PHP『心に響く・名経営者の言葉』
第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.011
「人間のやったことは
人間がまだやれることの
100分の1にすぎない」
豊田佐吉・豊田自動織機創業者(1867~1930)
豊田佐吉は遠江国(現在の静岡県)の農家を営む豊田伊吉の長男として生まれた。
家は農業だけでは食べていけないほど貧しく、父は大工、母は機織(はたお)りを
してようやく糊口(ここう)を凌いでいた。
小学校を卒業し、すぐに伊吉の仕事を手伝い始めた佐吉だったが、母が朝から晩
まで機織りを続けている姿を見て、「なんとか母を楽にしてあげたい」と考えて手織機
の改良を始めた。
明治23(1890)年、第3回内国勧業博覧会を見学するために上京。
会場で外国製の織機を見た佐吉は、それをヒントにして「豊田式木製人力織機」を考
案し、明治24年に特許を取得した。
佐吉の開発した織機には木材が多用されていたために、金属製の外国製織機と比較
して価格は10分の一以下だった。
その安さが評判になり、織機は爆発的に売れ、佐吉は開発資金を手に入れる。
その資金のおかげで、明治30年には豊田式動力織機が完成。
その2年後に自動織機の特許を得た。
こうして、この自動織機は日本を織物大国に押し上げる原動力となった。
佐吉が40年間に得た発明特許は、国内で100以上、海外でも50以上に達し、海外
でも高い評価を受けていた。
たとえば、昭和4(1929)年には自動織機の特許をイギリスの会社が100万円(現在の
金額で100億円前後)で買い上げたほどだった。
発明によって日本の産業革命を起こしたといってもいい佐吉が、まだやれることの100
分の一しかやっていないというのだから、我々凡人は実際にやれることの何百、いや何
千分の一しかやっていないのではないか。
「できない」「無理だ」という言葉をよく耳にするが、本当に不可能なのだろうか。
私たちには自分が考えている100倍以上の力が備わっているのだから、「できない」など
ということは滅多にないはずである。
「できない」と諦める前に、やる努力をしてみようではないか。
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