パーキンソン病患者のお祭り

「これまでのこと」、「今のこと」や「これからのこと」

一歩前に足を踏み出すために・・・

2008-04-30 07:39:12 | パーキンソン病について
一歩前に足を踏み出すために、してきたことは次のようなことです。

その一:
自分がすることに優先順位をつける。
しなければならないこと、したいことは何か?はっきりさせる。
後回しにしていいこと、先延ばしにしていいことがあります。
しなくてもいいこともあります。
反対に、今しなければならないこと、しておいたほうがいいことがあります。
順番を付けて、とりかかるようにしてきました。

その二:
今の体調から想像できる最悪の時の対処法を考えておくようにする。
足の指が曲がってきたら、どうするか?
動きが止まってきたら、どうするか?
時と場所によって、対処の仕方が変わります。
ある程度、考えておくことで、安心できます。
その時がきても落ち着いて対応できるように準備しておきました。

その三:
一緒に活動している人にはパーキンソン病のことを理解しておいてもらう。
自分の体の動きが止まったとき、周りの人にも影響を与えます。
その時に一から話し、理解してもらうのは大変です。
自分の周りにいる人のうち、一緒に活動する人には話すようにしてきました。

その四:
知らない人に助けを求めることがあります。
声をかけても、無視されること、断られることは当たり前です。
その人も今しなければならないこと、したいことをしているんですから・・・。
あきらめないで、声をかけることです。
自分の時間に合わせてくれる人もいるはずと思うようにしてきました。

その五:
薬はいつか効いてきます。
効いているときに、自分のしたいことをし、効いていない時にはのんびりするようにする。
へんにあせらないようにしてしてきました。

マツバウンラン

2008-04-29 19:24:09 | 趣味
天気がいい。
足の痛みもとれてきている。

外に出ると、ツツジの花が満開。
去年は花を咲かせていたかな?
思い出せない。
そのそばに、細い茎の上に咲いた青い花。
よく見るとあちこちに咲いている。
なんという名前か調べてみる。
「マツバウンラン」というらしい。
説明に「栄養の少ない砂地、石の多い荒れ地に多い」とあった。

「植木に水をやって」と植木屋さんが言っていたことを思い出す。

今の思い

2008-04-29 07:14:29 | パーキンソン病について
小学生の頃、お祭りに父親に連れて行ってもらいました。
知らない大人たちの間を歩くのは怖かった。
子どもの自分より背丈が高くて、周りが見えないから。
けれど、声と匂いで、屋台を見つけることができました。

お祭りの屋台を父親に手をひかれ、見て歩きました。
売り声と匂いに誘われて見て歩くのは楽しかった。
そこには近所の駄菓子屋さんにないものを売っていたから。
いつも帰りにりんご飴を一つお土産に持っていました。


パーキンソン病と診断を受けて20年。
これまでのことを振り返ると、「薬がよく効いていたな」とうれしくなります。
しかし今の体調と10年前5年前の体調と比べると「病気がゆっくり進行している」ことに気づきます。
外に出かけることが不安になってくる。
「立ち止まったら、どうしよう」という不安から、一日中家にいる。
何をするわけでもなく、横になっていることが多くなる。
そんなときに、5年後、10年後の自分を想像すると、怖くなってくる。

こんな風に考えていると、負のサイクルに落ち込んでしまう。

負のサイクルを断ち切るには、一歩外に歩きだすこと。

パソコン

2008-04-28 10:33:48 | 趣味
20年ほど前に、ワープロを使い始めました。
そして10年ほど前からは、パソコンを使うようになりました。
周りにいる人が使い、仕事の都合上必要になったから、自分も使い始めました。
そして、自分を表現する手段になればと思い、より積極的に使うようになりました。

パソコンで、仕事に使う文書や書類をつくってきました。
そのほかに、HPをつくり、公開し、運営してきました。
2年間、週に一回のメルマガを発行したことがあります。
掲示板やメールでたくさんの人とやり取りしてきました。
ウイルスに感染したメールを開いてしまい、ウイルスメールを送ってしまったことがあります。
それで、HPを閉鎖したこともあります。

パソコンを使えば、たくさんのことができます。

フォルダに文書を保存しておけば、必要な時に取り出せます。
また、いつでも取り出して推敲することができます。

あることを調べるときは、検索窓に調べたいことを書きこめばいい。
検索ボタンをクリックすれば、いくつか候補が出てきます。
何回かクリックしていけば、調べものの答えがわかります。

