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D的思考の広場

Nice to meet you! 日常のどうでもいい出来事から多角的に批評する広場です。

Jポップについて(about J-POP)

2005-07-02 10:55:10 | D的思想
 木曜日の大学院の授業では、烏賀陽弘道『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業―』(岩波書店、2005)を読んだ。実際、授業ではJポップにかぎらずジャパニーズ産業(アニメ、ホラーなど)にも話が拡大していった。
 Jポップというジャンルは日本では当たり前のジャンルとして認知されているか呼ばれているが、海外ではJポップという名に限らず日本の歌自体それほど知られてはいない。そもそも「Jポップ」のJはJリーグのJと同じような意味合いで付けられたものであり、カタカナで書くよりもアルファベットを用いることでいかにも国際性があるというイメージを付着しようとしているという。しかし、海外(東アジア以外の地域でも)で日本の歌を広めようとするならJポップというよりも「japanese (popular) songs」のほうがまともに聞こえるように思われるのだが…(つまり向こうの人たちにとってみれば、そのJがどんな意味を持ってるかもわからないのである)。またそのJポップというのは日本の音楽産業の歴史を振り返ってみることが可能であって、日本の資本主義社会における巨大消費産業を象徴しているもののひとつに数えられる。「作品」より「商品」という感覚になり、いかに安いコストで大量に作り出せるかという生産熱によって基盤を拡大していった(もちろんそれにはCDなどの再生媒体や音楽生産技術の発達などによるということもあるのだろうが)。そのため似たような趣向の音楽ばかりが大量生産されるようになった。リズムテンポも基本的には大きな違いもない。つまり、歌う歌手(グループ)も消費生産構造の一媒体として「導入される」側にまわったのである。その巨大産業を大まかに説明するとこのようになる。
 このような状況はかつて、アドルノやホルクハイマーらのフランクフルト学派によって大衆産業のなかの「文化産業」構造が説明がなされた。たしか『啓蒙の弁証法』(1947)だったと思うが(実際ほとんど読んでないのだが)、現代の文化生産にかかわる根本的な問題を突き詰めたものとして現在でも評価されるところなのだが、そこにはラジオ(テレビもということになる)や雑誌などのマスメディアからなる複合的なシステムにより成り立ち、これらのメディアはそれぞれが連関関係にあり、そこで作り出されるモノはいくら細分化されていようとも基本的に同じものでしかない。つまり記号論的に言えばそれらはセグメント化された差異の認識でしかありえない。つまり、消費者もあらかじめ用意されていたタイプのものに従わざるをえず、大量生産のカテゴリーに従って消費していくしかないのである。さらには、操作する側と、視聴者側(操作される側)の要求とは循環した形になってしまっているので、そのサイクルのなかで、システム自体温存され緊密化されていくのである。このような文化の生産消費システムは20世紀初頭には形成されたのであるが、彼らはその文化産業を画一的な大衆欺瞞のシステムとして訴えたのである(たしかアドルノは「音楽」に関する論文を書いていたと思うが、内容的にはこの文化産業を踏襲していると思われる)。 
 確かに、この彼らの主張は一理を得ているのだが、ただ今日におけるサブカル理論やカウンターカルチャーなどの視点からみてみるとそのことが一概に正しいとはいえない。消費論の視点から見てみると、上の考え方はある種ガルブレイス(『不確実性の時代』や『豊かな社会』など)の理論と類似している。つまり、消費者側には自分の意思によってそれを選び取る状況を持てず生産者側の意思によって押し付けると見ているのである。この考えから言うと、消費者側は自らの意思で生産者側に要求するということはないということになるのだが、実際はそうではない。それ特に現在の消費者意識を見てみると分かることなのだが、かつてボードリヤールは記号論を援用して製品(商品)を記号と捉えたことで自己と他者の差異を示す媒介としてみるようになった。つまり、自分は他人と違う個性などを発揮するために自らの意思でそれを選び取っているというのである。もちろんこれだけでは上手く説明できないことは確かである。なんだかんだ言っても、わたしたちはメディアの影響をうけて流行を享受しているわけだし、またブランド生活ではないが皆が一様なものを選び取ることで個性の喪失だと主張されるであろう。現在の消費構造は、かつてヴェブレンが『有閑階級の理論』で主張したように、自分を見せるために選び取るという思考が復活し始めており、大量で多種類の製品のなかから消費者が自己の要求をもとに選び取るという構造になり生産者側もそれに応えようとするのである。
 それをJポップの中で見てみると、宇多田やB'Zなどは彼ら独自の持ち味を生かし、消費者側もそれを正統に評価しようとしている。それは本書の最後にも書いてあるが、「心に響く曲」の趣向のもと製品競争(資本主義産業に入ってる限り競争原理は抜け出せない)に取り入れようとする試みそれ自体いろいろな試行錯誤が必要であるが、それ自体を一番求めておりよく分かっているのは消費者自身である。

ダンディズム(2)(dandism)

