改造社版『正宗白鳥集』序詞(筆蹟)
【BST01】正宗白鳥「ダンテについて」―本文批判への道―>
金沢 篤
同僚の松本史朗氏とは研究室も隣り同士、けれども授業時間のこともあったりで、あまり話す機会はない。結局決まって顔を合わせるのは教授会の時くらいだろうか。それでも思い出したように紙切れを使って問答したりする。紙切れにサンスクリットの単語やフレーズなどを書き付けて意見を求められることがある。氏にとってはその時々の研究の中で気にかかることを打開するためのお気楽な駄目元ツールの一つかも。
最近の話だが、メモ書きには「夢を夢ませる」とあった。「夢ませる」を何と読むのかとのご下問。答えに窮する難問だ。日本語なのだからと気張るが、なかなか思いつかない。なんと読ませたいのか。しばし思案した後に、わたしが得たのは、「夢を夢(まどろ)ませる」だった。「夢を見させる」と言えば済むところ。「夢」という漢字にどういう読みを当てると送り仮名の「ませる」にうまく接続するのか。無理矢理の「まどろませる」だとやはり意味がずれてくる、でも「夢を見るようなうとうと眠りに誘う」ほどの意味だろうか、とこじつけた。
松本氏は、それが正宗白鳥(1879.3.3~1962.10.28)の「ダンテについて」中に現れる用例だと明かしてくれた。氏がキリスト教信者でもあった正宗白鳥を特別視していることは昔から知っていた。そうしたこともあって、わたしも正宗白鳥のものは主要な作品はだいたい揃えて持っていて一通りは目を通しているつもりだった。
松本氏の話では、氏の令夫人も同じ読みを提案したとか。だが、松本氏がそれをなお問題にしているということは、松本氏自身やはり正解を得ていないことを告白していることになる。その折、松本氏は正宗白鳥の『作家論』が岩波文庫で出ているねとも言った。松本氏は、それで「ダンテについて」を読んでいるのだろうか(*1)。正宗の『作家論』なら、創元文庫でも角川文庫でも新潮文庫でもいずれも二冊本で出ていた。それらに「ダンテについて」なんて入っていたかしら。どれもわたしは持っているし、新しい岩波文庫のその一冊本も買って持っている・・・と思った。結局、その読みの問題に関してはその場では決着がつかず、わたしとしては家に帰って、色々現物に当たって調べてみるつもりだった。
「サンスクリット極微文献学」を日ごろ旗印に掲げているわたしだが、サンスクリット語という外国の古典語がいっこうに読めるようにならないという苛立ちが逆襲カムフラージュの挙に出たというのが事の真相である。サンスクリットをすらすら読める人を心底羨望しつつ、苦肉の果てに案出した学問方法である。何十年もの間自分がやってきたことは、そうした苦々しい足掻きの連続であり、したがってその成果などは吹けば飛ぶようなものである。だがすらすら読めないのは外国の古典語ばかりではなかった。母国語の日本語でさえ未だ思うに任せないのである。修士論文を書いて提出した時、審査後の予餞会での山口瑞鳳先生のスピーチにこうあった。「今回の修士論文で一番日本語がよく書けていたのはギーブル君」、この山口先生のことばが今でも忘れられない。その時、日本人としての誇りを傷つけられたと思ったわたしは、こう心の中で応酬したのである。「いい日本文は外国人のギーブルさんにも書けるだろうが、わかりにくい変てこりんな日本文は日本人でなければ書けない」と。これはああ言えばこう言う式の屁理屈にさえなっていないな、と今なら素直に言える。もう30年以上も前のことだ。
だが、その時、日本語も難しい、日本語を自在に操れるようになるのも並大抵ではない、とわたし自身秘かに思ったものだ。数年後、大学院を出て東洋文庫の奨励研究員にしてもらったが、その時代、『東洋学報』に毎号のように投稿した。その査読に当たられたのが山口先生で、先生の目を経て真っ赤になって送り返されてくる原稿を泣く泣く書き直した、結果的に日本語作法を指導していただいたことになる。閑話休題。
今日若い人で、正宗白鳥のものを読む人はほとんどいないのではないか。小説など、読みたくても簡単に手に入るのだろうか。岩波文庫ですぐにでも読めるのはその一冊本の『新編 作家論』(岩波文庫 2002)だけだ。小説家としてよりも批評家としての正宗白鳥が現代にあってもまだまだ意味を持っているということだろうか。近代日本文学に関心を持つ者には、文化勲章をもらうほどに立派に長生きした正宗白鳥は時代の証人として珍重すべき存在、「自然主義文学盛衰史」とか「文壇的自叙伝」とか「文壇五十年」とか「作家論」とかがいつも話題に上る。確かにそれらを読み始めると、正宗白鳥の人を見る目のただならぬものであることをすぐに看取できる。情緒に流されることはまずなく、常にクールであまりにシャープな印象である。
