顕正会への愛のムチ!

お山から真心を込めて顕正会の誤りを発信いたします。

顕正会の本尊について 13

2010年03月19日 07時35分57秒 | 日記
日布上人の御形木御本尊についてですが、まずは下記の一覧を見て下さい。

これは楽天でブログを書かれている“サンビャクマンさん”のまとめられたものです。

※参考 日布上人書写のご本尊の安置が顕正新聞で確認できた地方拠点(特記なしは大幅か普通形木か記述なし・赤字は既閉鎖)

上尾事務所礼拝室(平成4年4月12日) 
新横浜事務所(平成4年5月3日)
水戸事務所(平成4年5月10日)
笹口事務所(平成4年11月29日)
尾道事務所(平成5年11月3日)
横浜会館(平成6年11月23日)=大幅(常住ご本尊のことか?)
京都事務所(平成7年1月29日)
高崎事務所(平成7年6月12日)
仙台会館(平成9年9月15日)=大幅
名古屋事務所(平成9年9月25日)
小田原会館(平成10年2月8日)=大幅
秋田会館(平成10年4月25日)=大幅
宇都宮会館(平成10年6月7日)=大幅
旭会館(平成10年10月18日)=大幅
八戸会館(平成10年11月8日)=大幅
渋川事務所(平成10年11月15日)
沖縄会館(平成10年12月13日=大幅
三条会館(平成10年12月27日)=大幅
水戸会館改修遷座(平成11年1月24日)=大幅
千葉会館(平成11年12月5日)=大幅
旧青年会館(平成11年12月26日)=大幅
このあと、新本部会館・札幌事務所・新富士事務所以外は日布大幅
(但し高崎会館・松山会館・高知会館は大幅か普通か記述なし。高知会館はかつて常住ご本尊を安置)


http://plaza.rakuten.co.jp/pumiexiejiao/diary/200912010000/




これを見て私は目から鱗が落ちる思いでありました。

つまり元々顕正会員であった私には知らず知らずのうちに“平成10年の正本堂解体に伴い、顕正会は宗門に帰ることを永久に断念し、開き直って御本尊作成に手を染め、日寛上人の御形木御本尊の大量印刷、および会館への出所不明の大幅御形木御本尊なるオンリーワン本尊の創作をしてしまった。”のだと思いこんでいたのです。

おそらく多くの元顕の法華講員さんも同じ思考回路だったと思います。しかしながら、この表を見てみると、本尊作成の疑惑は平成4年にまで遡ってしまうのです。はたして平成4年当時にわざわざ本尊を作成する必要性はあったのか…?
これが私の中に湧いてきた疑問でした。

けれども冷静に客観的に、当時の顕正会の置かれた立場、浅井会長の言動、そして実際に顕正会の手元にあったであろう御本尊の内容を考えれば、これは必然であり、全てが一本の線で繋がってしまうのです。

(つづく)



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