやら本気のようだ。乗せられるままに何度か作ると、さらにリピートする生徒まで出てきた。

 これは、商売になるんとちゃうか⁈ 道場の下の階に樽を置き、本格的にソース作りをはじめることになった。あのとき生徒の他愛ない申し出を聞き流していたら、「ヨシダソース」はクリスマスプレゼントに恒例のソースにとどまっていただろう。

 クリスマスの手作りソースという原石は、磨いてみたらとんでもない輝きを放つ宝石に変身したのだから。 』


 『 チャンスをつかむために本当に必要なのは、トークのうまさでも、見てくれのよさでもトリックでもない。自分をいかにして相手に売り込むかである。

 僕は自分を売ることでソースを売り、チャンスをつかんできたという事実に、あるときふと気がついた。ソースで商売をすると決めてすぐ、販売場所の確保という問題が立ちはだかった。

 せっかく作っても、店頭に置いてもらえなければ意味がない。そこで地元のグローサリー(食料雑貨店)を片っ端から回って、デモ(実演販売)をやらせてもらえないかと交渉をはじめた。

 アメリカではデモなんてまず見かけなかったが、子どものときに地元、京都の商店街で総菜の実演販売をよく見ていた僕は、あれなら自分にもできると真っ先に思いついたのだ。

 デモはとにかく目立ってなんぼ。そう思った僕は、テンガロンハットに着物、下駄という、けったいな戦闘服で出陣した。 「さあ、寄ってらしゃい、みてらっしゃい!」 グローサリーの一角で、料理をしながら大声を張り上げる。

 買い物客が何事かとこちらを見た。バーベキュープレートの上では、ソースに絡んだチキンが香ばしいにおいを立てている。

 「なんで僕がこんなアホな格好でソースを売っているかちゅうと、実は子供たちが腹を空かしてお父ちゃんの帰りを待っておりまして……。子どもの数は、驚いたらあきませんで。なんと12人!」

 口から出まかせだったが、主婦の間からクスクスと笑い声が漏れた。そしたらもう、こっちのもんや! 試食してくれたお客さんは、7割方買ってくれた。

 おかげでソースは飛ぶように売れ、最初はデモをすることも渋っていたグローサリーから逆に頼まれるようになり、自分で持ち込んでいたチキンも肉屋から提供してもらえることになった。

 あのとき僕は、買い物にきていた主婦の人たちに信頼してもらいたい一心だった。最初はみんな警戒して、遠巻きに眺めている。もちろんサンプルを味見する人なんか誰もいない。

 だけど必死な姿を見せて、こちらから心を開いてみたら、彼女たちのガードがふと緩んだ。その変化を目の当たりにして、「これや!」と思った。 自分をオープンにして、「あ、この人、面白いな」と思ってもらえたときに、初めて相手はチャンスをくれる。 』


 『 ヨシダソースの社屋は、ポートランド国際空港にほど近い場所にある。もともとこの辺りの土地はエアポートの所有物だったのだが、土地をリースしていたとある企業がその権利を手放すことになった。

 それを知った僕は、その土地を手に入れてクラスAオフィスを建設しようと目論んだ。アメリカのオフィス物件はクラス分けされていて、クラスAは最も基準の高い物件になる。

 それを貸しオフィスにしようと思ったのだ。僕の計画に、銀行や周りのスタッフは大反対した。クラスAオフィスを使うのは、資金の潤沢な大手企業と相場が決まっている。

 ポートランドでは、クラスAオフィスがダウンタウンに集中していたため、エアポート周辺の閑散としたエリアにオフィスを構えたがる企業なんてないだろう、と反対されたのだ。

 しかしサンフランシスコもシアトルも、クラスAオフィスがエアポート周辺にたくさんある。ポートランドだってきっとうまくいくはずだ。そう信じて僕は周りを説得し、自分の意見を押し通した。

 当時の副社長が僕の主張を後押ししてくれたおかげで、結果的にプロジェクトは実行された。そしてオフィスができて早々にTOYOTAが入居を決め、TSA(アメリカ運輸保安庁)も入ることになった。

 今ではポートランドにもエアポート周辺に、大きなクラスAオフィスが数カ所存在する。この例は、自分の心に忠実に動いた結果、チャンスを手にしたパターンだが、同時に失敗例も掃いて捨てるほどある。

 それでも自分の信念に対して正直に動いた結果だから、後悔していることはひとつもない。やりたかったのに諦めてしまったら、よっぽど後悔するはずだ。 』


 『 自分は会社からアクノレッジされていない、と不平を漏らす人がときどきいる。「acknowledge」とは、「認める、承認する」という意味だ。アクノレッジの問題について考えるとき、僕はジョン・F・ケネディの大統領就任演説の一部を思い出す。

 「国が何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えてみてください (Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country. )」

 初めてこの言葉を聞いたとき、激しく感動したのを覚えている。国という言葉は、「会社」に置き換えることもできるだろう。文句を言うだけなら誰にでもできる。しかし、自分は会社のために必要な存在であると、胸を張っていえるだろうか。

 一生懸命働いている人は、そもそもそんなことでケチをつけたりしない。評価は自然についてくることを知っているのだ。 』


 『 ビジネスにおいて最も危険なのは、上がり調子のとき。傍目にはうまくいっているように見えるし、自分もすっかり舞い上がってしまている。上ばかり向いて歩いているせいで、落し穴が見えなくなっているのだ。それはちょうど、ローラーコースターに似ている。

 ソースのビジネスをはじめて、2年ほど経った頃のことだ。売り上げが伸びてきて、手狭になった工場を移転して設備を拡張し、僕はすっかり成功者の気分に酔っていた。

 僕はメルセデスベンツを買い、当時高かった携帯電話を持ち、ついでに地元のラジオで、コマーシャルも流しはじめた。そんなとき、ローラーコースターは、カタカタと不気味な音を鳴らしながら頂上に辿り着こうとしていたのに、その音に気づくことができなかった。

 やがて売り上げが順調に伸びていたにもかかわらず、出費がそれを追い越してしまった。成功の証だったベンツだけでなく、リンダにプレゼントした車まで売り払い、創業時にソースを運ぶために買ったオンボロのバンだけが、手元に残った。

 情けないことに、僕は酒に逃げた。深夜に帰宅してガレージでそのまま酔いつぶれていたら、リンダがやてきた。彼女は手に何かを持っていた。フライパンか何かで殴られるかな、とどんよりとした頭で考えた。

 殴られても、しゃあないやろな……。倒産やからな。「ハニー、好きなだけ飲みなさい。そしたら明日、この家を売って、安いアパートをさがしましょう」

 そのときの僕は、どんな顔をしていたのだろう。情けなさと恥ずかしさ、そしてリンダに対する愛情で涙が止まらなかった。 』


 『 ビジネスにおいても、怒りや悔しさから生まれるエネルギーは、時が経ち、いろんなことがうまく回りはじめると、薄れてしまうことがある。しかし、窮地に追い込まれて誰かに助けてもらい「いつか必ずこの恩を返したい」と思うときのエネルギーは、決して絶えることがない。

 結婚した翌年の1974年、長女クリスティーナが誕生した。これまで感じたどんな喜びとも異なる、人生最高の喜びを味わっていた。ただひとつ、リンダの産後の肥立ちが悪く、熱が下がらないことが気になっていた。

 クリスティーナが生まれて4日目。自宅に戻り、リンダの様子が心配だった僕は、ファミリードクターに電話で相談していた。「ところで、娘さんの調子はどうだい?」

 「一日中泣いているし、ミルクを飲むとすぐに吐き出すんですけど、生まれてすぐの赤ん坊なんてこんなもんでしょ、先生?」 軽い受け答えに、先生の声色が変わるのが電話越しにわかった。

 「肌の色はどうなっている?」 「僕みたいな色しとるから、どれかって言ったら黄色かなあ」 「すぐに大きな病院へ連れて行きなさい!」 なんとクリスティーナは極度の黄疸にかかっていた。

 命が助かるかどうかも五分五分という最悪の事態に、目の前が真っ暗になった。「神様、どうか娘の命をお助けください。クリスティーナが助かるなら、僕の命を差し上げます」 病院の礼拝堂で神にすがった。

 5人の専門医が、24時間体制で5日間にわたりつき添ってくれたおかげで、クリスティーナはなんとか快方に向かっていった。祈りは神に届いたのだ! 現実に戻された僕に一抹の不安がよぎった。

 これほど手厚く看病してもらったのだから、治療費は相当な額になっているはずだ。保険にも入っていない僕たちに、払うことができるだろうか……。そう思い、恐る恐る請求書を開くと、「250ドル」という額が書かれている。自分の目を疑った。

 「この金額は間違いちゃいますやろうか?」 受付の人に思わず確認した。 「間違いでないけど、今すぐ払えないようなら分割でも構いませんよ」 「そうじゃなくて、こんなに安いはずがない」

 「困ったときはお互い様。私たちはあなた方のような人のために、チャリティーでお金を集めているのです。それよりも娘さんが助かって何よりですね」 ——僕は涙が止まらなかった。 』


 『 もうひとつの出来事は先の章でも書いたが、僕の見栄からベンツを買ったり、採算が合わないのにコマーシャルを作ったりして、破産の危機に見舞われたときのことだ。

 リンダの冷静なひとことで我に返った直後、義父のブーマーからお呼びがかかった。「リンダを返せと言われるんかいな……」 もともと彼は僕らの結婚に大反対だった。19歳のひとり娘を奪ったのだから、(3人の娘の父親になった今ならなおさら)その気持ちは理解できる。

 翌朝、緊張しながら訪ねると、義父はひとりでリビングに座っていた。 「会社のほうはどうだ?」 「もうあかん……つぶすしかありません(ほんまはもうつぶれとるんやけど)」

 すると彼は、一枚の紙切れをすっと目の前に差し出した。 「マイ・サン、これをつかいなさい」 それは16万ドルという、とんでもない金額の書かれた小切手だった。 「余裕ができたから、退職に向けて積み立てていた金をひきだしたのさ」 

 義父はユナイテッド航空一筋で30年間コツコツと働いてきた技術者だった。余裕ができたなんて、嘘だということはすぐにわかった。そしてこのとき初めて僕のことを「息子」(マイサン)と呼んだ。 』


 『 恩返しというものは、単純にお金を返せば成立するものではもちろんない。娘を救ってくれた病院にしろ、何も言わずに全財産を差し出してくれた義父にしろ、崖っぷちにいた自分を救ってくれた命の恩人なのだ。

 彼らに恩返しをしたいという思いは、ビジネスをはじめる際や、その後のさまざまな問題に直面した際もモチベーションとなりつづけた。

 僕はこれまで、仕事で起こったいいことも悪いことも、すべてリンダとシェアしてきた。彼女の尊敬すべきところは、何が起こってもヒステリックになったり、僕を責め立てたり、口出しをしたりせず、何も言わずにそばにいてくれたことだ。

