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わたしをかたちづくるもの

思いつくまま、気の向くまま、流れるままに

名古屋

2006-06-21 22:12:03 | 過去・追憶
先日、野暮用があって名古屋へ行ってきた。
ここにくるとやっぱり懐かしい。
ここに住んだことがある
初めて故郷を離れて、住んだところだ
なにもかもがカルチャーショックだった
本当に信号もないような田舎から出てきたから
この、コンクリートジャングルのような、
見渡す限り人工物に覆われた世界で暮らすということが
まるっきし想像つかなかった

どうやって暮らしていけばいいのか見当もつかなくて
しかも僕は河合塾生としての寮生活
塾と寮の往復の日々だった

電車に乗ることすら、よく分からずなんにしても
交通手段は徒歩

だから、その時住んでいた、千種、今池の町が僕の名古屋のすべてだ

あのころはなにもわからなかった
自分がなぜ今勉強をしてるのかさえ なぜ大金を出させてまでモラトリアムしてるのかさえ

せいぜい好きなアイドルぐらいしか本当に関心がなかったくらいだ

いまも子供みたいなもんだが 当時は本当に子供だった

あのときの記憶はほとんど忘れてしまっているが
名古屋の町の喧騒やかましい音や、アスファルトが焦げ付くような臭いや
新たに知る町の細い路地にある店を発見する興奮や・・・
それはよく覚えている

だがこの町は若さゆえの苦い思い出も残る町でもある
それゆえ センチメンタルな気分になってしまう町でもある

2006-04-11 21:43:31 | 過去・追憶


今年は戌年 この絵は年賀状用に書き下ろしたものです
年賀状をもらった人だけではもったいないので、ちょっと掲載しておきます。

この犬のモデルは僕が飼っていた犬・・・ではなくて
図書館から借りてきた写真からおこしたものです。
でも、こんな犬でした 柴の雑種で
たしか小学校6年の頃に親戚のところからもらわれてきたのです

実は僕はあまりうれしくなかったですね
このブログにもかきましたけど、僕は猫好きなので犬というのは
昔、思いっきりふとももをがぶっっと噛まれたこともあり
(あれは本当に怖かった・・・犬って自分より弱いと判断すると本当に
人間でも平気で襲ってくる生き物なんですよ。。。)
犬というのは僕にとってみれば容易に近づけないものでした
おまけにそんなに可愛いと思わないんだな これが
やっぱり猫が好き・・・なんですよ

実際そんなこともあってあいつとは最後まで仲良くなれなかった気がします
餌と散歩に行くときぐらいしか尻尾を振ってくれなかったな
ときどき遊んでやろうとするとあからさまに嫌そうな顔してたから・・・

でもあいつは僕によく似たところがあって
やたらと内弁慶で臆病者なんだよな・・・
よく家の中では吠える割に、大きな音がダメで、風が吹いたり花火が鳴ったりしたら
すぐに身を隠そうとするんだ もう僕をほっといてという具合に

芸もろくに出来なくて、出来るのは僕が教えたお手だけ・・・
よく考えたら、躾もろくにしなかったんだよな我が家では・・・
それはある意味、犬にとっても不幸だったかな

でも帰省して久しぶりに会ったりすると、必ず尻尾を振ってくれた気がする
それはそれでうれしい  それはよく覚えている 今でも 


・・・最近、どうもスランプです 面白い文句が浮かびません
   見ていてくれる人どうもすみません

   もっとウイットに富んだことをかきたいんですけどね



傷跡

2006-04-05 01:20:33 | 過去・追憶
知っている人は知っているんだろうけども
何を隠そう僕の右脇には大きな傷跡がある
15センチほどの縦に裂かれたいかにも痛々しいものだ
これをみるたびに当時の苦々しい体験が蘇ってくる

