家ねこの背伸び 山ねこのあくび

好きなアップルパイ、料理下手の簡単料理、山や植物のこと。
思いついたこと、興味のあること のんびりとつづってます。

白身魚の粕床づけ

2024-05-27 | 発酵・手作り・料理

粕床につける魚としては

鮭・鯛など が定番ですが

 

ストアーに 異国の地?!の白身魚があったので

やってみよう~~!

 

まず、白身魚に塩をふって 臭みを抜く。

 

しばらく置いておくと 水分が浮いてくるので

水気をふき取り

ジップロックに魚をいれ

粕床を ぬりぬり・・

 

これで 一晩おきます。

 

翌日の夕飯・・・

 

焼く!

 

出来上がり~。

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・・ふと 従妹を思い出す

2024-05-27 | 日記

先日、ドラマを見ていて ふと 従妹を思い出しました。

 

その女優さんの顔が従妹と似ているわけでも、雰囲気が似ているわけでもないのですが

なぜか 従妹を思い出しました。

病気をおして 周りの患者さんの世話をするその姿に 

従妹の姿が重なりました。

 

従妹は、7年間闘病の末旅立ちました。

 

子供の頃から 姉後肌でいつも先頭にたち引っ張っていってくれるそんな人でした。

 

闘病中も 親の介護を続け

子供のPTAの役員なども引き受け

いつも 誰かのために動いている人でした。

世話好き?!とは ちょっとニュアンスが違う。

誰かがまごついているのを ほっとけない・・そんな人でした。

 

自分に厳しい人でした。

なので、7年間の闘病中 どんな状況でも諦めることなく

「まだ やれる。諦めない。」そう言って弱音を絶対吐かない人でした。

 

そんな従妹が 一度だけ

「もう・・無理かもね・・。」そう言ったことがあります。

 

それは、長年 介護を続けた父親の葬儀の時。

 

年下の私に弱いそぶりは 一切見せたことのなかった従妹。

 

その時、一回だけ。

 

その後、 葬儀のお返しが届き

従妹は、いつものように「遊びにおいで。一緒にイオンに買い物に行こう。」

そう手紙が入ってました。

 

ただ・・私は、従妹とどう接していいか分からず 結局行かずじまい・・。

 

それが 従妹との最後のやり取りになりました。

 

今なら ほんとに分かるんです。

普通に接していればよかった・・・のだと。

普通に買い物に行き、普通にお茶して、普通に・・・。

”普通”が 一番うれしいことなのだと・・。

 

従妹は、最後の最後まで まだ小学生だった子供のバスケの練習に付きそい

PTAの役員を務め、

体がきついっと言いつつ 書類の作成など続けていたそうです。

 

最後まで 責任感の強い人でした。

 

そんな従妹のお通夜には、

入りきらないほどの人の列ができ

お焼香が延々続きました。

あんなに参列者の多い葬儀は始めてです。

 

 

父親の最期を看取り 旅立った従妹。

従妹が旅立った後、

何となく気になって受けた健康診断で 私も病気が見つかり

それが 私の40代最後の年。

従妹が旅立った年齢とほぼ一緒。

従妹のことが無かったら 

私は 健康診断を受けていなかったかも・・・。

 

 

叔父も叔母も従妹も旅立ち

小学生だった従妹の子も

高校を卒業して進学したと

七回忌の連絡の際に聞きました。

 

従妹との思い出は

最後にあった時のまま 時間は止まっていますが

実際には、時間は流れ

これからも 流れ・・。

 

今でも、遠方のその地を思うと

従妹が変わらず住んでいるような気がします。

それでいいのだと思ってます。

 

時々、思い出すことが供養になるっと

誰かが言ってました。

 

また、なにかのドラマをみて

きっと・・ふと思い出すだろう・・。

 

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