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もう一つの 昭和・私の記憶

『 昭和・私の記憶 』 の、続編
吾生涯を物語る

中庸 第二十章 第十節~十五節

2019年01月23日 | Process 1977 温故知新

中庸
第二十章


第十節
知斯三者。 則知所以修身。 知所以修身。 則知所以治人。 知所以治人。
則知所以治天下國家矣
の三者を知れば、則ち身を修むる所以を知る。
身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。
人を治むる所以を知れば、則ち天下国家を治むる所以を知る


斯の三者というのは、前節の三近、即ち 「知に近し」 「仁に近し」 「勇に近し」 の三者を指す
知仁勇の三逹德そのものでなくとも、それに次いで近いもの、
即ち 「学を好み」 「力つとめて行い」 「恥を知る」 ことを知る者は、吾身を修める術を知るであろう
吾身を修める術すべを知る者は、人を治める術をしるであろう
人というのは、この場合、自己に対して自己以外の人を広く指す
人を治める術を知る者は、人の総体たる天下・國・家を治める術をも知るであろう

以上で第二--六節、第七--十節を結束する
即ち、身を修むるに道を以てす、という 「修身」 の意味を展開し終り、
次節の 「九経」 への移行を準備した
尚このあたりが 『大学』 の修身→斉家→治國・平天下と関連を持っていることは、
改めて指摘するまでもないであろう

第十一節
凡爲天下國家有九經。 曰修身也。 尊賢也。 親親也。 敬大臣也。 體群臣也。
子庶民也。 來百工也。 柔遠人也。懐諸候也。
凡そ天下国家を爲おさむるに九經有り。 曰く、身を修むるなり、賢を尊たっとぶなり、
しんを親しむなり、大臣を敬するなり。
群臣を体たいするなり。 庶民を子とするなり。 百工を來きたすなり。 遠人えんじんを柔やわらぐなり。
諸侯を懐なつくるなり。


以下十四節までがグループで、九經、政治に於ける九つの経常なるものが語られる

爲は治、九經の經は常、常とは不変のことである
即ち、天下国家を治めるについて、
いかなる場合にも変わることのない重要な原則が九つある、という
その内、吾身を修めること、賢者を尊ぶこと、親を親しむこと、この三つはすでにこれまでに出た
大臣を敬すること、群臣を体すること、
(体することは吾身をその立場に置いてそのおもいを察することをいう)
庶民を子とすること (父母がその子を愛する如くに庶民を愛すること)
百工を來らせること (諸々の手工業者を招き寄せること)
達人を柔らげること、
というのは葵丘の会 (紀元前六五一年) に於ける諸侯の盟約に
賓旅 (賓客と旅人) を忘るるなかれという一条があったように
遠くからやってくる人に暖かい思い遣りをかけて遣ること、そうして最後に、諸侯を悦服させること、
以上が所謂九つの經なるものに他ならない
呂大臨は次のようにいっている
經というのは、百世をへても変らない所のものである
天下国家の本は吾身に在るのだから、修身が九經の本となる
しかしながらその場合、必ず師に親しみ友を手本としてこそ、修身の道に信店がある、
それ故、次には尊賢がくる
道の進展で真っ先にくるのは家である
それで次には親親がくる
家から朝廷(政府)に及ぶ、それで次には大臣を敬し、群臣を体することがくる
朝廷から國に及ぶ、故に次ぎには庶民を子とし、百工を来すことがくる
國---例えば魯とか薺、晋とかの國---から天下に及ぶ
故に次には遠人を柔らぐること、諸侯を懐けること、がくる
これが九經の順序に他ならぬ
群臣を視ることさ宛ら吾が四肢の如くし、百姓じんみんを視ること宛ら自分の本当の子の如くする
これが臣を視ると民を視るとの区別である
群臣を視ること自己の四体の如くする、というのは、次節を参照
唯、ついでに言っておきたい、
四体 (四肢) をもってたとえられるものが、臣下でなくて人民である有名な場合がある
それは程明道の「万物一体の仁」の説である

第十二節
修身則道立。 尊賢則不惑。 親親則諸父昆弟不怨。 大臣則不眩。
體群臣則士之報禮重。 子庶民則百姓勸。 來百工則財用足。 柔遠人則四方歸之。
諸侯則天下畏之。
身を修むれば則ち道立つ。 賢を尊べば則ち惑わず、親を親しめば則ち諸父弟怨うらまず。
大臣を敬すれば則ち眩まよわず。 群臣を体すれば則ち士の報礼重し。
庶民を子とすれば則ち百姓ひゃくせいすすむ。 百工を来せば則ち財用足る。
遠人えんじんを柔らぐれば則ち四方之に帰す。 諸候を懐なつくれば則ち天下之を畏おそる。


