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D的思考の広場

Nice to meet you! 日常のどうでもいい出来事から多角的に批評する広場です。

城(castles)

2005-08-06 10:40:39 | D的思想
 わたしが最初に城を訪れたの(訪れたと言っても連れて行かれたのだが)は5歳くらいのときで祖父母と弟と一緒に行った名古屋城であった。大きな変わった形の建物を間近に目にしたのはそのときが初めてであった。正直、その時の記憶は城を見たという記憶よりもとなりの名城公園で綱渡り(子供用のイベントかなんか)で遊んだことのほうが強いのだが、そこからわたしの城ブームが始まった。祖母はわたしたち兄弟の教養本として城の写真集などを買ってきてくれた。わたしはそれを毎日眺めながら祖父に今度はどこへいこうかと話していた記憶がある。
 わたしが思うに男の子なら小さいときに城というものに興味がわくと思うのだが、それは、男は城に対するなにかの憧れと歴史のロマンを小さいなりに感じていたためであろうか。男性の心理的シンボリックな存在としてそこにとどまっているかのようである。一国一城の主を夢見てしまうという感覚なのか。男は生まれつきそんな感覚を持ち合わせているのだろうか。ヨーロッパの城においては城と牢獄の関係が強調される。澁澤龍彦は次のように言っている。

「おもしろいことに、現実のヴァンセンヌやバスティーユも、たしかに最初は一つの城だった。城以外の何ものでもなかった。ただフランス王室がこれを牢獄として利用しただけなのである。サドはそこに住むことを余儀なくされて、牢獄と城とを共に生きた。そして生きているうちに、牢獄が城となり、城が牢獄となるという稀有な体験を味わったのである。ピラネージの牢獄の、あの目くるめくような空間の膨張感覚を味わったのである」(p.165)『城』(2001、河出書房新社)

 そこから澁澤は権力の問題を汲み取ろうとしているのだが、なんだか男と城の心理的関係ということから権力と男性の関係は歴史的にも関係性かあったのだと感じられなくもない。城の魅力はそんなことからも尽きないものなのである。

「閉じこもることによって力を凝集する、―これがおそらく、城というものの本質的な機能ではないかと私には思われる。(……)城というミクロコスモスの内側には、かえって凝集された無限の欲望を感じさせるものがあるらしいのだ。外から眺めれば、一つの巨大なモニュメント、権力誇示のための空っぽな建築空間にすぎない城が、その内部に、渦巻くようにエネルギーを吸収する装置を備えているのでもあるがごとくである。密閉されたまま無限に膨張してゆくように見える、あのピラネージの牢獄の巨大な内部空間を私たちは思い出せばよいかもしれない」(p.162)(前掲載書)

文理融合は可能か(fusion between humanity and science)

2005-08-04 10:41:52 | D的思想
 近年の大学再編成の流れにそってか、多くの大学で文系理系の学問研究を同じ学部内で進めていこうというかたちで、「人間学」「総合政策」など「人間」や「総合」「開発」といった表現をもちいた新しい学部、研究科が新設されている。私立大学でのこの類の新学部新設ラッシュを見ているとなんだが出遅れないようにと追従してしまっているという雰囲気が感じられないでもない。
 そこでスローガンのように叫ばれていることが「文理融合」という言葉である。そもそもその言葉は文系理系のどちら側から言い出されたのだろうか。正直、工学、理学、農学、医学などの理系分野から考えてみると今頃文系学問の知を安易に持ち込まれてもこまるという雰囲気であって、ましてや今まで自分たちでやってきたことであることから言いだしっぺは文系側からと考えたほうがよさそうである(それを決め付けたところで仕方のないことなのだが)。文系領域が存続していくためにはどうしたらよいのだろうか。文系学問には主に文学、語学、教育学などをあつかう人文科学と政治学、経済学、経営学などを主とする社会科学がある。そのうち後者はその知識を将来的にもそのまま援用可能である。とすると前者はどうなのか。いくら小林秀雄や漱石などを研究したところでそんな理論理屈は実践的には役に立たない。近年の就職難からみてもやはり文学部には北風が吹いている気がする。結局一番苦労してそうな人文学を救出させる手段として外部から要請があったのか、それとも人文側から助けてくれよと要請があったのかはよくわからない(もちろん近年の「枠にとらわれない学問」を目指す気風によってそんな流れがでてきたのかもしれないのだが)。だがしかし、そのかつての文系の象徴であった人文科学と自然科学を「融合」しようというのだ。でもいったいどうやって。
 実際問題、そもそもそんなことはじめからできるのかと疑ってしまうのだが、名目上はそれを試みようとしている。それを試みようとしている学部、研究科を覗いてみるといいのだが、結局学部の中でもコースに分かれてしまって内部での分類により文理は区別されてしまっているケースがほとんどである。近年はやりの情報学においてはおなじコンピュータを操り創作を主とするためそれがなんとか可能かと思われるのだが、先行きはよくわからないし、今はやれていてもことが深入りしてくると困難が生じてくることもありうる。ということは「文理融合」なんて本当は不可能に近いのではないか。きっとそうだろう。教師陣も口では「融合、融合」と説教していても不可能だと気づいていることだろう(気づいていないのならその人は専門バカだろう)。フュージョンはやっぱり不可能なのである。
 ただ「融合」は無理でも、言葉を少し変えるとそれに少しの可能性が見えてくるのかもしれない。最近、「文系の実践知」という言葉を耳にする。わたしなりの解釈をふまえて言うとこういうことなのだろうが、文系この場合特に人文科学系の学問というのはかつての気風、または世間一般の認知からしてただ本当に「学問のためだけの学問」として意識され、そこで体系づけられた知を現実社会の中で実際に応用していこうなどと考える余裕、範疇がまったくなかった。現実的にもそちらの考えの方が多数派であろう。文系学問をどう現実社会の中で「実践」させていくのか。それは永久に模索しなければならない課題なのであろうが、複合的重層的視点を重要視される今日において注目されるようになったのだろうか。融合というミックスは現実問題不可能であるが、人文系独自のパラダイムの現実的応用ということであるなら少なからず可能のようにも思われる。都市工学、空間演出(創出)、人間心理を加味したコミュニティ作り、などなどさまざまなところで実践知が応用されると期待されている。まあ確かにそれによって新しい発想が生まれてきたことはいえるであろう。
 枠に捉われないというポストモダン的思考からの発想によって新しい可能性を切り開こうとすることは大いに評価できるし期待も高いことであろう。ただ現段階においてはまだ暗中模索の段階であり文理両者のコミュニケートもまだまだ不十分であるしその実践に対して疑問を隠せない人もいることは確かである。またその学問の越境が可能になりやすいものとされにくいものがあることは確かで、そこでもまだまだ試行錯誤が必要であると考えさせられる。いらぬ心配なのだろうか、わたしが一番不安であることを最後に言っておくと、ここまま何も両者の信頼関係を築いていこうとしていかないと(特に人文系側からの働きかけがないと)、ただでさえ受動的である理系側からはどうでもいいことと割り切ってしまえば言い過ぎかもしれないが、文系側が「フュージョン、フュージョン」などと子供みたいに無意味に熱中し調子に乗りかねないかが心配なのである。余計なことであると言い聞かせたいのであるが。

