+++パパとワタシの宝箱+++

神さま・・・ありがとう!パパのガン細胞が無くなりました~♪しかし!只今3度目の再再発を治癒中。

金峯山寺蔵王堂(奈良:吉野)

2004年11月11日 | ・神社へ行こう!
もともと、寄る予定では無かった蔵王堂。
うすしまみょうおうサマのお札がいただけることがわかって、帰り道に
寄ることにした。なんとなぁ~く、呼ばれてお参りさせて頂いたという
感がある。というのも、行きの山道の途中、お地蔵様かな?っと思って
雨が降っていたが、車から降りてご挨拶したところ
お地蔵様じゃなく、何やら立派な雰囲気の方が。。。神変大菩薩と
書いてあった。。。
あとでわかったのが、役行者神変大菩薩 (えんのぎょうじゃじんべん
だいぼさつ)さまだった。やっぱり、呼ばれて行ったようだ。

ちょうど、本最大秘仏・金剛蔵王権現特別ご開帳
修験道大結集・祈りの大護摩供が、行われていたこともあって
ご先祖さまのご供養も、させて頂けた。神変大菩薩さま、
ありがとうございました。

ところで・・・金剛蔵王大権現さまは、スサノオノミコトのようです。

【紹介(HPより)】
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山
(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。
この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、
修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで
山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に
祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。  
明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期
廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として
復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗
が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の
中心の山という意味を号しています。

【役行者】
日本の正史『続日本紀』によると役行者は634年(舒明天皇6年)、御所市茅
原で誕生.名は小角といい、幼少の頃より葛城山で修行するなど山林修行や
苦行の末、金峯山にて金剛蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれた
と伝えられています. やがて修行の高まりと共に、強固な精神力と、煩悩を
克服した境地に達し、呪術家としての名声は天下に鳴り響りました。
699年(文武天皇3年)、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の謗言に
よって伊豆大島に流罪になり、701年(大宝元年)無罪がわかり、許されて都
に戻られました。同年6月7日68歳で、箕面の天井ヶ岳にて入寂されたと伝え
られていますが、異説も多く、「昇天した」「母を鉄鉢にのせて海を渡って
入唐した」などと多くの伝説が残されています。その尊像の多くは、折伏した
2匹の鬼(前鬼・後鬼)を従えた仙人風の姿で祀られています。
1100年忌にあたる1799年(寛政11年)に光格天皇より、神変大菩薩(じん
べんだいぼさつ)の諡号(しごう)が贈られました。

http://www.kinpusen.or.jp/

写真は後日UP


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