衣服や食料、文房具や本の注文ができます。
カードの番号を書き込めば、支払いまでできます。

写真を保存すること、編集することができます。
ソフトを使えば、簡単にアルバムができます。
プリンターにつなげば自分で写真の印刷もできます。

本を買わないと手に入れることができなかった情報を簡単に手に入れることができます。

パソコンに向かっている時間は、どんどん長くなりました。

退職の挨拶状

2008-04-28 07:32:56 | 日々の出来事
退職の挨拶状をつくりました。
お世話になった方への挨拶です。
「型どおりの文章でいい。」と思い、作り始めましたが・・・。
文章だけだと、どうも今の自分と遠くかけ離れたところにあるように思えます。
自分らしい挨拶状にしたほうがいいと思い、花の写真を貼り付けることにしました。
3月に仕事場で撮った2枚と4月に家の近くで撮った1枚です。

最後の仕事場では、たくさん写真を撮りました。
時間があれば、カメラを持って、歩いていました。
そして、レンズを向けてシャッターを押していました。
構図やピント、カメラの調整等、何も考えないで撮り続けていました。
いいなと思う写真は少なかったですが、とにかく撮り続けました。
こんな風に撮った写真でも周りの人に喜んでもらえました。
仕事を辞めた今も写真を続けたいと思います。
うまくなくていい。
四季の移り変わりが撮れればいい。
自分を表現できる一つになればいい。

これまでのお礼と、これからも続けようという思いを込めて、退職の挨拶状に写真を貼りつけました。

動きが止まったとき

2008-04-27 07:37:31 | パーキンソン病について
20年薬を飲み続けてきました。
はじめは、8時間の間隔で薬を飲んでいました。
少しずつ種類・量ともに増え、4時間の間隔で、薬を飲むようになりました。
薬を調整することで仕事をすることができました。

しかし5年ほど前から、薬の効いている時間が短くなりはじめています。
特に気温に影響を受けていました。
冬から春、秋から冬へと季節が変わるとき、寒いなと感じる日があります。
そんな日は、薬が効いている時間が短く、飲んでもなかなか効いてきません。
体の動きが止まることがときどきありました。

動きが止まったとき「たいへんだ。どうしよう。」とパニックを起こさないように、対処方法を考え、
家や仕事場にいる時なら、こんなことをしてきました。
・薬を少し飲む。
・立って、体を伸ばす運動をくりかえす。
・椅子に座って、膝や足首を曲げたり伸ばす運動をする。
・横になり、薬が効いてくるのを待つ。
・一緒に仕事をしている人に、「今は動けないが、薬が効いてきたら、体は動くこと」を話しておきました。

また、外にいる時なら、こんなことをしてきました。
・薬を少し飲む。
・座れるところをさがし、座る。
・薬の効いてくるのを待つ。
・携帯電話でタクシーを呼び、家か仕事場に向かう。
・横になり、薬が効いてくるのを待つ。

体の動きが止まることがないように、寒い日の対処も次のように決めておきました。
・薬を飲む時間を早める。
・薬を少し多めに飲む。
・薬の量を減らして、飲む回数を増やす。
・部屋を暖めたり、かさばらない軽い上着を一枚多く着る。

診断前

2008-04-26 07:29:53 | パーキンソン病について
20才代後半から体がおかしいと思い始めました。
足の指が曲がり、歩きにくい。
体中がかたくなり、ロボットのような歩き方になる。
小さい字が書きにくい。
膝がふるえる。
こんな症状が出てきたとき、「病院にいって診てもらったほうがいいのかな。」
と思いました。
でも、一日のほとんどは普通に過ごせました。
何より、どこの病院に行けばいいのか分かりませんでした。

そして29才。
仕事場の環境が大きく変わりました。
一日中、体がおかしいと思い始めました。
バランスがとれない。
人やものをよけにくい。
椅子から立ち上がりにくい。
立っても椅子に座っていても膝がふるえる。
階段をのぼるとき、走るときに倒れそうになる。
坂道をのぼるときにも倒れそうになる。
平らな道を歩いていても倒れそうになる。

足がわるいのか?膝がわるいのか?
「体のどこがわるいのか?」本で調べましたが、わかりません。

環境が変わって、力が入りすぎているのか?
緊張のしすぎからか?
リラックス、リラックス。
きっと明日はよくなっているよ。
一人のときは、こんな風に思うようになりました。
みんなと仕事をしているときは、「なんでもない。たいしたことではない。」というように振舞っていました。
自分の体のおかしさを心配して話しかけてくる人がいました。
自分にもわかりませんでしたから、「たいしたことありませんよ。」と強がっていました。

