チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「英語表現をみがく」

2013-04-24 08:52:10 | 独学

 44. 英語表現をみがく  (豊田昌倫著 1991年9月発行)

 『 ケンブリッジ大学のC・K・オグデンが、1930年発表した「ベイシック英語」(Basic English)によると、
 名詞 ― { 絵画語(200)、一般語(400)}
 形容詞 ― { 特質語(100)、反対語(50)}
 作用語 ― 動詞(16)
 その他 ― { 助動詞(2)、前置詞(23)、冠詞・代名詞(15)、副詞その他(44)}

 ベイシック英語は、840語で、コミュニケーション可能だとした。絵画語とは、絵に描くことが可能な名詞、一般語とは、絵にかけない動作名詞などである。

 動詞は、次の16語である。
 come, go, put, take, give, get, make, keep,
 let, do, say, see, send, be, seem, have の16である。

 その理由としては、enter は come in、return は come back、look は give a look のように[基本動詞+副詞]あるいは[基本動詞+名詞]でその代用がされる。

 名詞は、600語で70%を占め、名詞だけでも最小限のコミュニケーションは可能であるが、言語表現のパワーは、動詞であり、基本動詞を理解することは、かなり難しい。 』


 『 デクスターの「ニコラス・クインの静かな世界」から get の使い方
"Is he here?"
"In the Interview Room. I've got a rough statement from him, but it'll need a bit of brushing up before he signs it.
You'll want to see him, I suppose?"

Yes, but that can wait. Got a car ready?"

 「その男はここにいるのかね」「取調べ室にいます。おおまかな供述書はとってありますが、署名させる前にすこし手なおしが必要です。その男の顔を見たいでしょ」
 
 「そうだ、だがそれはあとまわしでもいい。車を用意してあるかね」 』


 『 BBC放送の日本語部長を務める、トレヴァー・レゲット氏は、Behind the Blue Eyes と題するエッセイのなかでつぎのように述べている。

 私の知っている中国人は、わずか500語しか知らないが、空を指差し、自分があたかも太陽の熱で溶けつつあるアイスクリームのような身振りをして "Sun...hot...me...ice-cream!..."(太陽……熱い……私……アイスクリーム!……)という。

 これに対して、何万という英語の単語や古典的な表現を知っている日本の教授は、明確に発言しようと苦心して長い沈黙のあげく、"The weather lately has been oppressively sultry."(昨今の天候は抑圧的に蒸し暑し)と述べる。

 そういえば「人と話す」の意味で I conversed with an American student のようにいう。これは形式ばった表現で、I talked with an American student のほうが自然な英語である。 』


 『 英語がブリテン島に現れたのは、紀元5世紀ごろ、ゲルマン民族の一派、アングロサクソン人がブリテン島に到来した。
 
 彼らの話していた言語は古英語(Old English)と呼ばれ、語彙および文法は、現在の英語よりむしろドイツ語に近い。

 8世紀に入ってヴァイキングとも呼ばれるデーン人が来寇し、アングロサクソン民族と融合し、日常的な語彙を英語に注入する。

 gate(門)、fellow(仲間)、law(法律)、hasband(主人)、ski(スキー)などの卑近な語が多く、基本動詞の call (呼ぶ)および take(取る)もヴァイキングの遺産であった。

 英語の語彙に関してもっとも大きな変化は、1066年のノルマン人のイングランド侵入によってもたらされた。

 フランスの北端、ノルマンディーに居住していたノルマン人が王位継承権を求めてイングランドと戦い、ついに征服したのが「ノルマン人の制服」と呼ばれる政治的な事件である。

 約1150年から1500年までの英語を中英語(Middle English)と呼ぶが、この時期の英語の特徴はフランス語からの大幅な借用である。

     本来語   外来語
 服屋  seamer   talor
 深い  deep   profound
 友愛  friendship   amity

 1500年以降現在にいたる英語を近代英語(modern English)と呼ぶが、語彙の面での近代英語の特徴は、ラテン語の借用である。

 近代英語の初期はちょうどイギリスに於ける、ルネッサンスの時代にあたる。ルネッサンスは re(再)、naissance(誕生)の意味。つまりルネッサンスとはギリシャ・ローマの古典文化への関心の再生である。

 その結果、この時代に於いてはおびただしい数の古典語、とくにラテン語の単語が英語に取り入れられた。

      サクソン語    フランス語   ラテン語
 問う   ask       inquire    interrogate
 始める  begin      commence    initiate
 終える   end       finish    terminate
 昇る   rise       mount     ascend

 英語ではこうした語彙の3部構造がしばしば認められる。このように外来語にはフランス語に加えて、ルネッサンスの時期にラテン語が英語に入り、英語の語彙に一段と光彩を加えたのである。 』


 『 中学校の英語の教科書の不規則動詞リストには67の動詞があるが、その中で2音節以上のものは4例にすぎず、残りはいずれも単音節である。

 そしてそのほとんどは古英語の時代から用いられてきた本来語である。これらの不規則動詞は、いずれも「基本的な動作ないし行為」といえる。

 人間の生存を維持するための基本的な行為といいかえても良い。

 ただし、この場合の人間は現在の文明社会にいきる人というよりも、英語の祖先である古英語がはなされていた紀元5,6世紀ころを考えるべきである 』


 『 例えば「見る」は、一語動詞では、Look であるが名詞構文では、give a look  「電話をする」は、一語動詞では、call であるが名詞構文では、give a call となる。

 Well, what do you say that I give you a call on Monday?
 (では、月曜日にお電話いたしましょうか)

 英語では、品詞の転換がごく自由であるところから、動詞を名詞に変えて新しい名詞構文が生み出されてきた。

 read → have(take) a read
 think → have a think  のように表現される。

 "I want you to have a think about it before next week.
 Draft out a few ideas.
 Nothing too detealed.
 Just the outline."
 
