相手が明確な答えを持って会話に望んでいるときは、相手の判断基準に気づき、そ
の基準で自分も判断し返答する必要がある。
コミュニケーションの基本にあるのが傾聴というのは、たいていのコミュニケー
ション改善の本にも書いてある。
一方、理屈は分かったつもりになっていても、実際の行動がそうなっていないケー
スがここ何度かあった。その2つのケースのポイントは、相手に対してすでに言っ
て欲しいことが明確になっている人の話を聴く場合である。
具体的には、その相手は二人とも明確な答えを持っており、その答えを相手(この
場合は私)から引きだそうとするのである。他人に言ってもらうことで、自分の考
えの正当性を認められると思うことで、安心を得たいのだと思われる。
会話は、答えが決まっているだけに、方向の間違いを一刀両断したり、誘導尋問と
なったりという雰囲気になる。これは、相手(つまり私)としてはたまったもので
はない。会話中、生きた心地がしないものである。
自分の行動は変えられるが、相手の行動は変えられない。となると、こういう相手
へは適切な反応をするべきである。
彼らの望みは、安心することである。自分の考え方に間違いがあるのでは無いかと
いう不安からくるものである。そこで必要なのは、彼らの判断基準を引き出し理解
することである。
この判断基準の理解には、日頃のつきあいにおける、彼らの判断とその理由をつぶ
さに観察し、記憶にとどめねばならない。そして、今はなされている話題には、ど
の価値観が当たっているのかを、的確に選び出し提示しなければならないのである。
これも傾聴のテクニックの一つであろう。自分の価値観ではなく、あくまでも相手
の価値観を尊重することである。
こちらの価値観や判断基準の押しつけは、彼らが一番嫌う行為である。これにやっ
と今気が付いたところである。価値観が異なる相手とうまくいかないのはこれによ
り明らかである。
私もこうやってブログを書いているのは、同様な価値観の人に自分を知って欲しい
からである。そういう仲間は大切にしなければと考えている。
そういうことを通じて、世界が良くなると考えている。
の基準で自分も判断し返答する必要がある。
コミュニケーションの基本にあるのが傾聴というのは、たいていのコミュニケー
ション改善の本にも書いてある。
一方、理屈は分かったつもりになっていても、実際の行動がそうなっていないケー
スがここ何度かあった。その2つのケースのポイントは、相手に対してすでに言っ
て欲しいことが明確になっている人の話を聴く場合である。
具体的には、その相手は二人とも明確な答えを持っており、その答えを相手(この
場合は私)から引きだそうとするのである。他人に言ってもらうことで、自分の考
えの正当性を認められると思うことで、安心を得たいのだと思われる。
会話は、答えが決まっているだけに、方向の間違いを一刀両断したり、誘導尋問と
なったりという雰囲気になる。これは、相手(つまり私)としてはたまったもので
はない。会話中、生きた心地がしないものである。
自分の行動は変えられるが、相手の行動は変えられない。となると、こういう相手
へは適切な反応をするべきである。
彼らの望みは、安心することである。自分の考え方に間違いがあるのでは無いかと
いう不安からくるものである。そこで必要なのは、彼らの判断基準を引き出し理解
することである。
この判断基準の理解には、日頃のつきあいにおける、彼らの判断とその理由をつぶ
さに観察し、記憶にとどめねばならない。そして、今はなされている話題には、ど
の価値観が当たっているのかを、的確に選び出し提示しなければならないのである。
これも傾聴のテクニックの一つであろう。自分の価値観ではなく、あくまでも相手
の価値観を尊重することである。
こちらの価値観や判断基準の押しつけは、彼らが一番嫌う行為である。これにやっ
と今気が付いたところである。価値観が異なる相手とうまくいかないのはこれによ
り明らかである。
私もこうやってブログを書いているのは、同様な価値観の人に自分を知って欲しい
からである。そういう仲間は大切にしなければと考えている。
そういうことを通じて、世界が良くなると考えている。