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近江商人 Lifelog

近江商人のライフログ、あるいは遺言状の下書き

so-netのキャンペーンとです

2005年01月10日 | マーケティング
ヒロシです。100万円が当たるとですキャンペーン

so-netの光接続サービスのキャンペーン広告ですが、けっこうおもしろかったのでちょっと取り上げてみます。私はこの広告をgooのTOPページのバナーで見つけたのですが、個人的にあまりバナー広告にいい印象を持っていないため、めったにバナーを押すようなことはしません。ところがこの広告に関しては一消費者として自然と惹きつけられてクリックし、キャンペーンの案内をたどり、最後には応募して氏名・メアドまで登録する羽目になっていましたw

この広告キャンペーンの優れた点は下記の4点に渡っていると思われる。
①キャラクターの選定 
②バナークリエイティブの表現方法
③実映像をFLASH化したサイトクリエイティブ
④ネタへのプロダクトプレイスメント

まず①のキャラクターの選定について。「ヒロシ」です。折からのお笑いブームがピークとなるタイミングが年末年始の正月特番時期に来ることを想定しての起用と思われるが、実際この年末年始に来て初めて彼のネタと顔と名前が一致した人が多いであろうことを考えると、タイミングとしても費用対効果の面でも好ましい。特にイロものを広告に起用する場合には、旬をずらせば逆プロモーションにもなりかねないだけに、時期の読みは重要だ。

②のバナークリエイティブについては、「いったい何のキャンペーンなのか」を認識させない表現となっているだけに賛否両論が別れるところではあるが、「ヒロシ」と「100万円」の存在のみをアピールすることで逆にクリック率を上げる効果を期待しているパターンであり、企画自体への自信の高さが感じられる。

③のサイトクリエイティブについては、ユーザのブロードバンド化率の増加に伴って可能となってきている手法である。過去にも実映像をFLASH化して表現したサイトは多く存在するが、どうしても実映像のリアル感とブラウザという枠で表現される様との間に違和感がありなかなか受け入れられないでいた。しかしこのキャンペーンでは、残像や遠近を上手く組み入れることと、音声をフレーズ毎に区分してメリハリをつけることでその違和感を低減している。

そして、④のプロダクトプレイスメントがこの企画のキモであると思われるが、これが旬のピン芸人の一発ネタに概念のみを組み込むという方法をとることによって、比較的上手く機能しているように思われる。プロダクトプレイスメントといっても、多くの場合は企画段階の主旨を逸脱してクライアントの意思が表に出過ぎるプロダクトウリウリ広告に陥って、結果キャラクターにまで迷惑をかけるというパターンが散見されるが、この企画でその点が回避されているのは代理店担当者かクライアントの担当者がいい壁の役目を果たせているからだろう。


今後このように、タイミングを得たキャラクター選定と優れた演出、ユーザ視点に立ってちょうどよいプロダクトプレイスメントの実践をなしたネット広告が多く出現して上手くブロードバンド/マルチメディア環境を活用していってくれることを期待する。

ライブドアvs楽天 公開ヒアリング

2004年10月07日 | マーケティング
プロ野球参入「ライブドア」「楽天」公開ヒアリング (読売新聞)

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改装費はライブドアが「20億―30億円」、楽天が「32億円」との
見込みを示し、いずれも「自己資金で負担する」と言明した。
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日本の1400兆円民間資産の財布を持つ一般オバ主婦やらリタイアおじさんたちの思考。
「ここまで騒ぎになるとは。よーがんばっとるネ」とおじさんは認知する。
「これがワタナベっていう悪いヒトをやっつけた若い人たちね」とオバ主婦は認知する。
「楽天とライブドアはオンナジヨーナかんじの会社らしい」とおじさんはインプットする。
「負け気味で見た目がちょっと子供っポイほりえクン、かわいいじゃないの。」と主婦は
インプットする。

