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D的思考の広場

Nice to meet you! 日常のどうでもいい出来事から多角的に批評する広場です。

個人主義のさびしさ(the sadness of individualism)

2005-07-18 10:11:10 | D的思想
 ポストモダンと呼ばれる時期が本格到来(日本なら1960年代以降)したあとで「個人」という存在の意義が見直されてきている。それまでの何々に傾倒したかたちでの「個」であったのが、社会的にもカウンターカルチャーの登場や「大きな物語」の喪失などで自己の存在意義が認められるようになり、それに関しての社会問題なども起こるようになってきた。1950年に社会学者D・リースマンが『孤独の群衆』(アメリカ社会を考察している)のなかで現代人は他者志向型人間だと述べているが、依存するにもそれを価値判断する想像力自体が欠けた状態でますますそれがブルーになってしまうという状況を多くの学者が主張している。
 自分でなんとかやっていかなくちゃいけないという非常事態、しかしそれをどうしたらよいのかわからない。他人に依存しても一時的で空虚な関係しかもてない状態。非常に悲観的な表現ばかりを並べているが、この状況はそのときに始まった新しい状況ではない。かつてもそんな雰囲気はあったはずである。ただ違うのはそれが蔓延化してしまっていることである。
 例えば、夏目漱石は『私の個人主義』のなかでいっていた状況下は今日の状況とは違っていた。漱石は明治期の日本のおかれた状況と向き合い、個をいかに保持していこうかと努めようとした。彼のこの考えは、彼自身の気の弱さからくるのかもしれないが、最終的に漱石は「則天去私」というかたちで収めようとした。完全なる個人主義が排斥されがちの日本で己の個を貫くにはどうしたらよいかと考えたあげくにたどり着いたのが「則天去私」なのである。それがいいかどうかはっこ人の判断にまかせられるところだが、漱石自身はそうした。
 漱石は言っている。「個人主義の寂しさは、他人には頼れないという孤独感」(正確な言葉は忘れた)であると。集団主義であるなら「みんなで渡れば怖くない」ではないが、安堵感は保持できる。それに比べ、個人主義は自分に責任を持たなければならないため、他人に相談できないという不安感はまぬがれないのである。しかし、個人プレーは臨機応変がしやすい。自由に動くこともしやすい。完全なる個人主義者にとって、日本という状況の中で「個」を尊重しながらうまくやっていくというのは難しい。山崎正和は日本における個人主義を「柔らかい個人主義」と表現しているが、この文脈上ではむしろ「柔らかい集団主義」と表現されるべきであろう(もちろん彼の個人主義論に反対するわけではない)。
 しかし、ひとりで黙々とやり抜いていく姿は美しいという表現があるが、その点で日本は変な文化観をもっているのである。ただ忘れてはならないのは「中心」にいる者が変革者になるわけではないことである。山口昌男の「中心と周縁」やドゥールーズ=ガタリの「ノマド」という形にいきなり当てはめてみるというのも杜撰ではあるが、わたしとしてはわたしとしての「個人主義」をそんなふうに考えてみたいものである。

糸(thread)

2005-07-17 22:00:24 | D的思想
 「生死去来、棚頭傀儡、一線斷時、落々磊々(しょうじこらい、ほうとうのかいらい、いっせんたゆるとき、らくらくらいらい)」

