+++パパとワタシの宝箱+++

神さま・・・ありがとう!パパのガン細胞が無くなりました~♪しかし!只今3度目の再再発を治癒中。

有り難う(ありがとう・・・)

2004年11月28日 | ・今日の「ありがとう」
「ありがとう」は、漢字で「有り難う」と書く。
有り難い(今風の言葉だと”有り得ない”となるのだろうか)
まずもって、有ることが難しいぐらいのこと、という意味らしい。
通常、有り得ないことが起きた時に、「ありがとう(有り難う)」と言う。

期待したり、依存したり、馴れてしまったり・・・
他力本願寺になってると、「ありがとう」の意味を忘れてしまいます。

「地獄の沙汰は金しだい」という言葉があるが
今の世の中、すべて金次第だと言う人の多いこと、多いこと。。。
ある意味、間違ってはいないのだろうけど
お金を目的としている人、目的の達成の為の手段として金が要る人
とでは、言う意味が、幕の内弁当と日の丸弁当ほどの差がある。

ということは、今の世の中、地獄なのだろうか?
いやいや・・・新潟県の震災義援金総額は、11月20日時点で
約142億円集まったらしい。
神戸の震災の時には、義援金&救援物資を合わせて約204億円。

「人の為」と書いて「偽」となる。
しかし、世の為だけ、人の為だと言うのではなく
そこに、自分も堂々と含めた上での 世の為・人の為であれば
偽善ではなく、善となる。

お金は人間の生活の不便を、より便利にするために
神様が作られた、神様と人間との約束手形。

だから、お金には神通力があって、「地獄の沙汰も金次第」
な~んて言ってたら、お金に嫌われちゃう。

神様を信じなくとも、神様に信じられる人間に
私もナリタイ・・・ 合掌!
ありがとうございます。
私はとても幸せです。

金峯山寺蔵王堂(奈良:吉野)

2004年11月11日 | ・神社へ行こう!
もともと、寄る予定では無かった蔵王堂。
うすしまみょうおうサマのお札がいただけることがわかって、帰り道に
寄ることにした。なんとなぁ~く、呼ばれてお参りさせて頂いたという
感がある。というのも、行きの山道の途中、お地蔵様かな?っと思って
雨が降っていたが、車から降りてご挨拶したところ
お地蔵様じゃなく、何やら立派な雰囲気の方が。。。神変大菩薩と
書いてあった。。。
あとでわかったのが、役行者神変大菩薩 (えんのぎょうじゃじんべん
だいぼさつ)さまだった。やっぱり、呼ばれて行ったようだ。

ちょうど、本最大秘仏・金剛蔵王権現特別ご開帳
修験道大結集・祈りの大護摩供が、行われていたこともあって
ご先祖さまのご供養も、させて頂けた。神変大菩薩さま、
ありがとうございました。

ところで・・・金剛蔵王大権現さまは、スサノオノミコトのようです。

【紹介(HPより)】
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山
(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。
この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、
修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで
山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に
祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。  
明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期
廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として
復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗
が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の
中心の山という意味を号しています。

【役行者】
日本の正史『続日本紀』によると役行者は634年(舒明天皇6年)、御所市茅
原で誕生.名は小角といい、幼少の頃より葛城山で修行するなど山林修行や
苦行の末、金峯山にて金剛蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれた
と伝えられています. やがて修行の高まりと共に、強固な精神力と、煩悩を
克服した境地に達し、呪術家としての名声は天下に鳴り響りました。
699年(文武天皇3年)、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の謗言に
よって伊豆大島に流罪になり、701年(大宝元年)無罪がわかり、許されて都
に戻られました。同年6月7日68歳で、箕面の天井ヶ岳にて入寂されたと伝え
られていますが、異説も多く、「昇天した」「母を鉄鉢にのせて海を渡って
入唐した」などと多くの伝説が残されています。その尊像の多くは、折伏した
2匹の鬼(前鬼・後鬼)を従えた仙人風の姿で祀られています。
1100年忌にあたる1799年(寛政11年)に光格天皇より、神変大菩薩(じん
べんだいぼさつ)の諡号(しごう)が贈られました。

http://www.kinpusen.or.jp/

写真は後日UP

勝手神社(奈良:吉野)【更新】

2004年11月11日 | ・神社へ行こう!
吉野について、まずは皆でお墓参りへ。。。
ご先祖さまは、なんてステキなところにいるのだろう。
おばあちゃんが、「吉野へ帰らせて」と生前に言ってた
らしいけど、その意味がわかった。ママも、吉野へ・・・と
今から言ってる。そんなママの気持ちを知ってるパパは
既に、2回もチビたちつれて、吉野までお参りに来てる
(・・・涙が出るぐらい感激してます!ぱぱ!)

