今回の記事は『道』(1954年、監督:フェデリコ・フェリーニ)です。
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督によるヒューマニティあふれる感動巨編。派手さはないが描かれている人間ドラマはしみじみと深い名作です。
第2回午前十時の映画祭上映作品。
■内容紹介 ※午前十時の映画祭ウェブサイトより
怪力を売りに、オートバイで旅回りを続ける大道芸人ザンパノ(A・クイン)。
ある日彼は、白痴の娘ジェルソミーナ(J・マシーナ)を金で買い、助手とすることに。
ザンパノはジェルソミーナを手ひどく扱うが、彼女はまったく逆らわない。
そんなある日、ザンパノはかつて同じ曲芸団にいた男と偶然再会する。
ジェルソミーナはその男と心を通わせていたが、うまの合わなかったザンパノは彼を殺してしまう。
アカデミー最優秀外国映画賞に輝く フェデリコ・フェリーニ監督の最高傑作!
■感想
派手さは決してないけれど、描かれている人間ドラマはしみじみと深くて良かった。これはじわりときます。まさにヒューマンドラマの粋とも言える名作です。
怪力を売りにオートバイで大道芸人として旅を続けるとザンパノと、彼に助手として安い金銭で買われた白痴の娘ジェルソミーナ。
粗野で乱暴なザンパノの振る舞いにも素直に従っていたジェルソミーナだったが次第にザンパノの酷い扱いに耐え切れなくなってしまう。
…こう書いてしまうと「なんて可哀想なジェルソミーナ」という話に尽きてしまいそうですが、映画のドラマはもっと純粋にして深い域に達している。
綱渡り芸人(名前は不明。終盤のジェルソミーナのひとり言での呼び名は奇人と字幕されていたので以降は奇人と書きます)と出会ったことで彼女は自分の価値を見つける。
それまで「私なんて何の役にも立たない」と思っていたジェルソミーナが「私がいなくなったらザンパノはひとりになってしまう」と思えるようになったことは大きい。
傷つき打ちのめされてしまった時に私も必要なのだと思えることは精神的にとても大きな救いとなってくれる。
傷ついたジェルソミーナの心を的確にケアした奇人のセリフは本当の優しさに溢れている。
自分の存在意義を見つけたジェルソミーナは、次第にザンパノに対して愛情にも似た感情を抱いていく。
終盤の修道院でジェルソミーナがザンパノに問う「私が死んだら悲しい」というセリフがラストシーンを究極的な高みへ昇華させる抜群の伏線となっている。なんて見事な脚本だろう。
はっきり言って「ザンパノが悪い。すべてザンパノが悪い」としか言えないぐらい徹底的にザンパノが悪いのですが、ラストカットではそんなザンパノに徹底的に打ちのめされてしまう。
野卑で孤独な男が夜の砂浜でジェルソミーナを想い、かつてない喪失感に涙するラストに張り裂けそうなぐらいの悲しい痛みを感じてたまらない気持ちにさせられる。
ザンパノを演じているアンソニー・クイン。
どこかで見た顔だと思っていたら『ナバロンの要塞』のアンドレア・スタブロス大佐でした。
ザンパノ自慢の胸で厚さ5ミリの鎖を引き千切るという大道芸。ぶっちゃけかなり地味ではないかということには触れないでおいてあげよう。
ジェルソミーナを演じているジュリエッタ・マシーナ。
不安なような惚けたような何ともいえない表情の演技は心の素直なジェルソミーナを大変上手く表現できています。
何やかんやで彼女が次第にお茶目で可愛く思えてくるのだから魅力は高い。
人間ドラマで魅せることのできる名作です。またモノクロ映像にも独特の美しさがあります。
興味を抱かれた方はぜひ一度ご覧になってみて下さい。
■追記:
Wikipediaからの転載ですが、実は登場人物の名前にも意味が込められていました。
名前には役柄を象徴するような言葉がもじられていて何とも深い。綱渡り芸人にも名前があった。
+⇒道 (1954年の映画)(Wikipedia)
※リンク先のWikipediaページにはネタバレストーリーも記載されていますので注意。
↓予告編・字幕なし
(★は最高で5つです。★:1pt, ☆:0.5pt)
■Link
+⇒公式HP(Japanese)※午前十時の映画祭特設ページです。
+⇒道 - goo 映画
+⇒第2回午前十時の映画祭レビュー記事一覧
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イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督によるヒューマニティあふれる感動巨編。派手さはないが描かれている人間ドラマはしみじみと深い名作です。
第2回午前十時の映画祭上映作品。
■内容紹介 ※午前十時の映画祭ウェブサイトより
怪力を売りに、オートバイで旅回りを続ける大道芸人ザンパノ(A・クイン)。
ある日彼は、白痴の娘ジェルソミーナ(J・マシーナ)を金で買い、助手とすることに。
ザンパノはジェルソミーナを手ひどく扱うが、彼女はまったく逆らわない。
そんなある日、ザンパノはかつて同じ曲芸団にいた男と偶然再会する。
ジェルソミーナはその男と心を通わせていたが、うまの合わなかったザンパノは彼を殺してしまう。
アカデミー最優秀外国映画賞に輝く フェデリコ・フェリーニ監督の最高傑作!
