顕正会への愛のムチ!

お山から真心を込めて顕正会の誤りを発信いたします。

顕正会洗脳ビデオ 2

2010年03月06日 06時05分32秒 | 日記
「日本国の広宣流布はいつかといえば、日本国の三分の一が入信したときこそ広宣流布したといえる。その時には、我が大石寺を、大聖人様御遺命の富士山本門寺と改称することもあり得ると信ずる。」(大日蓮・昭和50年1月号)


「では、日本一国の広宣流布はいつか、と申しますれば、これは重大問題で種々の見解の相違はありましょうが、私の考えを申しますれば、大聖人は天台大師が南三北七の法敵を破折したときに、中国一国の法華経は広宣流布したと申され、また伝教大師が南都六宗を論破したとき、日本国律々浦々に法華経の広宣流布はしたと申されております。
 今、深くこれを思うに、日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目、南無妙法蓮華経を異口同音に唱えたてまつることができたとき、そのときこそ日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると、思うのであります
 この時には我が大石寺は、僧侶の指導者たち、相寄り相談のうえ、大聖人ご遺命の富士山本門寺と改称することもありうると、。信ずるのであります。」(大日蓮昭和50年1月号12ページ)


どうであろうか?上は浅井会長の発言、下はその原文である。

“入信したとき”と“本門事の戒壇の御本尊に純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目、南無妙法蓮華経を異口同音に唱えたてまつることができたとき”は意味合いが全然違うのである。

顕正会員は既にご理解頂けようが、入信しただけでは使い物にならん!名前だけ入信する者もいれば、入ったは良いがすぐに退転する者もいる…。また、熱心に活動する者は本当に全体から見れば数えるほど…と言うのが現実であろう。

要は浅井会長の言う“入信したとき”はこれらもひっくるめての表現である。しかし、日達上人の御指南は完全なる活動家が三分の一であると私には読める。

この違いは大きいのである。

そして、このように原文を勝手に、しかも言っていることのニュアンスまで変えて、それを日達上人の御言葉だと偽る浅井会長はとんでもない謗法者なのである。

それよりなにより、このようにして騙されているあなた方顕正会員は大いに浅井会長に対して怒らなければいけないと思うのだが、いかがであろうか?


次は日顕上人について…。


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