 思えば僕のおふくろも、家族のためにすべてを捧げてくれた人だった。浮世離れしたアーティスト肌の父親には頼れないからと、7人の子どもを養うために、アイスキャンディ屋、靴屋、洋服屋、マージャン店、お好み焼き屋、焼肉屋、喫茶店など、服を着替えるように次々と商売を替えていった。

 あの頃のおふくろの必死さが、今ならよくわかる。家族を守るという使命は、仕事に対する最大のモチベーションとなり、社会に対する恩返しとなる。 』


 長くなりましたが、最後に本書の目次を紹介いたします。

 CONTENTS  :  the seven laws-make your dreams come true

 chapter 1  LOWS  OF  ENERGY  〔自分の中に熱を持て〕

 chapter 2   LOWS  OF  PASSION  〔情熱をかたむける〕

 chapter 3   LOWS  OF  CHANCE   〔チャンスをつかむ〕

 chapter 4   LOWS  OF  ATTRACTION   〔他人を巻き込む〕

  chapter 5   LOWS  OF  GROWTH   〔成長をつづける〕

 chapter 6   LOWS  OF  PAYBACK   〔恩返しの力〕

 chapter 7   LOWS  OF  SUCCESS   〔成功の方程式〕   (第118回)


ブックハンター「六十歳から家を建てる」

2016-11-30 12:51:46 | 独学

  118. 六十歳から家を建てる  (天野彰著 2007年9月)

 本書は、定年後の夫婦の家屋を数多く設計して来た建築家の話です。私は現在、前期高齢者ですが、これから家を建てる予定で本書を紹介するわけではありません。私が紹介する理由は、以下の三点です。

 (1) 家は、これから二、三十年から数十年に渡って住むことになりますが、家族の未来がどのようになるかは、予測できないことが多いので、考えられる様々な要素にどのように配慮しておくか。

 (2) 夫婦といえども、現在及び未来に対してどのような考えを持っているのかは、当事者といえども意外とわからないもので、建築家を交えてどのような家にしたいですかと話してゆくとき、はじめてその違いが見えてきます。

 (3) 夫婦がこれから様々な病気やケガや終末に対して、どのように立ち向かうかという意志が見えてくる。

 

 『 さて、定年後、自分たち夫婦がどう暮らしていくのか。ちょっと考えただけでも、建て替え、リフォーム、マンションへの転居、子供たちとの同居、Uターン,海外移住など選択肢はいくらでもある。

 もっともむずかしいのは、夫婦の意思統一である。私はこれまで定年後の夫婦のための家も数多く設計してきた。そのたびに痛感させられるのは、長年、生活をともにしてきたご夫婦のホンネが、実際にはなんとバラバラかということである。

 たとえば、今ある家を老後のために建て替える。そこまではすんなり決まっても、そこから先がたいへんだ。家づくりに関して建て主夫婦の意見が分かれるのは、もちろん定年後にかぎった話ではない

 三十代の若夫婦が家を建てるとしよう。それまでは狭いアパートで肩を寄せ合い、仲良く暮らしていた夫婦が、突然、私の目の前で熾烈な言い争いを始めるのである。

 たとえば、妻は「子供たちにそれぞれの部屋を与えたい」と言う。夫は「小学生に個室など必要ない」と言う。妻が「勉強部屋がなければ受験のときに困る」と言い返す。夫は「それよりオレの書斎が必要だ」と言い始める。

 では、定年前後の夫婦が家を建てる場合はどうなのか。最大の争点は、なんといっても「寝室」である。夫たちは「やっぱり畳に布団がいい」と主張する。妻たちは「洋室にベッド」がお好みだ。

 「オレはベッドじゃよく眠れないんだ。オマエだって知っているだろう」 「アナタはどこでだってよく寝れるじゃない。そんなことより、毎日の布団の上げ下ろしの手間を考えてちょうだい」

 よくある口論だ。しかしこれなど、まだおだやかなほうなのである。和室にするか、洋室にするかといった言い合いから、あれよあれよという間に話は思わぬ方向に展開することも珍しくない。

 「それならアナタの寝室は和室にしていただけば? 私は二階のベットで寝るわ」 思ってもみなかったセリフを他人の前で、いきなり投げつけられた夫は狼狽する。しかし、妻は平然としたものである。

 「だって、あなたは夜中に鼾(いびき)をかくし、歯軋り(はぎしり)はするし、酔っ払った夜は息が臭いし、おまけにエアコンをがんがんつけるでしょう。私は結婚以来、一晩だってぐっすり眠れたことがないのよ」

 若い頃の私は、話がこの方向に流れてくると往生したものだった。コトがコトであるだけに、あまり立ち入るわけにもいかない。しかし今ではもう慣れたもの。「やはり来たか」程度の気持ちで解決法を考える。 』 


 『 新築やリフォームの打ち合わせで夫婦がモメ始めると、先にキレるのはたいてい夫のほうだ。「もういい。家を建てるおはやめだ!」そこでなぜかご主人は私のほうを向いて、深々と頭を下げる。

 「いろいろ相談に乗っていただいた挙句に申し訳ないですけど、この件はキャンセルさせてください。やる気をなくしました」傍らの奥さまは「あら、そう」とばかり冷ややかに夫を見つめている。こうして夫はますます立場を悪くする。

 妻たちの肩ばかりもつわけではないが、これまで家づくりを通して何百組もの夫婦喧嘩を「食わされてきた」経験から言うと、残念ながら夫のほうが総じて分が悪い。

 妻は夫のわがままに慣れているが、夫は妻のホンネを聞いたことがないので簡単にショックを受けてしまうのだ。妻の言葉に忍耐強く耳を傾けることができない。

 そんなことだから、定年を機に妻の不満が爆発する。退職したその日に、夫は世界一周旅行のチケットを買って帰宅する。ところが、妻は離婚届を用意して夫の帰宅を待っている。

 テレビドラマの一シーンのようなこんな悲喜劇が、あなたの身にふりかからないとも限らない。「夫婦は一つ」「夫と妻は一心同体」なんて、幻想である。夫婦が互いに理解することは、それほどむずかしい。

 むしろ夫婦であればこそ、何か特別なきっかけがないかぎり、大切な問題をきちんと向き合って語り合うのがむずかしい。まだ間に合ううちに手を打とうではないか。喧嘩になってもいい。

 夫婦が一度は乗り越えなければならない壁なのだ、最初に喧嘩をしておかないと、いざ家ができてから不満や愚痴が噴出して、状況はいっそう悪くなる。

 自分らしい住まいを確保するためには、せめて手元にジャックやクイーンの札があるうちに言いたいことを言おうではないか。つまり、できれば定期収入のあるうちに、まとまった退職金が残っているうちに、そして体力も気力もあるうちに。

 そう、今なら虎の子の古ぼけた我が家、我が土地がある。 』


 『 夫が「定年」を現実のものとして考えるようになった頃、かなりの割合で口にする言葉が「生まれ故郷に帰りたい」である。東京や大阪の大学を卒業し、そのまま就職したものの、定年を迎えたら故郷の実家に戻りたい。

 年老いた両親の暮らしぶりが心配なこともあるだろうが、人生に対する焦燥感や都会生活への幻滅が根底にあるかもしれない。

 心やさしい奥さまのなかには、「そこまで言うなら、この人の夢をかなえさせてあげたい」と考える人もいらしゃる。しかし多くに場合、それはホンネではない。夫の夢のためについて行こうとけなげな覚悟をしただけだ。

 はっきり「イヤよ」と拒否する妻もいる。「そんなに帰りたいなら、アナタだけ帰れば?」と言い出す妻だっている。しかし、それを簡単に「女房のわかまま」と決めつけるのはどうだろう。妻たちがなぜUターンやJターンをいやがるのかを考えてみよう。

 三十数年、場合によっては四十年以上も会社に通い続けた夫たちにとって、主たる生活の場は会社だった。価値観もアイデンティティも組織に属していた。

 それを定年とともに奪われて右往左往する人もいるわけだが、とにもかくにも夫の日常生活は定年によって大きな節目を迎えることになる。それでは、夫が仕事、仕事に明け暮れていた三十数年の間、共稼ぎ家庭を別として、多くの妻たちがどこに所属していたかといえば、地域社会なのである。

 妻たちだって愛する故郷を離れ、慣れない土地で結婚し、家族をつくり、家庭を守ってきた。遠くにいる両親の健康を案じながら、子供を育て、夫を支え、ささやかな生き甲斐を見出してきた。

 その意味で妻たちは夫以上に地域生活に親しんでいるし、夫には想像できないくらい濃く深い人間関係を築いている。そうした生活パターンや人間関係は、夫の定年後もそのまま続くはずのものだった。

 にもかかわらず、いきなり夫から「田舎に帰ろう」と言われたら、どんな気持ちになるだろう。夫にすれば「オレの親の世話をするのがそんなにイヤなのか」と言いたいのかもしれないが、それほど単純な問題ではない。

 夫にとって長年所属した組織を離れ、人間関係を失うことがつらいのと同様、妻にとって長年暮らした土地を離れるのはひじょうにつらいことなのだ。 』


 『 結婚以来、ずっと共働きをしながら一人息子を立派に育て上げた夫婦が定年を迎えるにあたっては、それぞれ違う夢をもっていた。夫は「畑仕事をしたい」。妻は「子供時代に弾いていたピアノをもう一度習いたい」。

 夫は田舎に移住することも考えたが、妻に「イヤよ」の一言で却下されてしまった。自宅を建て替える決断をしたきっかけは、息子夫婦に子供が生まれたことだった。

 息子夫婦は共働きだから、子供を保育園に預けなければならない。それは予定していたことだし、送り迎えの問題もなかったが、子供が病気になったときが心配だった。

 できれば両親の近くに住んで、いざというときには頼りたい。それならいっそ……という息子夫婦の思惑もあった。こうして二世帯同居住宅への建て替えが決定した。

 しかし、夫婦は新居を息子一家のために建てるつもりはなかった。自分たちの「隠居所」を建てるつもりもない。

 二階に息子さん一家が住む以上、同居に違いはないのだが、二人とも「当面、二階は完全な別世帯。賃貸アパートのように考えてくれればいい」という「気分的二世帯住宅」。

 彼らが望んだのは、あくまでも自分たち夫婦の家。というより、「オレの家」と「私の家」だった。実際、打ち合わせをしてみると、二人が口にするのは自分のことばかりである。