二人ともここまでのぼろモーション効果は絶大ですが、ちょっとロングで
見ればもー、完全にほりえもんの勝ちです。
そもそもビジネスレベルでは天地ほどの開きがあった両者が同じ土俵のもの
として扱われるというだけでライブドアばんばんざいであり、しかも見た目で
「ちょっとヒゲとかにしてみてもいかにもできる銀行マンっぽい三木谷」と、
「ほんまにこのアホづらで東大?な堀江」とを並べて見れば、印象の良し悪し
で明らかにアホづら有利の結果となる。


三木谷頼朝と堀江義経です。

頼朝はホントに幕府(球団)を背負わされて城(球場)の修理に32億、
5年続いたとしたら5×30億+32億=182億の大マイナスです。

義経はおごれる平清盛(ナベツネ)を討ち取った英雄として世間にかわいがられ、
結局公の権力はもらえなくても、名を上げて平泉(ネットビ業界)に戻り、
その後は伝説のチンギス・ハーンになりました扱いです。資本投下ナシで。


まあそれでも堀江さん、livedoorブログのこの重すぎっぷりやらなんやら、
現場をほったらかしで八艘跳びやりすぎてると、泥舟に足とられますよw

マーケティングのあたりまえ1

2004年09月20日 | マーケティング
企業は1~3年に一度、自社が成長か存続かし続けるために、
自社の戦略と戦術の計画を組み立てる。戦略と戦術の計画の
策定が終わったら、次に計画された戦術に則る製品やサービス
をつくり、自製品とマーケットの強弱・競争の観点から価格設定
を行い、”手”の届く範囲を見極めつつ流通に乗せて、自社の考
える最大公約数に対して最大限のブランドメッセージの伝わる
プロモーションを行う。
この”マーケティングの実行”の段階で、R&D、購買、製造、
マーケティング、営業、人事、物流、財務、経理にいたる、
組織の全ての部門がマーケティング行動の実施段階に移る。

そして企業行動の問題はほとんどの場合ここで発生する。

R&Dは「こんな観念は自分たちの開発したものには組み込め
ない」という。製造部門は「こんなものはコストがかかりすぎて
まともに作れるわけがない」という。営業部門は「こんなものを
客は求めていない。もうちょっと売れるものをつくれ!」という。

そういうものである。それがあたりまえなのだ。

マーケティングとは「究極の顧客志向観念」なのだから、実行の
段階でそれぞれのフェーズの利害関係に培われた正義に対して
本当に企業のeveryone happyが何であるのかを語り、理解させ、
その成果を然るべき形で償還する力を持っていないとなしえない
ものだ。

約束された未来などない。企業が生きていくために未来を予測し、
語りつくせる能力と人間力をマーケッターが身につけ、それぞれ
の役割を持つ人達にその未来を信じてもらえなくては、その企業
は些小なセグメントPLCと共に衰退する存在に落ちぶれてしまう。

マーケットの声

2004年09月13日 | マーケティング
マーケティングといえば「戦略目標に向けた4Pの設計と実行」というのが
シンプルな定義だと思っていますが、その一番の基本はやっぱり人の話を
たくさん、一つ一つじっくり耳を傾けて聴くことだと思います。定義の中で
いうと、4Pの設計のためのなによりの基本情報であり実行のための羅針盤
となります。マーケットの声、特に初対面~2回目くらいの関係な人に、あ
る程度とぼけたりしながら素直な考えてることを聞きだすことを繰り返して
いると、ともすればすぐに「戦略」とか「組織」といった手前勝手な都合の
方を優先させられかねないマーケッターの感性を方向修正してくれます。

よく知った仲間より社内のヒトより、お友達より専門家より、中くらいの関係
なヒトたちの声に耳を傾ける。

大事にしましょう。

経営者を目指す人材の「数字センス」

2004年07月22日 | マーケティング
何の因果かこのプチ近江商人が、上のような題目で明日ある求人サイトさんの
取材を受けるわけだが。

私は今曲がりなりにもマーケティングのお仕事をさせてもらっている。
今までの4+7年程度のベンチャーだ官僚だネットだのの給料取り生活の中で、
プチなりのマーケティング観があるとすれば、それは難しげなアルファベット
用語ではなく、

