議会改革/承前

冷静に戦え

参加型学習の意味

2008-12-16 | NPO&協働
昨日から、花巻市のホームページにアクセスできません。
市に問い合わせると、サーバーが不調でメンテナンス中なんだとか。
今朝になっても復旧していないようです。急ぎで調べたいことがあったのですが、これでは困りますね。


さて、ワークショップと参加型学習について。
学習とは、「人間の意識、態度、行動が良い方向に変容すること」だと思います。

行動の変容を導くための学びが「参加型学習」です。
一般には、「参加者が主体的、能動的に学びに参加できるような学習」ということだと思います。

たとえば、問題解決技法として代表的な手法である「KJ法」、「ブレーン・ストーミング」をはじめとして、実に多様な手法やアクティビティが開発されてきています。
最近では、それらが社会教育やまちづくりの場でも取り入れられるようになっています。

参加型学習は、「ワークショップ」という形でずいぶんいろいろなところで行われるようになっていて、それはそれでよいことだと思いますが、一方で、「 カタチ」だけのワークショップ」の氾濫も指摘されています。
いったい何のためにグループに分けて話し合いをさせるのかわからないまま終わってしまうワークショップ、ふりかえりのないワークショップ、行政が「ガス抜き」 でやるワークショップ、ファシリテーターがやけに指示的で誘導的なワークショップなどなど。

参加型学習が広まりつつあることはとても好ましいことではありますが、ワークショップと同じように、「カタチだけの参加型学習」に陥っては何にもなりません。
「参加型手法」のおもしろさ、楽しさに溺れるあまり、表面的な「参加」に終始したのでは本末転倒であるということです。

ワークショップは、何かを創り出そうとする学習の場です。
そこには、参加者一人一人の心の中で葛藤があり、参加者相互の間で考え方や意見の違いがあるのは当然のことです。そうした「バトル」を経てこそ、新しい何かが生み出されていくのです。

参加型学習は、学習プロセスにおける主体的な参加を原則としながら、学習後の住民の社会参加活動を喚起していくことが求められるのではないでしょうか。
参加型手法を導入する場合には、企画者が明確な意図を持つこと、すなわち「何のためにその手法を使うのか」ということをきちんと意識していることが必要です。
意識の変容と行動の変容を促し、「参加型社会」を創造していくことにこそ、参加型学習の意味があると思います。



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