楽しもう 2005年02月11日 | 人間論 楽しもう。 苦しいことを楽しもう。 がんばることを楽しもう。 大事な人と一緒にいられることを楽しもう。 もっともっと、生きていることを本気で楽しもう。 そうすれば、もっともっと素敵な時間を楽しめる。
ずるいのとかひきょうなのとか 2005年02月03日 | 人間論 ずるいのとかひきょうなのとかはいやだよ。 そんな風に生きてて何の意味があんだよ。 なんでそんな風にしてものうのうと生きてられんんだろ。 おれにはわかんね。 2ちゃんねる。 全部がだめとはいわん。 だが、名乗りもせずに人を中傷して、そんな生き方してほしいと思って 親はあなたを育てたと思うか? 悲しいぞ。 人の信用を裏切る人間。 大事なものがあるのはわかる。自分を守る必要があるのもわかる。 でも、そうやって人を裏切って生きてて、本当に守りたいものを 守ることができるか? それは難しいと思うよ。 誠実に生きようよ。 ちゃんとしようよ。 あなたを信じた人、あなたを育てた人は、それを願ってるんだよ。
震災から10年 2005年01月17日 | 人間論 阪神・淡路大震災から今日で10年の月日が流れた。テレビでは数日前から被災者追悼の番組が大量に垂れ流されている。 私は1995年当時、大学生として神戸市灘区岩屋に住んでいた。 地震のその日、あまりに変わり果てた街の姿、燃え盛る家々、垂れ下がる電線、その上空を飛ぶ自衛隊のヘリの姿を見て、あまりに現実感がなく、自分自身が映画かドラマのワンシーンにいるような錯覚に襲われたのを鮮明に覚えている。不謹慎かもしれないが、そんな感覚が実態だ。人間が現実を現実として捉えるには、それが非日常なものであればあるほどその現実をそのカタチのものとして受容するのに時間がかかる。今思えば、ちょうど初めての子供が生まれた日の「まだ人の親になった実感はないけど親になったんだ」というような感覚に似ていたように思う。 昨日昼飯を食った食堂の厨房が丸見えになって炎の中で焼け焦げていくのが見える。昨日当たり前に通過していた近所の高架陸橋が堕ちてその下でタクシーの払い下げみたいな古びたクラウンがぺしゃんこにひしゃげている。一昨日彼女と一緒にミスチルやらドリカムやらを歌ってたカラオケ屋のビルがきれいに一番下で折れて看板もなにもそののままで真横90度になっている。 当たり前だと思っていた日常が一夜のうちに消え去るということが、なんて簡単に、なんて当然のことように起こってしまうのだろう、というような想像しやすい思考が私の頭にやってきたのなど、地震から何ヶ月も経った後のことだった。そういうものだ。 私は震災後数ヶ月間、一度も神戸を離れることなく避難所での力仕事や被災した高校受験生たちに勉強を教えるボランティアなどをやっていた。そのころノーヘル原付バイクで長田区や兵庫区のアスベスト飛散地域を毎日走り回っていた。そのときは、「これでガンになろうとどうしようと、全く関係ない。今こうして生きてるだけでももうけもんや」などと考えていたのを思い出す。若かった。最近体調の悪い日が続き、まずそんな当時のこととは関係ないに違いないのだが、そんなことをふと思い出して苦笑いしてみたりしている。 あれから10年。私は歳をとり、当時の彼女と結婚し、2人の子供がいる。 あの時たくさんの人たちとふれあって、有り体だがたくさんの人たちの心の暖かさにふれて、人間ってすばらしい、というようなことも感じた。あの時に「絶対にこのことを忘れない」と思っていたことのうち、まだまだ鮮明に覚えていること、10年でもう忘れかかっていること、紡ぎだせばきりがないほど濃縮された記憶が私の中に残っている。そんな記憶をもう一度たぐりよせながら、今、こうして無事に生きていられるということがどれだけ幸せなことか、こうして生きているということがどれだけ大切にしなくてはいけないことか、もう一度考え直したい。 被災者の皆様に合掌
日曜の夜に 2005年01月16日 | 人間論 追われるように毎日を過ごしていると、大切なものをたくさん見落としているんだろうな、というようなことを、ふと気分の落ち着いた日曜の夜なんかに感じたりする。 自分はいったい何のために生きているんだろうなどと、年甲斐もなく感じてみたりすることも、特にこの数ヶ月たびたび体験する。 自分にとって一番大切なものが『夢』じゃなくって『夢と家族』になったのはいつのことだろう。それがいつしか『家族』だけになっていくのだろうか。私はそうなっていくことを予測し、期待しているのだろうか。そうなっていくことが実は今までのあらゆる努力の成果そのものなんじゃないだろうか。 などとさえ考えたりする。 否。 まだ早いよ。まだまだぜんぜんやりきってない。むしろ今までずっと準備しかしてないじゃないか。 『夢と家族』。両方を大切にして両方を最高の状態に持っていくこと。それをあきらめないこと。 そのために努力し続けることそのものが、自分の生きている意味だ。
謙虚に 2005年01月14日 | 人間論 謙虚に、生きたいな。 と思いました。 華やかに生きるのも良いけれど、 自分の子供が大きくなって大人になるときに、 それでもパパはがんばってる、走って生きてる、 って姿を見せたいな、って思う。 がんばってるパパが長続きするように。 華やかでなくたって、 30年後もずっとがんばって走っていられるように。