「無常」の何を見ているのか(what do we think about 'MUJO'?)

2005-08-03 10:05:35 | D的思想
 「ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず」で始まる『方丈記』の冒頭が、仏教的無常観を端的に表した文としてしばしば引用される。この無常観は、日本の四季のサイクルと密接な関わりを持ちながら古来より日本人の生活の身体性と自然との相関関係と精神文化を築いてきた基盤であるとされる。
 たしかに、流れる川の水は同じ水ではないことは物理学的にみても当然のことである。しかし私は思うのだが、この有名な一節が理論的に成立するためにはどの視点から見ていなければならないのだろうか。文脈から判断すれば、川原にいて川を見ている人は川のある一点、例えば自分の目の前でかまわない、をじっと眺めているなら話は成立する。つまり、話は汚くなるのだが、流しそうめんがあって、その人はそうめんを食べることに集中しているため目の前に流れてくるそうめんのことしか考えていない。夢中になっているのである。自分の目の前を流れるそうめんはコンマ何秒で流れていくわけだがそれを逃さないように集中する。ここで注目しておきたいのは、その人は、取りのがしたそうめん、自分の前を流れ去っていったそうめんを決して残念がって目で後を追うようなことはしないということである。そんなことしていれば次のそうめんが流れてきて気をとられてそれまでも逃してしまう可能性があるからである。上から流れてくるそうめんを今かと待ち構えることはあっても過ぎ去ったものを誰もみようともしないのである。
 しかしもっとマクロ的に全生態学的に考えてみると話は崩れる。つまり、流れた水は海に流れるがその水は水蒸気となって蒸発し大気中で雲となり雨となってまた川の流れにしたがいその眺めていた人の目の前を通るかもしれない。または、そんな空想的なことを考えなくとも、水分子構造はどの水分子構造も一緒なんだから完全なコピーとしてすべて同じ水と言えるかもしれない。だったらそんな「もとの水にあらず」とか言わずとも「どれも同じ水」として言ってしまうこともできる。ただ長明はそんな理屈を知るよしもない。見たもの感じたものそのままを言っているだけのことである。ただ現代社会に生きるわれわれにとってもう少し科学的に理屈っぽく考えたっていいのではないか(というよりむしろわれわれ自身がすでに外部からの様々な影響によって何だか理屈っぽくなってしまっているから当然だとも言えるかもしれない)。つまり、自分の前を流れすぎたそうめんは一番下でたまってまたそこでかき集められまた一番上から流されることだってあるのである。「きたねえ~」とブーブー叫ぶ人もいるだろうが、世の中(今の現実)「わび」「さび」「優美」とかかんとか言っておれる状況ではないことは誰でも知っている。現実は過ぎ去ったものがもとのところに帰ってくることだって、言い換えれば、回顧されることだってありうるのである。きれいごとでは済まされないのが現実の世界なのである。長明の言うような精神文化と現実の世界の見えない境界を勝手に混同してもらってはこまる。よく今年の「桜」は去年咲いた「桜」とは違うという例え(そこから人生は常に前向きということが言われる)が用いられるが、よく考えてみると、去年の桜と今年の桜を区別できる人なんて専門家ぐらいしかいないのに時間軸が違うだけであって外見的には「同じ」桜なのである(去年の桜と違って見えるのは開花時期が微妙にことなることによって桜の周りの背景が変わってくるために錯覚で違うと感じてしまうからである。もしくは観る人の気持ちの問題でもあるだろう)。だからわたしは「日本の美しい風景」とか「優美な無常観」とか受け売りみたいに誰もがお経のように唱えていること自体なんだが違和感を禁じえない。
 ただ人間は面白いもので、無意識ではあるがそのことをよく分かっている一面を垣間見ることもある。われわれは時に過去のものに対して懐かしみを感じることがある。詩人のプーシキンだったかどうか忘れたが、「過ぎ去ったものは懐かしみになる」というようなくだりの文章が記憶の片隅に残っているのだが、まさしくこの一節は長明の一節と呼応するかのような文章である。人間は実際に過ぎ去ったものを微かにではあるが記憶に留めているのである。だが、実際にはそれをはっきりとは認識しないできないところに何だか世の「常」を感じてしまう。
 それに例えに「流しそうめん」を挙げているようじゃ、わたしは無常なんか永久にわかりっこないだろう…。