 (「来週までによく考えておいてほしいんだ。アイデアをかき出しておきたまえ。とくにくわしくなくてもよい。およそその輪郭だけでいいから」) (コリン・デクスター「ニコラス・クインの静かな世界」)

 現代の英語にはこのように1語動詞を分析的に名詞中心の構文で表現することが多いい。現代英語の述部は[変化語+不変化語]で構成される傾向にある。

 例えば、He is reading. He was reading.
 They are reading. They were reading.
 She will run. She would run.
 I do sing. He does sing.
 I did sing. They did sing.

 こうした[変化語+不変化語]は経済的なパターンである。このパターンの変化語は、is, do, give, make, will, may などの基本的な動詞あるいは助動詞であり、その変化はきわめて単純である。

 have a think についてみれば、[変化語(have)+不変化語(a think)]となり、主語と時制で変化するのは基本動詞の have のみである。 』


 『 外国人による日本語のスピーチコンテストを聞いていると、思わず「うまい!」と声をあげたくなるような人がいる。

 自然な日本語を話せるには少なくとも2つの条件があることに気がつく。それは、日本語のリズム感をマスターすること、およびつなぎのことばをつかいこなせること、の2点である。

 まずリズムについては、英語とかドイツ語のリズムで日本語を話せば、たとえば、「高田馬場」は「タカッダノバーバ」となる。

 日本語式に各音節に均等な強勢を与えて「タカダノババ」といえる人は囲碁将棋にたとえれば、初段の力は十分にあるといってよい。

 もう一つの条件はつなぎのことば、「つまり」「というのは」「ご存知のように」といった表現を使いこなせる人は、たとえ語の途中でつまったとしても、ごく自然に耳に入ってくる。

 英語におけるつなぎの表現としては、Well(さて)、as matter of fact〈実は)、in fact(実際)、actually(実際には)、to tell the truth(本当のところ)、to be honest(正直なはなし)、come to think of it(考えてみれば)、after all(結局)などがあげられる。

 これに加えて、主語と動詞を含む文のかたちをとった重要なつなぎ表現として、I mean(つまり)、you see(だって)、you know(ですよ)がある。

 これらは文法的には「コメント節」(comment clause)と呼ばれ、自然な会話によく用いられる。 』
 

 『 "I was foolish enough to marry at eighteen, Inspector.
I'm sure you had much more sense than that."

"Me? Oh yes, em no, I mean. I'm not married myself, you see."

Their eyes held again for a brief second and Morse sensed
he could be living dangerously.

(「私、18歳で結婚するなんて本当にばかでしたわ、警部。あなたは分別をお持ちなので、そんなことはなさらなかったでしょう」

 「私ですか? ええ、その、ええと、いいえ。私は結婚してないんですよ」二人の目はふたたび一瞬相手をとらえ、モースは危険な道が迫ってくるのを感じた〉
(コリン・デクスター「ニコレス・クインの静かな世界」)

 いつもは明確なことばづかいをするモース警部の "Oh yes, em no, I mean."は、思わず答えに窮して逡巡するモースの姿を読者に思い浮かべさせるようだ。 』


 『 I have to leave you now. I'm going to that coner and turn.
You must stay in the car and drive away.
Promise not to watch me go beyond the corner.

(もうお別れしなければなりません。私はあの向こうの角で曲がります。あなたは車の中にいて、そのまま行ってください。私が角を曲がって行くところを見ないと約束してください。)

 1953年の製作でオードリー・ヘップバーンがアメリカ映画にはじめて主演した「ローマの休日」の場面である。

 束の間の自由を満喫した王女アンが、グレゴリー・ペックの扮する新聞記者の車で送られて、夜遅く大使館に帰る場面である。 』
 

 『 日本の大学では講義が主たる授業の形式とされているが、イギリスでは講義、演習、それにテュートリアルが3本柱と考えられてきた。

 テュートリアル(tutorial)とは個人指導のことで、原則として学生は1~2週間に1度、自分のチューター(tutor(指導教授))の教えをうける。

 この指導は1対1のインタビュー形式をとり、学生があらかじめ用意した小論文をめぐって討論することになる。

 昔話になるが、私はロンドン大学のユニヴァーシティー・コレッジで、ランドルフ・クヮーク教授の個人指導を受ける機会にめぐまれた。

 論文の内容はもちろんのこと、とくに外国人の私の場合は、英語の発音、読み方から書き方におよぶ指導はきびしさをきわめるものがある。

 しかし、約1時間におよぶテュートリアルのあとで、先生に入れていただくティーの味は格別に香り高く感じられた。

 最初の試練が何とか無事に終わってお礼を述べた時の、

 It's a pleasure.
 (どういたしまして)というクヮーク教授のことばは、今なお忘れがたい。

 Thank you (very much).(ありがとうございます)に対する「どういたしまして」を意味する応答としては、アメリカ英語の You're welcome. およびイギリス英語の Not at all. あるいは Don't mention it. がよく知られている。