あれはたしか高校三年の冬のとき、受験を控えた頃だ
僕は突然・・・朝起きたら胸に違和感を覚えた.
「もしかして・・・またなのか?」
実は二年前にも同じようなことがあった
息を吸うと苦しく、胸が圧迫されるような感じがある
病名は・・・自然気胸。
肺に突然、穴が開くという原因不明の外因性の病気・・・という怪我みたいなものだ
ただいえることは 痩せ型の背が高い若い男性に多い病気らしい ということだけ
(当時僕は身長175で体重が55キロしかなかった)
治療法は・・・安静にしておけば自然に塞がるらしい。
本当かよ?という話なんだけど事実、一回目の二年前にかかったときは
一週間の入院でほんとうに完全に塞がった
日常生活にも何の支障もなく普通に運動も出来た
ただしこの病気は再発のリスクがあって、50%の確立で再発するらしい
そんな話も忘れていた頃、突然あの痛みが・・・・
どうも2回目をやってしまうと、再発する確率が上がるらしい
(コレも本当にデータをとったのか今にして思えば怪しいが・・・)
それだったら手術をすれば再発する確立は20%ぐらいに下がるらしいから
手術をしたほうがいいんじゃないの?という話になって
何を血迷ったか分からないんだけれど受験勉強を控えた時期に手術をすることに
なってしまったわけ
でも、そんな大掛かりな手術とは聞いてなくて、内視鏡でやるからちょっとの
切開で済むから、回復も早いよ・・・なんて聞いてたもんだから
僕も軽い気持ちでOKしてしまったわけ・・・なんだけど
このとき僕は手術を受けることの大変さを全然分かっていなかったわけ
それで、点滴に麻酔が入れられ、僕は手術室のなか気を失った・・・・

それで目が覚めたとき・・・僕の体はえらいことになっていた
とにかくわからないけど体中にいろんな管が入っているわけ
脊髄に麻酔の針が、口には呼吸器、右腕には点滴、右胸には肺にたまった空気を
抜き出すための管、そしていつつけられたか分からないけど、おしっこの管と
最悪の目覚めとはまさにこのこと
とにかく最初はおしっこの管というのがとんでもなく妙な感覚でたまらなかった
ことを覚えている だってずっとささったままなんだから あそこに
だがこれは後に続く地獄の始まりに過ぎなかったわけで・・・

目が覚めたときはまだ麻酔が効いていて、それほど痛みというのは感じなかったんだけど
ちょうど夜中かな・・麻酔が切れてくるころ 傷口がめちゃくちゃ痛み出した
これがとんでもない痛み。とにかく内側から熱いという感覚
だってよく穴が開いたところが分からなかったということで、
15センチもあけて直接肺の穴を縫ったというんだから
半端じゃない痛み、痛み痛み 苦しいんだよ 殺してくれっていいたいくらい
幸せなことなんてなくてもいいからこの痛みを消してくれって感じだった
ただでさえ切られれば痛いのに、脇という感覚が比較的鋭敏なところに
横に走っている筋肉繊維を断つように縦にメスを入れたんだから
一番痛みが残ってしまう手術の仕方だったんですよ これが

しかも、納得いかないのか、この痛みが病気の痛みじゃなくて手術したことによる
痛みなんだってことだ  しかも完治するわけでもないのに 
絶対に必要な手術でもないのに 安静にしとけば自然に治るものなのに 
手術って痛みをとることじゃないの?手術って成功したら嬉しいことじゃないの?
俺手術をしたのにどうしてこんなひどい痛みと屈辱を味あわなければいけないの?
と何べんもケツの穴に座薬をいれられながら思いました・・・

あれから10年くらいたちましたけど再発もなく(左肺は1回穴開いちゃったけど)
生きてきましたが・・・あれはいまでも医者の判断ミスだと僕は思っています
よく考えれば、体質を改善してもっと筋肉をつけたり、太ったりすれば
かなり再発は防げるんじゃないかと僕は思いますよ
実際治療法も確立してないみたいで、医者によって対応はまちまちらしいです

ただこれでわかったことは手術はなるべくしないほうがいい
手術をしないで直せる方法があったら、そちらを考えたほうがいいということです
実際僕は、傷跡は残ってしまったわけだし(男だから別にいいですけど)
そればかりが原因じゃないけど、受験には失敗してしまったわけだし
あの痛みや苦しみ後遺症は残ってしまったわけだし