そういう正宗白鳥が使った「夢を夢ませる」との表現、白鳥先生は、いったいどう読ませたかったのか。そしてそれをどういう意味で用いたのか。「外国語は苦手」と自覚しているわたしだから、それくらいははっきりさせたいものだ。そんな意気込みで、調べられる範囲で、いくつかの資料に当たってみた。そして松本氏からこのお題をもらってから、こうして書きつつある現在までの間に、わたしは、氏に宛て次のようなメールを出していることも告白しておきたい。
「・・・気になっていたのですが、正宗白鳥の「ダンテについて」の例の「夢を夢ませる薬」の読みの件、解決しましたか。今もってきていませんが、岩波文庫の『作家論』所載では「夢みませる薬」となっていたと記憶します。そして、それは福武書店版の全集によるとあったと思います。全集を見ると確かに「夢みませる薬」とあります。昔の新潮社版全集を見ると「夢ませる薬」とあって、「夢(ゆめみ)」とルビがついています。また昔出ていた筑摩の「現代日本文学大系」の「白鳥」の巻では、「夢(ゆめみ)ませる薬」となっています。初出は、昭和2年3月号の『中央公論』ですが、その時はやはり「夢(ゆめみ)ませる」となっていたのではないかと思います。それに基づく版では、ルビがとれて単に「夢ませる薬」、福武の全集ではやはりルビをとったかわりに「夢みませる」と改変し、岩波文庫の「夢みませる」になったのではないかと思うのです。結局、読みは「ゆめみませる」です、どういう意味かは不明ですが。」
それに対して松本氏から「「夢」の件、解決していませんでした。ご教示、有難うございました。それにしても、「夢みませる」とは不思議な表現ですね。白鳥の謎というところでしょうか。」とのメールをもらい、それに対してさらにわたしは「初出の『中央公論』昭和2年3月号を調べてみます。「夢ませる薬」の謎が解けたら、ブログにでもアップしましょう。」とのメールを出していたのである。
そう、そうした諸々のにわか勉強の成果が、このエッセイである。いつも変わりばえのしない静かなブログの無意味かもしれない「賑わい」の一つとして新連載《BST》を思い立ったが、その一回目にこの問題を取り上げることにする。
限られた時間の中でわたしが正宗白鳥「ダンテについて」の問題の箇所を実際に調べ得たものはさほど多くはないが、そのうちの10点が以下に引く諸版である。年代順に並べてみよう。漢字のルビは( )の中に。また横書きにつき踊り点の「くの字点」は、ゝとゞを組み合わせて用いる。「ゝゝ」と濁点付きの「ゝゞ」。今回特に問題にする「その夢を夢ませる藥」を赤色、それからもう一箇所ついでに問題にしたい箇所「馴染深いダンテを、新たに讀直さう」を青色で強調しておく。テキスト校訂の立場よりすると、初出形をとにかく何よりも尊重したい。後続の諸版の初出との違いはゴシック(太字)体で示す。正宗白鳥は、昭和37年、1962年に没しているから、最初の5つの版が著者存命中の刊行物、新潮社版全集以下の5つの版はすべて著者没後の刊行物である。
正宗白鳥「ダンテについて」(昭和2年3月)
●初出『中央公論』第42巻3月号(通巻470号)(昭和2年3月1日)《中公:1927》
「煩瑣な哲學も、その夢を夢ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假りの宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゞしてゐないで、地上の巡禮の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖ゑたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新たに讀直さうと思つてゐる。」(説苑121頁)(*2)
●正宗白鳥著『文壇觀測』人文會出版部(昭和2年6月8日)《文壇:1927》単行本初収録
「煩瑣な哲學も、その夢を夢ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假の宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゞしてゐないで、地上の巡禮の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖ゑたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新たに讀直さうと思つてゐる。」(27頁)
