宅配グルメ弁当 いのうえ屋        by レストラン いのうえ

1964年開業の老舗(ただ古いだけです 汗)
これからも お役に立てるように
日々 がんばってます!

宅配グルメ弁当いのうえ屋byレストランいのうえ

1964年 橋本に ”レストランいのうえ”開業 街の洋食屋として親しまれました(自分で言う?) 今現在は宅配弁当店にて 奮闘中 !! ロケ弁・会議弁当・懇親会料理をお届けしてます。 こだわった食材を丁寧に調理してお届け! こだわりの分 少し価格が高い・・(^^;)  こちらのブログには 店長がある事無い事を ちょこちょこ書いています。  特注弁当の写真も 載せていますので見て下さいねm(_ _)m

商工会議所へお届け

2011-05-31 | 店長の独り言

今日の写メ

 

お肉 焼き魚 色々メニューでした 

 

 

面白い記事が

この国は 国民を 守らない ・・・

(グッチーポストから転載したものです)

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いろいろ証拠はあるのだが、結局福島の子供たちに対し

20ミリシーベルトまで被爆上限を上げたのは

そもそもの安全性うんぬんの話ではなく、

1ミリシーベル トではその基準をすぐ超えてしまい、

移住などの大規模な手を打たねばならず、

当然責任問題が大きくなる事、またその対処・計画すら何もできておらず、

杜撰 という非難に耐えられないからに過ぎないというのでは呆れてものが言えない。

昔父親から聞いた終戦間際の本土決戦準備の話とこれは全く同じだった。

この現代に同じことが起きて改めて日本と言う国の体質に呆れている。

彼 (父)は陸軍士官学校を卒業し、

本土決戦要員で新潟方面に上陸したソ連軍を迎え撃つというのが任務だったのだが

、戦車、大砲などを日本海側及び新潟まで 持っていくにも道路が無く、

また燃料もない、という状況で、道路については民家をすべて押しつぶして進行せよ、

燃料についてもその辺の町の備蓄を強奪せ よ、

本土決戦の為なのだから全てに優先するのだ、

という命令書を受け取り、呆れ果てて焼き捨てた、という話していた。

当時の若い将校の中には結構こういう連中がいたようで、

作家の司馬遼太郎さんも同じことを話していたことをよく覚えている。

終戦がもう1週間遅れていたら全員軍法会議で切腹させられていただろう。

つまり国民を守る、と称して守るべき国民の家を潰し、

彼らの所有物である物資を略奪して敵を迎え討て、

と言っている訳で、守るべきものは実は国民では無く、帝国陸軍という組織そのものだった訳だ。

今の日本政府、東京電力が全く同じ事をやっているに過ぎない、と言う事は明らかだろう。

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自分の子ども そして身内

守るのは 自分で   って事ですよね ・・・ 

 

 

 

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