 「本格的な家庭菜園がほしい。畑さえあれば、私は何もいりません」 「近所に気兼ねなくピアノを弾きたいから、防音に配慮したピアノ室をつくってください」

 「庭仕事をすると疲れるし、服も身体も汚れるんですよ。広くて気持ちのいい風呂がほしいなあ」 「家のなかまで泥を持ち込まれると掃除がたいへんだから、勝手口か玄関からお風呂に直行できるようにしてください」

 「畑仕事をしていると朝が早いんです。でも、この奥さんはなんだかんだと夜遅くまで起きている。迷惑なんだなあ」 「いいじゃない。もう会社にはいかなくていいし、子供もいないんだから。そっちこそ朝早くからごそごそ迷惑よ」 一から十までこんな調子だ。

 幸い敷地には十分な余裕があった。南側に二十坪の畑を確保し、畑の一角には道具小屋や専用の蛇口もつくる。疲れたときに一休みするためのウッドデッキとテラスも設置する。

 東南にあるリビングには、本格的オーディオセット、すぐ隣には防音サッシを入れたピアノ室。浴室は東側の出入り口を入った脇に設置したい。この夫婦の家にはもう一つテーマがあった。六十を過ぎた夫婦がかならずぶつかる問題、つまり「寝室」の設計である。 』


 『 この夫婦の生活パターンには数時間のズレがあった。こうした時間差の問題は夫の鼾や寝相の悪さと並んで、夫婦の寝室を設計するうえできわめて重要なテーマである。

 「寝室は別々に」というのが奥さんの希望だった。しかし、六十歳を過ぎた夫婦が離れ離れに寝るのは危険である。万が一、夜中に深刻な体調の異変が生じたらどうするのか。

 そこで私は、この夫婦の寝室を隣どうしに配置した。しかも二つの寝室の間を壁で仕切るのではなく、開閉可能な引き戸にする。しっかりした木製の引き戸を閉め切れば光は漏れないし、物音や鼾もかなり遮断できる。

 しかし、互いの気配は感じられるから、どちらかに異変が生じたときには気づきやすい。年配のご夫婦が「別室」を希望されるとき、私はこのプランを提案することが多い。

 ご主人が布団派、奥さまがベット派の場合も、このプランなら対応できる。妻がベットで寝るのに、自分だけ床で寝ることに「心理的な抵抗」を感じる場合は、和室の床をベットの高さと揃えておけばいいのだろう。

 明かりを点けたり消したりするのに、いちいち遠慮する必要がない。さらに昼間は引き戸を開け放って風を通すことができる。面白いのは、頭の部分の引き戸だけ閉じて寝ているケースが多いことである。 』


 『 私の友人の中に古民家暮らしを実現したデザイナーがいる。彼は仕事の第一線を退いた後、長野県の山村にあった昔の庄屋の家を買い取り、解体して神奈川県内の別荘地まで運び、ふたたび組み立てて住み始めた。

 私も誘われて何度か訪ねたことがある。藍染めの作務衣に身を包んだ友人と、和服をちょっと色っぽく抜き衣紋に着た奥さんが、茅葺屋根の下で迎えてくれた。

 私たちは囲炉裏を囲んで座り、織部の皿に盛った山菜料理を肴に、備前のぐい飲みで酒を酌み交わした。それはもちろん楽しい一夜だったし、二人ともじつに満足そうだった。しかし、私にはどうにも気になることがあった。

 建築家の性だろうか。人様のお宅を訪ねると、無意識のうちにその家の日常生活を想像してしまうのだ。ところが、彼らの家には生活臭がまるでない。帰り際に思い切って尋ねてみた。

 すると、驚くではないか。じつは茅葺屋根の家の裏にプレハブの小さな家を建て、ふだんはそちらで暮らしているという。その家にはエアコンもついているし、システムキッチンもシステムバスもあるし、洗濯機も電子レンジもコンピュータも置いてある。

 ようやく合点が行った。囲炉裏のある古民家は、お二人ならではのこだわりの社交場だったのである。古民家を移築したときから、彼らはその家を「終の棲家」とは考えていなかった。

 団塊の世帯が定年退職後に挑戦したいテーマとして、よく語れれるのが「田舎暮らし」である。夢を実現すべく、本格的な農村移住を決断する人もいる。

 しかし私は、田舎暮らしの夢破れ、結局、帰る場所まで失った不幸なケースをいくつも見てきた。都会での便利な生活に慣れた人にとって、一年三百六十五日、田舎で生活するのは楽なことではない。

 地縁、血縁関係の濃い村では自分たちが「よそ者」だと感じることもあるだろうし、地域の風習になじめないこともある。ましてや、自分が病気になってとき、夫婦のどちらかが先立ってからの孤独や不安は計り知れない。

 田舎暮らしを選択するにあたり、それまで住んでいた家や土地を売ろうと考える人は多い。しかし不退転の決意はときとして危険だ。六十歳を過ぎて、退路を断ってしまう恐ろしさを知ってほしいのだ。

 今は健康でも、十年後には足腰が弱って他人の世話になるかもしれない。「不退転」の覚悟よりも、「いつでも退ける」という道を用意しておくことのほうが重要ではないだろうか。 』


 『 さて、住んでいる家が老朽化しても、土地にかなりの余裕があれば、その半分を売って売却益を新居の建築費に充てることは可能である。ところが、そうした選択肢を選ぶ人は案外、少ない。

 なぜかすべてを処分して別の場所に移るか、何もしないでそのまま古い家に住み続ける人が多いのである。しかし今、東京都内の住宅地などでは六十坪以上の土地があれば十分、二軒の家が建つ。

 たとえば百坪の土地があるとしたら、今の古家を壊し、半分の五十坪の土地を売却する。坪あたり百万円で売れば、五千万円の現金が入る。

 そのうち三千万円で自宅を新築すれば、手元に残るのは二千万円。この程度なら特別控除で大して税金はかからない。売却益がそのまま自宅の建築費に充当されるうえ、差額もほぼ経費として計上できるためである。

 しかし、半分をひとたび売ってしまえば、その土地がどう使われるか、どんな家が建つのかは買い手次第。境界線いっぱいに三階建てのアパートが建つかもしれない。

 だったら、いい手がある。土地のまま半分売るのではなく、自分でそこに”分譲住宅”を建て売るのだ。地価五千万円の土地に建築費二千万円ほどで建てた標準的な家が、八~九千万円で売れる。

 「本当に売れるかどうか心配」という人ならば、建てる前に仮契約だけすませてしまえばいい。更地の状態のまま設計図を作成して、不動産屋さんに仲介を頼むのである。

 立地がよければ、家が完成していなくても買い手は見つかる。また、土地だけ売却し、設計と施工を条件付きで行うこともできる。 』


 『 「介護」とは、親を介護し、子供に介護されるだけではない。夫婦が互いに介護し合うことも考えに入れておかなければならない。最近、「介護住宅」という言葉は、「バリアフリー住宅」とともに、今後の高齢社会の自宅療養で乗り切れる切り札のように語られている。

 なにしろほとんどの「介護住宅」や「バリアフリーの家」は、車椅子と介護用ベットでの生活を前提としている。車椅子のまま乗車しやすい駐車場、車椅子で出入りするための玄関スロープ、車椅子から移動が楽なトイレや浴槽、等々。

 まるで、車椅子と介護ベッドがなければ話にならないと言わんばかりだ。しかし私には、車椅子の生活そのものが非現実的に思えてならない。

 車椅子を動かすにはかなりの腕力が必要だ。自力で歩行が困難になった老人に、あの重い車椅子の車輪を回し、動かせる力が遺されているとは思えない。

 事故や病気のために下半身の力だけ失った若者ならともかく、年のせいで足腰が弱まった老人では上半身の力も衰えているのが普通だろう。電動式の車椅子を操作するのも思うほど簡単ではない。

 事実、車椅子用の玄関スロープを上がろうとして失敗し、転げ落ちて大怪我を負った事故は少なくない。むしろ玄関先で車椅子を降りて、高めの上がり框(かまち)に移るほうが安全だ。

 「そんな心配はない。誰かに押してもらえばいいのだから」と反論される方もいるだろう。若くて十分な体力のある息子や娘なら安心だが、老いた夫や妻を想定したらどうなるだろう。

 自分自身が車椅子のお世話にならなければならない年齢だとしたら、おそらく配偶者の体力だって衰えている。車椅子を押しながら急なスロープを上がっているとき、万が一、バランスを失い、転げ落ちそうになったら、身を挺して受け止めることができるだろうか。

 下手をすれば夫婦そろって転んで大怪我をしてしまう。そうしたケースが年々増えている。ところが、車椅子は靴を履き替えることができない。道路で、犬の糞や捨てたガムの付いた車輪で、我が家のリビングや寝室を動き回る光景に耐えられるだろうか。 』 (第117回)

 


ブックハンター「英語で味わう名言集Ⅱ」

2016-08-28 11:00:07 | 独学

 117. 英語で味わう名言集Ⅱ (ロジャー・パルバース著 2011年3月)

 本書のすでに紹介しましたが、さらに25篇ほど紹介したくて、英語で味わう名言集Ⅱとして紹介します。紹介する名言は、日本語だけを読んでも、英語だけを読んでも、さらには、両方読んで、暗記しても決して損することはないものです。

 先に30篇ほど紹介しましたので、併せて55篇を紹介することになります。さらには、名言の作者に関する著作を読むこともおすすめします。


 『 I  have  no  special  talents.   I  have  only  passionatly  curious.

 私には特別な才能があるわけではありません。 ただ好奇心が激しく強いだけです。 アルベルト・アインシュタイン(物理学者)

 curious (好奇心が強い)に passionately (情熱的に)をつけるのは、少々変わった使い方です。でも生命や宇宙に対するアインシュタインのあくなき好奇心を表現するには、まさにぴったりと言えるでしょう。


 Invention  is  the  same  as  love.   It  does  involve  suffering.  

 But  it  also  can  be  so  much  fun  if  you  let  it  be.   〔PR〕

 発明は恋愛と同じです。苦しいと思えば苦しい。 

 楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。  (本田宗一郎 ホンダの創業者)

 この名言の真髄は、苦しみ(英語では suffering や pain など)と楽しさ(fun, pleasure, enjoymentなど)の対比に表現されます。

 確かに、恋愛もそうでしょうね。 

 〔PR〕: 著者(ジャー・パルバース)の訳の印です。 (本田宗一郎については、本ブログ98.「得手に帆をあげて」で紹介してます。)


 Man  is  but  a  reed,  the  most  feeble  thing   in  nature;  but  he  is  a  thinking  reed.

 人間とは葦にすぎない。自然界で最も弱いものだ。だが、人間は考える葦である。 ブレーズ・パスカル(フランスの数学者・哲学者)

 原文では、「考える葦」は un roseau pensant という美しいフランス語です。これはまちがいなく、パスカルのいちばん有名な言葉でしょう。

 人間は自然界で最も弱い、とパスカルは言い、いとも簡単に折れたり曲がったりする葦にたとえています。しかし、人間には考える力があります。

 パスカルの時代から約400年たった現代、人類が直面している自然破壊から、その考える力は私たちを救ってくれるでしょうか?