■感想
派手さは決してないけれど、描かれている人間ドラマはしみじみと深くて良かった。これはじわりときます。まさにヒューマンドラマの粋とも言える名作です。
怪力を売りにオートバイで大道芸人として旅を続けるとザンパノと、彼に助手として安い金銭で買われた白痴の娘ジェルソミーナ。
粗野で乱暴なザンパノの振る舞いにも素直に従っていたジェルソミーナだったが次第にザンパノの酷い扱いに耐え切れなくなってしまう。
…こう書いてしまうと「なんて可哀想なジェルソミーナ」という話に尽きてしまいそうですが、映画のドラマはもっと純粋にして深い域に達している。
綱渡り芸人(名前は不明。終盤のジェルソミーナのひとり言での呼び名は奇人と字幕されていたので以降は奇人と書きます)と出会ったことで彼女は自分の価値を見つける。
それまで「私なんて何の役にも立たない」と思っていたジェルソミーナが「私がいなくなったらザンパノはひとりになってしまう」と思えるようになったことは大きい。
傷つき打ちのめされてしまった時に私も必要なのだと思えることは精神的にとても大きな救いとなってくれる。
傷ついたジェルソミーナの心を的確にケアした奇人のセリフは本当の優しさに溢れている。
自分の存在意義を見つけたジェルソミーナは、次第にザンパノに対して愛情にも似た感情を抱いていく。
終盤の修道院でジェルソミーナがザンパノに問う「私が死んだら悲しい」というセリフがラストシーンを究極的な高みへ昇華させる抜群の伏線となっている。なんて見事な脚本だろう。
はっきり言って「ザンパノが悪い。すべてザンパノが悪い」としか言えないぐらい徹底的にザンパノが悪いのですが、ラストカットではそんなザンパノに徹底的に打ちのめされてしまう。
野卑で孤独な男が夜の砂浜でジェルソミーナを想い、かつてない喪失感に涙するラストに張り裂けそうなぐらいの悲しい痛みを感じてたまらない気持ちにさせられる。
ザンパノを演じているアンソニー・クイン。
どこかで見た顔だと思っていたら『ナバロンの要塞』のアンドレア・スタブロス大佐でした。
ザンパノ自慢の胸で厚さ5ミリの鎖を引き千切るという大道芸。ぶっちゃけかなり地味ではないかということには触れないでおいてあげよう。
ジェルソミーナを演じているジュリエッタ・マシーナ。
不安なような惚けたような何ともいえない表情の演技は心の素直なジェルソミーナを大変上手く表現できています。
何やかんやで彼女が次第にお茶目で可愛く思えてくるのだから魅力は高い。
人間ドラマで魅せることのできる名作です。またモノクロ映像にも独特の美しさがあります。
興味を抱かれた方はぜひ一度ご覧になってみて下さい。
■追記:
Wikipediaからの転載ですが、実は登場人物の名前にも意味が込められていました。
名前には役柄を象徴するような言葉がもじられていて何とも深い。綱渡り芸人にも名前があった。
・ザンパノ:Zampaは悪の意味。悪漢の象徴。
・ジェルソミーナ:Gelsominaはジャスミンの意。花の名前、純粋さの象徴。
・綱渡り芸人(イルマット):il Mattoはイタリア語で狂人の意味。
・ジェルソミーナ:Gelsominaはジャスミンの意。花の名前、純粋さの象徴。
・綱渡り芸人(イルマット):il Mattoはイタリア語で狂人の意味。
+⇒道 (1954年の映画)(Wikipedia)
※リンク先のWikipediaページにはネタバレストーリーも記載されていますので注意。
↓予告編・字幕なし
映画データ | |
---|---|
題名 | 道 |
製作年/製作国 | 1954年/イタリア |
ジャンル | ドラマ |
監督 | フェデリコ・フェリーニ |
出演者 | アンソニー・クイン ジュリエッタ・マシーナ リチャード・ベースハート アルド・シルヴァーニ マルセーラ・ロヴェーレ、他 |
メモ・特記 | 第2回午前十時の映画祭上映作品 アカデミー賞:外国語映画賞受賞 ヴェネチア国際映画祭:サン・マルコ銀獅子賞受賞 ブルーリボン賞:外国作品賞受賞 |
おすすめ度 | ★★★★ |
■Link
+⇒公式HP(Japanese)※午前十時の映画祭特設ページです。
+⇒道 - goo 映画
+⇒第2回午前十時の映画祭レビュー記事一覧
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