この条は九經の効果を説くのである
身を修めれば道が立つというのは、道が完成し、人民の師表となることができるということを意味する
『書経』 洪範篇に所謂 「皇きみが其の有極---有は添え字、極は究極的な標準、法則、
四方のものがそこに尺度を仰ぐところのもの---を建てる」 である
賢を尊べばもちろん道理に明るくなる、道理に疑惑を感じたりすることはない
親族を親しめば、一族の誰も怨みの心を抱かせない、一族に平和と親愛がおとずれる
諸父というのは、伯父、叔父などの時分からみて父の輩行にある者を総称する言葉、
昆弟とは兄弟、これもおそらく兄の輩行にあるものすべて、弟の輩行にあるものすべて、を意味する
大臣を敬すれば眩わずとは、事に迷わないこと
君が大臣を敬すれば信任が大臣に向って専一であるので、
小臣はその間に介在してかきまわすことができない
それ故何らかの事態に直面した際、昏迷することがないのである
群臣を体すれば士の報ずる礼が重いというのは、
臣というのは士が朝廷に仕えた場合に臣 (官僚) と呼ばれるのであるから、
ここでは臣=士と考えてよいが、その臣=士の君に対する報恩の礼が手厚くなるというのである
庶民を子とすれば則ち百姓が勧む、というのは、勧は勤勉の勉、善に向って努力すること、
百姓はもちろん人民
百工を来せば財用足るとは、多くの手工業者を招き寄せれば 「功を通じ事を易え」 ( 『孟子』滕文公下)
それぞれの仕事と作品を互いに交換しあい、農業と商業とが互いに支えあうことになる、
それ故、財用、即ち財物や用品が充分になるのである
遠人を柔らぐれば、即ちはるばるやって来る賓客や旅人、
おそらく商人の如きもその中に数多いことであろうが、それをしかるべく待遇するならば、
天下の旅人はみな喜んでその國への道に出で立とうと願うであろう ( 『孟子』 梁恵王上)、
即ち四方が心を帰することになるであろう
諸侯を懐ければ天下が畏れるというのは、諸侯がみな脱服すれば天子の德の行きわたる範囲、
威厳の重みのきく範囲、が実に広いことになる、
故に、天下がそのような天子を畏敬するようになる、というのである
この場合の天下というのは、おそらく夷狄などを全部含んで言っているのであろう

第十三節
齊明盛服。 非礼不動。 所以修身也。 去讒遠色。 賤貨而貴德。 所以讒賢也。
尊其位。 重其祿。 同其好惡。 所以讒親親也。 官盛任使。 所以讒大臣也。
忠信重祿。 所以勸士也。 時使薄斂。 所以勸百姓也。 日省月試。 既稟稱事。
所以勸百工也。 送往迎來。 嘉善而矜不能。 所以柔遠人也。 繼絶世。
擧廢國。 治亂持危。 朝聘以時。 厚往而薄來。 以懐諸侯也。
齊明盛服、非礼動かざるは、身を修むる所以なり。
ざんを去り色を遠ざけ、貨を賤いやしみて德を貴たつとぶは、賢を勧すすむる所以なり。
其の位を尊たっとくし、其の禄ろくを重くし、其の好悪こうおを同じくするには、親を親しむこと勸むる所以なり。
官盛んにして任使するは、大臣を勸むる所以なり。 忠信もて祿を重くするは、士の勸むる所以なり。
時に使い斂れんを薄くするは、百姓を勸むる所以なり。
日に省み月に試み、既稟事に称かなうは、百工を勸むる所以なり。
くを送り来るを迎え、善を嘉よみして不能を矜あわれむは、遠人を柔らぐる所以なり。
絶世を継ぎ、廃国を挙げ、乱れたるを治め危うきを持し、朝聘ちょうへい時を以てし、
往くを厚うして来るを薄うするは、諸侯を懐なつくる所以なり。