「一旦死が訪れると、あたかも、棚車(祭礼の山車)の上の操り人形の糸が切れればがらがらと崩れ落ちるように、一切が無に帰してしまう」月菴宗光(1326-1389、臨済系の林下禅の一巨匠、『月菴法語』)の言葉であるそうである。この引用は世阿弥の能楽論『花鏡』の「萬能綰一心事(まんのういっしんにつなぐこと)」でなされている。最近では押井守監督「イノセンス(攻殻機動隊2)」でも引用されていた(本作では人間とロボットの境界は何かについてを問おうとしていた)。この章では、物まねなどの業は、いわば作り物のあやつりであり、それをつなぎもち、生命をあらしめるのは為手の心である、ことを言っている。
 生命線の糸をできるだけからませないようにするためにはどうすべきか。世阿弥は能の心得としてこのことを書いているのだが、それは人生論でもあるのだ。ただたんなる「生命線」としての糸のことを言っているのではない。生命線という物理的なことを指しているのではなく、むしろ「生」を持続するための「糸」なのである。よく「気が抜けて腑抜けた状態」という表現をするが、この「腑抜けた」状態まさにそれが糸が切れた状態なのである。何もする気が起こらないという近代の病魔(若者にも顕著であるとされるやる気のなさも当てはまるのだろうか)もあるだろうが、重症になれば生きる気力を完全になくした状態のことをいう。その人は自殺を選ぶか病気になって悪化死するかもしれない。
 発想を変えて考えてみると、その糸を切れないように丈夫にするためにはどうしたらよいのだろうか。精進という言葉があるがそれはいかに可能なのか。そもそもそんなことを理屈っぽく語るほどのことでもない。もしかしたら無理に人工的に強くするとかえって人間性がなくなるのではないだろうかと考えた場合、糸を強化するよりも柔軟に身体が動くようにすればいいだけなのかもしれない。なにせスパイダーマンになったら新たな責任がついてくるからである。

今日、いかに思索しうるか(how do we think about anything?)

2005-07-16 10:47:03 | D的思想
フランクフルト学派のT・アドルノの言葉に次のような言葉がある。
 
  アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ(「文化批判と社会」、1949)

 アウシュヴィッツ、その言葉は周知のとおり第二次世界大戦期、ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容所があった場所であり、ホロコーストの一場面を知らしめる世界的箇所となった。まさに悲劇であるとしか言いようのないこの出来事の負の遺産と未来への希望を込めた象徴的存在として今日世界的に知られる場所となった。背景は多少違うが、これが日本のことで表現するなら「アウシュヴィッツ」ではなくで「ヒロシマ」か「ナガサキ」とでも言えるのだろうか(ただ「アウシュヴィッツ」だとか「ヒロシマ」という表現である場合、何か西洋的発想を隠せない気もするのだが…)。
 では表現の「詩」は何を意味しているのか。「文化批評」というタイトルからも推測はつくかもしれないが、「文化」という総体を表しているのだろう。つまり、世界がここまで来てしまった(なってしまった)以上、われわれは「文化」それ自体をいかに語るべきなのか、記述していくべきなのかを問うているのである。まとめると、「われわれは今日いかに文化を考えるべきなのか」ということだろう。なにも「文化」という言葉自体にこだわるだけでは無意味であり、むしろわれわれの現実問題としての「文化」を指しているのである。執筆年代が1949年という世界の変換期の時期に切実な問題としてアドルノは問いかけようとしていたのかもしれない。
 アドルノのこの言葉は年代的にも50年以上経っているのだが、今日でも色あせない意味深い言葉である。当時からしてみれば、ポストモダンの始まりを示すことだったのかそれとも時に表出する近代世界のほころびを垣間見ただけなのかは定かではないが、ではこの言葉が問いかけようとしていることとは一体どんなことなのだろうか。
 詩を書くこと、文化を記述する(語る)ことが野蛮であると言い切った(ここではその背景については省略する)彼は無責任でその言葉を放ったわけではない。野蛮という言葉自体にわれわれは文明と対極にあるイメージとして取りかねない。しかしこの野蛮性というのは人間そのものそして文化にも備わっている特徴である。野蛮の性質、それは一部の人や体系内に見られるものではなく、誰しもが帯びているものなのである。まず、われわれはそのことから認識していかなければならないのである。レヴィ=ストロースの「野生の思考」ではないが、それを積極的に認める必要があるのである。
 詩を書くことがなぜ不可能になったのか、それを問える時点ではまだましだ。そのなぜを問うこと自体の基盤(「想像力」といったらよいのだろうか)がなくなってしまった時点、つまり問うことを不問とするようになってしまう時点で、われわれはいかに考えるべきなのかを模索しなければならないのである。ではいかにそれを克服していくのか。それは各自が「あーでもない、こーでもない」(現体制の批判と、それへの批判が肯定されてはならないという「否定弁証法」。ヘーゲルの肯定弁証法と対極の考え)と考えにふけることである。「あれかこれか」という二者択一でもない。そんな選べる土台がない時点でそのことは無意味なのである。考え悩むことで弁証法的に次の道が開けるのではないかとアドルノは示唆していたのではないだろうか。
 いずれにせよ、それが文化の記述であろうとなかろうと何かを構築するためには手間隙をかけなけなければならない。それを各個人が見出していくことが必要なのである。

個性は本当に個性なのか(my character is real?)