 最近ではイギリスでも You're welcome. ともいうが、主流は Not at all. と考えてよい。

 しかし、おすすめしたいのは It's a pleasure. という表現。

 Not at all. とか Don't mention it. が「いいえ、どういたしまして」「お礼にはおよびません」のように、相手の感謝の気持を否定文で打ち消そうとする、いわば「消極的」表現であるのに対し、It's a pleasure. は「私のほうこそ楽しかったですよ」と自分の態度を打ち出す「積極的」表現である。(第45回)



ブックハンター「注文の多い言語学」

2013-04-14 09:01:54 | 独学

43. 注文の多い言語学 (千野栄一著 1986年発行)

 『 この「注文の多い言語学」というタイトルは私の創作ではなく、一種の盗用で、宮沢賢治の「注文の多い料理店」をもじったものである。

 話は二人の西洋かぶれの紳士が森へ狩に行くところから始まる。この日は不猟で、しかも2匹の猟犬も泡を吐いて死んでしまう。

 そこで猟を止めえ帰ろうと思うが、急に空腹であることに気がつく。そのとき、そこに「西洋料理店 山猫軒」がある。

 この料理店は一風変わっていて、いろいろなことが書かれてあり、扉にも「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこは御承知ください」と書かれている。

 さらに、髪はきちんとしろとか、はきものの泥をおとせとか、鉄砲と弾丸をここにおけとか、帽子と外套と靴をとれという風にいろいろ注意がある。

 やがて、金物類は身につけるな、クリームを手や足に塗れ、香水(実は酢)をふりかけろ、塩をぬりこめと要求はエスカレートして、二人はやがておかしいと気がつく。

 そして、逆に食べられそうになった二人が泣いていると、死んだと思っていた犬と猟師が助けにきて、あやしげな動物にたぶらかされていた二人が助けだされるという筋である。

 「料理店」と「注文する」は相互に依存されている語である。そして、この2つの語の組み合わせでは「料理店で注文がなされる」のが普通で、料理店で注文するのは客、注文されるのは料理店である。

 ところがこの作品ではその関係が逆になっている。そして、その注文の並べ方が最初は常識的なありうるものから、やがて合理化の説明が苦しくなり、読者が首をかしげる内容に変わっていき、ついに破綻したとき、この作品の種明かしがされる。 』


 『 もうそろそろ二十年(1960年ごろ)近くなるが、一人のお役人がプラハにやって来た。当時は、社会主義国に入国するのはそう容易ではなかったし、そもそも役人の旅行というものは、名目がなければ、勝手に日程を変更できないようになっている。

 美しいプラハの町を見るために、チェコに於ける輸血の施設の視察という理由を思い立ったのである。

 通訳として呼び出された私への指示は、視察は相手に失礼にならない範囲でごく簡単にしたいとのことであった。

 最新の血液センターを説明にうなずきながら足早に通りすぎ、いよいよ見学が終わりというときになって、われわれを案内してくれた金髪の研究員の人がコーヒーでも一杯といって応接室へとわれわれを招待した。

 「ことわるのも失礼だし、トルココーヒーを一杯いただくのも悪くないなあ」といって、この招待に応じたが、これは運命の分かれ目で、この人はプラハの見学を棒にふったのである。

 コーヒーが出て、話題がとぎれたとき、「この金髪のおばちゃんの専門はなんだろう。一寸きてみて」というので、専門に研究なさっている部門はとたずねてみると、血液が凝固するのを防ぐ物質があって、それがテーマだとのことであった。

 「えっ、それじゃxxxxxxx? 私もそれなの。これは驚いた。」このあと外が暗くなるまで話し合い、私がそれを通訳したが、xxxxxxxxと書いた舌を噛みそうな物質(私にはホルモンだか、薬品だか皆目見当がつかなっかった)をめぐって話しはつきなかった。

 「それじゃ、温度は?」「でも、xxxxが出てくるでしょ」「xxxxxを入れる?」「反応を防ぐxxxxxは使わないの」「するとxxxxの方ね」「その条件を研究しているんだが」「あなたも、するとxxxxxはどこから?」という風に話しが続いて、通訳の私には全く分からず、しばしばお二人に、「ちゃんと通じているんですか」と私がきくはめになった。

 「大丈夫、完璧だよ。それより、これをきいてくれない?」ということで話しはつきず、結局、センターを閉め出され、ワインケラーへ席を移し、金髪の女医さんの御主人が夜中に車で迎えにくるまで、二人の専門家は夢中でしゃべりあった。

 通訳というのは原則として通訳している内容を理解してないとうまく訳せないものである。しかし、テーマが定まって、伝達だけをその目的として話し合えばうまく通ずるということが分かって、私にとっても貴重な体験であった。

