水清ければ魚棲まず
「何某、当時倹約を細かに仕る由申し候へども、宜しからざる事なり。水至つて清ければ魚棲まずと云ふことあり。藻がらなどのあるゆえ、其の蔭に魚は隠れて、成長するなり。少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は安穏なるなり。人の身持なども、此の心得あるべき事なり」
山本常朝・田代陣基、神子侃編訳『葉隠』「聞書第一 教訓」(1964、徳間書店:p.69)
※汚いのは当然だがきれいすぎるのもだめだということ。きれいにしすぎると返って逆効果をもたらすということである。このことは単に物理的に不純物がなくてきれいという意味以外にも当てはまるものであろう。
視野が狭ければ、ある物も見えない
「物をこまかに心を付候はば、天地の間の物、いずれとて、かわりあるべしともおもはす。かわりたりと見るは、見のすぼき故也。
一樹の枝葉しけりたるにかくされて、富士の山、我目に見えざるかごとし。富士の山いかでか一樹にかくされん。只我目のちいさき故に、一樹わが目を遮る故に、富士は見えぬなり。しかるに一樹が富士を隠すと思うべし。我見のすぼき故なり」 沢庵宗彭、池田諭訳『不動智神妙録』(1970、徳間書店:p.156)
※人は基本的に自分を平均だと思っている。ということは自分が見識がなく(視野が狭く)てもそれを自分のせいにはしない。言い換えれば、自分で己を省みることことはないということである。世の中は物事の発想の転換によって視野が大きく変化する。枝が邪魔で見えないと思えば、なにもその場所にこだわらずとも少し位置を変えればいいだけのこと。そちらのほうが無駄な動きはまったくない。
「何某、当時倹約を細かに仕る由申し候へども、宜しからざる事なり。水至つて清ければ魚棲まずと云ふことあり。藻がらなどのあるゆえ、其の蔭に魚は隠れて、成長するなり。少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は安穏なるなり。人の身持なども、此の心得あるべき事なり」
山本常朝・田代陣基、神子侃編訳『葉隠』「聞書第一 教訓」(1964、徳間書店:p.69)
※汚いのは当然だがきれいすぎるのもだめだということ。きれいにしすぎると返って逆効果をもたらすということである。このことは単に物理的に不純物がなくてきれいという意味以外にも当てはまるものであろう。
視野が狭ければ、ある物も見えない
「物をこまかに心を付候はば、天地の間の物、いずれとて、かわりあるべしともおもはす。かわりたりと見るは、見のすぼき故也。
一樹の枝葉しけりたるにかくされて、富士の山、我目に見えざるかごとし。富士の山いかでか一樹にかくされん。只我目のちいさき故に、一樹わが目を遮る故に、富士は見えぬなり。しかるに一樹が富士を隠すと思うべし。我見のすぼき故なり」 沢庵宗彭、池田諭訳『不動智神妙録』(1970、徳間書店:p.156)
※人は基本的に自分を平均だと思っている。ということは自分が見識がなく(視野が狭く)てもそれを自分のせいにはしない。言い換えれば、自分で己を省みることことはないということである。世の中は物事の発想の転換によって視野が大きく変化する。枝が邪魔で見えないと思えば、なにもその場所にこだわらずとも少し位置を変えればいいだけのこと。そちらのほうが無駄な動きはまったくない。