一番美しいと感じるもの(what is the most beautiful thing)

2005-08-01 11:52:47 | D的思想
 かつての記事で、九鬼周造の『「いき」の構造』から「垢抜けて張りのある色っぽさ」という「いき」の構造について引用したのだが、それが男であるにしろ女であるにしろ、または彼らの振る舞いにしろ、「粋だねえ」という言葉には独特の面持ちをもった美学であるという主旨を示した。「垢抜け」は洗練されたクリアな感じ、「張り」はシャキッと隙がない身のこなし、「色」は色彩的な色(ファッションなどに拘わってくるだろう)とその人が醸し出している「お色気」であり(7月25日のベンヤミンの引用参照)、その三拍子がエロティックなところであり無意識の内に秘めているそして求めていることなのであろう。このことは日本特有の美学であるということにもなっているのだが、わたしはそれをさらに論じる知識も力もないのでやめておくが、ここでわたし個人の勝手な美学論を述べておきたい。
 今は夏である。連日熱気に苦しむ毎日なのだが、夏は祭りの季節である。祭り祭りと言ってもわたしはそれほど自ら積極的に参加したりするほうではないのでなんとも矛盾した言い方なのだが、話を戻すと夏の祭りといえば盆踊りなどの踊りをイメージする。若い証拠であろうか、年とった女性が踊っているのを見ても何にも感じない…。やはり若い人の…と思いきやいざ見てみると個人的趣味がいかれてるのかどうか知らないが彼女らの顔を見てしまうとなんだか気落ちしてしまうことがある。汗で化粧がたれかかってるし、キンキン茶髪だし…。むしろ顔なんていらないやと投げやりな半分諦めた言い方ではあるがそう思ってしまう。後姿見ていたほうがはるかにましだと感じてしまうのはなぜだろうか。
 ここで夏笠をかぶった踊り、例えば阿波踊り、越中おわら風の盆(最高のチラリズムと勝手に思っている)などを思い出す。自分がなぜあの姿に惹かれてしまうのかがそのときよく分かった。そうか、帽子で顔が見えないのである。見えないと言っても完全に隠れているわけではない。あごや髪が揺れるのは見える。しかし、肝心の鼻や目が見えない。見えるようで見えない。あともう少しと半ば興奮して期待をするのだが、どうしても見えないか見えてもほんの瞬間の出来事である(男でいうなら、女の子のスカートがめくれる瞬間もそんなもんだろう。あれこそ独特の文化だと思うのだが)。チラリズムの原理なんだろうか、半分いらだたしさを覚えながらその光景を眺める自分がいる。ところがやっと見えたと思うと…、やっぱり見なかったほうがよかったと思うのである。見えないほうがみんな神秘めいていて「美人」に見える(そこではみんな平等なのだと感じてしまう…)。そしてあの夜という暗い背景のなかで提灯の明かりだけが人を照らす。個人的にはなんともいえない光景である。 
 作家の谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』の中で、その陰翳を日本の美学と証しているのだが、上のような夏の夜の光景のなかで電灯が明るすぎることを批判している。たしかに日本は都心部のみならず家のなかの照明までもが蛍光灯に色で照らされている。最近は、ヨーロッパの真似かどうかは知らないが、その明るすぎる色が見直されてきたのか多様な色の電球が出されている。やはり色は大切なのである。その場にあった雰囲気、色彩論でもそのことは強く言われているが、その場を作るのはやはり色にあったのである。かりに先の阿波踊りの場面でバチバチに明るい蛍光灯が照らすなかで踊ったらどうなるか。余分なところが見えてしまって色気もあったもんじゃないだろう。明暗のファジーなところを好んできた文化のなかでその踊りはそれに合ったように根付いてきたのである。
 そのようなわけで、わたしはチラリズムは日本の精神文化だと思っている。女の子は正面から見るよりも斜めもしくは横から見たほうがいい。というのも、髪の毛で顔が半分以上隠れてしまいそこが男の、とくにわたしのこころを揺さぶるのである(笑)。世の中上手くできてるもので、女性の髪が一般的に長いのはそんなことで男を悩殺するための道具だったのだとふと思ってしまった。

「われわれの祖先は、女と云うものを蒔絵や螺鈿の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、長い袂や長い裳裾で手足を隈の中に包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである。なるほど、あの均斉を缼いた平べったい胴体は、西洋婦人のそれに比べれば醜いであろう。しかしわれわれは見えないものを考えるには及ばぬ。見えないものは無いものであるとする。強いてその醜さを見ようとする者は、茶室の床の間へ百燭光の電燈を向けるのと同じく、そこにある美を自ら追い遣ってしまうのである」(pp.48-49)

