ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

10/20関西コミティア申し込みしました。

2024年08月02日 | お知らせ
原稿もあと少し。
10/20の関西コミティアにも申し込みました。

また京都開催(インテかOMMがいいのに)
頑張っていこう^^


メロンブックスの方に委託していました
「雲よ、伝へて!」Vol.8在庫、おかげさまで完売しております。
手持ち在庫は全てCOMITIA149(8/18)に搬入します。
つきましては
BOOTH通販の方で在庫少ない分は一旦通販をお休みいたします。
(在庫表示0になっていると思います)

今はとにかく、COMITIAに向けて
新刊頑張ります;
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新刊、城山戦まで仕上がりました…

2024年07月31日 | お知らせ
新刊進んでおります。
城山戦が終わるといよいよ、福沢諭吉
そしてラストシーンです。

西南戦争を描くといっても
最初もうほとんどそういうの知らなかったんで
(小説はともかく;)
ドラマや映画を一応、見ました。
「映像」としてどんなかんじか、ってことなんですが。

「半次郎」と言う中村半次郎の映画はなんだかラストは
森の中っぽかったように記憶しています。
その他小説でも、桐野は谷の方に落ちていったとか

今回、城山に関しては、日本カメラ博物館さんの所蔵の
上野彦馬(官軍から頼まれて西南戦争を撮影した人)の古写真を参考にしてるんですが

「映画や大河ドラマで見たのと違う」

うーん、あまりに違いすぎて
ズレを修正できない。
しかし、当時の証言と道幅とかは合ってるし…
「どこに森が…」「谷ってどれ?どこ?」
そんな感じでした。

そんなわけなので、もうドラマ映画はその監督のイメージなので
頼らないで自分は自分のでいいですか?という感じです。

その他、そういえば
何かのドラマで、木戸孝允が最期に「もういい加減にせんか」って
言うの
ベッドで寝てたような…
亡くなったの京都の別邸なのですが、モロに「和風建築」
なので別にベッド置いててもいいんだけど
「合わないなー」とかは思いました。


ドラマといえば、あと今回山川浩が出てくるんですが
玉山鉄二を払拭するのに大変だったわw


今回色々多すぎて、いつもの巻末の「日々吶々」
ページオーバーなのわかってるので
こちらは「別冊付録」にします!

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ペン入れあとちょっと…

2024年07月21日 | お知らせ
とにかく暑い!!

なんで毎年毎年、酷暑と闘いながら
いろんなもの
(体力とかメンタルとか人間的なものとか若さとか美容とか健康とか)
削りながら
タイムリミットとも戦っているんだろう

バカなんじゃないのか

そうは思うのですが
辞めるにしても今はやめられないし
引き返すことも出来ず
とにかくもうあと少しなのだから
やるしかないですね。

ちょっと寝ないと体力より
すぐメンタルに来るので…
息抜きしながら(だから時間がどんどん無くなる〜〜!焦る!!)

「無理せず」なんて無理です。

なーーーーーーんも無い、真っ白の紙
データゼロから
イメージして、組み立てて
調べて、描いて、失敗して失敗して描きなおして、
ダメだ自分は下手くそすぎる!才能が無さすぎる!死にてえ!!
と思って泣いて
でも何度でも挑んで
やっと描いてるんですよ。
この時点で無理してんだよ。みんなそうだろ。

でも
城山で散っても散らなくても
人生は永遠じゃあないから
志を持って、何かやりたい事あるなら
そのためにバカになってもいいんでないですかと

ゴタクはもういいから、作業しましょう。うん。
きっと最高の作品になります。します。




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「推しの子」2期とデザインとアートの間の漫画

2024年07月20日 | 文学・歴史・美術および書評
忙しいですが「推しの子」だけアニメ見てます。

「うわー!これは例の事件を思い出してしまう」
という…
漫画が原作のメディアミックス、
脚本家のキャラ改変に漫画家がダメ出し、と言うやつです。

セクシー田中さん事件の折に考えたのですが
まず

出版の会社と広告系の会社で
漫画家の扱いが違う!!