「お客さんていったい何考えてんねろ、の自問自答」

の一言に集約です。

経営学にはいろんなディメンジョン用語がはびこっています。
4P、SWOT、AIDMA、戦略と組織、QCD、PLC、V&L、MI&PO、うんぬんかんぬん。。

そんなもん一個一個覚えたり仮説検証したりとかしてられません。
そんなんしてるよりPerlいっこ覚えてモノづくりしてる方がよっぽど世の中の
役に立ちます。
(・・・とかいってロジカルシンキングから逃避してみるテスト。。)


逃避かどうかはおいたとして、
そういったものはできるだけ効率的に体化して、それらを頭の中のアタリマエ
状態にした上でホンキのマーケティングをする=お客さん何考えてますのん?
 と問う ことが、
マーケッターとして本当に商流を生み出すための姿勢なのだと思います。

例えば、一つ数字を見たとします。
管理会計上のサービス別月次実績、マクロ収支の経年推移、自社サービスの
顧客満足度、etc..

それらの中に”ミラクル”などはありません。
「う~ん、このサービスは事業計画シモオモで描いてんのに、グラフは伸びん
し、顧客満足度もアクティブ率も低いし、これは下期修正かけた上で来年度
ヒト減らししかないな~」
とか言ってるのが関の山です。
そんなものは、数字に表れる前に日々のアクティビティベースで捕捉して
おけばよい。

「商流を生み出す」という意味で、マーケティングに本当に意味のある数字が
あるとすれば、それは

「ごみの中に起こっている変化」

だと思います。
(あ、かっこつけなくてもITでいう「データマイニング」というやつデスか。。)

例えば、今ブームも沈静化に向かっている韓国ドラマ。

'01年の11月第1週に「ペ・ヨンジュン」という言葉が、ある消費者ニーズ調査
の第7046位におりました。その時点ではただのゴミです。
(ちなみにそのときの前後ランクは”二の腕”とか”温泉コンパニオン”
だったり。。)

それが翌週1000位内に入る。その翌週には300位内に入る。


その時点で、その数字の変化に
「あ、お客さん、こんなこと考えてる!」
と気づいて、目をつけて、それを商いに結びつける行動がマーケティング
なのだと思うのです。

ま、ベタですけどね。

気づくだけのとこまではシステムがやってくれます。変動フラグが立つだけ
ですから。。
ただ、その変化に”目をつける”ためには、日々お客さんらが何を考えてる
のかを探求しつづけなくてはならない。
ココロを完全フラット状態にして寝る間を惜しんでTVを見る、雑誌を読む、
ネットをさまよう、人と会って話す、そんで毎週10,000語の調査語句をなめる  etc.

そんな、見た目には浪費としか思えない時間の中で自分の感性で描いた一次
曲線の方程式から逸脱する数字を発見したらめっけもんです。目をつけて、
そこにチューンしてもう一度周辺事象を確認して、そこで「これちゃうん?」
と思ったらすぐにアクションです。
版元を探したり、アポったり語ったり、売ったり買ったり、人あつめたり
べんちゃらしたりそれら一式まわしたり 。。


もちろん、そこからの商流オペレーションには、そこまでの営みの何倍もの
時間と人間がかかるわけで、しかもそれを成しえたからといって商売繁盛が
約束されているわけでもなんでもないんですがね。 ただ、それをしなければ
他人にそのお客さんを取られるというリスクを背負うことになるから、マーケ
ットでの勝負に生き残っていくためにはそんなジベタ努力と小さな成功大きな
失敗を繰り返しながら、ひたすらにこの訓練→探索→発見→実行のサイクルを
回し続けるのです。


