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アドラー心理学

今日のマコなり社長のインサイドストーリーズから

・『嫌われる勇気』の考え方を知ったところで、明日から100%実行できるわけではない。実行しようとする努力や、考え方を改めようとし続けることが大事なことである。

・アドラー心理学は「とにかく前向きに行動していこうぜ」というノリで、「前だけ向いて生きていこうよ」という考え方である。

・アドラー心理学は「行動するということはポジションを取るということで、ポジションを取るということは誰かに嫌われるということ。嫌われなければ、人は幸せになれない」という否定できない究極的な論理を突きつけてくる残酷な哲学である。

・「『褒める』『叱る』は、人間に上下関係を作っていく。これはやるべきではない」というのがアドラーの考え方のようだが、現実的には無理である。

・この社会は個々人が幸せに生きられるように作られているわけではない。

・お金を出した人が得することができる仕組みこそが資本主義社会である。資本家がお金を儲けることができる仕組みである。

・そもそもとして会社は会社、アドラー心理学はアドラー心理学というように別物である。このときに「アドラー心理学を実際の仕事で体現するには一体どのようにしたら良いのか」ということに悩むので、「結局あなたはどのようにしたいですか?」という問いを返すしかない。

・二律背反のどちらが正しいとも言えない事象の中でバランスを取っていくことは一生終わらない。たったひとつの行動指針はない。よって、アドラー心理学では、絶対にうまくいく方法を一切論じていなくて、ひたすらに「自分がこれからどうするかを考える」としか言っていない。

・「会社の組織構造とアドラー心理学の主張の矛盾はどのようにすれば良いのか?」ということに誰も答えを出すことはできない。生きるための絶対的な指針を与えてくれるものではない。

・部下を評価するのは上司の責任である。評価をするということは、会社の基準に加えて上司の主観が入る。

・お金という指標は人間の価値を測るものではない。単に交換可能な数字というだけで、それ以上でもそれ以下でもないが、気づいたら、私たちは「どれだけお金を稼げるかという能力がその人の人間としての価値だ」と思い込むようになってしまった。会社においてどれだけ利益を出せると評価されているか否かでしかなく、人間的な価値や、人生としての価値のようなものは全く関係ないにも関わらず、これを混ぜているのが良くないが、混ぜて考えざるを得ないほどに資本主義という構造が強過ぎる。さらにインターネットによってさまざまな情報を簡単に手に入れられるようになり、人と比べるようにもなっている。

・厳しく注意をするときに「あくまでもこの会社におけるルール、評価だよ」ということを強調することが大切で、ガミガミ注意ばかりしていると、その人の存在そのものを否定しているかのようなニュアンスが出てしまう。

・会社において、最初から「これが大事だよ」と言っていることを破っているときは指摘するが、人間そのものを否定しているかのようなニュアンスが出ないように気をつけること、さらに、道具としての「褒める」「叱る」をやらないことが大切である。

・「すごいね」と褒めるよりも「ありがとう」と言ったほうが良い。また、「こら!」と叱るよりも、その行動によって「どんなリスクが生まれているのか」「どんな危険性があるのか」「どんな被害が生まれているのか」という事実を伝えるべきである。

・ほとんどの人にとって会社という船が必要である。その船に穴を開けて沈没リスクを高めるようなことをする人は厳しく注意されるべきであり、それが続くようなら追い出されて然るべきである。

「ダメなことをダメだとはっきり言うこと」「嫌われる勇気を持って人と接すること」はアドラー心理学そのものである。これからどうするかだけであり、絶対的な答えにすがろうとしてはいけない。唯一言えるのは「他者に貢献していこう」ということだけである。

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