だから僕はあの苦しみは味わいたくないから、絶対手術はしたくないです
だからタバコも酒も・・体に悪いことはやりたくない
健康第一 死ぬときはぽっくりと逝きたい そう思って生きています・・・









京都

2006-03-07 22:55:17 | 過去・追憶
もし、明日一日しか生きることができなかったらあなたはどうしますか
僕はきっと迷わずに京都に行くでしょう。
京都は僕の青春のすべてがつまっています。
実は僕は京都に住んでいたのです。
大学の4年間。

僕はどうしても京都に住んでみたかった。
だから受験のときも京都にある大学しか受けなかった。
日本史が子供のころから好きで歴史的なものに興味があった僕にとっては
京都は永遠の憧れの都だったのです。
だから希望がかなって大学に合格できたときは本当にうれしかった。



実際に住んでみると京都は、、、まぁ住みにくいところですよ。
夏はやけに蒸し暑いし、冬はやたらと底冷えはするし、
渋滞もひどく、治安もあまりよくない、物価も高いし、、、
それでも京都にはほかの町にはない歴史と伝統があります。
近年は高層マンションがやたらと増えて京都らしい風景がだんだんなくなりつつありますが、
一歩裏道を歩いてみればそこはもう非日常の世界
一瞬にしてタイムスリップできます
そこにはたしかに平安時代から続いている歴史というものを実感できます
千年も前からここには人々の生活があり、常に歴史の中心となってきた
幾多の権力者がこの地を支配し、そして追われていった・・・
そして、さまざまな文化がこの地で生まれ、日本人の精神を形作っていったのです
こんなにも”文化”を生活の中で感じられるところは日本には京都しかありません



京都には確かにものすごい近代的な建物・・・(駅ビルは除いて)があるわけではないけど
そういった現代的なものはきっとすぐに50年も経たないうちに古くなって飽きられて
この世からなくなってしまう運命にあるのです 僕の命と同じように
歴史には残らないでしょう 現代は使い捨て社会です

しかし京都に至るところにあるお寺や神社や伝統文化は
何百年も前から確かに存在していて、そして何百年後もここに存在し続ける・・・
たとえ何年経っても変わらずにそのままであり続けることに
僕は不思議な安らぎと永遠性を感じることが出来るのです
禅寺の境内に腰をかけ、趣のある庭を眺めてみれば心が無になっていくのが分かる
きっと千年前の京都人もここの風景をこんな気持ちでみていたでしょうし
きっと千年後の京都人もここの風景をこんな気持ちでみることでしょう

そんなことを考えてると自分のちっぽけさが身にしみます。
人間の悩みなんてこの雄大なる京都の歴史の前では些細なことのような気がします。
冒頭の答えの理由なんですがつまり、たとえ明日で命が尽きてしまうとしても、
僕の大好きな場所はずっとそのままでいてくれる。
それってすごくうれしいことだと思うのです。

GAME

2006-02-15 23:18:58 | 過去・追憶
いったいあとどれくらい僕は生きられるのだろう
時間は誰にだって平等だ
だからお金では買えないのだ
そしてGAMEはそんな時間を奪うものだ
まさに時間泥棒。GAMEメーカーに損害賠償したいくらい
これまでどのくらいGAMEに時間を費やしてきたのだろう
たしか初めてGAMEを買ったのは小四の時
懐かしきファミリーコンピューターだ
当時はマリオブラザーズ、ドラクエⅢなど二次元全盛の時代。
それは夢中になってやったものだ
まさに麻薬、寝ても覚めてもマリオ、マリオ、レベル上げ、レベル上げ
寝食を忘れるとはまさにこのこと
それからスーパーファミコン、プレステ、プレステ2・・・
ありがたくも各メーカーは僕らに新しい道具を与え続けた
そして僕らも喜んでそれに飛びついていった