これなんですよ。
出版社では最初から「作家」の扱い
広告では「デザイナー」の扱いです。

つまり、出版系は漫画家に対しては多少「芸術」に対する態度で来られます。
所によっては昔はお中元お歳暮が届いてました。
呼び方も「先生」で確定申告の書類宛名は「先生」ついてました。
(電子化で紙の書類もほとんど消えましたが)
存在が表現をしている感じなので、当然ですが代わりはいません。
名前=ブランドで、それを売る為に苦労されます。


これに対して
広告系、広告漫画の現場は「デザイナー」です。
著作権を渡してしまうと中抜きできないと言う派遣事情もあるんでしょうが
最初から「案件」はチームワークです。
シングルテニスとサッカーくらい違います。
シナリオや企画を漫画に仕立てる作業工程に関わる一人です。
みんなで作り上げるものですから、当然「自己主張」は不要。
宛名に「先生」がついた事はないです。
ですので作者に著作権やブランドは無いかと思います。
(名前を出してもらえる人は何か主張したかであり
ほとんどの場合クレジット表記はされません)

普通の場合は広告は広告、出版は出版なので平和ですが
これが「ミックス」になった途端、面倒なことになります。

まず著作権を持ち、主体的な創造主であり先生である出版社系の漫画家は
そりゃ勝手にいじられたり、リテイク多すぎたら怒りますよ…
「私が決めているのに。日々何の為に必死に身を削ってんの」
てなりますよ。

しかし広告系としては、とにかく「アート」「芸術」をやってるのではなく
「ビジネスとして仕事をしている」だけです。


さて。
日本で「広告代理店」を始めたのは岸田吟香という人です。
今私が最終話を描いてます、「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」
にも登場しています。(最終話にも出ます)

吟香氏は浮世絵絵師の小林清親と親しく、目薬の広告を手掛け
もう当時から「漫画」と広告はコラボしていたのですが

では当時の漫画家はどうだったか?
というと
江戸時代から続く「浮世絵」はやっぱり今のデザインに近く
版元の企画に応じて制作していました。
己を表現する画家が皆無というわけではないです。

自己表現をしてきたという絵師、画家は高く評価されているが
そうでない浮世絵は最近まで格下扱いだった。
それはなぜか?
これって
「評論家が、西洋的芸術の意味を持つものを芸術だと評価した」
からではないかと思うのです。
つまり明治以降、日本は美術評論も輸入し、
西洋人が芸術とするものの基準に沿ってそれを芸術かどうか決めた。
海外も海外で基準を疑わないのでそうなります。
「まるで西洋の〇〇の作品のようだ」とか。

岸田吟香の息子さんは岸田劉生という有名な画家ですが
息子さんの時代にはもう、西洋芸術のベースで動いてて
画家は画家、という「特別な存在」になっていきます。
純粋芸術とは何かの話になると長くなってしまいますが
純粋な自己表現とビジネスって両立させるの、なかなか難しいです。


漫画を「自己表現」「芸術」にしたいのは
おそらく出版社はそうだと思います。
それは、小説が昔、芸術ではなかった大衆文化の時代を経て
芥川賞のような「芸術」に押し上げてきたというプライドがあるからでしょう。


私の場合は出版社も広告も同人誌も
「それはそれ」を徹底してペンネーム変えてはリニューアルして渡り歩いてきたのですが、
それでもこのギャップは、
解決するまでやっぱり鬱になる程悩みました。


21世紀以降
漫画の地位を上げてビジネス的に拡大していく世界では
「アート」か「デザイン」か
ソロプレイなのか、チームプレイなのか
これをあらかじめ認識しておく必要はあると思います。
これから漫画を描きたいという人は
そこを理解しておいたが良いのかなと思います。


手塚治虫は「海のトリトン」がアニメ化されて
大幅に原作改変された時「あれは僕の作品ではない」と明言しました。
しかし、富野由悠季監督の手から生まれたアニメのそれは
原作とはまた違うファンがついて人気になりました。
「一旦冷静に手放して、自分は自分にできる最大限をやる」
これ大事かもしれません。

チーム作品はチーム作品で
単独原作も単独原作で
要するにそれぞれ制作された背景を理解し、
受け手の側が評価すればいいだけの話です。
作り手の方も「今何をやっているか」「自分はどこに立っているか」
は重要です。