 Those  who  say  they  have  no  time  to  learn  could  not  learn  even  if  they  had  the  time. 〔PR〕

 学ぶに暇(いとま)あらずと謂(い)ふ者は、暇ありと雖(いえど)も亦(ま)学ぶ能(あた)ざらん。 劉安(前漢の学者)(淮南子(えなんじ)より)

 「…のために時間をつくる」というフレーズは、英語にもあります。make time for …です。この名言は、If you can't find the time to learn, make time for it.

 (学ぶ時間がないなら、自分で時間を作ろう。)と言いかえることもできるでしょう。いい言葉ですね。時間は本当に作ることができるものです。

 

 It  should  be  an  obligation  of  older,  more  experienced  people  to  make  the  young  realize  what  they   want  out  of  life.     〔PR〕

 「それが私のやりたいことだったんだ」と悟れせる義務が、人生の先輩にはあるはずだ。 (堀場雅夫 堀場製作所創業者)


 セリフの形で書かれた内容を地の文で表現し、「先輩」にあたる語句が英語にはなく、どうしても説明的になりました。

 ここでの「義務」という言葉の使い方が私は気に入っています。こういう義務感こそ、教育を前進させ続ける原動力ではないでしょうか。

 obligation (義務)の形容詞形は obligatory (義務的な)。例えばこんなふうに使います。

 It's obligatory to wear seat belts in both the front and back seats of a car. 

  (車内では、前の座席でも後ろの座席でもシートベルト着用が義務づけられている。) 』


 『 Teaching  is  learning  twice  over.  〔PR〕

 教えることは、2度学ぶことである。  ジョセフ・ジュベール(フランスの思想家)

 これは全く真実ですね。私自身、自分が学生たちに教える以上のことを、学生たちから学んでいる気がします。もともとのフランス語にあった deux fois を、私は twice over という英語で表現しています。

 単に twice (2度、2倍)としただけでは、意味が十分に伝わらず、中途半端で終ってしまう印象になるため、over で強調しているのです。


 My  geatest  challenge  has  been  to  change  the  mindset  of  people.   Mindsets  play  strange  tricks  on  us.

 We  see  things  the  way   our  minds  have  instructed  our  eyes  to  see.

 最も難しいのは、人々の固定概念を変えること。 固定概念は、私たちに錯覚を起こさせる。

 自分の頭が命じたようにしか、物事を見られなくなるのだ。  ムハマド・ユヌス(バングラデシュの経済学者)

 challenge という言葉が、この名言に力強さを与えています。 be up to the challenge は、何かをする能力がある、という意味です。

 動詞 challenge には、「対決する」というニュアンスもあります。 ユヌスは、難題は人々の mindset (固定概念)だと言っています。mindset には、変化を望まない、というネガティブなニュアンスがあります。

 ムハマド・ユヌスは、飢きんに苦しむ農村救済のため、少額無担保融資(マイクロクレジット)事業を立上げ、1983年には事業を組織化してグラミン銀行を創設。貧困層の自立に多大な貢献をしたとして、2006年、ノーベル平和賞受賞。


 One  must  not  forget  that  in  creating  wealth  one  should  feel  motivated  at  all  times  to  replay  a  debt  of  gartitude  to  society  and  to  do  one's  best  for  it  as  a  moral  obligation.  〔PR〕

 富を造るという一面には、常に社会的恩誼(おんぎ)あるを思い、道徳上の義務として社会に尽くすことを忘れてはならぬ。(渋沢栄一)

 まず、repay (報いる)に注目してみましょう。ここでは、お金という具体的な借りに対するお返しではなく、感謝の気持ちという抽象的なものです。

 次に obligation (義務)の例を見てみましょう。

 In Australia, volting is compulsoly.  It's the obligation of all citizens to volte. オーストラリアでは、投票は法律で義務化されています。投票はすべての人の義務なのです。 vote : 投票、compulsoly : 義務的な

 日本の資本主義の父として知られている渋沢栄一が、自分の得た富に関して社会に返礼することが義務だと考えたのは、すばらしいことですね。


 There  is  no  class  so  pitiably  wretched  as  that  which  possesses  money  and  nothing  else.

 金しか持たない階級ほど、情けなく惨めなものはない。 アンドリュー・カーネギー(アメリカの実業家)

 これは真実ですね! お金しか持たない人は、確かにお金持ちではありますが、他者とお金を分かち合うのでないかぎり、喜びのない、空っぽの人生を送るのだということに、いつか気づくでしょう。

 カーネギーは、工場労働者から世界でも指折りの富豪となり、大金を寄付して、病院や学校など、人々のための施設を建設した人でした。 posses は「所有する、持つ」。物質的なものだけでなく、抽象的なものに対して使います。

 pitiably : 哀れに、wretched : 惨めな、class : 階級


 In  politics  if  you  want  anything  said,  ask  a  man.   If  you  want  anything  done,  ask  a  woman.

 政治の世界では、言ってほしいことがあれば男性に、実行してほしいことがあれば女性に頼みなさい。 マーガレット・サッチャー(イギリスの元首相)

 英国史上ただひとりの女性首相による名言です。男性は言葉を操るのが得意で、女性は実践を得意としている、と言っています。最初の文の said と man が、2番目の文では done と woman になっている以外、まったく同じ構成になっているところに、この名言の妙味があります。 』


 『 A woman's  guess  is  much  more  accurate  then  a  man's  certainty.

 女性の推測のほうが、男性の確信よりもはるかに正確である。  ラドヤード・キプリング(イギリスの作家)

 この名言の真髄は、guess と certainty という2語の対比にあります。 guess (推測)とは、「何かが~ではないか」という仮定のうえにつくられるもの。

 一方、 certainty (確信)は、「何かが~だと知っていること」を示します。 woman's  intuition (女の勘)とはよく言いますが、 men's  intuition という言葉はありません。キプリングはこのことを、味な言い方で強調してみせているのです。 


 Half  the  world  knows  not  how  the  other  half  lives.

 世界の半分は、残りの半分がどんな生活をしているのか知らない。  ジョージ・ハーバード(イギリスの詩人)

 この名言によって、 the other half というフレーズは、とても便利な英語の決まり文句になりました。特に、このように動詞の lives とともに使われます。

 直訳すると「反対側(の人々)」ですが、自分とは違う階層や経済状況の人々、という意味です。裕福な人にとっては貧しい人、貧しい人にとっては裕福な人、というわけです。


 A  desk  is  a  dangerous  place  from  which  to  watch  the  world.

 机というのは、そこから世界を見るには危険な場所である。  ジョン・ル・カレ(イギリスの作家) 〔本ブログの79.推理作家の家を参照ください〕

 世界を理解したいなら、書斎の外へ出て世界を見なさい、ということです。文章の技巧にたけたル・カレは、この名言に詩的な雰囲気を与えています。

 desk と dangerous は d という音で、which、watch、world は w という音で、それぞれ頭韻になっています。


 Even  if  cultuers,  religions  and  beliefs  are  different,  what's  important  is  saving  the  lives  of  people  who  are  sufferring.

 Peace  that  exists  solely  in your  contry  is  no  peace,  because  every  nation's  fate  is  bound  up  in  that  of  others.  [RP]

 文化、宗教、信念が異なろうと、大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。 緒方貞子(元国連難民高等弁務官)

 緒方貞子さんは、世界中の人々のために力を尽くし、彼らを助けることに人生をささげてきた女性。そんな彼女が語った美しい言葉です。

 まずは religion (宗教)という語に注目しましょう。日本人が海外へ行けば、よくこんな質問をされます。 What's your religion?  あなたの宗教は何ですか? Are you religious? 信仰心は厚いですか?

 もしそれほど宗教を信じていない場合は、 I'm not particularly religious.  と言えばいいでしょう。また、もとの日本語にある「つながる」は、この場合、私たちはお互いに結びついている、という意味。私はこれを bound up in と表現してみました。


 I  did  not  think;  I  investigated.

 私は考えなかった。ただ事実を研究した。 (ヴィルレルム・レントゲン ドイツの物理学者)

 レントゲン写真を発見したとき、本当にレントゲンは何も考えなかったのでしょうか……。それは怪しいところですが、ここでは、科学における investigation (調査、探求)の重要性を強調するために、そう言っています。 』


 『 Only  two  things  are  infinite,  the  universe  and  human  stupidity,  and  I'm  not  sure  about  the  former.

 無限なものはふたつしかない。宇宙と人間の愚かさだ。そのうち、宇宙については、私はわからない。 (アルベルト・アインシュタイン)

 ウイットにもノーベル賞があればいいのに! そしたら、アインシュタインは文句なく受賞していたでしょうね。アインシュタインはまじめな文章においても、戦争を繰り返す人間の stupidity (愚かさ)について何度も書いています。

 相対性理論を編み出したアインシュタインにとって、この世で絶対的なものは人間の愚かさだけだったようですね。


 I  walk  slowly,  but  I  never  walk  backward.

 私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない。 (エイブラハム・リンカーン アメリカ16代大統領)

 つまり、政治とはゆっくりと前進していくものだ、ということです。政治にはたくさんの人や組織の利益が絡み合います。誰かを踏みつけたり、置き去りにしたりすることなく、前進し続けることがリンカーンの目標でした。

 backward に含まれる -ward は、「~のほうへ」という時間または空間的な動きを表します。toword (~に向かって)、forward (前方へ)、upward (上へ)、downward (下へ)、afterward (あとで)など、さまざまです。


 You  will  never  find  time  for  anything.  If  you  want  time,  you must  make  it.

 何をするにも、時間は見つけるものではない。必要なら作るものだ。 (チャールズ・バクストン イギリスの政治家)

 find (見つける)と make (作る)の対比が効いています。 find time と make time は、どちらもよく使われるフレーズです。


 Things  that  pass ….   A  sailboat  in  the  wind.   A  person's  time  on  earth.  Spring,  summer,  autumn,  winter. [PR]

 ただ過ぎに過ぐるもの帆かけたる舟。 人の齢。 春、夏、秋、冬。 (清少納言 枕草子より)

 この上なく美しい名言ですね。根底にある仏教的な感覚が強く感じられる言葉です。私は、もとの名言にはないフレーズを少し足しています。

 in the wind (風の中の)は、海を渡る帆船の動きを表すため。また、「齢」は「歳月」、つまり、この世で人が過ごしてきた時間のことでしょう。その「この世で」という感覚を表現するために、on earth (地上で)というフレーズを加えています。


 The  right  road  for  preparing  food is  found  in  the  bringing  out  of  natural  flavors.  [RP]

 料理の本道は天然の味を生かすところにある。 (獅子文六 小説家・劇作家)

 なかなか英訳しにくい名言です。この場合の「料理」は food (食べ物)ではなく、食事を作る過程のことでしょうから、preparing food としました。

 「生かす」は英語ではたくさんの方法で表現できますが、ここでは bring out というフレーズを選んでいます、これは「引き出す、発揮させる」と言う意味で、bring to life と似たニュアンスです。 』


 『 Not  to  display,  but  to  suggest,  is  the  secret  of  infinity.