この日、ちょうどお昼に入ったうどん屋さん、そこはママの
親戚にあたるところらしく、えらい懐かしそうに話をしていた。
そろそろ帰ろう!と、お店を出たら、目の前にあった神社が
勝手神社だった。

●ご祭神:-
愛鬘命(うけのりかみのみこと)仏名は「毘沙門天」(びしゃもんてん)。
→源義経の守護神は、この毘沙門天らしい。
正哉吾勝勝速日天之忍穂耳尊
大山祇命
木花佐久夜比女命
天児屋根命
国狭土尊
国常立尊
豊斟渟尊
建速須佐之男命
迦具土命 
大物主命

●吉野八社明神の1つ、金峯山の山の入口に在る。
1185年(文治元年)暮れ、義経と雪の吉野山で涙ながらに別れた
静御前が従者の雑色男に金銀を奪われて、山中をさ迷っている処を
追っ手に捕らえられ、雅な姿で法楽の舞を居並ぶ荒法師達の前で舞わ
され、僧兵たちを感嘆させたとのがここ「勝手神社」らしい。
やがて吉野執行の手で鎌倉へと護送され、静は頼 朝の面前に呼ばれたが
「吉野山峯の白雪ふみわけて入りにし人のあとぞこいしき」
「しずやしずしずのをだまきくりかえし昔を今になすよしもがな」
と舞って一座を感嘆させたという。

昔、境内で、大海人皇子(おおあまノおうじ、後の第40代天武天皇)
が琴を奏でていると、天女が後ろの山の上から袖をひるがえしながら
舞い降りて、彼に吉兆を啓示したという伝説が残る。
この故事が今も宮中で舞われる「五節の舞」の起源。

【番外編】義経隠れ塔(奈良吉野:金峯神社)

2004年11月11日 | ・神社へ行こう!
奈良県吉野の奥千本に鎮座する金峯神社の境内左の坂道を下りると、
義経が弁慶らと隠れたことから「義経隠れ塔」と呼ばれる
「蹴抜け塔」がある。

平家追討後、頼朝から追われる身となった義経は、大物浦から九州へ
逃れようとするが暴風雨にあって失敗。
1185(文治元)年、弁慶・静御前らとともに吉野に逃れて、吉水院に
かくまわれる。しかし鎌倉の追及は厳しく、吉野の僧兵にも拒まれて
5日間の滞在ののち吉水院を出て、金峯山に落ちて行きます。
女人禁制の霊場であったため、義経とわかれた静御前は捕らえられ
勝手神社で舞を舞わされたのち、鎌倉へ送られました。

一方、義経は、金峯神社の蹴抜け塔に隠れて一夜を過ごしたあと、
雪の吉野山中へと姿を消しました。
このことから、蹴抜け塔は義経隠れ塔と呼ばれている。


金峯神社(奈良:吉野)

2004年11月11日 | ・神社へ行こう!
2004/11/11

吉野郡吉野町 奥千本、杉や桜の老樹におおわれて鎮座する古社。
通称は、金精明神。あるいは、愛染宮とよばれる吉野八社明神のひとつ。
吉野山の総地主の神が祀られている。
金峯とは、この辺りから大峯山へとかけての総称で
古来より地下に黄金の鉱脈が有ると信じられ、宇治拾遺物語にも
ここら辺りで黄金を得た話が載っている。
境内左の坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと隠れた義経隠れ塔があった。

ご先祖のお墓をお守りいただいてるお礼とご挨拶をさせて頂きました。

●御祭神:-
金山毘古神(金山彦命:かなやまひこのみこと)


お誕生日!

2004年11月11日 | ・今日の「ありがとう」
今日は、お誕生日
たまごアレルギーのひーチャンは、
ケーキをいっぱい食べれないのは残念!!
その分、ワタシが食べてあげますね

パパのアイデアで、
かねてからおばあちゃんが行きたがっていた奈良は吉野へ、
ひぃおばあちゃんたちのお墓参りへ
行くことになった。

小倉神社へ皆でお参りしてからいざ!紅葉の吉野へ!

今日はという天気だったけど
お墓参りが済み、「さぁ帰ろう!」と蔵王堂をはなれたとたん
が突然やんで、虹がでた!

さぞ喜んで頂けたんだろう。。(と、思う。思おう!)