そして、もし芸術として完全な自己表現がしたいができない
出版社や広告がダメだというなら同人誌もあります。
ネットのある現代ならいくらでも方法があります。

マニアックに、自閉的に自分の作品にこだわり抜かないと良作が生まれないのも確かでしょうが我々は既にその「天才性」すら危うい時代に来ているのではないでしょうか。

それぞれの立場を理解できるという人が増えたらな
と思っていたところでしたので
いいタイミングでしたね。アニメ。

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9/1コミックシティ大阪申込みました

2024年07月19日 | お知らせ
9/1 Good Comic City大阪30
参加申込みしました。

新刊ペン入れ中です。

今、城山の場面を描いてます。
しかし〜Googleマップで見ても
全然面影が無い。

彦馬が残した写真や文献資料から、
昔からポツポツと城山の道の脇に民家はあった様子。
道の両側に堡塁。

この物語はまあ、あくまで記者の話だというかんじでまとめます。
なるべく興味深いエピソードなのにも関わらず、今までのドラマや映画ではあまり描かれなかったものを盛り込みました。

城山を過ぎればいよいよ西南戦争も終わりだ。
暑いので集中キレたりしますが
頑張っております。

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8/18コミティアの配置「け43a」

2024年07月11日 | お知らせ
8/18新刊、最終回新刊に向けて執筆中です。

調べることが多いので
山ほど資料を集めて準備してきた半年間でしたが
いざ制作に入ると「足らねえ」
で苦労。

今回コミケは出ませんが
8/18コミティアのスペース配置決まりました。
東京ビッグサイト

東5ホール け43a です!


まず健康管理;
あちこち低浮上かもしれませんが
いよいよラストスパート。


よろしくお願いします。

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西郷と城山の場面のラフ

2024年07月04日 | 文学・歴史・美術および書評
西郷隆盛の最期なんかは、ドラマでも小説でもやり尽くすくらい描かれてます。

西南記伝を参考にしたものが多いので
「晋どん、もうここらへんでよか」は定番です。

作品によってはそれ以前に会話があったり
あと、正座して合掌したところを
別府が「ごめんなったもんし!」(これも定番)

史実検証をしろではなく、
単に他の人が表現してしまったモノに
私なんかが敵うわけないので
別の方法を探るか、て所です。

さて、再度チェック、
城山戦の状況ですが

まず南側から見て左に甲突川(こうつき川)
という事は右手が山、左が崖…

写真家の上野彦馬の資料を参考にすると
(アナログでラフやってるのでスマホ撮影ですいません)


こうか?と思ったんですが

俯瞰だとどうも納得いかない。
道幅もう少し広いかも…難しい。
あと、遠目ですが山頂付近、山向こうに官軍の砲台ある…
というわけで


只今こんな感じです。

西郷が撃たれたのは脇腹と股内側という事です。
本によっては割とハデに痛がってるので
(この「なんだかなあ」な部分は西郷らしいっちゃそうかも…)

だとしたら正座は難しいんでは?
とか、色々考えられるのが歴創の楽しい部分かも。
史実と、期待される歴史創作テンプレと自分のイメージ、難しいけど楽しい。


今回は城山戦の地図をドラマパートに入れる余裕ないんで…
ページが許せば巻末にねじ込み、ムリそうだったら補足ペーパーかな。

城山戦が終わると下書きも福澤諭吉場面。
頑張ります。

お札がとうとう、渋沢栄一になってしまったですね。
まだ見てないけど。


エーイチ、A1、うわ…AI(エーアイ)
21Centuryタイプ!
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西南戦争とその報道についての「雲よ、伝へて!最終話/其の九」

2024年06月23日 | お知らせ
さて表紙もできたとこで
ちょっぴり其の九、最終話の話です。

官軍というのはテロリストを徹底始末しなければならない「お役」を負っていたので
長らく西南戦争は「西南の役(えき)」と呼ばれていました。
(昭和の時はそうでした)
「西南事変」というのもありますが(微妙かも?)