 あらわに見せるのではなく、ほのめかす、それが、無限なるものの秘訣である。 (岡倉天心 美術評論家)

 芸術においては示唆に富んだ(suggestive)ニュアンスこそが大切だ、というのがこの名言の趣旨です。岡倉天心はアメリカに渡り、かの地に日本文化の奥深いメッセージを伝えた人でした。


 The  main  thing  is  to  be  moved,  to  love,  to  hope,  to  tremble,  to  live, 

  to  be  a  human  being  before  you  are  an  artist. [RP]  

 肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。 芸術家である以前に、人間であることだ。

 オーギュスト・ロダン(フランスの彫刻家)

 フランスで最も偉大な彫刻家、ロダンの名言です。これは深淵な言葉ですね。


 Style  is  the  physiognomy  of  the  mind.  It  is  more  accurate  than  the  physiognomy  of  the  body.  [RP]

 文体とは、人の心が外に現れたものである。その人の外見よりも正確にその人を映し出している。 ショーペンハウエル(ドイツの哲学者)

 作家は己の精神を映し出す独自の文体(style)を持つべきだ、ということ。 physiogomy : 人相、外観、accurate : 間違いのない、正確な


 If  you  want  others  to  be  happy,  practice  compassion.  if  you  want  to  be  happy,  practice  compassion.

 もし他者を幸せにしたいのなら、慈悲の心を持ちなさい。もし自分が幸せになりたいのなら、慈悲の心を持ちなさい。 (ダライ・ラマ14世)

 この美しい名言のキーワードは compassion (慈悲、あわれみ、思いやり)です。この単語は2つの要素から成り立っています。com- はラテン語で with (~と共に)の意味。

 passion はラテン語で suffering (苦しみ)を意味する語から来た言葉です。つまり compssion とは、不幸な境遇にいる人々に同情心を持つだけでなく、彼らと「苦しみを共にする」という行為も表しているのです。


 Believe,  when  you  are  most  unhappy,  that  there  is  something  for  you  to  do  in  the  world.

 So  long  as  you  can  sweeten  another's  pain,  life  is  not  in  vain.

 不幸のどん底にいるときこそ、信じてほしい。世の中にはあなたにできることがある、ということを。他人の苦痛を和らげることができるならば、人生は無駄ではないのです。 (ヘレン・ケラー)

 ヘレン・ケラーは、とても深い真実を教えてくれています。自分の人生を意味あるものにしなくてはならない、無駄に生きてはならないのだと。 in vain は「無駄に、かいなく」といった意味で、何かをしても有意義な成果が出せなかった、という場合に使います。 』 (第116回)


ブックハンター「英語のうまくなる人、ならない人」

2016-08-22 15:53:34 | 独学

 116. 英語のうまくなる人、ならない人  (田村明子著 平成20年10月)

 英語の劣等生の私がまた英語に関する本を紹介する、お前に紹介されたくないと思われることでしょう。本書は、「英語のうまくなる人、ならない人」とありますが、ここで言う英語とは、「英語での日常的会話」を意味してます。

 本書は、著者が米国で接した日本人を30年に渡って観察して、得られた結論を、うまくならない人の条件を7つ、うまくなる人の条件を7つにまとめたものです。(もちろん他にも書かれていますが)

 私が、本書をここで取り上げましたのは、「▢▢のうまくなる人、ならない人」の▢▢の部分に、「スポーツ」でも、「スピーチ」でも、「文章」でも、無論他の外国語(ロシア語)でも、すべての勉強にさらには、「人間として向上する人、しない人」でも、通じると感じたからです。

 以前に紹介しました、「理三合格への道」(41.)の中にも、伸びる生徒ほど、「すぐに調べる」 「疑問を翌日に持ち越さない」 「手元を見ずにメモしていく」 などの特徴があると書かれています。

 不明なこと、頭の中に浮かんだ疑問符の卵を見逃すことなく、辞書(電子)をひく、そして、進歩は辞書をひいた回数に比例すると書かれています。

 本書に書かれていることは、あたりまえのことを言っていると感じると思われますが、実際にこれらのことを実践することは、かなり難しく、1~2割の人しかできていないと思われます。

 もちろん私も出来ていない一人ですが、でも、心掛けと訓練と継続によって、だれにでも、うまくなる道は開けると考えます。では本書をいっしょに読んでいきましょう。

 なお、著者は、本ブログでとり上げました「なんで英語やるの?」(24.)の著者(中津燎子)に子供の頃、一年ほど教えを受けたと書かれてました。


 『 英語がうまくなる人、ならない人とは、ちょっと漠然とした言い方かなと思います。一口にうまい英語といても、国連の同時通訳のブースに入るトップクラスのプロフェッショナルレベルから、一人でも海外旅行中の買い物に不自由しない程度まで、「うまい」の基準はさまざまです。

 一体、どこまでいけば「うまい英語」なのか。この本の中で何を指して、英語が「うまくなった」としているのか、まずそのことを少し説明したいと思います。

 英語を自由に使いこなせるようになったら、いいなあと思っている人は大勢います。でもすべての人が、プロの通訳並みの英語力が必要なわけではありません。

 誰もが公式の場で英語を駆使してスピーチをしなくてはならないわけではありませんし、国際会議に出席しなくてはならないわけではありません。人によって、「このくらいのレベルができたらいいな」という目標レベルはさまざまです。

 この本の中で私が語る、「英語がうまくなる人」とは、本人が与えられた環境の中で、少しずつでもレベルアップし続けているかどうかを基準にしています。

 自分に許された機会をうまく利用して、英語力をつねに磨いているかどうか。たとえば手持ちの少ない単語をうまく使い分けてそれなりに用足しをしている観光客は、ほんの片言の英語でも、私から見ると「うまくなる人」です。

 逆に一般の日本人から見ると「ペラペラ」に見える人でも、何年も米国で暮らしているのにブロークンな英語をちょっとも直そうとしない人は、「うまくならない人」です。

 今あなたがいるところよりも、少しでも先に進みたい。ほんの少しでも、今より英語がうまくなりたい。そういう意志のある人こそが、英語のうまくなる人です。

 でも意志があるのに、いくら勉強してもあまり効果がない気がする。どうすれば英語がうまくなるの?——私が米国で暮らすようになってこの30年、これまでに何度そう聞かれたことか覚えていません。

 本書をまとめたのは、そういう人たちに向けて自分にできるアドバイスをあげたいと願ったからでした。残念ながら、努力もせずに英語を覚える魔法はこの世にありません。

 何もしていないのに気がついたら英語が話せるようになっていた、という方法を教えられたらどれほどいいだろうと思います。でも私の知る限り、寝ているあいだに英語を覚えたという人は一人もいません。

 好きなものを好きなだけ食べるだけで痩せるダイエット、寝ている間に余分な脂肪がとれるという健康器具、なんて世の中には心惹かれる広告があちこちに転がっています。

 白状すれば、私もそういううまい話にはかなり弱いほうで、ずいぶんとお金と時間を無駄にしました。でも、本当は目的に向かっていくプロセスにこそ面白さがあるのではないだろうか、と近頃は思うのです。

 英語も実は、到達したところよりも、そこを目指して少しずつ上達していくプロセスに楽しさがあるのではないでしょうか。 』


 『 英語がうまくならない人 7つの特徴


 1) 日本語がきちんとしてない人

  私が米国で知り合った、千人以上の日本人を観察していると、日本語が退化するのが早い人ほど、英語力の上達の頭打ちが早いという法則があるようです。。

 普段の会話で、耳障りなまでにカタカナが混じる人は、言語能力があまり高くない人。あるいは言葉というものに対するこだわりの薄い人です。

 「英語を子供に教えるな」の著者市川力氏によると、人は母国語の能力以上の外国語を身につけることはできないそうです。母国語での表現が貧しい人は、外国語もうまくなりません。

 きれいな英語を身につけたかったら、まずきれいな日本語を話してください。そして脳の中の、言語の引き出しをきれいに整頓しておくのです。


 2) 依存心が極端に強い人

  次の3つの条件がいくつあなたに当てはまるか考えてください。

  ① 海外旅行は、いつも団体旅行。そうでなければ同行する友人に企画を任せる。

  ② 授業や会議でわからないことがあっても、つい質問しそびれる。

  ③ 新しい習い事を始めるなら、誰か友達が一緒じゃないといや。

 3つとも、「はい」と答えた方。残念ですが、今のままではあなたは英語がうまくなりません。「どうやったら英語がうまくなるんですか」と聞きに来る人で、もっとも対処が難しいのが、この「依存心の強いタイプ」です。

「どこが面白いですか?」 「ニューヨークって、なにが流行っているんですか?」 このように、相手にすべてを投げてよこすような質問をする人は、残念ながらあまり有望株ではありません。

 ニューヨークは、つかみどころのない大都市です。探せばたいがいのものは何でもあると言われているほど、懐が深い街。

 その中で自分は何が好きなのか、どのようなものが面白いと思うのか、それがわからなくてはアドバイスのしようもないではありませんか。

 美術鑑賞が好きなのか、アウトドアが好きなのか。オペラを見たいのか、ブロードウェイミュージカルがいいのか。限られた時間の中で、何を優先させたいのか。

 「ブロードウェイミュージカルで今人気の作品は、何ですか」 「メトロポリタンと近代美術館では、どちらがお奨めでしょうか」 「ニューヨークで、これは食べておいたほうが良いというものはありますか?」

 このような聞き方をしてくる人は、有望株です。自分でやってみたいことがはっきりしているという意志が感じられます。英語がうまくなりたければ、まず自分の頭で考える習慣をつけること。目的意識のしっかりとした大人になってください。


 3) 人の話を聞かない人

  人の話を聞かない人は、英語の上達が遅い人。これは自信をもって断言できます。5年も10年もアメリカに住んでいるのに、まともな英語を話せない人の大半は、相手の話を真面目に聞いていないタイプと思って間違いありません。

 真摯に耳を傾けて、相手から学ぼうという姿勢がないのでしょう。相手の話を聞かない人は、自分の話が通じた、ということばかり重視します。

 子供でも、大人の話をよく聞いている子供ほど、語彙が豊富な人間に育ちます。日本語でも相手の話を聞かない人が、英語になったとたんに「真摯に耳を傾ける」人にはなりません。

 あなたも普段から、子供のように初心にかえって相手の言葉に耳を傾ける習慣をつけてください。


 4) 好奇心の薄い人

  どこかで見慣れない単語が目についたら、家に帰って辞書を引いてみる。これは英語で何と言うのかと思ったら、すぐに調べてみる。

 そんな知的好奇心のアンテナを張っておかなくては、語学というものは身につきません。 「この前教えていただいた本、読んでみました」 「お奨めのレストランに行ってきました」 

 こういう報告をてきぱきとしてくれる人は、好奇心旺盛な人です。そしてこういう人は必ず、英語もみるみるうちに上達していきます。


 5) 失敗することを怖がる人

  ニューヨークに遊びに来た日本人を案内すると、店員さんなどに英語で話しかけられても無視してしまう人がとても多いことに驚きます。お店に入ると、店員さんが近寄ってきます。

 Hi, how are you?   How can I help you?