この一節は、九經を内容的に論ずるのである
一、
齊明盛服は、すでに第十六章第三節に見えている言葉で、齊明は精神を、即ち内を統一すること、
盛服は外に正式な礼装をすること
礼に非ざれば動かずとは、『論語』 に
「礼に非ざれば視ることなかれ、礼に非ざれば聴くことなかれ、礼に非ざれば言うことなかれ、
礼に非ざれば動くことなかれ」 ( 『論語』 顔淵) とあって、
「己に克ちて礼に復する」 ための実践とせられている
即ち内と外とを双方とも修養し、動に於ても静に於ても私(私欲)を克服して礼を実践しようとする、
そこに身を修めることの根本が存在するのである
二、
讒言ざんげんを信ずれば、賢者への信任が専一でなくなるし、女色に溺れたり、貨、しなもの、
即ち物質的なものを尊重したりすれば、賢者を好むことがそれだけ浅くなる道理である
即ち讒言の者を追い払い、女色を遠ざけ、物質的富を軽蔑し、ひたすら德をのみ尊重すること、
ここに賢者を励ます---賢者を尊べば賢者は善に励む---所以の道がある
三、
同じ親族のうちに於ては、その成員の官位が高くなるように、その俸給が多くなるように配慮をおこたらず、
自己の好む所と惡にくむ所が族人みんなの好む所惡むところと一致したいものと思う、
そこに親族の融和を励ます道がある
---旧中国に特有であったネポティズム(みうちびいき)の公然たる提唱である
かの如く思われるかも知れないが、手段をえらばずそうせよというのでは、もちろん、ない
唯「愛に差等あり」の大原則によって、家族道徳 (家族は顕在的にき潜在的にか宗族たることをめざす)
を出発点とすべきことが強調されるあまり、このような規定があらわれてきたのであろう
四、
官盛んにして任使する、というのは、大臣というものは道を以て君に事える者であるから、
細かいことは自分では手を下さない
そうすることによってのみ大臣としての任務を完遂することが可能となる
それ故、大臣のもとには多くの官員を置いて堂々たる陣容とし、使令に任ずるに足らしめる、
いくらでも命令させ使用させる、のでなくてはならない
このように優遇してこそ大臣を励ますことができる
---ついでながら大臣が、或は一般に臣が、道を以て事える(或は、義を以て事える)ものだ、
というのはたいへん重要な規定である
「大臣なるものは道を以て君に事え、不可なれば則ち止む」 ( 『論語』 先進)、
不可なれば止む、とは、道がつらぬけなければ身を退く、ということである
儒教の教理では、父子は天合、君臣は義合、であり、
『礼記』 曲禮篇の 「人臣たるの礼は顕あらわには諫めず、三たび諫めて聴かれざれば則ち之を逃
子の親に事えるや、三諫して聴かれざれば則ち号泣して之に隨したがう」 という一条は、
このことを明白に物語っている

『春秋公羊伝』 荘公二十四年に、自国を出奔した曹國の大夫・曹羈そうきを賢とする理由について
「三諫して從われず、逆に之を去る、故に君子は以て君臣の義を得たりと為すなり」 という
その点、朱子と雖も決して例外ではないであろう
朱子自身の場合についても、
こころみに後藤俊端篇 『朱子四書集注索引』 の 「君臣之道」 の項によってみれば、
君臣関係は多く 「義合」 と謂う言葉によって、亦ほとんどの場合、君→臣、君←臣という双務的なものとして、
とらえられていて、清り君への献身という片務的なものとして説いたものはほとんど無い
もちろん身を潔いさぎよくせんとしてあたまから君臣関係に入ろうとせず、
若しくは欲しいままに君臣関係から逃避することは 「人の大倫を乱る」 ( 『論語』 微子) もので
許さるべきことではないが、しかし君臣関係(あっさり言ってのけるならば、
官僚体系)に入るのはあくまで「道を行う」ためであること、そのことを忘るべきではない
「古の朝廷の礼は、(臣下は立ち君のみ坐ったのでなく) 君も臣もみな立っていた
漢代でもそうであった。 なぜ後世この礼が廃れてしまったのだろう」
「三代の君は大臣に見うとき多くは (坐より) 立った。 車に乗っている時も立った。
漢の初めもまだそうであった。 式部官の 『天子、丞相のためにお立ち!』 という言葉 (が記録されているの)
によってもそのことは知られる。 後世は、君はあまりに尊く、臣は余りに卑しい」 ( 『朱子語類』 )