自分のお誕生日に、みんなを喜ばすことが出来るなんて
とっても素晴らしいネ。

ちょうど1年前、パパは車イスで全然歩けない&抗がん剤治療の
真っ最中でしたが、ずっとワタシの傍にいてくれました。
そして、誕生しました。

とってもシアワセな日でした

伊勢神宮-外宮-(三重県:伊勢市)++part1++

2004年11月04日 | ・神社へ行こう!
ここから神宮は東南の方位。
最高に良いに恵まれ「早くいらっしゃい!」とでも
言われているように感じた。
この方位は、悪性腫瘍(がん)という病気・血の病気に良い方位。
はじめての神宮さまへ、はじめて私1人で行きました。
決してしてはいけない、「お願い」をするために・・・

倭姫宮、猿田彦神社、月読宮・・・今回はご挨拶に伺えなかった。
近いうちに、必ず家族みなでご挨拶に伺います

お昼12時前に、伊勢市駅に到着。外宮・内宮の順にご挨拶に伺った。

外宮には、豊受大神(とようけのおおかみ)がいらっしゃるところ。
感動!ご正宮の前に立ったとたん、御正殿の方から風が吹き
白い布仕切りのようなものが、全部吹き上がり御正殿がはっきりと見えた!!!
まるで待っていて下さっていたかのようで、感激のあまり
涙が出てきた。。。こんなことってあるんだなぁ
「心が洗われる」というのは、こういう感覚なんだろうか。
言葉に置き換えることが出来ない感動だった。生まれて初めての感覚だった。


こうしてブログに書き込みしている間にも、思い出して涙がでてくる。
理由がわからない涙。いや、祓い清めてくださった涙なんだろう。

豊受大神さま、ありがとうございました。

神様へのご挨拶ができるコト

2004年11月01日 | ・今日の「ありがとう」
保育園でも、教わってるのだろう。。。
子どもたちは、どこの神社へ行っても、
神様へのごあいさつをきちんとする。
こういう姿を見ているのは、とてもシアワセ。

いくつになっても、こうした人としての当たり前のコトは
忘れないでほしい。
いくらお勉強が出来ても、大人になって地位や名誉があっても、
お金持ちになっても、雨を降らすことも出来ないし、太陽へ
行くことは出来ないのだから。。。
所詮、人間はとっても非力で、
天地自然に生かして頂いてること。
そして天地自然は人を選んでないこと。。。
忘れないで欲しい。。。

水無瀬神宮(大阪府:三島郡)

2004年11月01日 | ・神社へ行こう!
2004/10/31

小倉神社の帰りにごあいさつへ伺いました。
離宮の水は名水百選に指定されれいる御水があるので、ペットボトルを持参!
このありがたぁ~い御水を使って、今晩は「お好み焼き」

おかげさまで子供たちは、特に誰も教えてないが
鳥居に入るまえにご挨拶。境内に入ってご挨拶。
拝殿の前では、二礼二拍一拝をきちんとする、とっても素晴らしい子たち。
3歳と0歳なのに、感動してしまう!ひろクンは最近一緒に祝詞を読むように
なった。さしすせそ→たちつてと に なるので、実に面白い(笑)

さて、水無瀬神宮。
水無瀬神宮客殿・茶室は、豊臣秀吉が家臣福島正則に造営させ、寄進したと
伝えられている。現在では、国指定重要文化財だ。
文学、学問、スポーツの神として、また後世御神威によって安産、盗難除の
神として崇められています。

●御祭神:-
後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
摂社 柿本神社

小倉神社(京都府:大山崎)

2004年11月01日 | ・神社へ行こう!
2004/10/31

お兄ちゃんとひろクンが11月、南西の方位が何やら良くないらしい。
ひろクンはまだ、どこにも1人で行くことはないけど
お兄ちゃんの場合、ガンバが南西にあることから、とっても心配
学校から直接行く場合は、方位よけになる南から西へという方位
になるので安心だけど、土日は直接行く日も多いので、方除の神様に
ごあいさつに行くことにした。

方除の神様が京都南インターあたりにあるが、これも北東で今月は×。
いろいろ考えて、限りなく北へ向かいながら行くことにした

今日は雨が降るといわれてたようだが、で神秘的な天候。

向かうと水無瀬神社発見!帰りに寄るとしてまずは、目的地を目指した。

山崎にさしかかって、以前からパパと行こうね!と話してた待庵を
思い出した。千利休が作った茶室がある。そういえば、もう10年以上
前から行きたかったのに、いけてない。。。

山崎を超えたあたりの左手に「方除祖神:小倉神社」という看板が見えた!
理由はわからないけど、とにかくソコへ行こうという気になったので
急遽、小倉神社へごあいさつに行った。

つづく

石切さん上之宮の御滝で・・・

2004年11月01日 | ・今日の「ありがとう」
八代龍王社

ちょうど生駒山が見えることから
こちらの滝の御水は、生駒山から流れてきてるのだろう。

ありがたい御水を頂き、ぱぱの身体も清めて頂き
・・・?!

「腰のあたりに御水をかけさせてもらおう」って
言ってるのに!!

パパは(笑)パンツを下ろして(笑)
なにを聞き間違えてるんだか