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10月3日 神保町ブックハウスカフェで開催されたトークセッション「子どもの本のいまを考える 感動物語の罠」を聞きに行った。
これは、『日本児童文学』7-8月号(小峰書店)に掲載された藤木直実さん(森鴎外の研究者・ジェンダー論専攻)の「母を葬るためにーのぶみ『ママがおばけになっちゃった!』を読む」の問題提起を受けて、児童文学研究者および教育の専門家も参加して企画された。
絵本における母子像
グリーフケアと絵本
感傷が隠蔽する暴力の徴候
「読み聞かせ」の功罪
SNS時代のベストセラー現象と需要の実態 などについて考える材料が示された。
そう、正解とか正しい方法が語られるわけではない。
示された事例や論考を知って、自分はどう思うか、どう行動するかを考えるための会だ。
司会は野上暁さん。『小学一年生』の編集長や小学館の取締役をされてきた現在日本ペンクラブの常務理事。JBBY副会長をされている。たしか、手塚治虫担当編集者だったと伺ったことが。
野上さんによると、出版不況と言われて久しく書籍の売上は半減するなか、児童書・絵本はずっと堅調で売り上げをキープしていたそう。
それは、子どもの本がロングセラーに支えられていたから。
ところが、近年、そのロングセラーが増刷されなくなってきている。
話題性のある作品やプロモーションの派手な作品がもてはやされ、出版社も地味な(滋味な)作品の増刷をしなくなってきているとのこと。
これって、すごく危機的じゃありませんか?
たしかに、ロングセラーや長く愛される作品は回転率が低い。経済の活性化には、刹那的に消費されるものがもてはやされる。
そこにうまくはまり込んだのが、のぶみ氏の一連の作品群なのかもしれないと、わたしは思いました。
野上さんの挨拶のあとに『日本児童文学』の編集者 野澤朋子さんから「感動物語の罠」と題した特集を組まれた経緯が語られた。
義務教育で道徳が教科化され、教科書に採用される読み物・物語について考察の必要を感じられたこと。
無自覚なまま、戦前と同じように自己犠牲の物語に先導(洗脳)されないよう、罠の存在を知っておく必要がある。
まことに、自分の子どもがもう学齢期ではないから、教科書にどんな物語が採用されているかなんて全然気にしてなかった。
子どもに関わる活動をしている自覚がある割に、自分の鈍感さにあきれる。
藤木直実さんのお話は、『日本児童文学』2019年7-8月号 の「母」を葬るために……を踏まえた、怜悧で明快なお話でした。
森鴎外がご専門なのに、なぜ?のぶみ?
それは、今きっちりした論考がないと、後世の研究者が困るからと思ったからですって!
それまで、絵本とものぶみ氏ともかかわりがなかったのに。
とにかく、持ち時間が短いから、だだだだだ~って疾走するような話し方。
情報量も多く、使用される語彙も普段耳にしない言葉なので、難しい感じはするけれども、ところどころにユーモアが入ったカジュアルな口調も混じるのがおもしろいと思いました。
話された内容の全部が全部理解できたわけではないけれども。
のぶみ『ママがおばけになっちゃった!』の分析と読み込みはさすが、研究者!
絵やエピソードに隠されたメタファーっていうの? 暗喩? の読み解きは、『ダヴィンチ・コード』か『隠された十字架』かみたい。(わかる人もわからない例えやん)
そして、藤木さんの考えでは、ケータイ小説『恋空』や『世界の中心で愛を叫ぶ』にはまった世代が、子育て期に入り、ワンオペ育児に疲れ「承認欲求」から『ママおば』~のぶみ氏に惹かれていったのではないか? とのこと。
ここで、世代や親しんだ文化の違いによる「分断」があるのだなと、わたしは感じました。
なんであの絵がかわいいと思えるのか。
意外な展開過ぎるストーリーの強烈さ。感情の起伏の激しさ。少しも共感できるものがなかったのは、仕方のないことだったんだな。
仕方ないことは仕方ないとして、では次にわたしはどう動くのがいいのかな?
※今日はここまで、続きはまたのちほど
※覚えている間にいろいろ書いておきたいが、いかんせん時間がない。
※次は神保和子さんのお話 「子どもの発達と死生観」&「新自由主義時代の教育」の内容と、わたしの感想を綴る予定。
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