 髪の色も、年齢も、性も違う二人の人間が夢中で話し合う姿は美しいものであり、話しの内容が何も分からないにも拘らず楽しい通訳であった。 』


 『 そう、もうかれこれ十年ほどになるが、大学の会議に出ていた私のところに電話が入って、その場からすぐにタクシーで羽田へ飛んで欲しいという要請があった。

 羽田には到着しだい航空会社のカウンターに行けば、その時点で最初に飛ぶ飛行機の航空券が確保されていて、千歳空港には車を待たせてあるというのである。

 用件をきてみると、北海道を転戦中のチェコスロバキアのバレーボールの選手の一人が変調をうったえ、入院しなければならないらしい。

 しかし、社会主義国のナショナルチームには、必ずチームドクターが付いているので、その旨を伝えると、そのドクターの要請で、私の到着後すぐ地元の専門医と話し合ってから手術をするかどうかを決定したいとのことであった。

 あとで分かったことだが、オリンピックの前年で、すでにもう高度のコンビネーション・テクニックを練習中なので、この手術はチームの根本的改革を意味し、オリンピックを目的に練習を重ねてきた選手にとっても、手術をするかしないかは非常に重大な意味を持っていた。それになにより選手の生命に関することである。

 チームドクターと話して見ると、監督、コーチは手術を望んでないが、自分としては手術は避けられないと思う。

 医者としては間違う余地のない明白な盲腸で、しかも、そろそろ一刻をあらそう時期が近づいている。

 ただ、自分はスポーツ医学と内科が専門なので、外科医の意見を念のためにききたい。当人はシャワーに入れてあり、このまま病院へ行く予定とのことであった。

 市の中央病院に乗り付けると、外科の医長さんは不在で、若い担当医が出てきた。そして形通りの診察が行われたが、一メートル九八センチ、九〇キロある選手を見て、「デッケーナー」といった言葉に、選手は「手術といったのか」とせきこんで私にたずねた。

 この一言は余計なことはしゃべってはいけないと同時に、言葉が理解できない不安は解消していかなければならないという方針を私に与えることになった。

 ものの十五分もしないうちに、町で夕食中の医長が探し出され、診察室にあらわれた。

 そして、チームドクターの説明を聞いてから、「拝見しましょう」といって、選手の身体をちょっとさわってから、「すこし検査が必要なので、検査室を準備させますから、そこで休んでください」と選手に伝えた。

 しかし、実はそれ以前に、おなかをちょっとさわった段階で、医長さんは選手に見えないように白衣のうしろでニギリコブシを二・三度開いて見せ、そのサインで看護婦さんは手術の準備へと散っていった。

 結局、その場で手術はおこなわれた。手術の説明があってチームドクターが同意し、医長さんが執刀した。手術の間も手順の確認と同意が目で繰り返され、手術は順調に終わった。

 二人の専門家の見立て通り盲腸で、それもその晩がギリギリという危ういところであり、真赤に充血した盲腸がとりだされたとき安堵のため息が手術室に広がった。

 チームドクターによると手術の方法はチェコと全く同じとのことであり、医長さんの話では腹筋を鍛えてあり、しかも日本人にはないような厚い皮下脂肪があったので切り口をジグザグにしなければならなかったとのことであった。

 元気な選手のことでもあり、手術後の回復も順調で、結局、転戦後のチームと一緒に帰国していったが、この手術の通訳は人の役にたったという充実感を私に残してくれた。

 そうもう一つ、手術が終わったとき、疲労のため手術室の中で一人の人が気分が悪くなり、倒れかかって別室につれ出され、椅子に座らされたが、白衣をぬぎ、マスクや帽子をとってみると、現れたのは通訳であった。 』


 『 言語学は外国語上達法にどのような意味を持つか」という問いには、「言語学は外国語の習得にはかくし味のような役割をしている」と答えることにする。

 かくし味とは何かを厳密に定義できるほど料理に精通しているわけではないが、かくし味というのは料理を作るプロセスでさりげなく入れたものが、後になってきいてくる味のことで、直接的に味を左右するものではないが、全体の味に重要な役割をはたすものである。

 世界のどの言語といえども、単語と文法のない言語はないという事実に気がつく。そしてすべての言語に於いて、単語の数と文法の規則の数を比較すると単語の数の方が多い。

 今仮に、文法だけしか知らない人と単語だけしか知らない人を比べれば、前者は実世界では何の役のも立たないことに気がつくであろう。

 外国語の習得とは第一に単語を覚えることにつきる。一つの言語にある単語のあり方を見ると、どの単語もその言語にとって同じ重要性を持っているのではない。

 そこには極端な差があり、ある単語はその言語にとって非常な重要性をもち、テキストの中に繰り返し出てくるのに、あるものは極めて稀にしか出てこない。

 わたくしたちは、母国語でさえ単語が覚えきれなくて辞書を引くわけだから、外国語で辞書を引くのは当然である。しかし、辞書を引くからといって単語を覚える必要がないというのはうそである。

 例えば、英語でbe動詞とかin、at、on、to …というような前置詞とか、I,it、this …のような代名詞を毎回引く時間と、この単語を覚える時間とを比べたら、覚えた方が絶対に得である。

 そこで、どこまで覚え、どこから辞書を引くかの線を定めることが必要になってくる。ここで、言語学が貴重なアドバイスをする。

 すべての語彙は四つのグループのいずれかに属することが解る。すなわち、

(一) 広い分野に出てきて頻度が高い。
(二) 広い分野に出てくるが頻度は低い。
(三) 狭い分野に出てくるが頻度は高い。
(四) 狭い分野に出てきて頻度が低い。

 これを見たとき、(一)の単語は覚え、(四)は辞書に頼るとして、(二)と(三)が問題である。

 もし、あなたが外国語の単語を覚えるとき、狭い範囲の文献だけを読むつもりなら、(三)は(二)より優先させなければならない。しかし、ある限られたテーマにこだわらずに広く読みたい人は、(二)を(三)に優先させるほうが得策であろう。 』


 『 一つの言語を正しく学ぶには文法は不可欠である。なぜなら文法のない言語はないのであるから!