2005-06-28 10:33:54 | D的思想
 6月14日の記事で「ダンディズム」について書いたのだが、今回は最近自分が思うようになってきたことをまとめておきたい。
 最近、自分より年上と思われるの男性の姿を観察するようになった。それは意識あってのことではなく、気づいていたらその人たちの格好、服装とかを何気に見ているということに気づいたのである。20代のうちはまだ盛り気があり服装に関しても若者と同じ服装をしていてもそんなに遜色はない。とってもわたしにはそれはあまり受け付けないのだが。しかし、30を過ぎたあたりから男は何かを一新しなくてはならない(あくまでも観察結果に基づいて述べているだけだが)。10代、20代と全く同じ格好しているようでは今度は品格を問われるようになってくる。服装も多少落ち着いたものになってくるであろうし、細かいところまで気遣うようにもなってくるのかもしれない。だから中村獅童のような格好は個人的にあまり好きではない。もちろんここでセンスが問われてくるのであろうが、基本的に男は自分ではオシャレにこだわろうとしない。女性に良し悪しが判断される。聞いた話なのだが、イタリア人は母親が子どものオシャレを考えているそうだ。つまり、小さい時から母親のセンスで自分のスタイルを確立していき、恋人ができたら彼女にバトンタッチするという。確かにそれは言えているかも。ただその場合、判断する女性側の目利きも問われてくるだろう。
 話を元に戻すと、要するに男は30が変わり目と言われる(この前、知り合いのある女性が女は22が変わり目よと言っていたが、つまり社会人になるとそんなにも変わるもんなのだろうか。わたしにはよく分からないが)が、それはある意味当たっている。30で結婚してないから負け犬とかそんなことを言ってるわけではないが、服装に関して言うなら、30で将来「カッコいいおっさん」になるか「ダサいおっさん」になるかの分かれ目となる(わたしの身近にいる存在としては、大学教師にその二極化はハゲシイ)。つまり、ファッション雑誌の真似だけしているようではその人の個性をつぶすことになるし、若さよりも個性で生かすという時期にあるときにそれが表れていないとちょっとマズいかも。自分は当然前者になりたいと思っているが、歳にふさわしい自分の定番を見つけていけたらなあと思っている。少なくとも服装は女性にまかせっきりというのは絶対したくない。よく奥さんに買ってもらったなどと言っているおっさんがいるが、自分の姿を人に完全にコーディネートされるほどみじめなことはないよなあと感じてしまうこの頃である。

懐古について(nostalgia for good old days)