「白人の髪が明色であるのにわれわれの髪が暗色であるのは、自然がわれわれに闇の理法を教えているのだが、古人は無意識のうちに、その理法に従って黄色い顔を白く浮き立たせた。(……)古人は女の紅い唇をわざと青黒く塗りつぶして、それに螺鈿を鏤めたのだ。豊艶な顔から一切の血の気を奪ったのだ。(……)少なくとも私が脳裡に描く幻影の世界では、そんな白人の女の白さよりも白い」(pp.53-54)

                                 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(1995、中央公論新社)

学問とそのワナ(studying and that entrapment)

2005-07-29 10:15:35 | D的思想
 近年,各地の大学で学部学科の新設が相次いでいるが,それらの名前を見てみると「国際」,「(異)文化」,「人間」などという言葉が良く使われていることがある。一種の流行ではないかと感じてしまうのだが,この状況というのはどういうことから起こるのだろうか。確かに現実的に社会的に国際化 (internationalization もしくは globalization) を考えてみると当然の現われかもしれない。これはある意味で本質主義的立場に立つ考え方である。しかし,社会構築主義的立場に立って考えてみると,社会が思想を生み出し,メディアを媒介してカノン(正典)化されることになる。このカノン化の問題は人々を盲目にさせてしまうことにある。メディアの影響は非常に大きいのである(そのためメディアリテラシーの議論が盛んなのはそのためでもある)。しかし我々は常に目を見開いていなければならないことはしばしば強調されるところである。
 専門家(研究者)は,物事を完璧に読み取らなくてはならないと無意識のうちに認めてしまう。それはある意味で科学性を強調している。反対に一般人は,自らの思考に外部からの理論を組み合わせて考えを深めようとする。両者の特徴を併せて考えてみると,相手の堅固とした部分のみ示し,歪んだものは見せず,また考えようとはしない。つまり,我々は自分自身の正しいと思う事柄について疑うことしないのである。これをかってに学問病と呼ぶが、最終的には自分が何のためにそれをやってきたのか(ひどい場合、何をやってきたのか)が分からなくなってしまうというありがちなケースに陥る可能性がある。学問的(教育)レベルではその見直しのための議論が盛んになってきているが,それをもう少し一般化できないものだろうか。
 我々は常に矛盾した世界でこれまで他人という異文化を持つ人達と上手く付き合いながら生活してきた。他人と付き合うのは非常に難しい。時には進み,また時には止まらなくてはならない。近所と付き合うことがどれだけ難しいか思い浮かべてみると分かり易いだろう。国際化が広がる中,我々の他人という概念が距離的にも意味的にも拡大することでさらなる課題を乗り越えていかねばならない。

最高の写り(the best snap shot)

2005-07-29 00:20:16 | D的思想
 わたしは写真が嫌いだ、といってしまえば誤解を招きやすいのだが、要するに被写体になるのが好きではない。撮る方はいっこうにかまわない。何でそんなに嫌いなの、と尋ねられることはしばしばあるのだが、自分でもこれといってはっきりとした理由は見当たらない。ただ何となく嫌いなのである。恥ずかしいだけなのだろうか。もしかしたら写真の写りがあまりよくないから自分から逃げてしまっているだけなのだろうか。まあそのことを他人から指摘されたとしても、自分からそのことをちゃんと清算してないかぎりその気持ちに変わりはないだろう。
 もしくはこう考えることもできるかもしれない。自分の写真写りが悪いといっても何がそもそも悪いのだろうか。ただ自分だけが気に入らないだけかもしれない。しかし、自分が写っている以上、いくら他人が写りを褒めようと自分が納得していないかぎりやはり「写りは悪い」のである。個人的にいって、ピースポーズをしたりバカ顔ポーズをしたりするのはあまり好きではない。むしろ嫌いと言ってもいい(まあそれにはわたしの性格も作用しているところは否めないのだが)。ところがわたしの悪い癖でその感情を他人にまで押し付けてしまうのである(ただその人が可愛ければピースポーズだろうが何してもらってもかまわないが…。独断と偏見)。他人の勝手であるのでそれはどうでもいいと言ってしまえばそれまでのことなのだが(それにそんなバカげたことをしている写真とかもなければ写真の価値を下げてしまうだろう。ここではただわたしの個人的趣向だと思っていただきたい)、特に友人や家族などの大切な人とは「普通」の写真を撮りたいという気持ちが強い。
 この「普通」の写真とはいったいどんな写真なのか。どう表現すべきか、語彙力の乏しいわたしとしては言葉の選択に悩むところなのだが、「落ち着いた雰囲気」で撮った「笑顔」の写真、うーむ、別に落ち着いたときでなくとも「笑顔」の写真は撮れるであろうし、落ち着いたときというのも非常に曖昧な精神状態であって、それがどんなときなのかは人によって差異がある。たしかに「笑顔」の写真は好きだ、「笑顔」といっても写真を撮るために作った笑顔はわたしのいうところの「笑顔」ではない。いくらそれがみんないい写りだと評してもである。「ほほ笑み」のほうがむしろ的を射ているように思われるが、いずれにしても表情を作れる人はどんな表情であっても作れてしまえるように思われる。では、いったいどんな表情が偽造できないものでその人の本質のようなものを表せるのだろうか。
 古いアルバムを眺めていると、それがわたしでなくても(弟であれ妹であれ誰でもかまわないのだが)何かとても印象深い、すんなりと納得いく表情で自分の身近にいる人の素顔の刹那をとらえたスナップがある。それらは当然数が少なく、表情が笑顔とは限らないものもある。カメラに向かって振り向いた瞬間のときの決定的瞬間のその表情には、無理に作ったこわばったところはどこにもなく、ただ何かに向けてのまなざし(それがただの好奇心なのか畏怖なのかはよく分からないが)のなかにその人の目、口、ほほ、髪の毛などのすべてがまるで世界最高のコーディネーターに作らせたと思わせるくらいに〈自然〉であり〈新鮮〉でもあった。
 無意識のうちに発せられた顔(そして身体)の自然体と言ってもよいだろうが、そんな写真のなかにその被写体の素顔と重なった上で「やさしさ」「親しみ」なりの本質が垣間見れる。ときにわたしたちには、恋人に限らず他人の無意識の表情にどこか自然に抵抗なく受け止められる〈自然〉の表情を見たという経験は少なからずあるはずである(もちろんそれをすべての人に見られるかどうかは言っていない)。「○○ちゃんの今の表情、なんだか素敵だった」とか「一緒に写っている笑顔のわたしたちよりも別に笑顔じゃないのにあなたのほうが何だか目立ってる」とかさまざまな言われ方をするであろうが、たぶんそんな感想の意味には言葉では表現できないがそのさりげない一瞬の〈自然〉を感じたに違いない。
 赤ちゃんの写真を見てると、もちろんカメラマンの力量にもよるのだが、そんなあどけなく無表情であるような表情でありながらみんなが「かわいい」と口に出しているのは、大きくなった人間に対して同じことを言うのとは違う意味での〈自然〉を感じているからなのだろう。そしてその子の親であるならその感情を愛情と重ね合わせて見ているのだろう(妻子もいないわたしが言っても説得力欠けるのだが…)。

