顕正会への愛のムチ!

お山から真心を込めて顕正会の誤りを発信いたします。

顕正会の本尊について 17

2010年05月04日 16時29分54秒 | 日記
厳虎さんのブログで破邪新聞の記事について言及があったので、それについての私の所感を述べてみたいと思います。



今回取り上げられたのは以下の部分です。

「席上、松本前住職から重宝本尊十一幅と檀信徒名簿の一部の引き渡しがあった。(中略)
しかし、昭和四十八年十二月二十二日に松本前住職が無断で元妙信講に貸した重宝本尊は、いまのところ同講中が返還を拒んでいるため、この日には引き渡されなかった。」

この文章を元に、厳虎さんは本部会館の御本尊以外は返したのではなかろうかと主張される訳です。

たしかに素直に読めばそう読めると思います。


しかしながら浅井会長は7幅の常住御本尊と4幅の導師御本尊を松本さんから受け取ったと現在でも主張しているのですから、この点が辻褄が合わなくなってまいります。




けれども昭和52年の和解調書もよくよく読むと、11幅の御本尊については昭和49年の段階で決着がついているように読めるのです。




これは私の推測ですが、昭和49年の段階で既にコピーをとった上で一部の御本尊を返納したのではないかと感じます。



あくまでも私の妄想ですが…。






悲しいかな35年という月日は短いようで長いものです…。当時を知っている人はどんどんこの世からいなくなってきております。



この本尊問題もいずれは全てが闇の中へと葬り去られてしまうのでしょうか…。



世間的にはそうなるのでしょう…。しかしあくまでも大聖人様の仏法上起きた出来事でございます。悪い因は必ず悪い結果となって我々の目に示して下さるのだと信じております。




それが和解条項冒頭の



「本件および別紙事件目録記載の各訴訟事件の紛争の核心が宗教上の教義解釈の相違にもとづくものであって、裁判所の判断により最終的に解決さるべき問題ではなく、むしろ今後それぞれの宗教活動の成果によって当否を決せらるべき事柄であることを相互に確認する。



に全て言い尽くされていると思います。



私達はただ黙って御本尊様の御裁断を待つのが一番よろしいかと思うのです。









2 コメント

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常住御本尊の御形木? (巌虎)
2010-05-07 11:53:32
まさかコピーってことはないでしょう。もしそれが本当ならば、その事実が発覚した段階で顕正会もオシマイでしょう。

自分の古い記憶では、現本部の御本尊にしても例の日布上人の真っ白な御形木と違ってそれなりに時代を感じさせましたから、あれがコピーとは思えません。まさか古色仕上げとか、そんな手の込んだことはしないでしょう。
巌虎さんへ (移住院十智郎)
2010-05-07 14:15:46
(^^)
あくまでも可能性ですよ・・・。

先日の「顕正会の本尊について 14」をアップした後に宗内の方から「それは無いだろう。」と御批評をいただきました。

しかしながら今回の神奈川会館御入仏式の会長講演で、計らずも浅井会長が参詣室の大きさと御本尊様の大きさのバランスについて言及されたがゆえに、私の推測もあながち的外れでは無いのかなと感じた次第でございます。

どんなスットンキョウな予測でも、事前に口に出しておくことが大切かとも思います。

勝ち鬨誌の平成9年の顕正会本尊作成の予測直後の日布上人大幅御形木御本尊の出現は、当に「敵ながらあっぱれ!」の一言に尽きると思います。

ただ私の推測はあくまでも何の根拠も無い妄想にしか過ぎませんので、あまり気にせず捨て置いて下さい。

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