2005-06-26 11:14:36 | D的思想
 先週の大学院の授業(木・金曜日)のまとめをしたい。というのもそのふたつの授業の内容に関して共通して論じることが可能であると思ったからである。
 木曜日の授業では藤田省三「或る喪失の経験―隠れん坊の精神史―」(1981)を読んだのだが、正直これを深読みすればするほど難しく感じてしまうところがあり正確に読み取ることは難しいと思われる。藤田は「隠れん坊」というこれまで子供の遊びとして知られてきたものが、道路開発などによってそれを遊ぶ場所が失われてきたことによって、われわれの社会(当時)自体に起こっている一現象として捉えようとしている。細かい話はわたし自身上手くまとめられないと思うので、わたしなりの社会分析を試みたい。
 隠れん坊にかぎらず、古くから知られている子供の遊びというのは、子供がそれの行為を繰り返していくうちに社会的規範が形成され世の中の社会秩序の規範というのを身体化していくという役割を果たしてきた。G・H・ミードがいうように、子供はママゴトなどのごっこ遊びという play の段階からカクレンボなどの game の段階へと遊びの内容を変化していくことで、彼らのなかに「一般化された他者」を形成し自己と他者を分化していくのである。そのことから考えてまとめると、現実世界での実体験を繰り返し相互主体性の世界を確立していくのである。
 ところが藤田は、80年代前半期には、われわれはあるものを喪失してしまったと言っている。では一体何が喪失してしまったのだろうか(もしくは喪失したように思わせてしまったのだろうか)。
 授業の中でもその話が出てきたのだが、80年代前半(83)にファミコンが登場して以来、子供の遊びが一気に変容してしまった可能性が充分ありうるということだ。テレビゲームと昔の体全体を使った遊びとの違いはなんだろうかと考えたときに、テレビゲームは当然バーチャルの世界の産物であるため、使う人間は作った人間のプログラムによって左右された物語を享受していくことになる。もちろんその物語自体は一種類というわけではなく、特にRPGではプレイヤーによってその話は変わっていきそれを楽しんでいくのだ。物語を自分で作り上げていく読み上げていくというその快感(快感と表現したのはそれが中毒症状になりオタク化してしまうという可能性を含意しているためである)。またテレビゲームは小さな子供のみならず誰でも遊べるという大衆遊びの装置となっているということもあってその社会に与える影響力は非常に大きい(だから「ゲーム脳」といわれる思考回路をもつ異常な人間というのが話題にされるのである)。さらに、このゲームというのは、特徴からもわかるように、抜けたいときに抜け出せ、好きなものだけ向き合うという環境が形成されるため当然人間自体もその影響を受けていく。言い換えると、われわれ(特に若者)は、コンピュータ技術を扱ったりするリテラシー能力は昔よりも向上しているといえる。しかし、現実世界でのコミュニケーションしていく能力と価値判断していく規範(とその形成装置)というのが喪失したのかもしくは大きく変容してしまったかということである。
 マルクスはすべてが物化していくという意味で「疎外」や「物象化」と述べているし、ポストモダン以降では、ボードリヤールが「シュミラークル」という表現を用いているなど、何か当時の社会的一断片をこの隠れん坊から見ているように思えるのである。つまり、もしかしたら藤田が言う隠れん坊の喪失とテレビゲームが80年代前半に登場したということは、当時の社会的諸相からある種必然性があったのではないだろうか。あるときの一現象はそのときの社会の一断片を示すというのは一理解の方法であるということから考えてみるとこの考えは何ら否定できないことがいえよう。
 本書のなかで藤田はベンヤミンを多用しているが、ベンヤミンは戦前期のフランクフルト学派で活躍した思想家であり、同派にはアドルノやホルクハイマーらがいる。藤田は、隠れん坊とおとぎ話が「過去と現在の底ふかくに埋もれている「内在状態」」(p.46) といっている。要するに、言いかえれば世界を批評する「想像力」自体が喪失してしまったのではないかと言っている。ベンヤミンの言葉でいうなら「アウラ」が喪失した(ただベンヤミン自身はアドルノらのように悲観的思考でもって捉えたのではなく、そこから複製技術時代の新たな希望みたいなものを探ろうとしていた)ということにもなるのだろうが、もちろん本書ではそれを示すことが目的ではない。フランクフルト学派の主要真理でもあるように、精神的なよりどころを美とし、つまり現代を「悲劇」的に捉えている傾向が強いのだが、そこからその美ではないけれど次を見つめることができる小さなかけらを見出し、ベンヤミンがパサージュ論でもいうような「哀悼想起」をすることによって自己を換骨奪胎(デリダ的には脱構築か)しようとしていくことがねらいなのである。
 では話を現状世界に戻すと、現実的想像力が喪失したことで自己判断ができない状態が拡大していくなかで、80年代後半より江戸・東京ブームやレトロスペクティブが登場する。前者は、それまでの都市論とは違って東京に内在する者が東京自体を再発見していくというもので、大友克洋のアニメ「AKIRA」にもその特徴が垣間見ることができる。後者は今でもそれがブームとして見られるが、要するに昔懐かしいモノを嗜好する傾向で、それが小物に限らず下町の街並みや戦前期に建てられた近代建築を遺産としてみる傾向が強まってきたのである。しかし、これらはわれわれが自ら自発的にそれを再発見したというものではない。海外からの産物なのである。つまり、海外で日本産のものが評価されたもしくは日本が西洋の都市意識を真似ようとしたかということで日本に輸入されてきた考えなのである。このことは自らの想像力が喪失し、外部から評価されたものを好む傾向が強まってきた今日でのその影響としての一現象なのである。確かにこれらは過去を見直すという自発的なものとして国民に広まっているというものにみえなくはないが、実際それは見直しというよりもそれをただ享受しているだけのことにすぎないということなのではないだろうか。
 まとめると、70年代初めに学生紛争が終結し、三島事件や浅間山荘事件が起こり、高度成長期時代も終わりをつげその「燃え尽き症候群」みたいなものが蔓延するという空虚な時代であったのが70年代後半から80年代前半であった。そしてそれを体現するかのようにテレビゲームや新たな社会的問題(校内暴力など)が登場してきたのである。当然それにたいする負のベクトル方向が生じるのは歴史的にみてもわかるのだが、懐古現象が出てくる。ただそれはベンヤミンのいう「哀悼想起」のことではなく、むしろその現象の一断片であるかのように見えてくるのである。
 本書でも藤田はベンヤミンの言葉を引用している。「自己を倒壊することから始めた者こそが、自己の関心事を最もよく貫き通すのである」(p.43) と。しかし、この言葉には言葉以上にある意味が込められている。つまり、自己の核を抜いた状態で自己倒壊してしまったら本当の自己崩壊なのである。その人は変革どころか二度と自己をもちえなくなるのである(つまり、現実逃避した「オタク」になりかねない)。自己の核は残す、つまり自己と他者の関係のなかで自己をいかに切り替えていくかが問われているのである。しかし、それは何も今日だけの問題ではないことはベンヤミンは言っている。それは近代に潜む病魔なのだと。
 言い換えると、今日日本では「死…」(中には『完全自殺マニュアル』(鶴見 済) という本もでている)とか「生きる…」というタイトルのついた本が多数出版されているが、それは「生」や「死」という問題を表面的に字面しか述べているにすぎない。そもそも自己内部では「生」や「死」という感覚は表現しきれないものとして存在しているからだ。それを外部の事件や文字というメディアにわれわれが何の想像力もなしに傍観しているにすぎないからなのである。人間は死生観について意外に無関心なのである(しかし、時にその無関心さを崩してくれる経験をする可能性もあるということだけは述べておきたいが)。つまり、そんな本が出て売れるということ自体がその病魔におかされている確たる証拠なのである。
※参照:加藤典洋『日本風景論』(講談社)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社)。また藤田の『全体主義の時代経験』(みすず書房)が面白い。

すべてが盲目か(everything is blind or not?)