2005-07-15 11:08:19 | D的思想
 以前からわたしは「ダンディズム」論などで「個性」という言葉を口にしてきたのだが、今回はその個性と呼ばれるもの自体本当にその人の個性と呼べるものなのかについて考えてみたい。
 個性とファッション(衣服での意味)を結びつけるという考え方が近代の産物であるとするならば、個性はファッションという表象によってわれわれの個性は創造されているかもしれないと考えることも可能である。というのも、ファッションというものは視覚に基づく文化体系であり、人間が何かをまとうという発想が生まれた時点からその文化は根付いてきておりわれわれの精神生活の中でも普段から気にしないというくらいのレベル(服を着るのは当然という感覚)にまで深く入り込んでいる。またファッションは個人というプライベートな領域のみならず、その人が属している共同体の中での慣習、規範に添うような形でファッション選択をするという公的側面をも有している。ファッションの歴史は長いと書いたが、その歴史が長いせいなのかはよくわからないのだが、われわれはその人の服装を見てその人に対する固定化されたキャラを暗黙のうちに形成してしまっているのではないだろうか。例えば、服装が「大人っぽい」とか「子供っぽい」という区別、「まじめそう」な服装、「不良っぽい」服装など、さまざまは思い込み(実際には当たってると言えるかもしれないが)がその文化の中で形成されてしまっている。それはその服の「色」の問題からもきていると思われる(ヨーロッパのある地域では黄色が縁起が悪いとか、緑が不吉だとか。逆に日本では古来から紫は高貴なイメージであるなど、今日でも衣服に限らず車の色などにも根強い影響が見られる)。色彩生命論的にみても、色が人に与えるイメージがあるというのは証明されているからである。話を戻すと、いずれにせよ、われわれは外見で内面を判断していると言えるだろう。その感覚自体を当然だと思っているのである。ジョアン・フィンケルシュタイン(『ファッションの文化社会学』)によれば、こうしたわれわれの「思い込み」の「常識」は近代以降のものであるという。
 その外面と内面を結びつけるということは、ファッションはメディア的役割を担っている(担ってしまっている)と言ってもよい。ただファッションは、その担い手や今日のファッション流行発信源のことを考えた場合、一部の人のみ「真」に理解可能な閉鎖的(消極的)メディアだともいえる。かつてヴェブレンが『有閑階級の理論』の中で「顕示的消費」という発想をしたが、彼のような古典的な消費論では、下流階級は上流階級のファッションに対して憧れや嫉妬などを向けると考えられていたが、フィンケルシュタインによれば、一部の人(上の層に位置する人)の暗黙のルールによりダサい(野暮な)人たちを排除して自分たちの優越性を誇示するための作用が働いてるという。たしかにメディア論からみても「オピニオン・リーダー」という人たちによってわれわれ一般人は影響を受けているとされる見方があるように、もしかしたらその人たちの情報発信の際にある意図が仕組まれているとなるとその発想は充分あるうる。
 この見解に立った場合、ファッションによる個性の表現とその根底にある「個性」というわれわれが常識と思っていたことにメスを入れることになる。つまり個性は自発的な生得によるものではなく誰か(メディア)によって「構築」されているということになる。
 ただ、以前わたしが日本のサラリーマンは「ドブネズミ」というニュアンスのコメントを書いたが、上の発想をもってすれば、一体誰が俺たちをこんなふうにしたんだ、という疑問が生じてくるであろう。自分たちが選んだものでないとすれば自己責任的選択からは逃れることもできるのだが、いずれにせよ構築してきたのは日本人の変な集団主義が近代以降もそのまま続いてきたことによる矛盾が生じ、その社会的雰囲気が自らをこんなふうにしたと言えるのである。逆に言ってしまえば、その社会を築いてきたのは自分たち(先輩たち)であるから彼らの責任だとほざくこともできるが、今になっても変わろうと(誤解を承知で言えば「脱構築」)してこなかった自分たちのせいでもあるとも言えるのである。

外国人が日本を語ること(what foreigners think about japan)

