八ヶ岳高原海の口自然郷オーナー会

 貴重な海の口自然郷の自然環境を守りつつ快適な自然郷ライフを!

[18]『野辺山開拓50年誌』

2013年11月04日 | オーナー会便り

今秋の自然郷は、いつもより早く「ヘンな紅葉」で始まり、その後、「紅葉と黄葉」の「息の長い秋」が続き、最近では「落葉」も進んできました。

今冬の長期天気予報では「寒い」と予想されていますが、今のところ例年よりは「暖かい」気温で推移しており、八ヶ岳の初冠雪も現時点では未だ!です。

 

「自然郷の今の様子」は、検索:「八ヶ岳高原ロッジ」→公式ページ→「HOME」→「別荘オーナーの皆様へ」→「別荘エリア情報」で、写真画像で見ることができます。日々更新していますので、そちらをご覧ください。(アドレスは末尾に掲載)

 

ところで、

『野辺山開拓50年誌』(平成8年6月5日発行、野辺山開拓農業協同組合)

238ページ『野辺山開拓二十年史』「観光地として脚光を浴びる」の項に、

「(昭和38年)村は、海の口牧場を「西武」に売却する等、観光誘致を村政の柱として推進・・・(中略)・・・野辺山の開発については従前から単なる農業開発だけでなく観光をとり入れた、総合開発たるべしとの意見が地元のみならず、県段階においても主張され、また観光資本も野辺山に着目して、(昭和)35年3月小海線名物の従来の貨客混合列車がジーゼル客車にかわりスピードアップされ、準急が野辺山駅に停車されるようになってからはにわかにその動きは活発となった。

特に(昭和)36年には八ヶ岳温泉観光株式会社が八ヶ岳横岳の中腹より野辺山に引湯し、開拓農協と協力、一大温泉郷を建設しようとの申入れがあった。組合は会社の実態に不安があり、かつ湯量にも多くの難問があり、開拓地としての土地問題の特殊性(※本ブログによる㊟:「県から土地の払下げを受けた際の条件として一定期間転売・転貸が禁止されている」など)もあってこれを拒否した。また、この年には三井資本系統の八ヶ岳観光株式会社も駅東側に乗馬クラブ施設を設け「観光資源」として、印度牛を飼育する等、野辺山の観光開発に触手をのばしたが、いずれも途中断念し、前者は八千穂村の池の平へ、後者は南牧村海尻の清水原で本格的に事業を開始した。しかし、野辺山の観光開発については地元も県も多大の関心を示し、観光資本は野辺山を八ヶ岳観光開発の本命と考え、海の口牧場を手に入れた西武も清水原で一応事業を開始した八ヶ岳観光も、その他それぞれ本命野辺山をねらって虎視眈々とし、地元開拓者も経済的繁栄が、野菜という極めて不安定なものにささえ(※㊟「ら」欠如)れていることが潜在意識となって将来の農業経営に大きな不安を抱き、土地に対する思惑は、農閑期ともなれば、こたつや炉辺の談話として大いににぎわっている。」

という記事が掲載されています。

 

すなわち、西武による八ヶ岳高原海の口自然郷は、県や村の強い地元経済活性政策にも拠って誕生したものでした。

そして、自然郷関係からの税収は、村の税収の約3割~4割程度を占めるようになりました。

単に税収だけではありません。自然郷に人が居住することによって、生活関連費や営繕関係費などでの地元経済への貢献には大きいものがあります。

しかも、自然郷の開発を開始してからもう50年経ちます。この間を通じての経済的貢献は莫大なものです。

もし「自然郷が存在していなかったら?」、どうだったでしょう。地域は今以上に寂れてしまったのでは?(そんなことはない?)

 そこで提言です。

村役場(村長、副村長、総務課長、産業建設課長)と、事業会社ロッジ(社長、担当取締役、管理事務所長)と、オーナー有志(会場の都合で若干名)とで、年に1回でも定例懇談会を開催したらどうでしょう?

たぶん日程の調整などで実現困難かもしれません。でも、実現したらスゴイ!と思います。地元の発展にも寄与することは間違いないと思います。

 

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