以上。私の「数字センス」でした。数字のハナシじゃなくなってる?
まあ、ええやん(´ゝ`)
ということで、今からまた10,000語羅列との戦闘を開始しマス。。

R25

2004年07月15日 | マーケティング
明日はもう創刊第3号が出るそうな。

ブロードキャスターがタイアップ特集まで組んじゃってたR25。
(7月創刊首都圏限定リクルート発行のフリー情報誌)

中身はちょっとソフトにしたかんじですがサイゾーを意識してますね。
読んでてふつうに面白い。

これまでのフリーペーパーとの違いは、明確に広告と記事が区分されており、
読者にはあくまで通常の雑誌と同じ印象で受け止められる作りになっていること。

リクルートの長年のリスティング型情報誌~フリーペーパーで築いた、
出稿客グリップ力・ブランド力・配布チャネルの強さと、
おそらく外注であろう編集の力がブレンドされて、初めて成しえた企画といえる。

しかし、放送・ネットに続き紙媒体にまで、またも「情報がタダ」という
麻薬が注入されるという功罪がここには潜んでいる。

情報過多の時代。多チャンネル化・多メディア化によって、
言論の番人たるメディアの威力は分散する一方。

そんな中で今こそ消費者の多様な価値観に訴える小規模メディアが
ターゲットオリエンテッドな情報をB2Cで流通させることが可能となっている。
はず。だが。

消費者の捜索意欲や選択眼よりも、メディア側の情報加工力やデファクト化の
進化の方が先を行き過ぎているために、状況はむしろ反対方向へ向かっている。

消費者向け情報媒体の広告収入依存体質が進めば進むほど、
広告主=資本主導の情報統制は進まざるを得ない。

R25は、あえて一見そうはならない編集方針をポーズとしてとることで
このビジネスの正当性をアピールしてるように見受けられる。

だが現実として、このビジネスのやり方はあまりにミクロ経済を無視した方法であり、
ここまでの日本のインターネット同様、十分な競争状態が起こらない程度の
市場パイしか生み出さず、結果、知的財産軽視、消費者軽視の流れを作るだろう。

極論すれば、消費者は無償で知を消費することで、資本による人民支配を
甘受しているということだ。


ローマ帝国のデマゴーグ。
江戸時代のええじゃないか。

もしかするとこの潮流は、歴史上の数々の革命前夜の状態と同様の、
権力による情報操作と経済の沈下というフェーズの到来を示唆しているのかもしれない。


・・・考えすぎかね(´ゝ`)

ゼニはココロや

2004年07月11日 | マーケティング
フジでやってた「官から民へ リゾートホテル舞台裏」
雇用・能力開発機構が乱開発したリゾート施設を、小田原市が買い取って、
それをヒルトンが営業賃借して立て直すドキュメンタリー。

番組自体がドキュメンタリーの体をなしたヒルトンのパブリシティ番組だという側面はおいといて、

元の地域密着型の施設・サービス・従業員のスタイルから
世界標準のホテル経営の姿に切り替わっていく中で起きる環境変化への、
ヒルトン側経営陣の葛藤、従業員の葛藤、その家族や顧客の態度が興味深かった。

洗練され訓練された世界標準のホスピタリティに
地元のリピータ客は
「みんな、親しみやすさがあるからきてたのに・・」という。
外来客は「さすがヒルトン」という。

どちらの声を拾い上げるか、に正解はないけれど、
ヒルトン側支配人が会議で発した言葉(この番組のキーワードと思われ)で、
オレはこの事業を応援する気になった。

「この数字はオレのためにやるとかってことじゃなくて、ここで働いてる人たちの
家族全員の生活がかかってるものなんだ、ってことを考えてやってくれ!」


ビジネスというのは元来、
事業のビジョンとそれに関わる人々の生活とを最上にバランスさせた組織
によって生み出される商品・サービスを、
”それ”を欲しがってくれる人たちに向けて提供して、対価をいただく、というものだ。

