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楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.011

2018-05-17 | 先人の知恵に学ぶ

  PHP『心に響く・名経営者の言葉』
       第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.011

「人間のやったことは

   人間がまだやれることの
     100分の1にすぎない」
         豊田佐吉・豊田自動織機創業者(18671930


豊田佐吉は遠江国(現在の静岡県)の農家を営む豊田伊吉の長男として生まれた。
 家は農業だけでは食べていけないほど貧しく、父は大工、母は機織(はたお)りを
してようやく糊口(ここう)を凌いでいた。
 小学校を卒業し、すぐに伊吉の仕事を手伝い始めた佐吉だったが、母が朝から晩
まで機織りを続けている姿を見て、「なんとか母を楽にしてあげたい」と考えて手織機
の改良を始めた。
 明治23(1890)年、第3回内国勧業博覧会を見学するために上京。
 会場で外国製の織機を見た佐吉は、それをヒントにして「豊田式木製人力織機」を考
案し、明治24年に特許を取得した。
 佐吉の開発した織機には木材が多用されていたために、金属製の外国製織機と比較
して価格は10分の一以下だった。
 その安さが評判になり、織機は爆発的に売れ、佐吉は開発資金を手に入れる。
その資金のおかげで、明治30年には豊田式動力織機が完成。
 その2年後に自動織機の特許を得た。
こうして、この自動織機は日本を織物大国に押し上げる原動力となった。
 佐吉が40年間に得た発明特許は、国内で100以上、海外でも50以上に達し、海外
でも高い評価を受けていた。
 たとえば、昭和4(1929)年には自動織機の特許をイギリスの会社が100万円(現在の
金額で100億円前後)で買い上げたほどだった。

 発明によって日本の産業革命を起こしたといってもいい佐吉が、まだやれることの100
分の一しかやっていないというのだから、我々凡人は実際にやれることの何百、いや何
千分の一しかやっていないのではないか。
 「できない」「無理だ」という言葉をよく耳にするが、本当に不可能なのだろうか。
私たちには自分が考えている100倍以上の力が備わっているのだから、「できない」など
ということは滅多にないはずである。
 「できない」と諦める前に、やる努力をしてみようではないか。

 

 


 


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