 こう話しかけられても、まるで相手など空気のように無視。日本では店員さんに「いらしゃいませ」と言われても、特に返事を求められることはありません。でもこれは日本特有のことです。

 少なくとも英語圏の国々では、相手が店員さんでもウェイターでも、あいさつされたらあいさつをかえすのが礼儀です。

 わからないから面倒くさい。自信のない英語でうっかり下手なことを口にして、恥をかくのが怖い。そんな人は、残念ながら英語がうまくなりません。

 私が高校から留学を決意したとき、交換留学の体験がある先輩がこういうアドバイスをくれました。「相手の英語がわからなくても、黙っていないで、I'm sorry, but I don't understand. というように、何か答えたほうがいいですよ」

 30年以上も前の話ですが、彼女のアドバイスは忘れません。恥をかきたくないから、無言ですませてしまう。それではいつまでも進歩はありません。

 I'm sorry, but I don't understand. でも、立派な答えです。間違うことを恐れないで、口にしてみましょう。


 6) 言葉に頼ろうとしない人

  誤解をまねくことを承知で、あえて言いましょう。特殊な技術を持ってそれにばっかり頼っている人は、英語の上達がおそくなりがちです。

 美容師さん、板前さんなどの職人さん、スポーツ選手など、世界中で通用する技術を持っている人たち。英語圏の国で活躍している人でも、こういった特殊技術のある人は、腕前がよければよいほど実は英語がほとんどダメという人が少なくないのです。


 7) 完成された文章で話さない人

  英語がうまくなりたいのなら、外国人の恋人を作るのが一番早い。そういう話をあなたも一度は耳にしたことがありませんか?でも英語圏出身の恋人、あるいは配偶者を持った人のすべてが、きちんと英語を話せるわけではありません。

 そう言ったら、びっくりするでしょうか。」外国人の夫がいる女性は、極端な2タイプに分かれます。配偶者のネイティブスピーカーを上手に利用して、骨太の英語力をがっちりと身につけた人。こんなカップルは、私が知っている中で全体の2割くらいです。

 残りの8割は、夫婦の間で英語と日本語が入り混じったちゃんぽん語を話しながら、いつまでたってもブロークンな幼児英語のまま暮らしています。

 逆に、相手の日本語がぐんぐんうまくなっていくというケースもあります。こうなると、日本人配偶者側の英語力はさらに伸びません。

 でも外国人の配偶者を持つという同じ境遇にありながら、英語がうまくなる人と、ならない人ではどこに違いがあるのか、気になるではありませんか。

 「うちの夫は正確な英語にこだわる人で、普段の会話から完成された文で話しをしないと、良く直されました」 ご主人がアメリカ人で、本人は腕のいい通訳である知人はそう言います。

 Are you Japanese?

 1〕 Yeah.

 2〕 Yes, I am.

 こんな単純な質問でも、1で答えるのと、2のように短くても完成された文章で答えるにでは、まったく異なります。Yes のかわりに、何でもかんでも Yeah ですませてしまう人は、ボキャブラリーが増えていかない人。それにあまり知的な印象を与えません。

 意識して、完成された文章を口にすること。これは英語をうまくなっていくための必須条件の1つです。 』


 『 英語がうまくなる人 7つの特徴

 1)  聞き上手は、必ず話し上手

    どんな人が、英語がうまくなるとおもいますか?

  「よくしゃべる人」 「おしゃべりな人」 そう答える人が多いのに、少しびっくりしました。日本式に恥ずかしがっていてはダメ。ちょっと、攻撃的くらいに、がんがんと積極的に話す人こそ英語に向いているのだ。

 そう考える人が多いのも、無理はないかもしれません。でも私が30年米国に暮らしながら、日本人の英語を観察してみた結論はその逆でした。よくしゃべる人よりも、よく聞く人のほうが英語はうまくなります。

 英会話力をみがきたいと思うのなら、まず相手の話を落ち着いてよく聞いてみてください。集中して聞いていれば語彙も増えるし、そのうちどこでどう合いの手をいれるかという勘をつかむこともできます。

 

 2)  観察力のある人

  「四大陸選手権で史上最高点を出したとき、日本では大きく報道されたのですか?」 そう聞かれたフィギュアスケートの高橋選手は私のほうを見ると「思っていたよりは、って何て言えばいいですか?」と聞きました。

 「More then he expected.」 私は質問した記者に、直接そう答えました。すると高橋選手は「More then (I) expected って言うんだ……」と、小声で繰り返していました。

 通訳を人任せにして聞き流してしまわず、彼のように覚えようという意志を持って真似してみる人は、ぐんぐん英語がうまくなっていく人です。


 3)  面倒がらずに辞書をひく人

  「どうしてそんな短期間で、日本語が上手になったのですか?」 「毎日わからなかった単語のリストを作って、寝る前に必ず調べたの」 そう言ってトマシーナは、当時使っていた英和辞書を見せてくれたのです。

 よれよれになった辞書のページは、彼女の細かい鉛筆の書き込みで、びっしり黒くなるほど埋め尽くされていました。この辞書が、彼女が日本での2年をどのように費やしてきたのかを物語っていました。

 短期間に語学がうまくなる人は、必ずまめに辞書をひく習慣を持っています。辞典をひく回数があなたの未来を開きます。なぜなら、辞典をひいて意味をかみ締めるまで、その単語は自分のものにはならないからです。


 4)  自分の考えを整理して言葉にできる人

  「今年読んだ中でもっとも面白かった本は?」 ためしに、こんな質問をアメリカ人にぶつけてみてください。年齢、性別、社会的地位にかかわりなく、どんな人でも明確に自分の意見を堂々と言葉にまとめます。

 英会話能力を磨いていく上で、「自分の考えを整理して、要領よく言葉にする」という能力はとても重要です。日本人が英語を習得するにあたり、実は一番足りないことが、この「考えをまとめてわかりやすい言葉にする」というトレーニングではないか、と私はにらんでいるのです。

 普段意識せずに何気なく話している日本語が、きちんと要領よくまとまっている人は意外に少ないものです。要点のはっきりしていない人の日本語は、英訳するのが難しいのです。

 最初から要点がはっきりした日本語で話す人は、英語が早くうまくなる人です。でも英語を勉強中の人ならば、わかりやすく明瞭な話し方を心がけるのが近道。そのほうが、日本語から英語への変換作業がらくだからです。


 5)  友だちをすぐに作れる人

  リチャード・ワイズマンが書いた「The Luck Factor」 (邦題「運のいい人、悪い人」)という本によると、運とは人の流れが運んでくる。だからすぐに友だちができる人は、いい運にめぐり合う確率も高くなるそうです。

 英語がうまくなる人も、運のいい人と似たところがあるとおもいます。初対面の相手でも人の輪の中にすんなりと溶け込める人ほど、英会話能力の進歩は早いと思って間違いありません。


 6)  英語を使って伝えたいことがある人

  英会話を学んで、誰と、何を話したいのか? あなたがきちんとした英語でコミュニケーションすることを目指しているのなら、私のアドバイスはこうです。

 英語以外の趣味を充実させてください。そのことが、必ず英語の習得の助けになります。留学したてでまださっぱり授業についていけなかったころ、幾何学のテストで一人だけ満点をとり、とたんにクラスメートたちの態度が変わったことは忘れられません。

 学校のピアノを放課後に弾かせてもらっているうちに、いつの間にやら合唱の伴奏役がまわってくることになりました。

 こんなきっかけから生まれた人間関係が、私の英語の上達をどれほど助けてくれたことでしょう。英語で伝えたいこと、語り合いたいことがある。その目的意識こそが、あなたの英語の実力を上げていくのです。


 7)  暗記の得意な人

  英文を読むと、いちいち文法的に分析できないと気がすまない、頭に入らないという人がたまにいます。でも私の事体験から言いますと、理詰めではなく、するりとそのまま暗記してしまう人のほうが早く英会話がうまくなります。

 Have you been to Japan?  たとえばこういう一文を丸暗記して頭のなかに組み込み、言葉を入れ換えて応用してみます。

 Have you met my sister?

 Have you heard this morning's news? 

 こうやって、言葉を入れ換えて使いこなせる文章を増やしていくのです。こんな簡単な文章なら暗記するまでもない、と思っていますか?