2005-06-24 10:36:08 | D的思想
 先日書いた「ゲーム理論」の記事への私的コメントが以外に多くて戸惑ってしまった(あんな恋愛論を書いたわたしが悪いといえばそうなのだが)が、ここでもう少しそのことをもとに一般的に考えてみたいと思う。
 人は何かを選択するときに考える主体となるのは自分であることをある種この理論では言っているのだが、われわれの住む世界にはさまざまなバグや不条理などの余計な前提条件が暗黙のうちに設定されている。ということは、結果論的に考えると自分がそのことをねらってきちんと努力してきたにしてもそれは裏切られることもあるということだ。また過程的に見た場合、考え悩む中でさまざまな誘惑となる要素に阻害され邪魔され、そして時にはそれに大きな影響を受けてしまうこともある。その阻害要素は始めから前提とされているものであるが、数学などのモデル世界とは違って突然思わぬところで登場してきたり消失したりと予期不可能な要素なのである(それは自分にとって予期不可能だけかもしれないが)。言い換えれば、われわれ人間はもともと不安を抱え平安(秩序)を求める存在である。ということはもしかしたら今われわれがやっている生活規範、仕事、学問などは不安解消と秩序を求めてたえず変化する外部要素(因子)から身を守るための自己防備手段なのかもしれない。しかしわれわれは弱い生物であって、たえず秩序を求めようとしているにもかかわらず外部の阻害要素や、もしかしたら自己の内部心的要素によって自分の視界をファジーなものにされてしまっている。言い換えれば、学問界での近代批判というのはその極度のファジーな視界をもってしまっている個や共同体に対しての免疫物質を組織内部で生成することを促してきたのかもしれないのだ。自分の核を見つけれられないもしくは持てないまま自己を変革させようとする無謀さ。そしてそのことを分かっていたとしても実行に移せないやるせなさ。アダム・スミスは近代資本主義経済を「神の見えざる手」によって左右されるという自由主義的発想を述べているが、われわれ社会それ自体も結局その「見えざる手」という形而上学的な超越者(モノ)によって左右されているかもしれない。
 ここである言葉を思い出した。「love is blind」という言葉。これは愛という外部そして内部から生まれた要素が、肯定的に言えば自分の対象者のみに視線を注がせてしまうという状態をもたらすということだが、少し否定的に言えばそれで自分が所属する共同体を滅ぼしてしまうということにもなりかねないということは歴史的に見ても明白である。そしてミクロ的に言えば、考える主体である自分そのものの心情自体をぼやけたものにさせていつの間にか忘れさせてしまうということにもなりかねないということを潜めている。その愛が「見えざる手」のように完全に外部要素(もしくは見えない内部要素)になってしまったときに、その愛は愛ではなく魔に変わる。愛はすべての事柄の最もソフトで一般的な人間要素であり、上の言葉はそれを代名詞的に端的に表したものである。つまり、すべてが盲目というのがわれわれに当てはまる実情であって、それは外部から必然的にそして突発的に襲ってくるのである。
 ではそれをいかにくぐり抜けていくのか。それは人によって違う要素が取り巻いているためなんとも言えるものではないのだが、結局自分にとって平安を与えてくれるような要素を見つけ出していかなくてはならないのではないだろうか。

映画「ゴッドファーザー part3」(godfather 3)