○昭和3年11月23日、夫人同伴で横濱から船で世界漫遊(ほぼ一年間)の途に就く(*3)。
●改造社版『現代日本文学全集 第21巻 正宗白鳥集』(昭和4年2月3日)《改造:1929》
「煩瑣(はんさ)な哲學(てつがく)も、その夢(ゆめ)を夢(ゆめ)ませる藥(くすり)として役立(やくだ)つてゐたのだから、彼等(かれら)には無用(むよう)でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜(や)の假(か)りの宿(やど)ではないか」地球(ちきう)が圓(まる)からうとも平(ひらた)からうとも、自轉(じてん)してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいいではないか。・・・・・彼等(かれら)は不安(ふあん)な思(おも)ひをしておどおどしてゐないで、地上(ちじやう)の巡禮(じゆんれい)の終(おは)るを待(ま)つてゐた・・・・・私(わたし)は思(おも)ふ。人間(にんげん)はさうなり切(き)ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲(おうしう)でも大戰後(たいせんご)は、中世紀(ちうせいき)渇仰者(かつかうしや)が殖(ふ)ゑたさうである。従(したが)つてダンテ研究(けんきう)がますゝゝ盛(さか)んになつたさうである。私(わたし)も、馴染深(なじみふか)いダンテを、新(あらた)に讀(よ)み直(なほ)さうと思(おも)つてゐる。」(498頁)
●正宗白鳥著『現代文藝評論』改造社(昭和4年7月8日)《現文:1929》
「煩瑣な哲學も、その夢を夢ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假りの宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゞしてゐないで、地上の巡禮の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖えたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新たに讀直さうと思つてゐる。」(399頁)
●講談社版『日本現代文学全集30 正宗白鳥集』(昭和36年9月19日)《講談:1961》
「煩瑣な哲學も、その夢を夢ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假りの宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゝしてゐないで、地上の巡禮の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖えたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新に讀み直さうと思つてゐる。」(310頁)
●新潮社版『正宗白鳥全集 第7巻』(昭和42年5月30日発行)《新潮全:1967》
「煩瑣な哲學も、その夢を夢(ゆめみ)ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假りの宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゞしてゐないで、地上の巡禮の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖ゑたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新たに讀直さうと思つてゐる。」(105頁)
●筑摩書房『定本限定版 現代日本文学全集30 正宗白鳥集(一)』(昭和42年11月20日)《筑摩定:1967》
「煩瑣な哲學も、その夢を樂ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假りの宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゞしてゐないで、地上の巡禮の終るのを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖(ふ)ゑたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新たに讀直さうと思つてゐる。」(341-342頁)