「写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、《技巧》、《現実》、《ルポルタージュ》、《芸術》、等々から引き離されたときである。何も言わず、目を閉じて、ただ細部だけが感情的意識のうちに浮かび上がってくるようにすること」
          ロラン・バルト、花輪光訳『明るい部屋 写真についての覚書』(みすず書房、1985:p.67)

労働の今日(today's labor)

2005-07-27 11:12:13 | D的思想
・その社会形態のなかでは、個々人は容易に一つの労働から他の労働に移り、彼らにとっては労働の特定の種類は偶然であり、したがってどうでもよいのである。労働は、ここではただ単に範疇においてだけでなく現実においても富一般の創造のための手段になっており、職分として個々人と一つの特殊性において合生しているものではなくなっている。このような状態は、ブルジョア社会の最も近代的な定在形態―合衆国―で最も発展している。つまり、そこでは、「労働」、「労働一般」、単なる労働という範疇の抽象が、近代的経済学の出発点が、はじめて実際に真実になるのである。だから、近代的経済学が先頭に立てている最も簡単な抽象、そしてすべての社会形態にあてはまる非常に古い関係を表している最も簡単な抽象は、それにもかかわらず、ただこの抽象においてのみ、実際に真実に、最も近代的な社会の範疇として現われるのである。(……)すなわち、合衆国では歴史的な産物として現われる(……)ところが(……)、未開人がなににでも用いられるという素質をもっているということと、文明人が自分自身をなににでも用いるということとのあいだには、たいへんな違いがあるのである。
 (……)最も抽象的な諸範疇でさえも、それらが―ほかならぬそれらの抽象性によって―どの時代にも妥当するにもかかわらず、このような抽象の規定性そのものにあってはやはり歴史的な諸関係の産物なのであって、ただこの歴史的な諸関係にたいして、またただこの諸関係のなかだけで、十分な妥当性をもっているのである。
  K・マルクス『マルクス 経済学・哲学論集』(1967、河出書房新社)、岡崎次郎訳「経済学批判序説」pp.465-466

 労働自体も歴史的諸産物のひとつであるなら、そこにはある種の必然性が見て取れる。それがマルクスの史的唯物論的主張にもとづくものであるわけだが、ここでいう「個々人は容易に一つの労働から他の労働に移り」、「労働の特定の種類は偶然」はいかほどの妥当性を今日もっているのだろうか。容易にある労働から別の労働に移ることが経済的にも容易でなくなっている今日においてさらなる「富一般の創造」のための社会的雰囲気が形成されてしまっている。
 より洗練された機能システムを目指しさらなる労働の物化がすすむ今日において「労働価値」(貨幣価値と労働量は、インフレ期、戦中戦後などの混乱期を除き、社会的に安定的なものとして確認できる。貨幣価値と労働量との相互関係は、現代社会になればなるほど、明確なものとなっている。ただこの価値論は批判されることが多い)としての労働は何のための労働かも忘却されるかのようなただ機能的名ばかりの状態となってしまっている。極度の「疎外」化であって「物象」化であるのだ。誤解を承知して言うならば、それは今日の用語で表現するとすれば労働も「記号」化されてしまっている。

歴史とその記述(history and representatiom)