こちらは英国人の新聞イラストレーター、ワーグマンの漫画です
「ネズミ狩」


よってたかって薩摩軍を狩る官軍。
日本人には「お役」でも、英国人にはそう見えた。

薩摩軍に加わった人には知識人、新聞記者も多く
投降して生き残った人らはやがて後の明治自由民権運動に加わっていきます。


「其の九」では、主人公の飛高は横浜に戻ります。
その世相ですが

戦と無縁な人々はどうなったかというと

政府側の情報規制、情報統制によって
論調はすっかり「西郷叩き」になっていきました。

そりゃまあ、薩摩擁護の話をすれば「お前も賊軍か」と言われ
逮捕が待っている…
ならば官軍側の方が安全で得だから。


ここで日本はジャーナリズムにおいて、決定的な間違いを犯してしまいます。
報道とはそもそも、知らされた事から、社会の問題について
「なぜなのか」「どうすればいいか」考えることが大事だった。
多角的に冷静に。
しかし、この明治十年の新聞の黎明期に、政府は全力で
「政府広報であれ」と強いたのです。

そうしないとできたばかりの明治政府を再度消される危険性があったわけです。
ですから、最初から民衆側の立場で民衆を動かしたフランスとはちょっと様相が違います。


急激に「賊軍叩き」になって行った中
一人逆走したのが、福沢諭吉でした。
「丁丑公論」の中で福沢は西郷を讃え
政府側ばかりの論調に「今の記者はなんだ、政府の犬か」
と叱り飛ばしましたが
その福沢の論ですら、当時は発表されませんでした。

福沢は経済学の方で有名なのですが、明治初頭の福沢諭吉で
注目してほしいのはむしろ文筆家としてのあり方です。
福地源一郎も政治家として選挙に出たり作家になったりしてますが
新聞記者時代の精神はその後の活動にも溢れてると思います。

まず日本に本当に民主主義の基盤があるのか
なぜできてないのか…

などと、難しいことは各自考えていただくとして

とりあえず、新人記者の成長っぷりを。
またいろんな歴史人物が登場いたします、ってことで。

8/18に向けて頑張ります。







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「其の九」表紙イラストできました

2024年06月22日 | お知らせ
一回色塗ったけど
なんか納得できないのでやり直しました

表紙描くの苦手…

よし本文だ^^


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20世紀佐賀県の彫刻家、古賀忠雄

2024年06月13日 | 文学・歴史・美術および書評
 
と言って冒頭のみなのですが。


古賀忠雄の彫刻は佐賀城内にあります。


歴史資料館に行った時同時に取材してきました。

モダニズム、特異な作風がもてはやされた時代にナチュラルでリアルで力強い庶民をモチーフに自分の作風を貫いた人です。

20世紀の彫刻というと、どうしても
ラディカルなものばかりに目が行くというか
あまりにも「新しい芸術」を追いすぎて…

いや決して
イサム・ノグチや岡本太郎作品が嫌いというわけではないです!

じゃあ芸術って一体なんだったのか。
見る人とは乖離して行った気はします。

それでどんどん「アート」は発展していったのでしょうが
おかげで幾分「馬鹿は見るな」という世界になっていきました。

専門的なことを学ばないなら見てはならない
哲学書くらい読んでこい
美術館に収蔵されて然るべき

果たしてそういうものなのか…
それで意図というのはどの程度
正確に伝わっているのでしょうか。
(目的という意味では村上隆の美少女フィギュアがよっぽど正解なのでは)

私はもうむしろ最近は
「解読」する類には疲れてしまうので
何となく、けれど湧き上がるようなエネルギーを受けられるとか
側にいて鬱陶しくないものがいいなと思ったりしますが。



それで、古賀さんをどんな風に描くかってまず
有名なエピソードが西郷像お蔵入り事件なので
それを挙げてみました;
調べても「立派」な肩書きがズラリで
しかし権威は漫画を描くにはむしろ邪魔というか
その看板以外を覆い隠してしまうので大変です。

古賀忠雄の作品の抒情性って
きっと日本文学のそれだと思うのです。

きっと「これはこういう意図である」というのをゴリゴリ押しつけたりしない
でも、「人間とは何か」に立ち戻って
(いわばもっと落ち着いて;)
奇抜ではないが、自分で感じたリアルを求めた人かなと思います。



こういう作品を
ちゃんと描けるのか…もっと勉強しつつ、取材しつつになると思います。

シリーズの漫画と合わせてちょこちょこ描いていくと思います;
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