 ただ、文法のあり方は言語によって大きく異なり、形態論が豊かな古代ギリシャ語や、サンスクリットなどの言語では、文法の変化形を覚えなければ辞書を引くことすら不可能である。

 文法の習得でも、何をどのくらいどの順序で覚えるかが問題になる。例えば、英語で名詞の複数形を作る規則を覚えるとしたら、まず、-s、-es のつく規則形を覚えるべきである。

 だが、しかし、同時に、foot:feet、deer:deer、ox:oxen …というような不規則形も覚えなければならない。

 何故なら、このような不規則な変化をしている語は、頻度数の高い語に決まっているからである。

 もし、何万語に一度しか出てこない語が、不規則な複数形を作ったり、be 動詞のような活用をしたら、言語の話し手の記憶の大きな負担になるであろう。

 英語での動詞の強変化、形容詞の比較級、人代名詞などの不規則変化は、すべて頻度数の高い語に限られている。

 外国語のテキストにある重要な変化表のうち黒枠で囲まれているものをノートにはり直すとたった7頁にしかならないそうである。

 言語にはその存在が絶対に必要な中心領域とそのまわりにある周辺領域とがあり、中心領域をなすのは、頻度の高い基礎語彙と文法である。

 従って、まずそれらの習得が外国語の習得の第一歩だということも言語学は教えるのである。 』


 『 翻訳しようとする言語にそこで述べられているレアーリア(realia:実在するもの)がないと、説明しなければならないが、実はここに翻訳の実体があり、翻訳は可能であるという見解と翻訳は不可能であるという見解が、それぞれ真実の一面を付いていることを示している。

 このことを可能にしているのは言語の一つの性質で、プラハ学派の創立者で優れた言語学者であるビレーム・マテジウスは、そのことをつぎのように述べている。

 「ことばが多種多様きわまりない現実をどれほど明確に、どれほど詳細に言い表すことができるかについて、これまでにもういくつかお考えになったことがおありかどうか知りませんが、よりいっそう研究を進めると、ことばの表現力の柔軟さは二つのものに依存していることが見出せます。

 一つには、現実的にその全部がことばによって表現されているのではなく、表現によりよく適している簡単化の枠の中に現実が整理されてあること、もう一つには、ことばで表現するとき、相互に関連する記号である驚くべき体系、すなわち言語を使うことです。」 』(第44回)


ブックハンター「となりの億万長者」

2013-04-05 08:29:52 | 独学

 42. となりの億万長者(斉藤聖美訳 1997年9月発行)

 The Millionaire Next Door (The Surprising Secrets of America's Wealthy)
 (アメリカのお金持ちの驚くべき秘訣)
by Thomas J.Stanley and William D.Danko copyright 1996
 (トマス・J・スタンリー & ウィリアム・D・ダンコ著)

 『 20年以上前、私たちは、人はどうやって金持ちになるかを研究しはじめた。最初、私たちは、誰もが考えるように、いわゆる高級住宅街に住む人々を対象に調査を行った。

 だが、そのうちどうも奇妙なことに気づいた。豪華な屋敷に住み、高級車に乗っている人たちは、実際にはあまり資産を持っていないのだ。そしてもっと奇妙なことに気づいた。大きな資産を持つ人々は、そもそも高級住宅に住んでないのだ。

 この小さな発見が、私たちの人生を一変させてしまった。トム・スタンリーは大学の教職を捨て、富裕層を対象としたマーケティングの本を三冊書き、富裕層向けにビジネスをする企業のアドバイザーになった。

またアメリカを代表する大手金融機関七社の依頼で、資産家についての研究調査を行った。この20年間、彼と私は、富裕層向けビジネスに関するセミナーを何百回と行ってきた。

 なぜ、こんなにも多くの人々が私たちの話に興味を示したのか? それは私たちが、本当の金持ちは誰かを探し当てたからだろう。そして、どうすれば普通の人が金持ちになれるかの法則を分析し発見したためであろう。

 たいていの人が、資産について間違った考えを抱いている。「資産」は「所得」と同じではない。毎年高い収入を得ても、それを全部使えば、いい暮らしをしているだけなのだ。

 どうしたら金持ちになれるか。この点でも、普通の人は勘違いしている。幸運、遺産、高学歴、頭の良さが条件ではない。勤勉、我慢、計画性などのライフスタイルから、資産は形作られていくのだ。そして自分を律する強い精神力を持つこと、これが何より重要なのだ。 』


 『 どういう人が金持ちになるか? たいていは、成人してから住み着いた町にずっと住むビジネスマンである。小さな工場やチェーンストア、サービス業の会社などを経営し、離婚せずに家庭を守ってきた人である。

