極微文献学への誘い*
金沢 篤
「繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異しきまでに反動の勢力を現わし来りぬ」と書き始めたのは、北村透谷だった。この有名な書き出しを持つ「人生に相渉るとは何の謂いぞ」は、山路愛山の功利主義的文学論を向こうにまわして文学の純粋な自立を宣揚した名論文であり、いわゆる「人生相渉論争」のきっかけともなったものだ。「為す所あ . . . 本文を読む
【SHV01】StayHomeという旅:
「極微文献学への誘い」(改題修訂再録)への誘い*
金沢 篤
高校(高田高等学校)の校友会名簿(平成29年度版)が手許にあるので、暇にまかせてぱらぱらとめくってみる。物故者は名前だけで住所が記載されていない。消息の知れない者も同じだ。とすれば、死とは行方不明となること、連絡不能となること、と規定することも可能か。そう . . . 本文を読む
【BST13】マックス・ミュラーの『独逸人の愛』を読む
金沢 篤
「待つとは、先回りするということであって、時間や現在というものを貴重な賜物と観じないで、逆に邪魔物扱いにし、それ自体の価値を認めず、無視し、心の中でそれを飛び越えてしまうことを意味する。待つ身は長いというが、しかしまた、待つ身は、あるいは待つ身こそは、短いといっ . . . 本文を読む
ニコライ・レーリヒ「チベット」
【BST10】ラヴクラフトからレーリヒの方へ―レーリヒ来日の事情(1)―
金沢 篤
思いがけずこのような表題の下でレーリヒについて書くことになった。これもまた自発的なものではない、やむを得ぬ事情があっての故だ (*1)。レーリヒとはニコライ・レーリヒNichol . . . 本文を読む
『アーカムアドヴァタイザー《定本ラヴクラフト全集5》月報<6>』(1985・6・25:国書刊行会)第1面
ラヴクラフトと『禅の書』―お疲れの女子と蕩児と男性に
微小(ミニ)梵語学者 金沢 篤
強気のラヴクラフティアンなら、ク・リトル・リトル神話を数珠(じゅず)つなぎする「魔道書」にも通じていなければならない。それら耳慣れぬ書物の数々は、いわば彼らの見果て . . . 本文を読む