先日、野暮用があって名古屋へ行ってきた。
ここにくるとやっぱり懐かしい。
ここに住んだことがある
初めて故郷を離れて、住んだところだ
なにもかもがカルチャーショックだった
本当に信号もないような田舎から出てきたから
この、コンクリートジャングルのような、
見渡す限り人工物に覆われた世界で暮らすということが
まるっきし想像つかなかった
どうやって暮らしていけばいいのか見当もつかなくて
しかも僕は河合塾生としての寮生活
塾と寮の往復の日々だった
電車に乗ることすら、よく分からずなんにしても
交通手段は徒歩
だから、その時住んでいた、千種、今池の町が僕の名古屋のすべてだ
あのころはなにもわからなかった
自分がなぜ今勉強をしてるのかさえ なぜ大金を出させてまでモラトリアムしてるのかさえ
せいぜい好きなアイドルぐらいしか本当に関心がなかったくらいだ
いまも子供みたいなもんだが 当時は本当に子供だった
あのときの記憶はほとんど忘れてしまっているが
名古屋の町の喧騒やかましい音や、アスファルトが焦げ付くような臭いや
新たに知る町の細い路地にある店を発見する興奮や・・・
それはよく覚えている
だがこの町は若さゆえの苦い思い出も残る町でもある
それゆえ センチメンタルな気分になってしまう町でもある
ここにくるとやっぱり懐かしい。
ここに住んだことがある
初めて故郷を離れて、住んだところだ
なにもかもがカルチャーショックだった
本当に信号もないような田舎から出てきたから
この、コンクリートジャングルのような、
見渡す限り人工物に覆われた世界で暮らすということが
まるっきし想像つかなかった
どうやって暮らしていけばいいのか見当もつかなくて
しかも僕は河合塾生としての寮生活
塾と寮の往復の日々だった
電車に乗ることすら、よく分からずなんにしても
交通手段は徒歩
だから、その時住んでいた、千種、今池の町が僕の名古屋のすべてだ
あのころはなにもわからなかった
自分がなぜ今勉強をしてるのかさえ なぜ大金を出させてまでモラトリアムしてるのかさえ
せいぜい好きなアイドルぐらいしか本当に関心がなかったくらいだ
いまも子供みたいなもんだが 当時は本当に子供だった
あのときの記憶はほとんど忘れてしまっているが
名古屋の町の喧騒やかましい音や、アスファルトが焦げ付くような臭いや
新たに知る町の細い路地にある店を発見する興奮や・・・
それはよく覚えている
だがこの町は若さゆえの苦い思い出も残る町でもある
それゆえ センチメンタルな気分になってしまう町でもある