2005-07-14 21:43:14 | D的思想
 外国人が日本について語っているところや内容を目にしたことがある人もいることだろう。一般の学術書としても数多くが出されているが、例を挙げておくと、L.ハーン、E.モース、B.タウト、R.ベネディクトやあのH.シュリーマンも旅行記の中で語っている。その中では今日のわれわれ日本人にも大きな影響を与えた人もたくさんいる。
 その中で誰しもが触れているのだが、日本人は清潔であり親切、という感想をほとんどの人が書いているということだ(著書の中で触れている箇所のみを参照すれば)。もちろんその反対に厳しく批判している箇所も目にする。まあその話はいいとして、ここで考えたいのは本当に日本人は清潔で親切なのかということだ。正直そのことを深くこだわっても仕様がないのだが、日本人が外国人がそう言っているのを聞いたときどう思うかをはじめに少し考えなければならない。というのも、われわれの中には、彼らは自分の国の批判をしながら日本のことを誇張してほめすぎているような気がすると受け止める人もいることだろう。確かに彼らの発言を見てみればなんだがほめすぎているのではないかと感じてしまう気持ちもわかる。なにしろあかの他人から自分のことほめてくれるというのは嬉しい気持ちもあるかもしれないが、逆になんだが変な気分になったりお世辞で言ってるんじゃないかと疑問を投げかける人もいるに違いない。日本なんてそんなにきれいじゃないよ、などと。しかし、こうもたくさんの人が同じようにほめてくれるというのならやはり彼らの言うことも正しいのではないかと考えることもできる。また自分が海外へ実際にいったときにそのことは身をもって実感する人もいるのではないだろうか。同じ規模の街を比較した場合なおわかりやすいだろう。
 さらに、彼らの発言を誇張だとかかんとか言って聞く耳持たないようにするとなどという偏屈の考え方があるかぎりそれ以上に自文化については見えてこない。彼らの感想自体もひとつの文化解釈の結果であって自文化に住む人はそれとしっかり向き合わなくてはならない。しかし、かといって、彼らの印象が好印象や悪印象であろうとそれらをやみくもに取り入れるということを言っているわけではない。自らが被観察者の立場に立ったときに相手からの解釈をいかに受け止めていくのか、かりに自分たちと彼らとの間に大きな解釈の違いがあればそこから新たにコミュニケーションによる会話を進めていかなければならないだろう。自分たちは常に周りから見られているという認識。それをしっかりとめておかないと異文化交流とかかんとか言ってる場合ではない。日本人はこれまで自分たちが観察者の立場に立って他人を観察してきただけだと思っていたし思っていることだろう。しかし、実際はそれと同時に自分たちも観察されているということをしっかり認識しなければならないのである。
 「他人のふり見て我がふり直せ」という言葉があるように、「他人の解釈をしっかり見て自分の文化をしっかり見よ」とも言い換えられる。他人の解釈を個人の主観に基づく解釈の差異。それを認めた上で初めて、その解釈はおかしい、ということを口にだせるのである。

その人は本当にすごいんだろうか(that one is really great?)

