この冬は俳句が生まれなかった。
新しいスタイルの俳句に沢山出会い、
私の俳句はは立ち竦み、
絶句してしまった。
私の俳句は脆いもので、壊れてしまったのだろう。
四月末から五月にかけて
高原を巡り歩き、
里山を逍遙し続け、やっと句が生まれた。
著莪の花睫毛の長き人に逢ふ
少年へ還りゆく日や麦畑
なんとかインターネット句会に投句することができた。
「少年へ~」の句でコメントを寄せて頂いた方が四名いたが、
うちひとりの方は、私の句には直接触れることなく、下記のような
コメントをよせられた。
全文を引用させて頂く。
俳句に限らず「技術」は努力で習得できるが、「感性」はその人が生まれ持った個性、他人には真似ができないものだ。 好き嫌いは別にして「この句なら作者はきっとあの人だ」と、誰もが分かり、認めるようになれば、それが本物の個性なのだろう。
私が立ち竦んでいることを見透かされたような---。
冬以来のモヤモヤが払拭された。
私はワタシなのだ。
相も変わらずの直球俳句で
行こうと思う。