価値観 2004年12月06日 | 人間論 人はそれぞれの状況に合わせてそれぞれの価値観を持つ。その価値観が 真っ向からヒトに否定されたらそれはそれはむかつくものだ。しかしながら、 そこでむかつく、ということはそれ自体が相手の価値観に対する否定であり、 その、他の否定と自己の肯定という二律背反性の自覚によって自分の価値 観の限界を感じることが多かったりする。 ではヒトの価値観を肯定して吸収してひたすら笑顔で物事を受け入れる人で あり続ければとても大きな人になれるのかというと、まったくもってそんなこと はなく、反対に自己の価値観の矮小化を促進することになる。 ではどうしよう。 たんじゅんたんじゅん。価値観は成長するものだ、という価値観を持てばよい。 ただそれだけのことだ。 なんだ、人間は成長する、ってこととおんなじじゃないか。 だから大人は「価値観」なんて言葉を使わなくなるんだ。 なんて、んなわけねぇだろ、ヴァカ。 ちゃんと自信持てよ! おまえはおまえ。YES I am, that's ALL だよ。
底辺 2004年12月02日 | 人間論 じんが三宮で水バイトしてた学生のときのマスターが言ってたこと をふと思い出した。 「これはな、ゼニもろて客にワラってもろてナンボの商売や。ワシらそんな 底辺の仕事やから景気が悪ぅなったらモロにワリ食う。タクシーの運ちゃん よりもわかりやすう出んねん。 ほやけどな、この商売やってると 逆に世の中がどないなってんのかようわかんねん。水商売のオンナに ン十万貢いでたおっさんもな、ちょっと風吹いたらすぐに三宮から おらんようになんねん。ほやからな、テキトーにゼニくれる奴になんか ケツ振んな。そういうのんにはテキトーかましとけ。カネみたいなもん、 結局何にも残らへんねん。 友達だけ大事にせぇ友達。友達大事に してる人間は生き残るし、友達おらん人間はおらんようになる。 ぎょうさん見てきたけどな、間違いないわ。そうゆうもんやねん 世の中」 当時マスターは30歳やった。今は38。妻子・従業員大事にして、 今も変わらず三角通りで17周年やってはる。 おれこないだ30になった。 はやくそこに行きたい。 越えたい。
大人の大人 2004年11月30日 | 人間論 人間は20歳になってやっと生まれるみたいなもん。 40歳になってやっとこ大人になる。 40歳になるまでは悩んであがいて成長しなさい。 私の母の教訓だ。 まあ、落ち着いていこう。
19~29歳 2004年11月26日 | 人間論 恋愛 友情 尊敬 努力 自己認識 羨望 凡庸 堕落 堕胎 飛込 別離 震災 愛情 一心不乱 安心 回転 乱心 清原 留学 孤独 遊興 男女 雰囲気 若さ 夢幻 恋 さよなら 心機一転 自戒 出会 誤認 青春 浮気 楽天 浮体 昇天 地足 扉 故郷 友愛 一番 浮足 強敵 強友 人生 人語 結婚 社会 安定 出産 媚諂 自己嫌悪 脱皮 大阪 光 不足 殻破 欲望 信頼 東京 新空 報道 放送 通信 融合 不可能 杵柄 仲間 哀愁 発起 継続 安泰 自滅 不要 新天地 孤立 電脳 二児 不思議 自信? 自律 人生 出発
ライフ 2004年11月23日 | 人間論 娘を風呂に入れていた。ばちゃばちゃと楽しい時間。素敵な時間。 娘が言った。 「じゃあパパ、顔に水かかったら1個ライフが減るんだよ。3個なくなったら ゲームオーバーだよ。」 5歳の娘よ、ライフとかゲームオーバーとかどこでそんな言葉覚えてきたんだ。 5歳の娘よ、ライフにゲームにゲームオーバーって、なんて真理な言葉を無邪気に言うんだ。 5歳の娘よ、パパのライフはあといくつ残ってるんだ?
15歳 2004年11月22日 | 人間論 15歳辻本が阪神と仮契約 武器は140キロ超の速球 (共同通信) ----------------------------------------------------------------------- 140キロを超す速球を武器に、顔にあどけなさの残る少年が、さあプロの世界へ- ----------------------------------------------------------------------- 15歳か。 彼がプロで大成する可能性は5%にも満たないのだろうが。 体が出来るまでもう少しじっくり待って。とか言うことはない。 彼にとって今が時なのだ。まわりがなんと言おうと、これから 彼自身が、自分で自分の人生を切り開いて行くんだ。 大人ってのは、年齢でなるもんじゃない。 闘いの場に出るときになるんだよ。 元服だ。 応援しよう。
共産国の悲しい日本人 2004年10月16日 | 人間論 脱北者持ち出したとされる写真、加瀬テル子さんの可能性 (朝日新聞) ふと思った。 「中国残留孤児」って言葉、すっかり聞かなくなったね。 10年後くらいに北が民主化したりしたら、「拉致被害者」 とかって言葉も誰も言わなくなるのかな。 行方不明者が60歳を過ぎたら言わなくなるのかな。 それよりもっと早くにみんな飽きてしまって言わなくなるのかな。 どっちにしても悲しいね。