2005-07-10 10:56:41 | D的思想
 人は誰しもあることにかけての才能がズバ抜けていると思われる人に驚きと憧れの印象をもつ。もちろん何でもオールマイティーにこなしていく人に対しては誰もが文句のつけようがないのだが、何でもできるというのでなくてもひとつでも普通と思われている人よりもできてしまうとまわりは「すごいなあ」とか「わたしには勝てないや」といったついには諦めモードの言葉をもらしてしまうこともある。例えば、他は普通なのに料理だけ抜きん出てる才能をもっているように思われるとか。
 しかし、ここで考えたいのは、その人はなぜそんなに優れているのかとかなぜ人は誰しも何らかの才能を秘めているとかいったことではなく、どうして周りの人はその人を「すごいなあ」という印象でもって終わって(止めて)しまうのだろうかということである。つまり、その人を「すごい」という印象をもつことはあって当然の感情だというのは先に述べたのだが、ではなぜ「わたしはあの人には絶対勝てないや」という諦めの念を含んだ言葉が漏れてしまいそれ以上の感情をもてないのかということである。逆に言えば、その当の本人にとってみればそんなことはすごいとも思ってもいないかもしれないし普通だと思っている人もいるかもしれない。もちろん客観的に見れば、自分は少なくとも他の人(普通の人)よりはできるんだと感じてしまうというのはあるのかもしれないのだが。いずれにせよ、両者の感覚を包括的に考慮した場合、当事者Aと周りの一般人Bとの間で感覚の差異が生じてしまっているということである。
 ここでもう少し細かく見ていかなければならないのだが、まず周りの人BがAに対してもつ感覚の構造を見ていくと、BがAに対して「すごい」と感じ「わたしには無理」と諦めてしまうというのは、Bが自らを平均点偏差値50に位置してところから相手を見ていることである。この場合、Aは必然的に平均以上偏差値なら60とかに位置していることになる。それに対してAがBに対してもつ感覚とはどんなものだろうか。それは先の構造論理と逆になるのだが、つまりA自身は自分をそれほどすごいとは思っていないとするならば、Aは平均点かもしくはそれよりわずかに上ぐらいのところに位置していると思っている。ということは、Bはそれ以下、つまり平均点以下偏差値40代に位置していると見ていることになる。両者をまとめて表現すれば、前者は相手を敬う形で上に棚上げする意味での「尊敬語」、後者は自らを平均点に置き相手を棚下げするという意味での「謙譲語」的な構造をもっているといえる(後者については、Aからの視点に立てば見下した形になってしまうのだが、Bの視点に立った場合、それはいい意味でのライバル関係になる)。
 もちろんそれのどちらがいいのかという順位付けをするつもりはまったくない。ただ前者の感覚が多数派であることは先に述べた通りなのだが、わたしがここで言いたいのは、前者の感覚を常にもってしまっているのならその人はそれ以上のところにレベルアップすることは不可能に近いといえるのではないかということだ。つまり、前者の感覚、Aを敬う形にとってしまうというのであればBはそこで諦めを感じそれ以上のレベルアップは期待できないのである(気持ちとして負けているということになる)。では逆に後者の感覚をもっているとすればどうなのかというと、そういう感覚を少しでももっている人は「もしかしたらAが普通なのであって自分のほうがむしろぜんぜんできていないんじゃないか」という気持ちが湧き「くそー、あいつにだけは負けたくないなあ(もしくはあの人みたいになってみせる)。がんばらなくちゃ」という気力も生じてくることだろう。そこでそのBは優れた人の真似から始め、コツコツと努力する精神的な基盤が備わっているということになろう。人は常に自分は平均点かそれ以上に位置していると思い、平均以下とはまず思う人は内心的にはいないはずである(無理やりにでも自分も普通の人の仲間入りしようとしている)。しかし、あえて自分を平均以下という感覚をもつことによって自分のさらなるレベルアップが果たされることになるのである。この感覚は前者の感覚から見ると少数派であるが、よく考えてみるとこの感覚自体も人は誰しもがもっている感覚なのではないだろうか。例えば、テストなどで自分はあまりできないという気持ちを抱いているがあの友人には負けたくないという気持ちもその表れだと言える。
 しかし全体的にマジョリティの感覚は全体の感覚になってしまうのが世の常である。そのためなかなか後者の感覚にもっていくことはない。人は本当に才能だけでレベルの上下関係が決まるということはない。才能よりも努力がものをいうというのは先人のたちの言葉であるが、その努力の意識を生み出すにはやはり後者の感覚を味わうことも必要なのである(ただ天才的な才能を持った人にはいくら努力してもかなわないというのは言えてるのだが)。それを全面的に発揮したもののなかに「競争」原理というのがある。
 さらにつっこんだことを言えば、全体的に前者の感覚を持っている(優越)からこそ(つまり判断基準ができなくなってしまうから)、人は誰かの支配下になりそこで社会が築かれるのである。このことはホッブズの「万人の万人に対する闘争」からの「社会契約」についての補足説明になるのではないだろうか。Bに対して「すごい」「あの人に任せておけばいいや」という感覚をもってしまうことでそこでAの不安が解消され社会に秩序をもたらす。ウェーバーの3つの支配原理のなかの特に「カリスマ的支配」の原則はまさにその感覚のつぼを上手く逆手に利用したものといえよう(もちろんその指導者も優れた才能を発揮しなければならないのだが)。逆に言えば、それが「大衆感覚の愚かさ」を露呈していることにもつながり最終的に絶対王政や全体主義へとつながっていく。その主義のなかでは後者の感覚というのは最大の敵であり排除される。逆に後者の感覚が社会的に発揮されるようになったときに「革命」がおこり「次へのステップ」につながるエネルギー源になるのである。
 いずれにせよ、人は自分の実力を伸ばしたいときには後者の感覚を持たなければ次にすすまないのである。