病院に行くまでの間、自分の体のおかしさに「なぜ?」という問いを嫌というほどしてきました。
それでも「なぜ?」の問いには、答えがだせませんでした。
だから、パーキンソン病と診断を受けたとき、「ふうん、そうなんだ。」と自分は安心できたんだと思います。
パーキンソン病の診断を受けてからも、自分は「なぜ?」という問いをしないんだと思います。

診断を受けて

2008-04-25 08:31:31 | パーキンソン病について
あまり「なぜ?」という問いかけは、してきませんでした。
そんな風に考えるのが得意でないのかもしれません。

診断を受けてから一年ほどの間、家族に自分の病気については話しませんでした。
病院に行ったことも、行くことも話しませんでした。
話す機会がなかったからかもしれません。
診断を受けた当時は、単身赴任で家族と離れて生活していましたから。
月一回の病院の診察には、赴任先から家に帰ってきていましたが、「出張」ということにしていました。
診察を受けて薬をもらい、赴任先に戻っていました。

一年程の間は、赴任先から家に帰る―病院にいって薬をもらう―赴任先にもどり仕事をするという生活がつづきました。

家族に話したのは、赴任先から家に帰ることができなくなったときです。
そのとき、家族に病気について話しました。
詳しくは話さなかったように思います。
ただ薬をもらってきてほしいこと、その薬を赴任先に郵送してほしいことを話しました。

それ以来、家族は自分以上に、この病気に関心を示しました。
「どうして?」「なぜ?」と自分以上に調べてくれていたようです。

パーキンソン病の診断を受けた時は、不思議に落ち着いていました。
それまで動けなかった理由がわかったので、ほっとしたんです。
薬で体が動くようになって、うれしかったんです。
病院の先生が自分の問いに答えてくれるから安心できたんです。
この病気でよかったと思っていたんです。

「特定疾患医療受給者証」の交付

2008-04-24 19:50:50 | パーキンソン病について
特定疾患:
難しいことばです。
難病といわれる病気はいくつもあります。
その中で、治療が困難で、病状が慢性的に経過し、社会復帰が困難であり、医療費がかかり、全国的規模で研究が必要な病気を言います。
現在は123の病気があるそうです。
 
この特定疾患のうち45の病気には医療費助成の制度があります。
特定疾患治療研究事業で、難病患者の医療費の助成をおこなっています。
具体的には「特定疾患医療受給者証」の交付を受けると医療費の一部が助成されます。

難病情報センター http://www.nanbyou.or.jp/what/index.html に詳しく記されています。

平成14年3月に「特定疾患医療受給者証」の交付を受けました。
この制度があることは、病院の先生から聞いていました。
当初は、自分の給料で医療費が払えることを理由に交付は受けませんでした。
まだ月に一回の診察を受け、一か月分の薬をもらっていたときです。
一か月で2万円くらい支払っていたと思います。
交付を受けたきっかけは、診察が三か月に一回になったことだったと思います。
薬も三か月分もらうことになります。
一回病院にいって、2万円×3か月=6万円支払うとなると負担が大きいと思えました。
一月にかかる医療費は変わらないのですが、病院に行く月に6万円支払うのは、ちょっと・・・。
と思いました。
これが「特定疾患医療受給者証」の交付を受けた理由でした。

ネオドパストン

2008-04-23 19:51:55 | パーキンソン病について
ネオドパストン:
一番初めに飲んだ薬です。
2週間分の薬をもらったと思います。
一日に半錠でした。
この薬を飲むまで、動かなかった体がうそのように改善しました。
歩くこと、走ること、階段を上ること、坂道を上り下りすること、椅子から立ち上がること、寝返りをうつことができるようになりました。
どれも出来て当たり前のことですが、1年間できませんでしたから、うれしかったですね。
自分にとって魔法の薬でした。
診察時に先生が
「この薬が効くようであれば、パーキンソン病ですね。難病と言われています。薬と一生付き合うことになります。それから私とあなたも長い付き合いになると思います。」と話されました。
なあーんだ。
パーキンソン病なんだ。
病名があったんだ。
変に思われるかもしれませんが、落ち着いて聞いていました。
今、振り返れば、先生が最後に言われた「私とあなたも長い付き合いになる」という言葉がうれしかったんですね。
何か分からないものと向かい合うとき、いっしょに向かい合ってくれる人がいることがうれしかったんです。
問題を投げかける自分に、冷静に、そして知的に応対してくださる先生がいてくれたから安心できたんだと思います。