こうして小四から大学までだいたい平均毎日1時間半はGAMEをやっていたと思うから
1.5×365日×12年=6570時間!
約274日分だ それだけの時間をなんら非生産的な作業に費やしたことになる
そうあまりに非生産的だ!
いったい何が残ったのだ。いったい何を得ることができたのだ。
こんなにも膨大な時間を使ってまで今に残るものが何もないとは
いくらやっとのこさで最高得点をマークしたって
いくらやっとのこさでレベルを99にしてボスを7ターンで倒したって
そのことが僕という人間の価値を高めることになるのか?
僕に大切な忘れがたい思い出を残してくれたのだろうか?
虚しい、虚しい、あぁ虚しい
もしGAMEをやらなかったら、まるまるその時間が空いていたわけだ
人生は短い そして若い時はもっと短い
青春の貴重な時間を費やしてまでいったい僕は何をやっていたのだろう
人間は何もないところから生まれてくるのだから
自分が何者なのか分からずに生まれてくるのだろうから
若さゆえ永遠とも思えてしまう時間の使い方がよく分からないのだ
人生の目的も分からずに 無駄に時を過ごし、或いは失敗から
自分のちっぽけさを痛感しながらも もがいてもがいてやがて生きることの意味に気づく
やっと僕もそのことに気づきつつあるが・・・
ただ願わくは ただ願わくは ただ一点を見つめコントローラーなんぞを握り締めている少年の僕よ
お前がただその時の快楽のために使っている時間は限られている命を無駄にしている行為なんだぞ
GAMEの中の主人公がどんなに強いモンスターを倒してレベルアップしたとしても
お前は何も偉くないんだ お前はゲームの主人公ではないのだから
なんら努力だってしていないんだ。寝るのも惜しんで夢中になったとしても
ゲームをクリアしてしまえばもうそれだけだ。あとは何も残らないんだ。
もしそんな時間があるとするらば本を読んだり、興味のあることを勉強してみたり、
体を鍛えたりしてみたり、友達ともっと遊んでみたりとかできるはずなんだ
なんて本気出して叱ってやりたいのさ

人間は明日の自分はきっと今日の自分より成長している、良くなっている
そう思えるかどうかでつらいことだって乗り越えていけると思う
そのためには昨日の自分よりちょっと無理をしてがんばる自分が必要なんだ
ただ与えられたプログラムをなぞっているだけの
GAMEが見せてくれる未来なんてあるのかい
僕は何千時間とそいつとつきあってきたけど
結局何も見せてくれるものなんてなかった
何千時間もそいつと付き合ってきたけど
まるでその時間はあっという間の出来事だった気がしてしまう

ただいえることはただひとつ
早く一日を終えてしまいたい時はGAMEに勝るものはないってことだけだ








2006-02-14 01:14:55 | 過去・追憶
わたしの実家の近く、歩いて3分のところに川が流れている
結構大きな川だ
わたしはその川を渡って学校に通った
川の向こうはこっち側より開けていた
だからなにをするにも川を渡らないと生活が成り立たなかった
毎日のように橋の上から川を眺めた
どんなときもかわらずに流れを止めない川を・・・

またわたしは川原でよく物思いにふけった
川は一人の時間を作れる貴重な場所だった
またよく犬を散歩させていた
そこで他愛のない話を犬に聞かせた
犬はまるでそんなことお構いなしに先へ進もうと綱を引っ張ったものだ

そんな犬も死んで2年近くになる
身近なものが死ぬということは初めてだった
おそらく寿命だったのだろう
最後は散歩することさえままならない状態だった
もう動かなくなった朝の前の夜中
わたしは犬に語りかけた
「お前死ぬのか、死ぬというのはどんな気分か?」
犬は何も答えなかったが、かすかにわたしのほうに目をやった

死んだ日
わたしは仕事を終えるとひとり川原に出かけた
あいつといっしょに何度となく歩いた川原を
もう二度と一緒には歩けなくなった川原を
そのときふいに涙がこぼれた
失ったときはもう戻らない
時はこの川のように絶えず流れていってしまう
いったいどれほどのことを死んだあいつにしてやれたのだろう
そんなことを思っているうちに悲しくなってしまった
夕日がまぶしくわたしを照らしていた
川はいつもと同じようにただひたすらに流れていた