歴史は現代史(history is contemporary history)

2005-07-09 11:55:09 | D的思想
 「すべての歴史は現代史である」という言葉はたしかクローチェがいったと思うが、このことは言い換えれば「すべての思想は当時の現代(社会)論」であるともいえる。つまり、歴史判断の基礎や現代論の基礎にはそのときの社会的実践が必要であり現実を深層部まで捉えようとしないと決して向き合うことはできない。
 例えば、マルクスが19世紀半ばに『共産党宣言』を発して『資本論』を書いたのはなぜなのかはその歴史が証明してくれる。当時の歴史的、社会的背景を見ることでそのことはある程度まで納得がいく。しかし、逆説的に言えば、マルクスは当時のその時に視点をおくと現代の社会問題をあぶり出しそれを根本から問いただそうとして、この状況から脱してよりよく生き抜くためにはどのように解決していったらよいのかを模索していった。つまり、彼にとっては学問の枠だけに有用な理論を研究していたのではなく、現実を見ていてそれを克服するために悩みぬいたのである。まさしくそれが社会科学の真髄と呼べるものであるのだ。そしてそれは予想以上に国家による政治的経済的域にまで拡大していき、また後のマルキストたちによって捻じ曲げられた嫌いもあるのだが、それほど当時(現在もと言えるが)の人たちのツボを激しく突いたことを証明している。
 しかし、一度過去になったものは過去の事物として捉えなければならないのであろうが、そこでただ単に「過去に起こった出来事」という視線で歴史を見るべきではない。その視線が欠如した状態でいると、学問的に見ても大げさに言えば、ただ細かく文献を読んで整理しているだけになってしまい、傍の一般人から見ればそれはただの極度の個人的趣味に没頭しているようにも思われても仕方がない。時代の変化とともに学問にもその流行り廃りが見られるが、いずれにしても過去のことを考える際にも当時のもしくは現在の「現実問題」としての視点を考慮したうえで見ていかないわけにはいかないのである。歴史と聞くと現在とはつながりが段階的にしかないように思われる。それはかつて歴史学、考古学の領域においての時代区分がなされたことによって(進化論的意味合いもあったのかもしれない)その区分がそのまま歴史テキストに援用されてしまったためその感覚はなかなか抜けきれるものではなくなってしまっている―例えば、今年で戦後60年であるが戦前/戦後という区分が明白になされているためにその時間的感覚とそれが遠い過去の遺産でしかないように思われている。しかし、時間軸で考えるとちゃんと過去とのつながりはある。かつて、西ドイツ大統領ヴァイツゼッガーは「過去を見ないものは現在と未来をも見ることができない」という主旨の名演説をしたが、少なくとも日本人の歴史感覚(現実を見ようとする感覚と言ってもよい)としての歴史そのものはまさに教科書的な過去の遺産でしかないのである。

ダークサイド(dark side)