●筑摩書房『現代日本文学大系16 正宗白鳥集』(昭和44年7月15日)《筑摩:1969》
「煩瑣な哲學も、その夢を夢(ゆめみ)ませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の仮りの宿ではないか」地球が円からうとも平からうとも、自転してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゝしてゐないで、地上の巡礼の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖ゑたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染深いダンテを、新たに読直さうと思つてゐる。」(305頁)
●福武書店版『正宗白鳥全集 第22巻』(1985年4月30日)《福武全:1985》
「煩瑣な哲學も、その夢を夢みませる藥として役立つてゐたのだから、彼等には無用でなかつたのだ。・・・・・「どうせ一夜の假りの宿ではないか」地球が圓からうとも平からうとも、自轉してゐようとゐまいと、そんなことはどうでもいゝではないか。・・・・・彼等は不安な思ひをしておどゝゞしてゐないで、地上の巡禮の終るを待つてゐた・・・・・私は思ふ。人間はさうなり切ればそれでいゝのではあるまいか。
歐洲でも大戰後は、中世紀渇仰者が殖えたさうである。従つてダンテ研究がますゝゝ盛んになつたさうである。私も、馴染み深いダンテを、新たに讀み直さうと思つてゐる。」(125頁)
●岩波文庫『新編 作家論』高橋英夫編(2002年6月14日)《岩波文:2002》
「煩瑣な哲学も、その夢を夢みませる薬として役立っていたのだから、彼らには無用でなかったのだ。・・・・・「どうせ一夜の仮りの宿ではないか。」地球が円かろうとも平かろうとも、自転していようといまいと、そんなことはどうでもいいではないか。・・・・・彼らは不安な思いをしておどおどしていないで、地上の巡礼の終るを待っていた・・・・・私は思う。人間はそうなり切ればそれでいいのではあるまいか。
欧洲でも大戦後は、中世紀渇仰者が殖(ふ)えたそうである。従ってダンテ研究がますます盛んになったそうである。私も、馴染(なじ)み深いダンテを、新たに読み直そうと思っている。」(436-437頁)
いかが。こうして初出以下の諸版を並べて比較してみると、色々興味深い事実が判明する。本文批判(テクストクリティーク)の重要性が思い知らされる。時にわれわれは知らず知らずして、どこにもなかったかも知れないテキストを相手にひたすら自分勝手な夢を紡いでいるのである。知らぬが仏、知ったら決して心穏やかではいられないのである。
さて、テキストの確定に関してベースにすべき《中公:1927》所載の初出は、大学図書館に申し込んでの数日後、マイクロフィルムで実見することができた(*4)。苦手なマイクロフィルム、しかも今回は複写は不可という制限付きで、問題の箇所は、判読する傍らわたし自身がパソコンに入力したものだ。もしかしたら入力ミスがあるかも知れないが、やむを得ない。上に引いたものがそれである。調査の結論から先に言うと、「その夢を夢ませる藥」の漢字の読みをめぐる「白鳥の謎」は依然として解けていないのである。というのも、一瞥して明らかな通り、白鳥の「ダンテについて」の初出はわたしの予想(*5)に反して「その夢を夢ませる藥」とルビなしの形。白鳥がそれをどう読ませたかったかはわからないままということである。ただし、「ダンテについて」の初出の検分の他に、幸いなことに、白鳥自身がその刊行に直接的に関わったと思われる改造社のオレンジ色の円本も参照し得た。行き方知れずになっていたわたし自身の所蔵本が偶然見つかったのである。そしてそこには驚くべきことに問題の「その夢を夢ませる藥」に、「夢(ゆめ)ませる」という当たり前すぎるルビが附されていたのである。絶対とは言えないにしても、正解は、この「夢(ゆめ)ませる」である、わたしは現段階ではいちおうそう結論づけている。動詞は「夢む」。日本語の古典語の動詞としての「夢む」。「夢見る」と同義。この動詞は『広辞苑』などにも登録されている<自動詞・上二段>の古語である。読みは「ゆめ・む」とある。上二段活用のままだと「夢ませる」との形が説明不能と思われるのだが、その「夢む」は、江戸時代には幸いなことに四段活用になるとの情報・報告がある(*6)。したがって使役の助動詞を俟って、「ゆめ・ま・せる・藥」といった連体形を得ることが出来る。または、『広辞苑』には出ていないが、「夢(ゆめみ)む」との<自動詞・四段活用>の動詞も可能なら、それより「ゆめみ・ま・せる」も導出することが出来るのかも知れない。「楽(たのし)む」から「たのし・ま・せる」を導出出来るように。