2005-06-22 11:35:08 | D的思想
 映画編でカテゴリーを「D的思想」にしてあるのは今回がはじめてではないだろうか。上に挙げた「ゴッドファーザー」シリーズはわたしの最も好きな作品で、特に最終章のパートⅢが気に入っている。映画批評的にはアカデミー賞作品賞は逃したり俳優人の演技についても様々な批評がでたりと前2作ほどにはかんばしくなかったと言われているがわたし個人的にはそんなことどうでもいいことである。ここで映画のあらすじを詳しくは述べないが、「ゴッドファーザー」作品自体マフィアという裏社会の権力者にもたれかかってくる責任と統制、そして彼を取り巻く夫婦、家族、そして友の裏切りなどを描いたものだが、アル・パチーノ演じる主人公マイケル・コルレオーネの心的描写が現実世界で起こる悲劇を媒介にしてわれわれの目に映ってくる。そして一作品ごとにマイケルの表情からはおだやかな一面が剥がれていく。最終章であるパートⅢでのマイケルは還暦を迎えるくらいの貫禄が出てきたころだが、このときになってかつての別れた妻と久しぶりに再会し家族全員がそろいつかの間の幸せなひと時を過ごし愛の確認をする。また自立していこうとする子供たちをひたすら想う気持ちと彼らを自分の世界に巻き込みたくないと一途からくる娘、息子との葛藤のやりとり。そして自分に最後の試練でも与えたかのような暗黒世界との醜い闘い。彼にとっては人のためを思ってやっていることがかつて己の家族に一つの悲劇をもたらした。はたから観ている者にとっては、彼が己のために安らぎのためにとっている行為の断片であるようにも思えるのだ。そして自分はやっと肩の荷がおりた矢先に最大の悲劇を味わうことになる・・・。
 彼が最後に故郷でサングラスをかける姿は、これまでの三部作が自らの回顧であったかのようにも思わせる。メガネをとるのではなくかけるというのは最後まで落ち着けなかった自らの深層心理を無意識に隠そうもしくは見せれなかったとするしぐさなのかもしれない。
 わたしがなぜこんな作品を好むのかということを理解できない人もいるかもしれない。正直わたし自身もそれがなぜなのかよく分かっていない。バックにかかる音楽と描写が絶妙にマッチしているからなのだろうか。それともかっこいいファッションショーでも観ているかのように彼らの姿に満喫しているからだろうか。それともわたし自身の家族を彼らを通して相関的に観ているからなのだろうか。わたしは、あのマイケルの鋭くが何か寂しげな目に特別の印象をもっている。決して甘えた目にならない彼に振りかかる責任感の重圧さがヒシヒシと感じられるのだ。いずれにしても、3部作を通じてマーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロバート・デニーロ、ロバート・デュバル、アンディ・ガルシア、ダイアン・キートンらの名だたる俳優人が出演しており内容的演技的にも一見の価値がある作品である。観る人によってその価値は違うと思うがこの作品はぜひみていただきたい。

ゲーム理論(game theory)

2005-06-21 11:10:07 | D的思想
 ゲーム理論、この言葉を耳にする人もいることだろう。簡単に言えば、確率理論でどちらが利益(得)になるかを確率的に見極める理論である。わたし自身それについては素人同然であるため詳述はできないが、ジョン・フォン・ノイマン(この人は天才で、他にもコンピュータ原理や複雑系理論の父でもある)らが確立して、映画「ビューティフル・マインド」(ラッセル・クロウ)で一般的にも有名になったノーベル賞受賞者ジョン・ナッシュによる「ナッシュ均衡」などによりゲーム理論の大きな完成となった。現在ではさらに精緻に応用されビジネス界では重宝される方法となっている。
 最も有名な事例として「囚人のジレンマ」というのがある。それは、2人の強盗の共犯者がプレーヤーとなっており、この2人はそれぞれ別々の条件で逮捕され、独房で取調べを受けている。検察側は強盗の容疑について充分な証拠を持っていないので、犯人たちが黙秘を通してしまえば別件のみの罪に終わり、1年程度の服役ですむと見られている。一方、どちらかが自白し、もうひとりが黙秘を貫いた場合、自白した者は不起訴で放免され、黙秘を続けた者は20年の服役にさせられる。仮にどちらも自白した場合、共犯で10年の服役となる。さてどうしようというわけだ。こういう場合、ゲームの他のプレーヤーがどの戦略を採用したかでなく、自分が常に一定の戦略をとった方が高い利得を得られるという戦略(これを「絶対優位の戦略」という)が存在する場合(この場合もそうだが)、共犯者は「自白」という選択することが望ましいことになる。しかし、こんな難しいことを細かい確率計算までしなくてもわれわれは常にこの法則を使っている。
 例えば、AさんはBさんとCさんの両方も好きであるとする。AさんにとってのBさんCさん(もちろん彼らもAさんのことが好きという前提だが)のいいところというのはそれぞれ違うのだが、彼らのバックグラウンドにも違いがある。ここでは細かく設定するつもりはないが、Aさんは非常に悩むことになる。このときAさんはかれらのどこに着目してかつ自分の将来にもっとも有利に働くかを検討することになる。なんか現実問題としてAさんはそうとう深刻な状況に陥り悩むところだろう。まあここではちょっと深刻な問題を挙げてしまったのだが、普通の恋愛にしても最後の決め手になるのは自分の判断ということになる。xさんはこうだけどyさんはあそこがすばらしいからなあ、などなど。その判断というところでどちらが自分にとって有利なのかということを考えてしまうのである。恋愛に科学の法則なんてとんでもござらんという人がいるだろう。どちらが「有利」とかいう経済用語を使う必要なんてないとかかんとか反論する人もいるにちがいない。しかし、自分の思考というのはそれを一般化したときにこの法則というのも意外に当てはまることなのである(なぜなら科学は一般の現象を客観的に把握するためのものであるため)。ではこれからそういうことを理屈っぽく考えなくてはということはまったく言っていない。つまり、現実問題の恋愛に関しては、自分のことをしっかり見据えていなくてはだめだということなのだ。
 まあこんなことを言っている時点でわたしはまだまだ経験が浅いということなのかもしれないが。
※鈴木一功監修『MBA ゲーム理論』(ダイヤモンド社、1999)(pp.13-14)参考.

過去の遺産かただのゴミか(heritage or waste?)