2005-07-05 23:57:37 | D的思想
 最近は映画「スターウォーズ エピソード3」の話題もあって、アナキンのダースベーダーへの変身のストーリーが注目されている。アナキンは、母が殺されるなどのトラウマから自分の居場所に孤独感としこりを感じている。そんなときダークサイドからの誘惑につられてしまうのである。自分の居場所を見つけとフォースを十分に発揮させるためにダークサイドに入ることを決めたのだ。
 スターウォーズ6作はいわばアナキン・スカイウォーカーのライフヒストリーなのだが、もしかしたらこれはアナキンというよりもむしろわれわれ個人ひとりひとりの人間物語でもあると思うのだ。本作は善と悪という二元論を言葉によっても明白に区別しているし、シス(ダークサイド)側も自らをダークとか何か暗黒で悪をイメージさせる言葉で呼んでいる。ここまで明白にしかも登場人物自らが自分を善か悪かを区別している作品もなかなかない。しかし、そこには何か理由がありそうなのだ。
 先に本作は人間物語と表現したが、これは人間はいつなんどきに変容するか分からず誰しもがその可能性をもっているということを示そうとしているのかもしれないのだ。中国にも古来より「性悪説」という言葉があるが、これは生まれつき人間は悪の根源(要素)を持っているという教えである。人は何かトラウマなどを持ってしまうとそれを克服するために無理やりでも自分を変えようとする。それがどちらの方向に進むにせよ、自分の拠りどころになりそうなものの誘惑には弱くなってしまう。始めは良くないと思っていながらもそれがいつの間にか自分のほうが正しいと感じてしまう可能性もある。まわり全てが「不確実性」でありそれが不安で自分から先にそれを引っこ抜こうとしてしまう。それは近年の新興宗教問題でありアメリカであるかもしれない(「スターウォーズ」がアメリカ批判といわれる所以はここにあるのかもしれない)。
 そんなことを考えると、「スターウォーズ」はただのアクションを目玉とするSF作品ではなくすぐれたストーリー性をもつ歴史的作品なのかもしれない。

聖書より(from the bible)

2005-07-04 21:03:18 | D的思想
 今日は部屋の本棚の片付けをしていたら聖書が出てきた。正直信者の方には悪いのだがほとんど読んでいない。授業で使うために古本でかなりやすく入手したものだ。ただほとんど使っていないのかかなりきれいである。まあそれはいいとして、その聖書をパラパラとめくってみて幾つかのフレーズを読んでみた。すると非常に興味深いことがかいてあることにきづいた。そこを引用しておく。
 
   女に気をつけよ

  どんな人の美貌にも見とれてはならない。
  また、女たちの間に座を占めるな。
  衣類からしみ虫がでてくるように、
  女からは女の邪悪も出て来る。
  男の悪行は、女の善行よりましだ。
  女は恥知らずで不名誉をもたらす。
                        (「シラ書〔集会の書〕」42.12-14)

 うーん、中国の言葉に「傾城」というのがあるが、これは絶世の美女という意味だ。つまり、女の美貌によって執政者の気持ちを歪ませまともな政治が執れなくなり国(街)が滅んでしまうということである。女に囲まれすぎてはいけないのだ(けど一度は囲まれてみたいというのが正直なところだろう)。逆に「色」で財政難を克服できるということもあるのだが、いずれにしても女性の力は怖い。
 さらに解釈していくと、女の善行<男の悪行ということになるのだが、ということは女の悪行はすさまじいことになる。建前での振舞い、そして裏切りに始まり、醜くくどろどろしたとても男にはついていけそうにもないとんでもない考えを起こす。確かに女性の裏切りはこわい…。
 恥知らずで不名誉、これは世の中の仕組みが男性中心に動いている以上、女性は男性が考えもしないようなとんでもないことをしてしまう。女性にとっては当たり前のことかもしれないが、男性から見てみればなかなか恥さらしなことをしてくることを見かける。特におばはん。そばにいる男はたまったもんじゃない。
 こうして見てみるとなかなか聖書も面白いこと書いてるじゃないかと感心してしまった(人間の道徳について書かれている箇所は)。しかし男性についての女性の心得のようなものが書かれていないのはなぜだろうか。もしかしたら聖書すべてが男性について書かれているのかもしれない。
※『聖書 新共同訳旧約聖書続編つき』(日本聖書協会、2002)参照。

自己と他者について(others and myself)