したがって、読みに関しては、《新潮全:1967》(*7)以後の刊本に現れる「夢(ゆめみ)ませる」との可能性(*8)も残ってはいる、完全には捨てられない。だが、送り仮名に関しては、初出形「夢ませる」を考慮すると、「夢みませる」は許し難い改変ではないか。この形は《福武全:1985》に端を発している。二度目にして(最後の?)決定版となるべき正宗白鳥全集の本文批判の杜撰さを指摘すべきであろうか(*9)。われわれのサンスクリット文献学、仏教文献学でも写本研究が盛んだが、なかなか難しい問題を孕んでいる。この正宗白鳥の「ダンテについて」の謎に関してわれわれが出来る作業は、もし残っているのなら、白鳥の「ダンテについて」の手書き原稿に当たってみることである。また、白鳥が残した膨大な文字資料の中からこの「夢を夢ませる」に類した用例を精査することだろうか。そして文脈にぎりぎり即してその「その夢を夢ませる藥」の意味を絞り出すことだろうか。
《岩波文:2002》で27頁を占めるこの白鳥の「ダンテについて」の中で、「夢」という漢字は5回出てくる。わたしの見るところ、正宗白鳥にとって、この「夢」は格別の意義を持つもののようである。まずその「夢」の最初の用例をそれによって以下に引こう。
「「我々が今日実世界といい事実というものも、中世紀の人々から見ると、それらは人智で窺測し得られない神の真智の深淵が象徴されたものに過ぎない。現実の世界、それがすでにアレゴリーである。」実生活は影であり幻であって、真の事実の天の彼方にあると確信していた中世紀の人の考えに私の心は惹かれている。そういう夢想を羨望している。」(423-424頁)
正宗白鳥がダンテに惹かれていることの内実が、このゴシック体の部分に率直に吐露されているようにわたしは考える。この部分は、今問題にしている「煩瑣な哲学も、その夢を夢みませる薬として役立っていたのだから、彼らには無用でなかったのだ。」と見事に呼応するものと言えるのではないか。そして、「夢」の第3番目の用例は、「その夢を夢みませる薬・・・」の直前に現れるという意味で、とても重要な用例であると言えるのではないか。それは次の通り。
「表面的歴史の記述によると、中世紀はいわゆる暗黒時代なるもので、僧侶や帝王の横暴な専制政治の下に、一般人民は悲惨な生活をしていたことになっているのであるが、しかし、その暗黒専制の世は、徳川専制治下の陰鬱な泰平の世とは違っていたように思われる。圧迫の下に徒(いたず)らに蠢動(しゅんどう)していた(せんみん)ではなくって、蜉蝣(ふゆう)の生涯のうちに、美しい夢を見ていたように思われる。」(436頁)
いかが。問題の「その夢」とは、この「美しい夢」を指しているのである。欧州中世紀の暗黒専制の世で流行った「煩瑣な哲学」が、そうした「美しい夢」を「夢ませる薬」として役立っていたと白鳥は言うのである。「夢ませる」と当初あったものから、「夢(ゆめみ)ませる」というルビつきに移行し、さらにいつしか「夢みませる」との表現に変化してしまった。
実のところ、「夢ませる」の「夢」にどのような読みを当てるのが妥当なのだろう? 人間の空想には果てしがない。そう、ここからは、わたしの好き放題な想像である。白鳥の手書き原稿には、初出誌にあるような「その夢を夢ませる藥」とあったのではなく、実は「その夢を夢させる藥」とあったのではないか、ということである。むろん白鳥先生は「その夢を夢(ゆめみ)させる薬」と読ませたかったのではないか。それを『中央公論』誌の編集者ないし印刷業者が、「その夢を夢ませる藥」と誤読した、「さ」を「ま」と取り違えたのである。それならば、日本語でさえ思うようにならない現代のわたしにも、意味が通じるようである。またもう一つの可能性はこういうものである。 「夢ませる藥」の夢の送り仮名を尊重して、「夢」の方を誤植と考える立場である。白鳥の手書き原稿には、「その夢を樂ませる藥」と、「夢」ではなく「樂」とあった。