2005-06-18 12:09:42 | D的思想
 写真は旧共和国宮殿 (Palast der Republik) だ。では今は何になっているかというと廃墟みたいまもんになっている。共和国宮殿というとなんだか共産主義国家に関係しているかと想起してしまうかもしれないが、まさにその通り。これは旧東ドイツの首都・旧東ベルリンのいわば国会議事堂である。場所はどの辺りかというと世界遺産に指定されている博物館島の道路を挟んで向かい側にある。ここはもともとベルリン宮殿があった場所で写真にもわずかながら見えるがその残骸が掘り返されてかつてのドイツ帝国の残滓を垣間見ることができる。
 そして統一して15年になる今日でもこのようにほったらかし状態になっているわけだ。建築デザイン上秀作とはいえるものではないのに、これを遺産にするならするでいいのにどうして廃墟状態になるまでほっとくのかよくわからない。かつてのベルリン宮殿を復元するという案もあるそうだが財政難のために手がつけられない状態となっているということを聞いたことがある。またわたしは「廃墟状態」と書いたが、それは完全に廃墟になってないからである。というのは、時々ここでよくわからんダンスパーティやコンサートみたいなものが開かれているらしい。若者が中心となって主催しているそうだが、やはり過去の遺産として自らの思い出に刻み込んでおくつもりなのだろうか。写真に「ZWEIFEL」という看板が見えるが、あれは現役当時にはなくて、ここ数年で誰かが取り付けたそうだ。意味はというと「疑問」。一体何に対しての疑問なのか。
 廃墟に惹かれてしまうわたしにとってはベルリンに来たときにはぜひ見てみたかった建物なので何かここの過去を知らないくせに勝手にドイツ史を空想してしまうのだ。日本のガイドブックには載っていないのでぜひベルリンに行ったときは訪ねてみていただきたい。
※ちなみにこの建物周辺には共産主義時代や大戦期の名残りを見ることができる。この建物の裏には「マルクス・エンゲルス広場」があって、ふたりの銅像が公園の真ん中に置かれている。またメインストリート・「ウンテル・デン・リンデン通り」が走っており森鷗外作『舞姫』の舞台も訪ねることができる。そして近くには、先にも書いたとおり博物館島やフンボルト大学などがあり、また古い建物の外壁には大戦期の砲弾の玉の跡も見ることができる。日本のように木造建築でまたどんどん再建してしまう国にとっては味わえない光景である。

質問調査(about a way of investigation)

2005-06-17 23:49:47 | D的思想
 ある地域を研究対象としてフィールドしたり街頭で見知らぬ人に質問したりすることを一般的に「社会調査」という。この社会調査の歴史をたどっていくと、教育、徴兵などの行政目的をともなう近代的センサス(代表的なのが国勢調査)は、国民国家やナショナリズム形成過程と軌を一にするところがある。アメリカやヨーロッパにおいてその調査が試みられ、家計調査や労働者生活調査などとしてまとめられている。日本においても明治期の横山源之助『日本の下層社会』などにはじまり1920年には国勢調査が開始されている。また1955年からは「社会的成層と移動」研究(SSM調査)が開始されている。しかし、ここではその歴史と内容を触れるつもりはなく、その社会調査における質問調査方法について考えておきたい。
 質問表の各項目は、基本的に調査者本人(団体代表者)が自分たちの調査目的にかなうように適当な順番で質問し、同じやり方で回答を記録するのが基本原則となる。では質問文の内容を決めるときどのようなことを注意していかなければならないのだろうか。
 一つ目に、当然質問内容が漠然としていては回答範囲にばらつきがでて役に立たない。例えば、「今の日本の政治についてどう思いますか」などという問い。 
 二つ目に、「日本人は優秀なので、世界最高水準の生活が大きな格差なくできるのだと思いますか」などというダブル・バーレル質問である。ひとつの質問にふたつ以上の問いをだしてしまうと、回答者はその回答法に悩んでしまう。
 そして三つ目にキャリング・オーバーを避けることである。このことは何かを研究する人にとっては非常に気をつけなければならないことだ。ヒトは物事の判断基準を自分の主観とまわりの情報の枠に無意味にはまってしまう危険性をもっている。そして研究するためにはそれまでの先行研究にもとづく理論を考慮していかなければならないが、その際、その価値基準を自分なりに吟味した上で疑問を投げかけていかないと自分が引きずられるのはまだいいのだが、被質問者側にとってみればそれに忠実にしたがって回答していくので結果的に質問者は満足な回答を得られないのみならず誘導された質問への回答自体が統計価値にも値しなくなる。
 上の3点がその基本原則といえるものだが、そのことは何も専門的な学術研究のみならず日常のもしくは社会での会話の中でもいろいろ実践させることが可能である。ただ世の中には賢い人間もいて、その原則を巧みに利用して心理作戦として人々を誘導させてしまうという人もいる。彼らは、相手となる人たちのリテラシーの欠如を利用しているのである。つまり、被質問者にとっても、質問者が誘導を試みているとは思ってもいないのである。そのことが歴史的にも現実的に見ても、隠蔽であり情報操作であり大衆操作として現れている。ただ真の問題はそこにあるのではなく、むしろ質問者自身もいつの間にか見えないものによって誘導されてしまっているというところにある。