 でも私が観察する限り、このレベルの会話でもスラスラとこなせる日本人はあまり多くありません。単語力や文法の習得が必ずしも、実践的な英会話力につながるわけではないのです。

 大切なのは、文章単位で暗記すること。応用のきく基礎的な日常会話の文章を歌を覚えるような気持で、暗記していってください。必ず役立ちます。この私がその生きた見本です。 』 (第115回)


ブックハンター「パラレルキャリア」

2016-08-12 14:17:21 | 独学

 115. パラレルキャリア 〔新しい働き方を考えるヒント100〕   (ナカムラクニオ著 平成28年6月発行)


 『 いまから7年ほど前、突然、会社を辞めてブックカフェをはじめました。インターネットで「荻窪のカフェ店舗を居抜きで借りたい人募集」という話題を見つけたのがきっかけでした。

 その瞬間に、これだ!とひらめき、すぐに電車に乗ってお店に行きました。閉店間際のカフェのカウンターの座ってみると……なんとも言えない独特な雰囲気のお店でした。

 その場で僕は「この店を借りたいんですけど」と、お願いしました。しかし、その時はまだ会社員。辞める予定もなく、仕事も順調。それでも、直感的に天職のような気がして借りることに決めました。

 もちろん問題も山積みでした。資金、礼金、内装などで少なくとも500万ほど必要です。貯金もありません。どうしよう……。

 そんな時に、お金を借りるために金融公庫に提出したプランが、魔法のようなビジネス計画「パラレルキャリアプロジェクト」だったのです。

 小さなスペースにカフェで集客、さらに古本を販売。ギャラリーでもスペースを貸して作品を販売すれば、相乗効果で収入が倍増するという計画書でした。

 すると一週間後、「わかりました。免許さえ取れれば、融資します。資格をとって下さい」。僕は、すぐに免許を取得し、無事にお金を借りることができました。

 パラレルキャリアカフェ 「古本×カフェ×ギャラリー=6次元」が誕生したのです。ひとつの能力や特徴を生かすより、「自分だけができる組み合わせ」を見つけるとなぜか立派なオリジナルになるのです。

 深く考えすぎず、思いつきで自分を変化させるような軽い変革を、ライトなイノベーション(light + innovation)という意味で、「ラノベーション」と僕は呼んでいます。

 パラレルキャリアには、とても重要な考え方のひとつです。 』


 『 ある日、とても重要なことに気がつきました。6次元で連日のように開催していた「働き系イベント」を続けた結果、仕事にはいくつかの種類があるという発見をしたのです。大きく分けて、3つに分類することができます。

 1. ライスワーク (食べるための仕事) 例 : 僕にとっての映像の仕事

 2. ライフワーク (人生をかけた仕事) 例 : ブックカフェの仕事

 3. ライクワーク (趣味を活かした仕事) 例 : 器を修復する仕事

 大事なのは、この3つのバランスです。例えば、明治の女性作家、樋口一葉は21歳の時「うもれ木」で文壇デビュー。

 しかし、生計を立てるために家庭用の雑貨を売る「荒物屋」をライスワークとしてオープンし、慣れない仕事をしながらライフワーク+ライクワークである小説を書き続けました。

 また村上春樹さんは25歳の時、国分寺でジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店。その傍ら、毎晩キッチンで小説を書き続けました。その経験もあって「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞しデビュー。

 2作目の「1973年のピンボール」までは、二足のわらじ生活。ライスワークのジャズ喫茶、ライフワークの小説、ライクワークの音楽。この3つがバランスよく混ざりあって成功したのです。

 人生は、ライスワーク(食べるための仕事)、ライフワーク(人生をかけた仕事)、ライクワーク(趣味を活かした仕事)、この3つのワークバランスを整えることが大切なのです。 』


 『 ブックコーディネーターやブックディレクター。このような新しい仕事は、10年前にはなかった言葉。

 しかし、今は普通に使われています。 これは、まさに造語思考。言葉があるから生まれる仕事もある。

 日本語は、そもそも「造語文化」の言語。日本という国の「スクラップカルチャー」の中で発達した文化のひとつです。

 なぜ「コミュニティデザイナー」「ホワイットハッカー」などメディアの造語は、ムーブメントとして広まるのでしょうか。

 「語幹が楽しく話してみたいと思える言葉が噂になる」という話を聞いたことがあります。人は新しい言葉を使ってみたくなる生き物なのです。

 ビジネスは新しい造語を作ったもん勝ち。 ネーミングが、商品を大きなコミュニティに変えるのです。

 これからは大きな「ビジネス」よりも「小商い」の時代です。身の丈にあった小さな商いを自分ではじめる。そんな生き方が注目されています。

 会社員だけど週末には自分の興味や特技を活かして仕事をつくりたい。フリーランスだけど受け身の仕事が中心なので、新しいサービスをつくりたい。

 ボランティア的な活動や文化芸術活動を助成金などに頼らず継続させる方法を考えたい、など初期投資やリスクが少ない形での、新しい「小商い」を考える時代になりました。

 そんな時は、まず言葉をつくって自分を動かす。そして、世間を動かす。小さなヒントから大きなアイデアの種を見つけるといいと思います。 』


 『 言葉は感情の引き金になるから気をつけなければいけません。感情を設計するのも、実はすべて言葉です。そして、文字は言葉という得体の知れない生き物に憑依(ひょうい)した魔物なのです。

 あまり人に話していない、僕の人生で一番不思議な体験があります。7年前、台湾に行った時に占い師に言われたことが、実はすべてそのまま当たって実現化しているのです。

 あなたは「もうひとつの名前を持ちなさい」と。そして、「中村邦夫とは別の名前で活動しなさい」と言われました。そこで考えたのがカタカナの「ナカムラクニオ」。

 すると驚いたことに、急に仕事が増えだしたのです。もうひとつの名前を持ち、キャラクターを設定するのは、とても大事なことだと思います。

 ことばエネルギーというものが確かに存在します。ネーミングで新しい世界をつくる。もうひとつの名前を持って自分の中に冷静な他人を取り込む。これは、パラレルキャリアの大切な裏技です。 』


 『 人間の脳が持っている「一定の刺激に7年で飽きる」という現象が、様々な社会現象やトレンドを生み出しているということを、ご存知でしょうか?

 人は、新しいものを好む「ネオフィリア」(neophilia)という性質を持っています。実は、地球上で人間だけが進化し繁栄したのは、人間が「ネオフィリア」だからなのです。

 人はチャレンジを好む。進んで新しいもの、違うものを求めます。無理をしたり、背伸びをするのが好き。刺激を求め、あえてわが身を危険にさらす生き物なのです。

 「ネオフィリア—新しいもの好きの生態学」の中で著者のライアル・ワトソン博士は 「新しもの好き(ネオフィリア)」 は 「新しいもの嫌い(ネオフォビア)(neophobia)」よりも、変化する環境を生き延びるのに有利だと書いています。

 neo : 新しい、philia : …の病的愛好、phobia : 恐怖症

 たとえばアリクイは、アリを探して食べるのに抜群の才能を発揮します。どの動物よりも、体の構造な行動が「アリを食べる」という行為に向いているのです。

 しかし、もしアリがいなくなったらどうなるでしょうか?アリクイは即、絶滅。つまり、人間は雑食化することで、リスク回避をしている生き物だと言えます。

 ワトソン博士によると、「新しもの好き」という性質によって、人類は変化する環境を生き延びてきた、ということになります。

 結局、人類は「足るを知る」ことができない生き物なのです。どんな仕事にも飽きてしまいます。だからこそパラレルキャリアで新しい刺激を脳に与え、さらなる進化を遂げることが必要なのです。 』


 『 あなたの弱点は何でしょうか? パナソニックの創業者松下幸之助さんは、自分が事業成功した理由を聞かれると「学歴がなくて、体が弱くて、貧乏だったから」と、言っていたそうです。

 ○ 学歴がないから、人の意見に耳を傾けられた。

 ○ 体が弱かったから、人に任せることができた。

 ○ 貧乏だったから、一生懸命がんばれた。  と考えていたのです。実は、弱みこそが才能なのです。

 「最強の弱点」を活かすと仕事がうまくいくのです。例えば、僕の場合、

 ○ 本の片付けが苦手 → 本を売るのではなく、体験を売ることにした。

 ○ 飽きっぽすぎる → いろいろなイベントを日替りで企画した。

 ○ 一カ所に長い間いられない → 地方の町おこし活動を始めた。

 つまり、弱点が逆におもしろがられて、いろいろな活動を続けられる。そして、結果的に、弱みが強みに変化していくのです。

 いまは、「共感」より「共鳴」の時代、「競争」より「共創」の大切さを知るべきです。誰もが「何かの達人」、どんな情報も必ず誰かの役に立ちます。弱点を克服しないで最大限に活かす。これは働く上で、大きな強みになると思います。 』


 『 自分にとって良いものを「ストック(貯蓄)」することを、僕は勝手に「グッドストック(Goodstock)と呼んでいます。

 お金を稼ぐだけでなく、「良いスキル」や「良い人脈」を広げ、「良い世界」が体験できる仕事のチャンスが欲しい。そんな時は、どれだけグッドストックが貯まっているかが重要です。

 1)  働くのに「ちょうど良い心の余裕」がある。

 2)  経済的にも「ちょうど良いお金」がある。

 3)  空間的に「ちょうど良い隙間」がある。

 4)  人間関係に「ちょうど良い人材」がいる。

 5)  すぐに対応できる「ちょうど良いアイデア」がある。   

 こうやって、ちょっとずつ「良い」をストックしていきましょう。よく「チャンスは貯金できない」と言われます。でも、グッドストックはチャンスを勝手に引き寄せてくれます。

 いつチャンスが来ても慌てないように普段から自分の「良い」を貯蓄して、チャンスを活かせる空間を作っておけばいいのです。 』


 『 アイデアやひらめきというものは、いったいどのような状況で生れるものなのでしょうか?中国・北宋時代の武将は「三上」という言葉で表しました。

 1)  馬上(馬に乗っている時)

 2)  枕上(布団に横になっている時)

 3)  厠上(トイレにいる時)

 ヨーロッパでは、3Bと言います。

 1)  Bar(バー)

 2)  Bed(ベッド)

 3)  Bath(お風呂)

 古今東西、みんなほぼ同じなのが面白いところ。

 僕がよく使う裏技は「瞑想→妄想→空想→仮想→予想→構想→理想」この順番で考えて、瞑想をだんだん理想に近づけるのがオススメです。

 「妄想」こそが、ありとあらゆるクリエイティブの源。機械やコンピュターにはできない技術です。人間がよりクリエイティブで生産性も高くいられるようにするには、脳に休息を与えることが必要。

 あえてボーッと考えることで、「妄想力」を鍛えて「創造力」に変えていけばいいのです。知識は有限ですが、妄想はいつだって無限なのです。 』


 『 映像で「見どころを紹介してみせるときカットは3つ」と言われています。この「3」という数字は昔から「Rule of Three(3の法則)」と呼ばれ、魔法の伝わる数字なのです。

 「決める時」「伝える時」「話す時」僕は働くとき何かにつけてこれを意識しています。

 「3 is a magic number」(3は魔法の数字)と昔の歌にあるように、「3」は記憶するにもちょうど良く、4つ以上になると覚えられずに混乱しやすいけど、2つだとものたりない……。つまり、もっとも伝わる数字、それが「3」なのです。

 「3は魔法の数字。  どこか古代の神秘的な神の国で、3という魔法の数字はできた。  過去、現在、未来。  信仰、希望、慈しみ。  ハート、頭、体。  君に3という魔法の数を与える……」

 実に奥が深い事実です。有名なコピーも 「くう ねる あそぶ」 とか 「早い 美味い 安い」 とか、3つの反復で構成されているものが多いです。 』


 『 ある日、イギリスの友人が大事なことを教えてくれました。計画には、ある一定の法則があって、これだけでいいという「魔法のTO DOリスト分類」が存在するというのです。それがこちら。

 1) always (いつもやること)

 2) hourly (毎時やること)

 3) daily (毎日やること)

 4) weekly (毎週やること)

 5) monthly (毎月やること)

 6) yearly (毎年やること)

 7) life (一生かけてやること)

 8) never (決してやらないこと)