 彼らは、自分よりはるかに少ない資産しか持たない人たちのとなりに住む、ごく普通の人だ。彼らは脅迫観念にとらわれたように貯蓄し、投資をする。独力で金を稼ぎ、金を貯める。アメリカの金持ちの8割は一代で富を築いている。

 資産家のライフスタイルは、お金が貯まるようにできている。私たちの調査から、次の七つのポイントが資産を築く成功の秘訣だということがわかった。

 1 収入よりはるかに低い支出で生活する。

 2 資産形成のために、時間、エネルギー、お金を効率よく配分している。

 3 お金の心配をしないですむことのほうが、世間体を取り繕うよりもずって大切だと考える。

 4 社会人となった後、親から経済的な援助を受けてない。

 5 彼らの子供たちは、経済的に自立している。

 6 ビジネスチャンスを掴むのが非常にうまい。

 7 自分にぴったりの職業を選んでいる。

 私たちは、アメリカの資産家がどのような人々で、彼らがどのような人々で、彼らがどうやって資産を築いたかを綿密に研究した。本書は私たちが20年間行って来た研究を基礎としているが、執筆に利用したデータのほとんどは、最近の調査結果である。

 私たちは500人以上の資産家にインタビューし、又一万一千人以上の資産家や高額所得者にアンケート調査した。 』


 『 お金持ちの第一の定義は、現在の資産額から負債額を差し引いた純資産額が、100万ドル以上持つ人を億万長者、お金持ちと呼ぶ。この定義によれば全米一億世帯のうち3.5%がお金持ちとなる。億万長者の95%は、100万ドルから1000万ドルの資産を持つ。

 お金持ちの第二の定義は「期待資産額」を基にするものである。資産額はその人の年齢と収入に大きく影響される。収入が多ければ資産も多いはずだし、働いた年月が長ければそれだけ蓄財もできているはずである。

  年間家計所得(税引き前)X 年齢 / 10 = 期待資産額

  期待資産額 < 純資産額 (この式の意味は、毎年年収の一割より、多くの資産を創ることが、出来た人は金持である)

 ボビンズ氏の場合、41歳の消防士と妻の二人の年収は5万5千ドルで,純資産額が46万ドルとすると、期待資産額は22万5千5百ドルで、彼らの純資産額の方が上回るので、お金持ちとなる。ボビンズ氏は、100万ドルにはるかに及ばなくてもお金持ち(蓄財優等生)とされる。 』


 『 ロシア系アメリカ人は全米に1.1%しかないのに、億万長者の中では6.4%もいる。ロシア系アメリカ人の22%は、億万長者なのだ。

 なぜロシア系アメリカ人はお金持ちになりやすいのか。それはロシア系に事業家の割合が非常に高いせいだと考えられる。

 スコットランド系アメリカ人は、全米に1.7%しかいないが億万長者では9.3%を占める。億万長者を輩出する人種は、所得も高いと想像される。

 実際、億万長者の3分の2以上は10万ドルを上回る年収を得ており、所得と資産には強い相関関係が見られる。

 ところが唯一の例外は、スコットランド系である。スコットランド系の高額所得者は全米に1.7%しかいないのに、億万長者となると9.3%に跳ね上がる。

 なんとスコットランド系では、6割の人が年収10万ドル以下で億万長者になっているのだ。スコットランド系は、倹約の美徳、自己管理の大切さ、経済的に成功すること、自立することの重要性を代々受け継いでいる。 』


 『 毎日ジョギングする人たちって、そんなことをしなくてもいいようなスタイルの人たちじゃありませんか? でも、あの人たちは毎日走るからこそ、引き締まった身体でいられるんですよ。

 お金持ちも、経済的に心配のないように努力しているからお金持ちなんです。経済的にゆとりのない人は、自分の生活を変えようとしないからゆとりができないんです。

 誰だってスマートになりたいと思う。そのために何をしなければならないかも知っている。なのに、なかなかスマートになれない。

 それは、実行する強い意志の力がないからだ。計画を立てて運動する時間を作り出そうとしないからだ。金持ちになるのも同じこと。

 お金持ちになりたい気持ちはあっても、守りの姿勢ができあがっていないのだ。お金を使う前に、時間をかけてきちんと計画を立て、予算を組み、出費をコントロールしなければお金は貯まらない。

 ルール夫人は、自己管理が上手で、じっくり時間をかけて計画を立て、予算を立てる。ルール夫人の家計収入は年によって大きくぶれる。5年間の平均年収は9万ドルだった。

 収入が不安定であるにもかかわらず、ルール夫妻の資産は毎年増加している。現在、ルール家の資産は200万ドルを超えている。予算に関する私たちの四つの質問に、すべてイエスと答えている。

 1 あなたの家庭では毎年予算を立て、それに従って支出しますか?

 2 食費、衣料費、住宅費にいくら使ったか把握してますか?

 3 あなたは人生設計を立て、毎日、毎週、毎月、毎年の目標を立てていますか?