日本における教育のおかしなところ(the education system in japan)

2005-06-16 22:17:37 | D的思想
 今日の大学院の授業は、林竹二『学ぶこと変ること―写真集・教育の再生をもとめて―』(筑摩書房、1978)「対談 学ぶこと変ること」を読んで日本の教育システムについて議論するところとなった。本書の事例として、兵庫県の湊川高校、尼崎工業高校における授業についての体験談をまとめたものだ。在日の子供たちと教育との拘わりをいかに築いていくか、1970年代の日本における教育の一風景を垣間見ることができる。竹内は著書のタイトルにもあるように「解放教育」をそこで実践しようとしたのである。つまり、学校における教師と生徒という存在はいるが、教師は現実社会と生徒を取り巻くさまざまな環境を結び付けようとする媒介者的存在であると同時に、主役である生徒に対して生徒自らの問題と課題を見つけさせ考えさ、その思考の過程の重要性を説こうとするアドバイザー的存在でもある。
 この方針というのは、一般的に捉えられてる教育システムとはまったく違った特徴をもっている。通常の教育システムの構造は、学校という拘束性の強い共同体のなかで、教師と生徒という二極の一方的権力行使のシステムが構築されている。教師は生徒に対し「答えのある」問いを投げかけ生徒は「求められた」答えを解答しようと努力(期待に応えようと)する。そこでの目標というのは、教師にとってみれば進学者数の増加と学校の人気獲得であるし、生徒にとっては先生の期待に応えるかどうかの問題は別においといても、単純に選び取ってしまった志望の学校に受かることのみである。これはまさしくアルチュセールの言っている一「イデオロギー装置」であり、メリトクラシー(業績主義)を基盤においた(おいてしまっている)環境となってしまっている。ただここでわたしはこれらの現状がいいとかいけないとかを言っているのではない。
 しかし、現状として考えてみよう。当時は70年代ということもあって、上の2つの教育方法というのは明白に区別できる状態であったとも考えられる(わたしはそのへんのことはよくわからないのだが、現状と比較したときに明らかに当時の状況とは違うことからも当時はその対比が可能であったと考えられる)。ところが現在の教育状況というのは、教育方針の変更と時代の変化もあって前者の「解放教育」というのは現実的に難しい状況になっている(小規模であるとか受験・就職を目標としていなければ可能かもしれないが)。ではどちらの方法が優れているのだろうかと考えた場合、それはなかなか決定付けるのは難しい。生徒の将来の人間性を優先させるのであれば前者の方であろうし、現実の社会状況のこと実利的に基づいてを考えた場合後者の方を優先するであろう。両者のシステム上の問題を考慮して考えた場合、歴史的に見ても後者の方に傾く可能性が強い。簡単なことは利益が高いのと現実的に即しているからである。社会学的に見ても、特に西洋の事例では、教育を受ける側にとってみれば業績主義を階層移動の手段としてしまうことで結局後者の方に比重が傾く。日本には階層意識というのは薄いが、日本も同じ資本主義(自由主義)体制を確立しているため業績主義とは切り離せない。よって機能主義的立場に立てば高学歴者=有能な人材=高い経済的・社会的地位という式が成立する。その回路が成立してしまうと再生産構造から抜け出せなくなってしまう。よって近年の教育問題で取り上げられている教育過剰、低位代替雇用(かつては高卒者がつくはずの職業に大卒者がつくことになってしまう状況)、さらにはイリイチのいう学校化社会という現状に陥る可能性が現実問題として起こっているのである。 
 日本においては特に学歴が重用され受験熱も相当なものであることは知られるところである。よって学校の存続と周囲からの期待のことを考慮した場合、大抵の普通学校は進学実績のことを第一目標においてしまう(伝統的(新興のではない)進学校はこれまでの知名度とブランド性から結局のところ受験システムに入らざるを得ない)。この実利的方向の流れの現状においては、先の解放教育というのは特殊事例を除いて重要視されないのである(「受験システム」から離脱した者はよほどの気力と努力を持ち続けない限り最高の軌道に乗り続けることは難しいのはそのため)。
 しかしもう少し現状の一般的教育状況を考えてみたい。20数年前にセンター試験が導入されたころからだろうか(詳しくは知らない)、文理選択ということが本格的になされるようになってきた。文系選択者は国語、英語、そして地歴(公民)を重要視し、理系選択者は数学、理科を重要視する区分がなされてしまったのだ。そのことが生徒たちの進路幅を狭めることになり、さらに記述問題の減少化などにより論述力は低下の危険性にさらされている。さらに悪いことにここ数年の「ゆとり教育」方針による履修範囲の縮小化が一部のところで問題視(理系学部における基礎力低下と未履修範囲が増えたことで大学側から批判の声が出されるなど)されることになり(それが少し緩和されるとかということが現在進行中にある)、受験姿勢と現状教育の矛盾が浮き彫りとなった。日本でいうなら、これまで日本の教育は「読み書きそろばん」の方針で広い範囲(教科)に渡って学習(あたえられたことをこなしていくという「勉強」の意味に近い)機会を与えてきた。ところが海外の学校教育というのは日本でいうゆとり教育における「総合的学習」を小学校から重視してきた。そしてそれが大学教育まで延長されている。それを日本は、国内の教育事情改革と海外における教育システムの追従のみをはかり「ゆとり教育」という形で解消しようとした。確かに大学教育の構造というのは、学生自らが目的意識をもちアウトプットしていくことを狙いとしている(ただ最近は就職などの進路支援もしなくてはならないのでそれが結局のところ先に言う後者のほうに傾倒してきているように見えるが)ため、それの下等教育(中学、高校)から総合的学習によって「解放」を目指そうとするという連続的構造を目指すのは一見その矛盾を解消したかに見える。しかし、海外の大学とは違って大学内部での学習システムに大きな違いがあるため、現状の方針では中途半端に終わってしまっており、やはり実利的側面から見ても高校時における受験的「勉強」、そして大学における理想的「研究」(この理想的というのは目標としてはアウトプット型思考による学習を目指しているが現状としてぬるま湯的インプット延長型システムに終わってしまっているという批判的意味をこめている)という一連のスタイルが残存してしまうのである。
 いずれにしてもこれままであると現状の問題点を解決していくのは難しいということは今見てきた通りである。ではその打開策はあるのだろうか。そのことは決してすぐに解決されるものではないが、わたしなりの意見を交えて話しておきたい。
 先にも書いたように、中途半端なのは文理選択とゆとり教育における高校教育と大学における不十分的アウトプット型教育との矛盾である。そのことを日本教育の歴史的効率性をも考慮してみて考えたとき一番効率的改革策は何かというと、将来の若者のアウトプット的(多視野からの)思考を育成するためにはそれに矛盾するものとして文理選択型教育を改めるべくその区分をルーズにすること(大学側がそれを注文できるようになるといいのかも)(個人的にはその選択区分をなくしてほしいと考えている)、かつその高校教育の中でインプット型教育だけでなく先の「総合的学習」をさらに応用することでアウトプット型思考の基礎を築いておくことが大切なのではないだろうか。日本の教育のよかったところは、全教科を教養として身につけておくことでコツコツ型の努力を積み重ねてきたことだ。それを無理に変えてまでゆとり教育を進めるのは日本の歴史的現状を省みてないことでもある。
 結局最初のマイノリティに対する教育という主題からはずれてしまったが、最終的には最初に挙げた両者の上手い融合策を考えていかなければならないというのは現実問題としてあるだろう。