2005-07-26 11:51:37 | D的思想
 元西ドイツ大統領・ヴァイツゼッガーの「過去を見ないものは現在をも見れない」という主旨の名演説、それはたしかに人びとに何か勇気を与えた指導者の言葉であった。しかし、その言葉には非常に意味深な言葉が用いられ受け取る人によってその意味に差異が生じてくることだろう。
 そもそも「過去」とか「現在」ということはただの歴史的事実のしての出来事の連鎖を意味しているのだろうか(ドイツであるならば、第一次大戦後、第二次大戦、そして冷戦下というふうであろうか)、それとも「過去」の表象(記述)という行為を強調するのであればそれは大きな認識の隔たりが生じることになる。もちろんここで一般人がどちらのかたちでもしくはそれ以外のかたちで「過去」を意識しようと問題にするべきではない。ただ、ある「過去」を誰かに向けて発信する場合、つまりそれが他者に向けてか未来の自文化の人に向けて伝えようとする場合、そこには表象する者の大きな責任の文字が附いてくることとなる。
 歴史とは起こったことを‘そのまま’記憶するものでは決してない。もしそんなふうに思っているとするなら、それは歴史教科書の字面をそのまま断片的二次元的に読み込んでしまったせいであろう。むしろ歴史はつねに表象されるものなのである。つまり、かつて起こったこと(出来事)はけっしてそのままの「自然」(つまりこの場合の考え方でいけば必然ということはありえないということになる)なんかではなく、誰か(語る者)の意図が混入される。ポリティカルな側面を帯びがちであるといわれるのはそのためでもある。その中でも、それが人類学的歴史学的にも問題にされたのが、「伝統」の創出である。植民地主義の影響下で一文化(地域)のイメージが他者(この場合、宗主国)によって新たに創出されてしまったという現実である(ボブズボウム『創られた〈伝統〉』など)。例えば、バリの「楽園」イメージ、沖縄の「癒し」の空間などがそれに当てはまるだろう。または、その時の政治的体系によりあるモノ(ヒト)が記念碑的に扱われることもある。戦前の、楠正成や二宮金次郎らがそうであろう。しかし、これらのことは国家レベル、地域的文化レベルというマクロ的問題である。問題は、それがミクロ的なところまで入り込んでいる(現実となっている)ということである。
 実証主義的な歴史観においては、過去の出来事を「客観的事実」として認め、歴史家はそのことを‘ありのまま’に伝えることが仕事であるという認識である。その場合、ただ語り伝えることだけに限定されてしまうという印象をもってしまう。しかし、現実にはその歴史記述の方法を見直していくという視点がないわけではない。「現在」を視点に、「過去」を見直し、再構成していくことでその姿を共有し伝達することが最重要課題だとする思想である。このことを歴史修正主義と呼ばれている。実際問題として、一旦「過去」に付与された表象というのはなかなか払拭(もしくは修正)することは困難を要する。ただ定着してしまっている歴史観(表象)に対してそれなりの根拠をもった異議申し立てがなされているというのは現実として周知されるところだろう。第二次大戦の世界状況の見直し、ナチス批評、歴史教科書問題など90年代以降日本もその問題が大きく話題にされるようになったことは記憶に新しい。
 ただ歴史修正主義と証してか、証されてかどうかは知らないが、人びとの弱点か盲点につけこんで歴史を極度に歪めてしまう(誤解を承知で言ってしまえば、変な不安をもたらしてしまうことに対する怖れということもあるだろう)という懸念もあることを記憶の片隅に残しておく必要がある。いずれにしても、見直しと言っても好いように修正されることもあれば逆により歪められてしまうという可能性も充分ありうる(たぶんそれは、カオスの状態としてどっちがどっちだか分からなくなってしまうというのが現状となるだろう)。過去は突然呼び起こされたりすることもあるのである。そんなときにわれわれがいかにそれと向き合うかが問われることになるのだろうが、起こってないことなのにも拘わらずそれが取り出されたり、現実に起こった事実なのにも拘わらずその問題性を排除されるということもありうる。
 そんなややこしい状況を歴史はどう対処していくのか。新たな問題が起これば新しい問題が増え、ただ増えるだけならまだしもそれが既存の問題と複合的重層的に絡み合って表出されるからより混乱を招くのである。政治家であり政治学者であり(ハイデルベルク大学で政治学を講じたこともある)ジャーナリストでもあったヴァイツゼッガーの意図というのはむしろそこにあった、と彼のことを何も知らないわたしとしてはそう思いたい。
 表象を可能にするには、そこにそれなりの根拠がないとやっていけない。あるものが他のものを表象する機能をもちうるには、一定の取り決めが共有されている限りにおいてである。つまりある種の正当性が見出されている限りにおいてである。それが揺らいだときどうなるのか、そう考えると意外に深刻な問題なのである。
 人類学者のJ・クリフォードの言葉に「未来になりつつある現在」というのがある。現在が、過去に存在していた真正さの残滓によって蓄積された時間であるという考えを否定し、未だ起こっていないという意味で曖昧である未来にむけて(過去から見れば現在も未来にほかならない)新たな差異を生み出す可能性を保持するべく、記述体系も未来へと向かう時間(進行中の歴史)の感覚を示そうとしているのである。教科書的考古学的な時代区分という断絶の時間帯を見直し、見なかったこと見えなかったことが今日過去からの蓄積としてあることを認識しつつ「脱構築」していくという意味で、もしかしたら過去の出来事にも何かの必然性があったのではないかと初めて言えるのではないだろうか。
※7月9日の「歴史は現代史」を参照。
※また複雑系やカオス理論でいけばすべての出来事はなにか必然があるという雰囲気がある。

それは本当に自慢なのか(that is really boastfulness?)