 4 将来のために時間をかけて資産運用計画を立てますか? 』


 『 ドクター・ノースは、今乗っている車を買ったのは6年前だと誇らしげに話してくれた。新車を買って6年間乗り回しているわけではない。

 六年前に、三年経った中古のメルセデス・ベンツ300を3万5千ドルで購入している。ドクター・ノースは大いに気に入っている。

 値段も手頃だったし、ディーゼルなので燃費もいい。何十万キロ走ってもオーバーホールの必要はない。そのうえ、スタイルが時代遅れになることもない。

 新車は中古より2万ドルも高かった。そこで考えたんです。「新車を持つプライド」に2万ドルかける価値があるだろうか、ってね。

 車はそんなに違わないんだから、あとはプライドの問題だけでしょ。プライドのためだけに2万ドル払うことはない、というのが私の結論でした。 』


 『 私たちが取材した起業家で成功した人々は、一人残らず、仕事を楽しんでいる。みんな独立したことにプライドを持っている。

 ある数百万ドルの資産を持つ金持ちが、私たちにこう話してくれたことがある。

 最近は、仕事がおもしろくない、というサラリーマンが多いようだ。だが、こう言ってはなんだが、仕事で成功するヤツというのは、仕事が大好きで、朝起きて会社に行くのが待ち遠しいと思うような人種なのだ。

 少なくとも私はそうだし、昔からずっとそうだった。今でも、朝起きて仕事にとりかかるのが待ち遠しいよ。

 彼には子供がなく、妻を亡くしている。彼が事業を始めたのは金のためではない。彼にとって、金は二の次の問題でしかない。

 彼は死後、遺産を出身校の奨学金に寄付することにしている。彼はどのようにして事業分野を選択したのだろうか。彼は理工学部で学んだ。

 学部には、自分で会社を持って事業をしている教授がたくさんいた。この教授たちが、彼のお手本だった。

 事業で成功する人は、自分で会社を始める前に、何らかの形で、その分野の経験や知識を持っている。

 たとえばラリーの場合、彼は十年以上、ある印刷会社で営業をしていた。彼は常によい成績をあげていたが、会社がつぶれるのではないかと心配しながら仕事をするのではなく、自分で印刷会社を始めることを考えるようになった。

 そこで、彼は私たちにアドバイスを求めてきた。私たちはラリーに簡単な質問をした。「印刷会社で一番重要なものは何ですか?」

 彼はすぐさま「たくさんの注文、売上、顧客」と答えて、自分で問題の回答を見つけ出した。彼は自分で事業を始めたが、印刷会社ではなく、印刷会社の営業代理店を始めたのである。

 彼は大手印刷会社数社の営業を代行し、注文を受けるたびに手数料をもらい受けている。このビジネスでは、間接費がほとんどかからずにすむ。

 ラリーは自分で会社を始める前に、起業家になる勇気がないと私たちに話していた。独立することを考えただけで、不安にさいなまれたという。

 ラリーは、起業家は怖いもの知らずの勇気ある人だと思い込んでいた。私たちはラリーに、あなたの定義する勇気は間違っていると話した。

 私たちの定義では、勇気とは、漠然とした不安感をはっきりと具体的な形に置き換えることを指す。

 勇気ある人々、起業家たちも、不安になることはある。だが彼らは不安感をどう扱えばよいのかわかっている。だから成功できたのだ。 』


 私(ブログの筆者)が、この本から、学んだことを列挙します。
 
 1 自分を生かすべき職業を持つ(自分で工夫し天職にする)

 2 利益を生む優良企業の株を保有する(成功した起業家はその株で富を得ている)

 3 利益を生む利用価値のある不動産を保有する(発展する都市を事前に予測する)

 4 価値を生む文化財(骨董)、利益を生む特殊な生産財を保有、活用する

 5 知恵を授けてくれる人々をもつ、または多くの人に知恵を授ける

 6 ある分野に特化した知識、技術を持ち、その分野を克明に観察する

 7 自分の現在の状況に於いて、小さな価値あるものを発見して、育て上げる

 8 自分の種銭を丁寧に使い (期待資産額 < 純資産額) を目指す(第43回)


ブックハンター「理三合格への道」

2013-04-01 14:17:46 | 独学

41. 理三合格への道 (小橋哲之著 2011年2月)

 最初にお断りをしますが、私(このブログの筆者)がこの本を選んだのは、東大の理三をこれから受験するために選択したのではありません。私はすでに前期高齢者でありますが、様々にこれからの自分の生活に役立てたいと考え選びました。

 私が目指すのは、少しでも賢くなる方法、少しでも生活に役立つ知識、少しでも子供たちの能力を発揮させるための教育のメソッドがあるのだろうか。

 現在の日本の小、中、高、大学の学問形態はベストなのだろうか。若者が自分の歩くべき道を切り開くための教育がなされているのだろうか。

 と日々考える中で、ほんの一握りの優秀な受験生だけの読み物にするのではなく、一般の大多数の劣等生または、私のような旧劣等生にこそ知恵として、活用すべきと考えこの本を選択しました。


 『 難関大学が本当に求めるものは、東大の過去問を分析すると、次の三つの能力が試されていることに気づきます。
「知識」 「情報処理能力」 「ひらめき」の三つです。

 第一の「知識」は、「事実」と「関連性」に大別できます。「事実」とは、1足す1は2であり、2次方程式は、解の公式により必ず得られ、「山滴る」は夏の季語であり、銀は電気伝導性が高く、ダイヤモンドはこの世で一番傷を付けにくい物質であるというものです。