ダンディズム(dandism)

2005-06-14 11:14:02 | D的思想
 近年、男性ファッション雑誌(といっても『LEON』とか『UOMO』とかけっこう高尚といわれる雑誌のことだが)を中心に「ダンディズム」という言葉を聞くようになってきた。その言葉からイメージされるものは人によって多少のズレはあるだろう(ちなみに「ダンディ○野」という芸人がいるがあれはダンディじゃないことは察しがつく)。ここでいう日本人にとってのダンディズムというのは、いわば英国やイタリアを手本としたものだ。だから近年のセレクトショップ(「ア○ーズ」とか「ビー○ズ」とか)を中心にイタリア産の衣服がこれまでより安価に販売され始めたのも多少の影響はしている(というか、その流行を始めたのは雑誌などのメディアからよりもそれらの店からかもしれないが)。
 ‘made in Italy, France, England, and Scotland’(個人的には‘made in Germany’が気に入ってる。みんな持ってないから)とついた衣服などには何かシンボルステイタスのようなものを感じてしまうのだろうか。確かに材質(毛糸では昔から英国が有名)、染色(イタリア)、皮革(ドイツなど)は優れているんだけどね。ただ最近は「メイド・イン・ジャパン」のファッションも見直されてきているのは確かだ(例えばジーンズ)。ただだからといって日本人がダンディズムになってきたかというとそういうわけではない。つまり「ダンディズム」とかまだ言ってるうちはまだダンディズムではないということだ。ものごとは当たり前になるとその形容の仕方も忘れてしまうものだ。ただその意味にも、ダンディズムが根付くという意味と結局なりきれずにみんなあきらめて忘れさられてしまったという意味があるが。
 日本には「粋」という言葉がある。いろいろな場面にもちいられる言葉だが、かつて哲学者九鬼周造は『「いき」の構造』で「粋」を次のように定義している。
 「垢(あか)抜けて〔諦め〕張りのある〔意気地〕色っぽさ〔媚態〕」
 垢抜けてるっていうのは「すべてが洗練されていて小奇麗」という意味だろう。張りがあるは「ビシッと決まっていて」、媚態という「エロスもしくはフェロモンを発散」していることになるのだろうか。いかにも情緒的で雅語的といえる言葉だが、言ってみれば、これが要するに「ダンディズム」に当たる。うーむ、難しいもんだね、われわれには。
※フランス語の「ギャルソン」にも「ダンディズム」の意味合いを醸し出していると思うのだが。川久保伶もそういう意味でつけたのだろうかねえ。