そして白鳥はそれを「その夢を樂(たのし)ませる藥」と読ませたかった、というものである。まるで笑い話のようなハチャメチャな空想のようにも思えるが、この仮説は先に引いた諸ヴァリアントの中に打上げ花火のように唐突に出現する《筑摩定:1967》の実際の用例である。正宗白鳥没後50年が経ち、問題の「ダンテについて」の自筆原稿が失われてしまったのだとしたら、そうした空想を馬鹿げたものと排除し得る者がどこにいるだろうか。白鳥の遺品の中から「ダンテについて」の上に見た「終結部」を含む「自筆原稿」がいつ発見されないとも限らないのである。わたしが白鳥の「ダンテについて」を山車にして展開しているかの「本文批判」というものは所詮はそうしたものに他ならない、とも言い得るのかも知れないのである。
今回わたしは、それぞれの刊本の編纂者については触れていない。だが、《筑摩定:1967》で、「夢ませる藥」を「樂ませる藥」と読み替えた編纂者の姿勢は、それなりに評価できる。少なくとも日本文としてはそれなりに意味が通るからだ。一方、《福武全:1985》やそれに基づく《岩波文:2002》の「夢みませる藥」は日本語としてどういう意味と考えればいいのか。それらの編纂者たちは、それをどのような意味と理解したのだろうか。よく理解せぬままにしらじらと書き付けて平気な者のなんと多いことか。わたしがもしかしたら本エッセイで言いたかったことはそのあたりかも知れない・・・お気に入りの正宗白鳥のエッセイを読む過程で、松本史朗氏がふと立ち止まった。わたしのこのエッセイはいわば松本氏の思索のうねりのそうしたスタートにいわばシンクロして成ったものである。「その夢を夢ませる薬」をどう読めば、意味が会通するか、テキストを解読するとは、そうした単純ではあるが基本的な作業の積み重ねをおいてはないように思われる。
稿を結ぶにあたって、今回問題にした正宗白鳥「ダンテについて」の終結部の一節で、もう一箇所注目した文字通りの最後となる一文「私も、馴染深いダンテを、新たに讀直さうと思つてゐる。」についても少しだけ触れておきたい。
初の網羅的な正宗白鳥作品集(三段組)となっている円本《改造:1929》の巻頭には、「正宗白鳥氏の近影(洋行直前帝国ホテルにて)」との説明のある写真と、“The Imperial Hotel of Tokyo”と名前の入った用箋に書き付けられた手書き原稿が、「序詞(筆蹟)」として掲載されている。本エッセイ冒頭の写真がそれであり、それを書き写したものが以下の文章である。
「自作を讀直して回(*10)顧するに、人間は、少くも文學藝術の方面では、進歩発展は甚だ遲々たるもので、修養の効果の微弱であることが察せられる。自分について感じるばかりでなく、他の作家についてもさう感ぜられないことはない。 正宗白鳥」(2頁)
この序詞の意味深い点は、この最初の作品集《改造:1929》を刊行するにあたって、正宗白鳥自身が、「自作を読直して」いると表明していることである。そして収録する自作を取捨選択しているという点である。問題の「ダンテについて」は、収録作品中最新作と言うべきものであろう。収録作品は総ルビ、即ちすべての漢字に読みが附されているのも意味深いと言えるが、読みの如何が問題になるようなのは、ざっと見るにこの「その夢を夢ませる藥」くらいではないか。この「夢ませる」に対して、その後の諸版に見る通り、驚くほどのヴァリアントがあることは、この「夢ませる」という語が、出版や編集に携わるいわば日本語の達人たちによっても難問であったことを証し立てているように思われる。「夢ませる」→「夢(ゆめ)ませる」→「楽ませる」→「夢(ゆめみ)ませる」→「夢みませる」。つまり、初出の「夢ませる」から変異を重ねて、福武書店版全集《福武全:1985》、現在の最流布本たる《岩波文:2002》では「夢みませる」となっているのである。ルビは著者自身によるものではなく後続者の個別な事情によるものであると考えられるので、「夢(ゆめみ)ませる」まではまだ許容範囲である。だが、決定版全集である《福武全:1985》の「夢みませる」への大きな踏み出しは本文批判の点からは如何なものか。決定的な全集を編纂するのに初出にあたっていない(それを尊重していない)とは驚くべき姿勢である。《福武全:1985》の、初出形に付加された三つの「み」、すなわち「夢みませる」「馴染み深い」「讀み直し」は、その編纂方針からも大きく逸脱した、看過すべきでない改変である。そう、この「馴染み深い」も「読み直し」も、先の白鳥自身の「序詞(筆蹟)」から見ても、とても問題である。
