議会改革/承前

冷静に戦え

無責任の連鎖

2009-07-14 | NPO&協働
旧1市3町ごとのエリアで開催した「まちづくり基本条例から花巻を考える会」がひとまず終わった。いろいろな意見を拝聴することが出来て、
なかなか刺激的であった。

そんな中で、市職員の「意識」について話題になることも多かったのだが、雑駁にまとめると総じて彼らは「能力があるのにそれを自ら発揮
しようとしない」ということになる。平たく言えば意欲がない、つまりヤル気が感じられないということか。


さて、
とある雑誌に、役所の前例主義(前例や慣例に基づいて判断したり行動したりすること)は、結果的に誰も責任を取らなくてもいいシステム
になっているという記事があった。まったくごもっともである。

オレ様自身は、「前例踏襲」は一番きらいな言葉なのだが、それでも知らず知らずのうちに前例に頼って仕事をしていることがありがちだ。
公務員の皆様は、多分に法律とか条令、制度に従って仕事をしなければならないものだが、しかし、そういうのって、「解釈」次第でどうにで
も運用できる場合があって、迷ったときには「前例」を参考にするしかないわけである。

前の場合、こういう解釈でこういう処理をしたから今回も同じようにしようとか。解釈そのものを変えるためには、「理屈」が必要で、それを考え
るには多くの時間と労力が必要になるので、要するに「めんどくさい」ということになってしまう。しかし、民間の会社は、常に「前年比クリア」が
大命題なわけで、前例踏襲なんかしていたらたちまち立ちゆかなくなってしまう。そういう意味では、確かに公務員は「甘い」のかもしれない。

「甘い」どころか、現実に、前例主義がもたらした不正経理や「官製談合」、事務処理の怠慢など、あるまじきことが連日ニュースをにぎわせて
いる。件の雑誌では、2006年に起きた埼玉県ふじみ野市の市営プールでの小学生死亡事故に関わる裁判の判決を例として取り上げていた。
判決の中で、市の担当者が「安易に前例を踏襲し、プール管理をほぼ全面的に業者に任せ、義務を完全に怠った。事故の職責に対する自覚
を欠き、無責任」であるとして、執行猶予付き禁固刑を言い渡している。この事例は、行政の前例主義がもたらした最悪の悲劇ということなの
だろう。

先日、、クルマの渋滞を解消するためには、渋滞に巻き込まれているクルマのうち、数台が前のクルマとの車間距離を空けるようにすればい
いという提案がテレビで紹介されていた。これと同じで、まずは「誰か」が「前例」をやめればいい、ということなのだろうな。

たぶん、その「誰か」はたくさんいるはずなのだが、それだけだと悪弊はなくならない。最終的には「全員」が前例主義から脱却しなければな
らない。少なくとも、すべての前例を疑ってみる、という意識は持っていたい。それは、公務員としての最低限の責任なのかもしれない。

なにしろ、「前例主義」は「無責任の連鎖」なのだから。


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