 「関連性」とは、それら個々の事実の間に存在する何らかの関係を把握するという形態での知識です。断片的な事実が様々なストーリーで連結され、有機的なネットワークとして頭脳に格納される時の、ストーリーそのものを指します。

 本当の知識は整理不可能なほど絡み合っているはずです。断片的な事実としての知識を整理して保有することではなく、ネットワークの中から必要な事実を検索する能力こそ重要です。

 私はこれを「脳内グーグル先生」と呼んでます。この先生を使えば使うほど賢くなれる。そして、「ひらめき」はこの「脳内グーグル先生」から生み出されます。

 したがって、賢い人は、「事実」と「事実」の間には、常に何らかの関わりがあるということを認識しており、知らず知らずにそれを見抜こうとする習慣が出来上がってます。

 第二の「情報処理能力」とは、与えられた条件、情報を把握し、何が論点かを見抜き、なすべきことを正確に粛々とこなす、能力です。国語力、計算力や速読力などがこれにあたります。 

 第三の「ひらめき」は、薄々その価値の大きさに気付かれつつも、対策が分からず放置されがちなのが「ひらめき」です。
 
 一見複雑に絡み合った問題も、臆せずに分析すれば重要な手掛かりに気付き、「あ、こうすればいいのか」と見抜き、一気に解法へ辿り着く、そういう「気付き」をもたらす能力です。 』


 『 「この問題を解くにあたり、使うべき道具(知識)は何か。」
 「解ける者はどうしてその道具の使用をひらめいたのか。」
 「自分が再び同様の問題にあたったとき、何を思い出すべきか。」

 さらに、「自分がどこでつまずくか」自分の頭脳のクセを良く知ることです。

 問題を分析する眼力を養えば、英語を解いても物理を解いても、「この問題のキモはここにある」「この一行が全てを好転させるミソだ」と見抜けます。 』


 『 初歩と基礎を混同している人がいますが、初歩を primary とすれば、基礎は fundamental 。初歩的なことを幾ら繰り返していても学力は伸びませんが、基礎を疎かにするとどんなに背伸びしたって絶対に転びます。

 英語の基礎は文法であり、数学の基礎は定理になります。英語の成績を伸ばしたければ、文法・語法に強くなることです。

 数学の教科書は、全ての定理が一連の流れの中で上手に登場し、解説されています。定理を活用できるように把握することが、基礎である。 』


 『 耳から入る情報は、目から入る文字情報と異なり、一瞬で過ぎ去りますが、たった一度の感覚刺激から頭脳を活性化させ、豊かなイメージを抱かせ、それを抽象化して頭脳に刻み込むという、非常に集中力を要する作業です。

 既に、「議論せよ」と述べましたが、相手の言葉を瞬時に把握して反駁するためにもこの力は必要です。受動的な生徒はこの「耳で学習する」ことが大変苦手だということです。

 能動的な生徒は、英文読解で使われる長文を、小学生が教科書を音読するように、繰り返し読み返しながら脳に刻み込んでいるのです。 』


 『 化学は決して、「科学的センス」だけで得意になれる科目ではありません。四則演算の嵐なのに電卓を持ち込めない、そして分数ではなく少数で数値を答えなければならないことが、単純な計算力の差が明暗を大きく左右します。

 導いた方程式がいくら正しくても、最後の最後で計算ミスを犯せば零点です。さらに言えば化学ほど「時間が足りない」のも化学です。 』


 『 成績の伸びる生徒ほど「すぐに調べる」「疑問を翌日に持ち越さない」という特性が見られます。「すぐに調べる」動作は、既に疑問点を明確に掴んでいることを意味します。

 講義していると即座に電子辞書を開く者もいれば、図説を開く者もいます。その一方で、ぽけーっとしている者もいます。今後の伸びの違いは明らかです。

 頭の中に浮かんだ疑問符のタマゴを見逃すなということです。英語の成績は辞書を引く回数に比例すると言われています。

 例えば分からない言葉、失念した言葉をすぐ調べ、脳内に浮かんだ疑問のタマゴを見逃すことなく、この疑問のタマゴを解決することによって、さらに理解を深くします。 』


 『 学習とは未知の知識とその運用法を「型」として習得し、様々な問題に対処する技術を鍛えていく、手順に他ならない。

 学習の要は復習にあり、まだ十分に覚えている時期に復習せよ、すなわちその日の内に復習せよ。 

 5分間の価値を知って、優秀の者ほど小さな時間を大切にし、僅かな成果を蓄積します。復習は短時間で完了されます。

 成績の良い生徒ほど字を書くのが早く、彼らは、手元を見ずにメモしていく。すなわち講師の話しと黒板に集中しながら、手元を見ずにメモします。 』


 『 奥田猛先生の数学の授業は、その日のテーマとなる問題を十五分前後で生徒に解かせ、それを先生が教室中を歩きながら観察し、解説に移る。

 奥田先生は生徒の指摘する解法を「渋い!」「面白い!」などと言いながら次々に黒板に完成させていくのです。

 良い問題を自分の力で、一から解ける問題を一つでも多くすることである。人生に於いてもより多くの成功体験を持つことが人生を豊かにする。』(第42回)