《改造:1929》には、また巻末には正宗白鳥自身による以下の「跋」がある。この際であるから、参考までにそれも見ておこう(*11)。
「私は長篇らしいものは稀れにしか書いてゐない。「深淵」は、私の作中では最も長いものと云つてもいゝのだが、作者自身でも好感を持ち得ないのでこの集には収めなかつた。
私は可成り努力する方だが、根気に乏しいためか、長いものに取りかゝると中途でいやになつて、筆力の鈍るのを例とする。
この集中に収めた多くの短篇(あるひは中篇)は、比較的世評のよかつたものである。作者自身はどれを好むかといふと、作家臭のない淡々たる作品を好むのだ。
「玉突屋」は、初期の好小品と云つていゝ。「地獄」と「徒労」とには、ある時期の作者の心境が現はれてゐると思ふ。「微光」「泥人形」などは、どうして評判がよかつたかと疑はれる。
私は随筆とも小説とも論文ともつかぬやうな、十枚内外の短い雑文を何百篇となく書いてゐる筈だが、つまりは、かういふ片々たる雑文のうちに、私の作品としてのいゝものがあるのではないかと思はれる。
私は同じやうな小説を書きつゞけるのに飽いて、大地震後、しきりに戯曲を書いたが、この方面でも、同じ事の繰返しになりさうである。
人物評論には、近来、自分も可成り興味を感じて筆が執れた。
芸術的評価は別として、自分の書いたものには、いかなる種類の作品にも、自分の影が映つてゐるにちがひない。個々の作品をよく見る人に対しては、作家は自己を自己以上にも自己以下にも現はし得ないのである。 正宗白鳥」(499頁)
今日の正宗白鳥の文献学的研究は、《新潮全:1967》を含む新潮社版13巻全集ではなく、この白鳥からかけ離れたところの多々ある《福武全:1985》を含む福武書店版30巻全集を底本に展開されていくのではないか。そして、現代の若い読者への配慮から旧漢字旧仮名遣いを排した最新の《岩波文:2002》や講談社の文芸文庫などが、それに則って粗製濫造されてゆく。誰にでも読めるもの、読みやすいものに移行して行くのが定めということかも知れないが、結局、「悪貨が良貨を駆逐する」ことになってゆくのが現状であろう。読むなら新本ではなしに古本、作品はすべて著者自身の意にかなった初出本で、とまで言いたくなる。
初出に出る「新たに」に関しても問題がある。マイクロフィルムで読み取ったものの中に「新たに」とあったことに、家に帰って気づいた。よく見ると《改造:1929》や《講談:1961》では「新に」である。白鳥の場合は、「新たに」と「新に」のどちらが正解か。本当に初出では「新たに」だったのか、急に自分の読み取りに自信が持てなくなり、再確認の二度手間をかけることになった。だがやはり、初出『中央公論』誌ではわたしの読み取った通りの「新たに」だった。正宗白鳥は「新たに」と表記するのだ。たとえば手元に正宗白鳥の『讀書雑記』(角川文庫 昭和29年)がある。それを白鳥流に速読してみた。「新たに」42,47,70(3)頁、「新たな」51頁「新たに讀直し」51頁、「新たなる」64頁、「讀返して」150(2)頁、「讀通した」151頁とあった。一方「新に」は一例もない。ここから何か法則を読み取ろうとするものではないが、正宗白鳥の書き癖のようなものとして、「新たに」は、「新たに」と表記して、「新に」ではないと言えそうである。また「讀直し」は、やはり「讀直し」であって、「讀み直し」ではなさそうだ。印刷もすべて機械がやってくれ、原稿を書くにしても、自分で漢字を書き付けつけることをしなくなった今日ではないのである。そして本エッセイの冒頭に掲げた正宗白鳥の手書き原稿の写真からも、「讀直し」は「讀み直し」ではなく「讀直し」であることが判明した。正宗が「新に」と原稿に書いたにもかかわらず、印刷したものが「新たに」となるなんてことはまずないだろうと思われる。『中央公論』に初出のものに、「新たに」とあったということは、白鳥の原稿に「新たに」と書かれていたということだと考えるべきだろう。とすれば、それを「新に」と改変している版はやはり問題があるということになる。
以上のようにあれこれ作業を重ねてみたが、こうした本文批判にどれほどの意味があるだろうか。そんなのはどちらでもいい、そんなことよりも本文そのものの解読、正宗白鳥の言わんとしていることの解明こそ大切だ、そんな囁きも聞こえるが、それはここでのわたしの課題ではない。(了)
【註記】