「最上のバランス」のために切り捨てなくてはならないものもたくさんある。
ビジョンだって人だって客だってそうだ。

んが、それが単に「儲け」だけのためになされたときには、
因果応報、そのバランスは間違いなく崩れる。

近江商人の思想『ゼニはココロや』
のココロというのは、その最上のバランス全体を指した言葉なんだよなぁ、
と改めて感じたりした。

野球

2004年07月10日 | マーケティング
オレは激しく阪神ファンです。
また、清原和博さんを心底愛するプロ野球ファンでもあります。

このところの球界をとりまく騒ぎは、テレビを見てないのでほとんどネットの文字情報しか知りません。
あと、ナベツネはきらいです。


ただね。
野茂が起こしたトルネードは、日本球界というマーケットのプレイヤーたち(球団・選手・ファン)の思考も戦略をも完全に覆すビッグバンだった、ということなんだよ。

彼はこのマーケットを流れる商品と消費の均衡に風穴を開けて、
供給側のマーケットコントロールを全く無に帰してしまった。

市場のバランスを無視した風穴は、短期的にはそのプレイヤーたちを苦しめ、変革を迫る。

折しもサッカーブーム、多チャンネル化、そして経済の構造不況。
当然発生したメジャーへの商品と消費の流出。


需要と供給のバランスを欠いてしまったマーケットには、
縮小均衡か再成長のための構造変化しか道はない。

そこにまだ、パワーを持ったマーケットコントローラーがいた、
ということをコンシューマーは安堵して、受け入れていい。
と思う。

ナベツネのとった、逆指名やFA制導入による卑近な
商品価額の水増し政策による「夢」の押し売りは、
結局市場の原理を変革するには至らなかった。
あたりまえだ。

今までプロ野球マーケットは、供給側も消費側も、
市場の本来価値である「夢」を商品に頼りすぎてきた。
その構造自体が変化を迫られているということだ。


選手会に対する「ごとき」発言や、
メディア企業のドンとしての影響力を忘れた立ち居振る舞いは
糾弾してしかるべきだが、
子供から老人までに「夢」を売って成り立つマーケットの寡占供給者の一員として、
堀江はやっぱりコドモすぎるし、
近鉄に本来事業とのシナジーの見えない赤字事業を
これ以上(これまでも我慢してきた)継続を強いるのは正しくない。

1リーグ制になろうと密室で合併工作が図られようと、
コンシューマーはコンシューマーらしく
役割に合ったプレイを前向きに演じること。

地域性強化のための組織化
二軍の3A化
プロアマ融合の推進

今回の変革を期にプロ野球界をプラス方向に向ける施策は
十分にある。

本当に野球が好きならば、
プロ野球ファンとして、優良なコンシューマーとして、
あるべき姿で次のアクションをとろう。

それがきっと、自分が清原さんらに見せてもらった「夢」を
息子や孫の世代にも見させてやることにつながるから。

ソフト

2004年06月22日 | マーケティング
初ブログです。
mixiを初めて3ヶ月。すっかりネットコミュニケーションの喜びにとりつかれてしまっています。

今日は先週のオフ会で出会った起業家さんとお会いしてランチしました。

起業と一言で言っても、自分自身を売り物にするもの、モノづくりや仕入をして売るもの、情報を収集・加工して売るもの、場やインフラを売るものなど、いろんなカタチがあります。

きっとその人それぞれに合ったカタチがあるんだと思いますが、どんなカタチの商売であれ必ず「ソフト」の部分がもっとも重要なのだと思っています。
「なにを今更そんなこと。。」と思ってしまいがちですが、人はともするとすぐにこれを忘れてしまう。

考える人、作る人、売る人、場を作る人、そしてそれを使う人。
商売・商流の中に関わる全ての人がホールソフトとしてベストな関係性でその流れに乗れたとき、そこに初めて良質のマーケットが生まれるのです。

「ソフト」が大事。
忘れずにおこうと思います。