 この項目に合わせ、やることを整理すれば、ほとんど人生でやるべきことがはっきりわかるというのです。 』 (第114回)

 


ブックハンター(目次)

2016-08-09 08:26:37 | 独学

 114. ブックハンター (目次)

 (1)  ブックハンターについて

 (2)  「聞き書き」砂金堀り飯場  (武井時紀著 昭和57年発行)

 (3)  滅びゆくことばを追って  (青木晴夫著 昭和58年)

 (4)  苦境からの脱出  (安藤百福著 平成4年)

 (5)  原野の料理番  (坂本嵩著 平成5年)

 (6)  植村直巳と山で一泊  (ビーパル編集部編 平成5年)

 (7)  勝負    (升田幸三著 昭和45年)

 (8)  分類の発想  (中尾佐助著 平成2年)

 (9)  武士の娘  (杉本鉞子著 平成6年)

 (10)  四千万歩の男  (井上ひさし著 平成2年)

 (11)  僕は動物カメラマン  (宮崎学著 昭和58年)

 (12)  アインシュタインの就職願書  (木原武一著 平成6年)

 (13)  アマゾン動物記  (伊沢紘生著 昭和60年)

 (14)  楽しく学ぶ民族学  (藤木高嶺著 昭和58年)

 (15)  ホーキング、宇宙を語る  (Stephen W.Haking著 平成1年)

 (16)  日本歴史を点検する  (海音寺潮五郎、司馬遼太郎 対談 昭和49年)

 (17)  孫子   (孫武著  紀元前480年)

 (18)  不実な美女か貞淑な醜女か  (米原万理著 平成6年)

 (19)  文明が漂う時  (木村尚三郎著 平成4年)

 (20)  人間であること  (田中美知太郎著 昭和59年)

 (21)  ピグミーチンパンジー〔未知の類人猿〕  (黒田末寿著 昭和57年)

 (22)  会話を楽しむ  (加島祥造著 平成3年)

 (23)  森田療法  (岩井寛著 昭和61年)

 (24)  なんで英語やるの?  (中津燎子著 昭和53年)

 (25)  スズメバチはなぜ刺すか  (松浦誠著 昭和63年)

 (26)  読み聞かせ  (ジム・トレリース著  昭和62年)

 (27)  大健康力  (塩谷信男著  平成9年)

 (28)  地球(ガイヤ)のささやき  (龍村仁著 平成7年)

 (29)  郷愁の詩人 与謝蕪村  (荻原朔太郎著 昭和63年発行、昭和11年初出)

 (30)  奪われし未来  (シーア・コルボーン著 平成9年)

 (31)  月は東に —蕪村の夢 漱石の幻—  (森本哲郎著 平成4年)

 (32)  自分の魅力に気づく本  (滝沢悦子著 平成2年)

 (33)  男語おんな語 翻訳指南  (リレーエッセイ 森瑤子 堀池秀人 平成5年)

 (34)  英語散策   (猪飼篤著 平成3年)

 (35)  イワナの夏  (湯川豊著 昭和62年)

 (36)  ラブ・ウォーズ  (多賀幹子著 平成3年)

 (37)  良寛 行に生き行に死す  (立松和平著 平成22年)

 (38)  翻訳に遊ぶ  (木村栄一著 平成24年)

 (39)  柳孝 骨董一代  (青柳恵介著 平成19年)

 (40)  骨董ハンター南方見聞録  (島津法樹著 平成13年)

 (41)  理三合格への道  (小橋哲之著 平成23年)

 (42)  となりの億万長者 (J・スタンリー&D・ダンゴ著 平成9年)

 (43)  注文の多い言語学  (千野栄一著 平成61年)

 (44)  英語表現をみがく  (豊田昌倫著 平成3年) 

 (45)  生物と無生物のあいだ  (福岡伸一著 平成19年)

 (46)  考える技術・書く技術  (板坂元著 昭和48年)

 (47)  知的生活の方法  (渡辺昇一著 昭和51年)

 (48)  アジア文化探検  (中尾佐助著 昭和43年)

 (49)  司馬遷  (林慎之助著 昭和59年)

 (50)  世界を変えた6つの飲み物  (トム・スタンデージ著 平成19年)

 (51)  野菜探検隊世界を歩く  (池部誠著 平成7年)

 (52)  最後の版元  (高木凛著 平成25年)

 (53)  この6つのおかげでヒトは進化した(前)  (チャプ・ウォルター著 平成19年)

 (54)  旅行者の朝食  (米原万理著 平成16年)

 (55)  ユーコン漂流  (野田知佑著 平成10年)

 (56)  使いきる   (有元葉子著  平成25年)

 (57)  私が株で学んだこと  (五十嵐玲二談 平成26年)

 (58)  裏方名人   (足立紀尚著 平成18年)

 (59)  シベリア動物誌  (福田俊司著 平成10年)

 (60)  少子高齢化を生き抜く「方丈記」の叡智  (山折哲雄著 文芸春秋平成26年7月号)

 (61)  命を救った道具たち  (高橋大輔著 平成25年)

 (62)  空と森の王者 イヌワシとクマタカ  (山崎享著 平成20年)

 (63)  一流の人に学ぶ 自分の磨き方  (スチィーブ・シーボルト著 平成24年)

 (64)  千曲川ワインバレー 新しい農業の視点  (玉村豊男著 平成25年)

 (65)  バァイオリン体操  (榊原泰三著 平成13年)

 (66)  パブロ・カザロス  (ジャン=ジャック・ブデュ著 平成26年)

 (67)  ブレークポイント  (ジェフ・スティベル著 平成26年)

 (68)  アフリカ旅日記 ゴンベの森へ  (星野道夫著 平成11年)

 (69)  アラスカ   (水口博也著 平成19年)

 (70)  「感性の扉」をひらく秘密の法則  (尾坂昇治著 平成15年)

 (71)   HAIKU Vol.1 (俳句 第1巻)  (R.H.Blyth著 昭和56年)

 (72)   私の骨董夜話   (浜美枝著 平成17年)

 (73)   ボクは料理長、ときどき鉄人  (坂井宏行著 平成12年)

 (74)   たぬきの冬   (石城謙吉著 昭和56年)

 (75)   選択から投資へ  (五十嵐玲二談 平成27年)

 (76)   英語の種あかし  (井上一馬著 平成18年)

 (77)   商家の家訓   (吉田實男著 平成22年)

 (78)   生命の跳躍   (ニック・レーン著 平成22年)

 (79)   推理作家の家——名作の生れた書斎を訪ねて  (南川三治郎著 平成24年)

 (80)   オデッサファイル  (フデリック・フォーサス著 昭和49年)

 (81)   この6つのおかげでヒトは進化した(後)  (チップ・ウォルター著 平成19年)

 (82)   推理作家の家(Ⅱ)——名作のうまれた書斎を訪ねて  (南川三治郎著 平成24年)

 (83)   インドの衝撃  (NHKスペシャル取材班 平成19年)

 (84)   アトリエの巨匠に会いに行く  (南川三治郎著 平成21年)

 (85)   どんどん上達する驚異の語学術  (佐々木淳子著 文芸春秋平成27年7月号)

 (86)   セレンディピティと近代医学  (モートン・マイヤーズ著 平成22年)

 (87)   ヘレン・ケラー自伝 「言葉を話す、コミニュケーション」 (へレン・ケラー著 平成16年)

 (88)   ヘレン・ケラー自伝 「サリバン先生 とw-a-t-e-r と 言葉の世界へ」  (ヘレン・ケラー著 平成16年)

 (89)   劉邦と項羽(最後に勝つ指導者の条件)  (宮城谷昌光著 文藝春秋 平成27年8月号)

 (90)   ヘレン・ケラー自伝 「一縷の望みを求めて」 (ヘレン・ケラー著 平成16年)

 (91)   悲喜劇のEU (民主主義とは何か)  (塩野七生著 文芸春秋 平成27年8月号)

 (92)   THE  RACE    (Tim  Archbold著 昭和63(年)

 (93)   英語で話すヒント  (小松達也著 平成24年)

 (94)   銀座ミツバチ物語  (田中淳夫著 平成21年)

 (95)   地球を救う森づくり(前)  (宮崎林司著 平成16年)

 (96)   地球を救う森づくり(後)  (宮崎林司著 平成16年)

 (97)   男の生き方四〇選   (城山三郎編 平成7年)

 (98)   得手に帆をあげて   (本田宗一郎著 昭和54年)

 (99)   ナマズ博士放浪記   (松坂實著 平成6年)

 (100)  クリエイティブ資本論  (リチャード・フロリダ著 平成20年)

 (101)  岳飛伝(十四)激撞の章  (北方謙三著 平成27年)

 (102)  下流老人とブラック企業を解決せよ  (藤田孝典、今野靖貴 対談 文藝春秋 平成27年12月号)

 (103)  親子で学ぶ英語図鑑(上)   (キャロル・ヴォーダマン著 平成26年)

 (104)  親子で学ぶ英語図鑑(中)   (キャロル・ヴォーダマン著 平成26年)

 (105)  親子で学ぶ英語図鑑(下)   (キャロル・ヴォーダマン著 平成26年)

 (106)  チェンジング・ブルー〔気候変動の謎に迫る〕(前)   (大河内直彦著 平成20年)

 (107)  チェンジング・ブルー〔気候変動の謎に迫る〕(後)   (大河内直彦著 平成20年)

 (108)  マタギ——矛盾なき労働と食文化   (田中康弘著 平成21年)

 (109)  英語で読む啄木〔自己の幻想〕(前)  (ロジャー・パルバース著 平成27年)

 (110)  英語で読む啄木〔自己の幻想〕(後)  (ロジャー・パルバース著 平成27年)

 (111)  内山晟の五大陸どうぶつ写遊録   (内山晟著 平成21年)

 (112)  英語で味わう名言集   (ロジャー・パルバース著 平成23年)

 (113)  一〇三歳になってわかったこと   (篠田桃紅著 平成27年)

 

 私の本棚

 ◎ 私の名刺 (1~6)

  私は、何について、どう考えようとしているのか。

 ◎ 地球と太陽と水と生物のエントロピー逆走物語 (1~17) (平成24年8月)

  熱力学の第二法則は、真であるが、この地球と生命の世界を観察すると、熱力学第二法則に反しているように見えます。その逆走を支えているエンジンは、何なのだろうか。

 ◎ 多元的全体食のすすめ (1~15) (平成28年5月)

  食べ物とは何か、私たち人類は何をどう食べてきたのか、これから私たちは、何をどのように食べてゆくべきか。

 ◎ 概念アラカルト (1~9) (平成28年6月)

  二五個の言葉について、いっしょに考えていきます。

 

 次回よりブックハンターを再開する予定です。 (第113回)