(*1)『新編 作家論』(岩波文庫)の編者高橋英夫氏は「解説」で、「外国作家論として、ダンテ、トルストイを語った文章を収録したのが、今回の新編の特色になっていると思うが、・・・」(455頁)と言っている。
(*2)『中央公論』は、当時、《公論》と《説苑》と《創作》の三部構成で、それぞれ頁数が独立に付けられている。したがって、(説苑121頁)とあるのは、《説苑》篇の121頁のことである。
(*3)正宗白鳥の人生にあって格別の意義のあるこの最初の洋行に関してたまたま読んでいた『文壇五十年』(河出文庫 1955年)に面白い記述があったので紹介しておこう。「それでついに自力ででかけることになった。帝国ホテルで寝ているうちに、とっさに思い立ったのだが、大磯居住以来、こつこつかせいでおのずから蓄積されていた財貨は、使われ道もなくって、あくびしていたので、こういう場合にこそ造作なくお役に立った。それに改造社円本の印税もその半分を出立前にくれる事になり、ホテルで手渡しされて領収書を書いていると、それを背後からそっと見ているホテルの事務員が「文学者は貧乏と思っていたら、案外金の入るものらしい」と云って、私も見直されたらしかった。印税の残り半分はニューヨークに着いた時に電報為替で私あてに来ていたのであった。洋行の噂がもれるとすぐに、大阪朝日記者来訪、通信の依頼あり、改造社社長もホテルに来訪、これも通信の依頼であったが、中央公論に先約があったので断る。十数人のよりぬきの文壇人が臨港列車に乗じて横浜の埠頭まで見送ってくれた。この所、私の一生での空前絶後の華やかさが出現したのであった。プロレタリア文学がますます勢いを伸ばしている文壇をしりめに、私はブルジョア気どりの旅に上った(昭和三・一一)ということでもあった。」(74-75頁)「どうせ通り一ぺんの見物だが一年足らず西洋を廻って、大いに新帰国者気取で東京の文壇に戻って、だれもがする如くに、新知識を振り廻して見ようかとひそかに志していたが、日本の文壇はひどく変っているらしかった。なまなか外国へ行っていたために、私は文壇的には時代おくれになっていたのであった。出立の際に、新聞や雑誌から原稿の依頼がいくつもあったほどだが、帰って来た時(昭和四・一一)に、紀行文や創作の依頼に来る新聞雑誌の編集者はほとんどなかった。」(78頁)
(*4)大学図書館所蔵の貴重な資料も年々増加する資料のせいで図書館本館に収納できない状況が続いている。この『中央公論』のマイクロフィルムもそうで、見たくてもすぐには見れないのである。
(*5)先に掲げたわたしの松本史朗氏宛メールを参照のこと。
(*6) Cf.http://www.asahinet.or.jp/~sg2hymst/yamatouta/intro/dousikatuyou.html.
(*7)正宗白鳥の初の全集であるこの新潮社版全集であるが、この箇所に関して言うと、漢字づかい・仮名づかいを含めて、『中央公論』初出時のものを完全に踏襲している。唯一の違いは、問題の「夢ませる」に対して初めて「夢(ゆめみ)ませる」といわゆるパラルビを付した点である。
(*8)福武書店版全集所載の「夢みませる」はいただけない。「み」の挿入という送り仮名の改変は避けるべきである。
(*9)「ダンテについて」の収録されている第22巻に関して言えば、中島河太郎氏による「解題」には「底本には初出誌紙を用い、単行本未収録作品については、その初版本と校合した。」とあり、「なお、仮名づかいは、白鳥の生涯にわたる一貫した執筆態度を尊重し、新仮名づかいで発表されているものも歴史的仮名づかいに統一した。」「ルビについては白鳥特有の語句、読みの難易に応じ、パラルビとし、送り仮名についても配慮した。その際白鳥生前の新潮社版『白鳥傑作集』、白鳥没後の同じく新潮社版の『正宗白鳥全集』所収の作品については、それを参照した。」「初版本との主な校異については、末尾に一覧表として掲げた。」(全て635頁)とある。そして、「末尾」の「校異」には、「ダンテについて」に関しては、「ほぼ異同はなし」(656頁)と記されている。
(*10)「回顧」の「回」の字、漢字が出ないようなので新字で済ます。
(*11)《改造:1929》巻末の「年譜」も正宗白鳥自身によるものであることも付記しておく。
訂正(2012.04.11)(いたずら)ら→(いたず)ら
訂正(2012.04.11)楽ませる→樂ませる
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