2005-07-23 11:18:39 | D的思想
 Aさんがしゃべっていることが、それを聞いているBさんにとって自慢に感じてしまうことというのは誰しもが経験していることであろう。今回はそのことを構造的にみていきたい。
 まず前提条件となることであるが、AさんとBさんのふたりがいて、彼らははCさんの話を聞いていたとしよう。Cさんの話を聞いているAさんBさんは何かしらの印象を抱くことだろう。仮にAさんはその話を満足して(好印象)かもしくは嫌な意味でない無関心(たいしたことないことだという意味)を抱き、Bさんは逆に不満足(何か好印象はもてない)かもしくは話題的にも全くの無関心(自分の嗜好範疇から外れているという意味)を抱いたとする。表向きには、AさんにとってCさんの話は何か「ピッタリ」合うものがあり、Bさんにとっては「合点いかない」ところがあると取ることができよう。
 AさんBさんにはそれぞれの嗜好(思考)概念があり、それぞれをα概念とβ概念としたとき、Aさんのまわりにはα概念的な思考環境がBさんのまわりにはβ(もしくはγ:話が合致しないということがなにもβだけにかぎらない概念であるから、他の概念を総括した意味でのγ)概念的思考環境がある。つまり、A、Bの両者の間で印象に差異がでるということは、Aがもつα的環境とBがもつβ的環境の間の意識的差異が原因となっていることがわかる。それが両者の間の思考レベル的な差によって生じているのかどうかは後に考えるとして、いきなりであるが、自慢には(話者自身による:この場合Cさん)意識的自慢と(話の受け手自身による:この場合AさんBさん)作為的自慢(話者自身は自慢のつもりもない。大したことと思っていない)があるのではないだろうか。つまり、前者は、話す本人が「自慢」のつもりで話し、受け手もそのように受け取ってしまう― 話者=受け手 ―という構造をもち、後者は、話の受け手が自らの意識の中で「自慢」と思ってしまう構造― 話者≠受け手 ―があるのである。
 前者の構造から見ていくと今回の話はここで終わってしまう。なぜなら話者と受け手の環境が合致したからである(この場合、AさんがCさんの話に対して抱く概念と同じであろう)。問題は後者の構造なのであるが、この場合何か意味深そうな構造がそなわっているような気がする。そこでこの後者の自慢構造をもう少し突っ込んで考えてみたい。
 BさんはCさんの話の内容について何らかの「不満足」を抱いた。では、その場合のBさんはCさんの話についていったいどう「不満足」を抱いたのだろうか。ここでCさんの話の内容をシュミレーションとして以下に載せておく。

 C:俺ね、高校時代、あっ、ちなみに俺が通ってた高校全国でも名の知られてる学校で東大・京大毎年100人以上がいくところだったんだ。で、部活も運動部と文化部の両方を兼部しててそれでも現役で東大法学部は入ったんだ。高校のときはあまり勉強したつもりはないんだけど全国模試でけっこうよかったんだよ。ランキング表に載ってたもん。けどね、俺何も考えずに東大志願したわけじゃないんだ。俺、将来は外交官か国連職員になりたくて、やっぱり外交に強くて自分の力を高められるのは東大だと思ったし、あそこは有名な人も客員とかでくるからいろいろ刺激があって、また情報も東京ということもあって豊富でしょ。だからいろんなバックグラウンドをもった人と知り合うためにはやっぱりそこが一番かなあって。それに俺○○先生のもとで勉強してみたいんだ。(……)

 このことを聞いてどう思うかは読者それぞれにまかせるとして、話をBさんの場合に戻すと、まずBさんが何らかの「不満足」を抱いたということは、①「Cさんはうらやましいなあ」という「ねたみ」みたいなものを感じたはずである。次に②「Cさんの話すことが何だか自慢話のように聞こえるなあ」とぼやくようになり、③「もしかしたらCさんってけっこう自慢話するの好きなんじゃない」とも考えるかもしれない。そして最終的に④「Cさんは何だかいやみがあって《むかつく》なあ。わたしはあーいう人《苦手》(もしくは《嫌い》)だなあ」と感じてしまうのである。この《》付きの感情が自慢話を否定的にとってしまう原因であるのかもしれない。つまり、BさんはCさんの高校の自慢や非日常的なCさんの特徴についてばかりを注目しているようにも感じる。①~④の過程の根拠はけっして正しいとか評価できるものではないだろう。しかし、ここで考えておきたいことは、これらの心的過程をたどるには、その受け手に存在する内的な心理とその人の習慣と外的な環境が大きな影響をもたらしているのではないかということである。 
 ここでもう一度Aさんの受け取り方と比較しながら見ていきたいのだが、Aさんの場合、仮に上の①~④の過程を援用して説明すれば、④の感情までは絶対たどり着かないことである。③のもしかした自慢かもと感じることがあっても、「別にだからといってそれがどうしたんだ」というふうになってしまいそのことはそこで終わってしまう。「何か高校の自慢話のようにも聞こえるかもしれないけど、彼自身は自分のやりたいことや将来をちゃんと見つめてしっかり考えてるんだから彼の自信からくるプライドのように感じる」など。もちろんCさんの話す内容によってAさんに与える心理作用は変化してくるかもしれない(ここではあくまでもモデルとして説明しているので)。
 話す内容によって心的差異が変化するということは、例えば次のようなことであろう。a:「Cさんは模試で全国1位をとったそうだが、Cさん自身はそのことをなんとも大したこととも思ってない」(もちろんこのことはすべての人の日常生活に拘わるものではない)、b:「Cさんは超金持ち etcでCさんのいろいろな生活について聞かされる」(日常生活的内容)。このaとbの内容を両方自慢だと思うかもしれない。またはどちらかだけが自慢だとか、どっちも自慢ではないと思うかもしれない。要するに、それらのように感じてしまうかしまわないかの原因というのは、その人のいる環境ともしかしたら時代・地域によっても影響されるのかもしれない。aのことというのは「自慢」(最初に述べたどちらかの種類の自慢)とも取れるかもしれないしただの話者にとっての「プライド」とも取れるのかもしれない。「自慢」か「プライド」それは、肯定的に取れるかもれないし、ただの嫌味にしか聞こえないのかもしれないのである(例えば、国内1番の大学の教授が自分の役職のことを大したことないと言うのは、個人や地域によってその印象に差異を与える。つまり、それを聞いて嫌味と取るか取らないかという差異)。
 要するに、実際は、個人概念とその人が立たされている現実的環境とのズレによって印象の差異を生じさせるのである。
※話している自分自身も言ってることがよくわからなくなってしまいました。すみません。

