わたしはバイトで個別指導をしているということは前にも書いたが、昨日のバイトである高校3年生の生徒(わたしの生徒ではない)と話していたら彼はこうつぶやいていた。「最近ふと思うときがあるんですけど、仮に今年の受験で受かった場合、来年の今頃はいったい何してるんだろうかと考えてしまうことがあります。今は受験、受験とそれなりの目標があって燃えているんですけど、まだ大学の実体というものがいまいちつかめてないですし、大学生になったらいったい何してるんだろうかと不安にもなったりします」と。彼自身は、県内有数の進学校に通っており勉強意欲もあって毎日自習にも来ているらしいのだが、最近同じ事をひたすら繰り返していることの価値というものに疑問をいだきはじめているようであった。
この時期というのは受験生にとって「天王山」といわれているぐらい重要な時期と世間では言われている。基礎を固め来学期の応用力養成のための最終段階ともいわれているくらいである。一応わたしもそのことには批判するつもりもなく実際に生徒にもそのことを言い聞かせている。まあそんなことはいいとして、彼自身理系であるため、数学と化学を中心に問題演習を繰り返している。文系ではやらない、数Ⅲ・Cと化学Ⅱもあるため範囲的にも膨大である。そのためにもこの時期の基礎固めは重要である。またこの時期は精神的にもマイりはじめる時期でもある。この2ヶ月のうちにマーク、記述模試そして大学別の個別模試も行われる。また塾の夏期講習もあるため受験生は超ハードなスケジュールをこなしていかなければならない(正直、聞くだけでもかわいそうに思う)。
高校時代のある先生が、「夏休みは600h!」と繰り返し叫んでいたが、「そんな一日平均15時間もやる奴なんてどこにいる。はっきり言って狂ってる」と心のなかでつぶやいていたのを憶えている。受験生ながら他の受験生を可哀想な奴だと思っていたわたしはどうみても正当な受験生ではなかった。世間から見れば、そんな受験生は「敗者」となる。わたし自身、先の生徒がつぶやいたことは高校生になってまもなく思うようになった。感じることは誰しもあることであると思うのだが、それを深く考えたらもうおしまいである。ところがわたしはそこにはまり込んだ。人には言わなかったが、なんだか心にしこりを残したまま一応は勉強もしていた。ただ具体的な目標がこの受験システムにそったものではなかったため気力的にも何か集中できなかったし落ち着かないまま本番を迎えてしまったのである。
ただわたし自身敗者なったと思ったことはない。世間からみた敗者を自分でも感じたくはなかったので、自分なりに将来のことも踏まえた上で自分の関心事を深く追求しいろいろな進路選択も考えた。自分自身、仮にどんな一流大学・企業へいったとしてもそこの共同体に深く染まっていくつもりはない。というかできない。自分の所属を確立したうえで自分のペースで進めつながりを広めていくやり方のほうが性に合っている。その意識さえしっかりもっていればそれなりの環境があればやっていけると思った。興味のあることを追い求めたいというのが本音だった。そして文系自体(理系のほうはよくわからないが)大学に入ってしまえば誰でもやっていけるという状態でありサラリーマンになるつもりのないわたしにとっては温泉につかった学部時代を送りたくはなかった。そんなこともあって自分で勝手に楽しんできた。
わたしは、その生徒には上記のわたしの受験体験を話はしたが最後に忠告だけはしといた。「確かに受験生はだれでもこの問題にぶち当たるかもしれんけど、自分のことを深く見つめ考えもしないでその疑問を膨らましていくのだったら敗者になるから気持ちを振り切って今のまま続かなかんよ。それは個人の問題だから自分でしっかり考えなね。」と。まあ彼の気持ちがどう変わっていくのかが今後楽しみなところなのだが、そんな会話を現役の受験生と話するのもいいものである。
この時期というのは受験生にとって「天王山」といわれているぐらい重要な時期と世間では言われている。基礎を固め来学期の応用力養成のための最終段階ともいわれているくらいである。一応わたしもそのことには批判するつもりもなく実際に生徒にもそのことを言い聞かせている。まあそんなことはいいとして、彼自身理系であるため、数学と化学を中心に問題演習を繰り返している。文系ではやらない、数Ⅲ・Cと化学Ⅱもあるため範囲的にも膨大である。そのためにもこの時期の基礎固めは重要である。またこの時期は精神的にもマイりはじめる時期でもある。この2ヶ月のうちにマーク、記述模試そして大学別の個別模試も行われる。また塾の夏期講習もあるため受験生は超ハードなスケジュールをこなしていかなければならない(正直、聞くだけでもかわいそうに思う)。
高校時代のある先生が、「夏休みは600h!」と繰り返し叫んでいたが、「そんな一日平均15時間もやる奴なんてどこにいる。はっきり言って狂ってる」と心のなかでつぶやいていたのを憶えている。受験生ながら他の受験生を可哀想な奴だと思っていたわたしはどうみても正当な受験生ではなかった。世間から見れば、そんな受験生は「敗者」となる。わたし自身、先の生徒がつぶやいたことは高校生になってまもなく思うようになった。感じることは誰しもあることであると思うのだが、それを深く考えたらもうおしまいである。ところがわたしはそこにはまり込んだ。人には言わなかったが、なんだか心にしこりを残したまま一応は勉強もしていた。ただ具体的な目標がこの受験システムにそったものではなかったため気力的にも何か集中できなかったし落ち着かないまま本番を迎えてしまったのである。
ただわたし自身敗者なったと思ったことはない。世間からみた敗者を自分でも感じたくはなかったので、自分なりに将来のことも踏まえた上で自分の関心事を深く追求しいろいろな進路選択も考えた。自分自身、仮にどんな一流大学・企業へいったとしてもそこの共同体に深く染まっていくつもりはない。というかできない。自分の所属を確立したうえで自分のペースで進めつながりを広めていくやり方のほうが性に合っている。その意識さえしっかりもっていればそれなりの環境があればやっていけると思った。興味のあることを追い求めたいというのが本音だった。そして文系自体(理系のほうはよくわからないが)大学に入ってしまえば誰でもやっていけるという状態でありサラリーマンになるつもりのないわたしにとっては温泉につかった学部時代を送りたくはなかった。そんなこともあって自分で勝手に楽しんできた。
わたしは、その生徒には上記のわたしの受験体験を話はしたが最後に忠告だけはしといた。「確かに受験生はだれでもこの問題にぶち当たるかもしれんけど、自分のことを深く見つめ考えもしないでその疑問を膨らましていくのだったら敗者になるから気持ちを振り切って今のまま続かなかんよ。それは個人の問題だから自分でしっかり考えなね。」と。まあ彼の気持ちがどう変わっていくのかが今後楽しみなところなのだが、そんな会話を現役の受験生と話するのもいいものである。