2005-07-03 10:32:08 | D的思想
 われわれはつねに他者を認識の枠に組み込むことで自己を確立し、その両者の関係が上手い具合につりあうことで両者自体が存続している。それは今日の資本主義社会が拡大した状況においても言えることである。資本主義社会の基本原理には「競争」という概念があげられるが、これはなにも国家間同士の闘争的意味合いだけに当てはまるものではなく、個人間のミクロの関係でもその原理は成立する。ここはあえて国家間レベルでの話をしたいのだが、国家間においてもとくに隣国同士の競争意識というのは歴史的に見ても各地で確かめられることである。ヨーロッパにおいてはイギリス/フランス、ドイツ/フランスというように宗教的争いや覇権争いが起こり大規模の戦争が起こった。日本において見てみても、古代より中国や朝鮮とのかかわりは強く、中華思想に対抗する動きもみせてきた。しかし、いくら対抗意識があったとしても相手がいなければ交易(新しい文化の移入)もできなかったし国力活性化(富国強兵)も見られなかった。相手に勝つためには何をどうすればよいのかという作戦をつねに考え、相手との競争に打ち勝つことを夢見てきたわけである。ところがこのようにライバル意識がある国同士であればあるほど、競争とは裏腹に意外に大きな歴史的交流をしている。それが日中間の貿易(今日の日本を形成しているのもこれまでの交流があったからこそである)であったりするわけである。また相手を意識することは自国の内部を考える機会をもつことでもあるし、技術力の向上にもつながっていく。
 かつて5月31日のブログ記事だっただろうか、「アンパンマンの世界」についてわたしは書いたのだが、そこでは「アンパンマンが正義の味方アンパンマンでありうるためには、ばいきんまんの存在が必要である」と書いた。二項対立がなければ原作者のやなせたかしもいっているように、つまりファッショに陥る可能性があるというのである。お互いライバル意識をもって特に憎んでいる存在ではないのである。そこでアンパンマン世界は平和であるし衰退するわけでもないのである。
 しかし、ここで現実の問題を少し考えてみたい。今日のグローバリゼーションのただなかにあるなかで、かつてのような利己主義むきだしてはもうやっていけない。現実に80年代に日本に対するバッシングが起こったのも日本の輸出超過による貿易摩擦であったのだ。また国家間の交流でも当時の日本では自国の利益を優先しすぎて非難を浴びたこともあった。そして、今日ではアメリカが唯一超大国として強靭な主権を利用している(新たな意味での「帝国」)状況で国連とその他の国々との連携が問題として取り上げられているのである。
 日本とアメリカ、この国が何か「大きな力」をもつ契機があったのは何も偶然のようには思えない。それはかつての中国(近世以前)にもあてはまるようにも思える。逆に言えば、なぜヨーロッパの国々では独り勝ちという状況にはならなかったのだろうか。
 かつて石原莞爾は「最終戦争論」のなかで日本とアメリカによる最終戦争によってすべての戦争が終わり平和な世の中になるという夢物語を真剣に唱えた人がいる(6月13日のブログ記事参照)。彼はヨーロッパについても言及しているが、ヨーロッパが最終戦争にまでもちこめないのは地理的文化的にも隣国同士のつながりが強く戦争が起こったとしても中途半端に終わってしまう、つまり最後まで国が持たないとしている。だからたとえドイツ、イタリアで全体主義が起こったとしても陸続きであり面積的にも小さいためもたないのである。では日本、アメリカはどうか。日本は島国であり当時でもそれほどまわりにたくさんの強国がいるわけでもなかったし、アメリカは20世紀初頭まで孤立主義をとっていたほどでここも強国がまわりにいない。つまり地域的にも拡大できる状況が用意されていたために最後まで残るとされていたのである。逆言えば、こういう地域で全体主義、帝国主義が強靭になりやすいのである。ウィットフォーゲルが中華帝国体制(東洋的専制社会)の強靭さについて「水力社会論」からアプローチしているが、社会よりも国家が強力で、恐怖政治による官僚支配体制をとっていたため大きな力を保持することができたと述べている。われわれは中世、近世世界ではヨーロッパの世紀と見ているが、実際はスペインやフランス、イギリスよりも中国の方が国力は充分にあったということを見逃している。つまり、自分の位置から離れたところに強力な国が存在しているのであり、むしろそういう国の方が怖ろしいのである。
 戦後を見てみても、ヨーロッパではいろいろなもめごとがあったにもかかわらず、経済共同体や連合を築き上げてきた。かつてのライバル国が一共同体の構成員になったのである。では日本ではどうだろうか。80年代のバッシングを契機に国際協調路線をとり世界の主要構成メンバーとして役割を果たそうとしており、地域的にも見てもアジア内での国家間レベルのさまざまな交流を見直そうとしている。その現実がどのようであるにせよ、全体主義的体制からも抜けきるためにもこのことでグローバル世界の中での競争意識を重要視しなければならないことは確かであろう。