姫路界隈ポタリング

ぴゅんぴゅん丸が自転車こいで、今日は何処の路地へやら

おもわず,口ずさんじゃいました。

2008-02-03 21:10:13 | Weblog
今日は家から出発、旧山陽道、姫路市御国野町御着の家並みをウオッチングしながらのポタです。格子の入った古い家並が印象的です。近くに播磨国国分寺跡があり、町の名前もここからつけられたことは想像できます。平安時代から鎌倉時代にかけて、時の天皇が書写山へ、また隠岐の島へと流される際この街道を通って行かれたかと思うと感慨深いものがあります。

しばらくぺタルをこぐと別所町北宿の集落に入ります。ここには南北朝時代初頭に足利尊氏の軍勢と児島高徳の父範長の軍勢とが争い、逃げ延びて最後に残った6人がここで自害した悲しい歴史があり、後世の篤志家が石塔を立て六騎塚として祀られています。悲しい思いを胸に東に進めると、もうそこは高砂市阿弥陀町です。

日本国民なら誰でも必ず一度は口ずさんだことがあるでしょう。そう「月の沙漠」「お山の杉の子」の作曲者 佐々木すぐるさんは、この村で生まれました。姫路市内や高砂市内の小・中学校歌に彼の作品が多く残されており、今も歌い継がれています。

その隣に鹿鳴館時代風の建物を復元したような家があり、ちょうど、そこの奥様が帰ってこられ、話を聞くと明治7年開局の魚橋郵便局の建物をリニューアルしたと説明をうけました。昔通りに復元するためにオリジナルな資材が必要で、いろいろと物入りだったとか。

しばらくして、米田という集落に入りました。この集落には天竺から紫雲に乗ってやってこられた法道仙人にまつわる面白い伝説が伝わっております。お話は別の機会に。造り酒屋の土蔵のある路地(こういう露地裏ウオッチングがたまらない)をくぐり抜け最終予定地、伊保の集落へとやってきました。

この集落は豪商が軒を並べ、特に江戸時代から続く○○氏は別格で、明治時代に今の大手の銀行の頭取を務められたとか。かつてこの家に,円山応挙、曽我蕭白、近代には、橋本関雪、棟方志功も投宿したとか、いわゆる彼らのパトロンであり、高砂にはそんな豪商がいくつもあります。

ここから伊保駅までポタならわずか数分、昨日と今日でずいぶん疲れちゃったので、これにて山電で姫路に帰ります。

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