 

抵抗(resistance)

2005-07-21 09:34:44 | D的思想
 ポストコロニアル批評やカルチュラル・スタディーズなどにおいてキーワードとなるのが「抵抗」である。西洋の形而上学の問いただしから始まり、上からの視点のみならず、労働者階級、旧植民地、サブカルチャーからの視点をも重視するこのパラダイムにより、文化相対主義にも捉われない下からの〈声〉をいかに語る(表象する)かが今日問われることとなっている。
 先に挙げた「抵抗」というのにはそれなりの視点がある。つまり誰の何(誰)に対する抵抗なのかということだ。ここではそのことを労働者階級などからの抵抗を論じるつもりはないのだが、考えてみたいのは日本が抱える(抱えると思われるであろう)「抵抗」についてである。
 かつて竹内好が東洋の西洋に対する抵抗について論じながら日本の近代における抵抗について述べている(「中国の近代と日本の近代」)。近代日本の知識人が「外」からきたもの(西洋産)に熱心に反応するばかりで、そこに、内から発するものゆえの抵抗が存在しないことを問題としている。夏目漱石の言葉を用いれば「内発性」の欠如(「現代日本の開化」?)とも言えるのだろう。
 竹内は、西洋との出会いのなかでなぜ日本が抵抗を示さなかったかについて問い続けた。外から来るものには抵抗感を抱いたことはそもそもあるのだろうか。そんな雰囲気をもった文化体系であるなら日本のそのやり方は上手いのかそれともおびえてできなかったのか。議論も難しいところだが、そもそも過去のことでごちゃごちゃと終わらない議論をしてもしょうがない。肯定的に考えると、日本は応用に優れているのだろうか。加藤周一は「日本文化は雑種性」であると述べているが、古来より日本は大陸や西洋からの文化を輸入しそれを日本独自の様式に上手く変容させ内文化させてきた。今日において最もその代表格となる文化が「コンビニエンスストア」であろう。日本独自の資本主義体制を応用しながら商品の入れ替えと多様性を追及しアメリカ産のコンビニを日本の文化に変えてしまっている。もちろんその「雑種性」を認識してさらにそれを強調していくかどうかについて、それがわれわれの進むべき方向につながるかどうかは定かではない。
 話を戻すと、竹内のいう「抵抗の不在」がそのまま「雑種性」に収拾してしまうというのはマズイ。他の産物(文物)をむやみやたらにそこでの歴史的重層的背景を顧みることなしに吸収してしまえばただ上澄み液を吸ってるようなものだからである。ただ今日のわれわれが西洋に対して「抵抗」をそこまで感じているのかどうかを問われると、そんなことを気にしていないように思える。葛藤や劣等感を感じているかと言ったら、正直それはNOであろう。漱石のいう内発性の欠如がどうのこうの言われようと意識したことすらないのではないだろうか。しかし、それはわれわれの意識レベルでの問題のみを見ているだけのことであって心底はどうかというと何かに囚われてしまっているしこりを垣間見ることがある。
 今日では一部の人によって、日本は「クロフネ」以来のアメリカに対する「ルサンチマン」を無意識のうちに抱いているのではないか、と言われているが、「ルサンチマン」という表現が的確かどうかという疑問も投げかけられる。この言葉、ただわたしがニーチェの言葉という意識が強すぎるだけなのだろうか。何かすんなりと当てはめることができない。となれば、日本は一体何も考えてこなかったただのバカなのだろうか。そんなことは決してないだろう。一応近代化を成し遂げまれにみる資本主義体制を確立するくらいの国であるからだ。ただその過程に主体性がどれだけあったかと問われると首をかしげてしまうかもしれない。もちろん議論の余地は十分あるのだろうが、完全肯定的に雑種性を強調し「ブリコラージュ」をしてきたといってしまえばそれまでのことだろう(ただ自信をもつことの重要性を考えればそれも必要である)。つまり、「抵抗」や「雑種性」をそのまま鵜呑みしてそれぞれを区別しながら議論しても意味がない。両者を咀嚼しながら何とか前を見ようとしないと「主体性」の構築どころかそれを構築するための土台自体(これまでも何回か述べているが「想像力」の必要性)がなくなってしまうかもしれない。