わたくしは日本の朱子学が没我献身的な君臣の義、大義名分を強調したというのには同意するが、
それと同じ意味での強調が本来の朱子学そのもののうちに、はじめから、理論として、
あったという説に必ずしも賛成できないのである
五、
こちらが忠信、まごころ、を尽くして俸禄を重くしてやれば、士は家計が豊かになり、
父母への孝養、子女の養育にもこと欠かなくなるので、後顧の憂いがなくなり、任務に専心するであろう
まごころを尽くして待遇するのは、それは吾身を彼らの立場においてみ、
彼等が上に頼る点はどのような点であるかを認識した結果に他ならない
このようにしてこそ士を励ますことができる
「君の臣を視ること手足の如ければ、臣の君を視ること腹心の如し・・・・君の臣を視ること土芥どかいの如ければ、
臣の君を視ること寇シユウの如し」 ( 『孟子』 離婁下)
六、
人間誰しも安逸を欲しくないものはなく、富を欲しないものもない
それ故、賦役労働などに人民を使役するのは、人民の生業とくに農業を妨げないよう、
しかるべき時期を定めて使役するようにし、亦税金をなるべく少なくするように努めるならば、
それは百姓、すなわち一般人民を励ます最良の方法であろう
七、
毎日その仕事ぶりを観察し、毎月試験し、その仕事に相当した俸給を与えるならば、
それこそ諸々の手工業者たちを励ます正しいやり方である
一定の規格を守らず過度の技巧に耽溺する者は退けられ、怠け者も勤勉になるに違いない
既稟の既は餼のあて字、餼稟とは月給 (実物給与) のこと
それが事に称かなう、仕事と釣り合う、というのは 『周礼』 夏官槀人職の 「其の弓弩きゅうどを試みて
以て其の食を上下にす」 がその例である
八、
去って行く者には節、この場合はパスポートの類、を与えて快く送り出し、
やってくる者に対しては充分な食料の貯蔵を提供して歓迎し、その能力に応じて仕事を与え、
その得手えて (善) をみとめ評価してやり、能力の向いてゐない点に同情を表してやれば、
それは遠人を柔らげる所以なのであって、天下の旅人はみなその國へ通ずる道を進みたいと願うであろう
「善を嘉して不能を矜れむ」 は 『論語』 にも見える
九、
後継ぎが絶えたために家系が断絶しようとしている國へは、後継ぎを立てて家系を継続させてやり、
亦既に亡びてしまった國をも、もう一度領土を与えて封建しなおしてやる
乱れた國は治まるようにしてやり、危機に瀕している國は指示を与えて持ち直させてやる
朝聘ちょうへいは時を以てす、とは、朝というのは諸侯が都にのぼってきて天子にお目通りすることであり、
聘とは、諸侯が大夫即ち重臣を遣わして天子に献上物をすること
『礼記』 王制篇の規定によると 「諸候は天子に対して毎年一度小聘し、三年に一度大聘し、
五年に一度朝する」
往くを厚くして来るを薄くする、というのは、
往とは、朝聘のためにこちらにやってきた諸侯や諸侯の大夫が自己の國に帰ってゆくことをいい、
そのとき手厚い宴会や引出物が下されるのであり、
來るを薄くす、とは、朝聘のためにやってくる際の貢献物をなるべく簡略にさせること
それは諸侯を悦服させるための最良の道である

以上九經は、その内容はそれぞれ同じくしないけれども、しかし総括的にみるならば、
要するに修身、尊賢、親親の三者に過ぎない
「大臣を敬する」 「群臣を体する」 は、「尊賢の等」 から推して行ったのに対し、
「庶民を子とする」 「百工を来す」 「遠人を柔らげる」 「諸候を懐ける」 は、「親おやの殺」から推していった
(朱子が斯く言う根柢には確かに家族主義的天下国家観があるが、それは必ずしも前述の君臣観と
矛盾するわけではない)
しかも結局、尊賢、親親も亦、修身から推していったものに他ならないのであった

第十四節
凡爲天下國家有九經。 以行之者一也。
凡そ天下国家を為おさむるには九經有り、之を行う所以の者は一いつなり。

之を行う所以の者は一なり、の一は、誠である

第一七節に至って真向から提出される 「誠」 の説が、このあたりからすでに出発しているのである
九經は、要するに修身、尊賢、親親の三者に帰し、その三者はさらに修身に帰し、
究極のところ誠ただひとつに帰す
もしわずかでも不誠であったならば、九經はただちに無内容な単なる文字、虚文、に堕するであろう
誠こそ九經の実、なかみ、に他ならない

九經に関する一連の節 (十一~十四) は以上でおわり

第十五節
凡事豫則立。 不豫則廢。 言前定則不跲。 事前定則不困。
行前定則不疚。 道前定則不窮。
凡そ事予めすれば則ち立つ、予めせざれば則ち廃す。
言前ことまえに定まれば則ち跲つまずかず、事前に定まれば則ち困くるしまず。
行い前に定まれば則ち疚やましからず、道前に定まれば則ち窮まらず。


凡そ事は、と言い方は、概括的に言ういい方であって五逹道、三逹德、九經をひっくるめて言う
予めす、とは、素より定まるの意、もともと初めから確定していること
「凡そ事は予めすれば則ち立つ」 とは、五逹道、三逹德、九經、そのどの一事をとってみても、
予め誠が立てられている、誠によって先ず以て立場が確定している、のでなければ、
事として立つ、現象する、ことはできない、というのである
事が予めされていない場合には事は廢する、即ち現象しそこなう、現象としてだめになる、
例えば、「大臣を敬する」 でも 「百工を来す」 でも、
誠によって予めその地盤が確実にされていないならば、敬大臣という事象も、来百工という事象も、
現実に成立することは不可能なのである
以下に繰返されている 「j前定」 という言葉は、「予」 と同じ、即ち、まず誠を立てること
言葉についていえば、まず誠を立ててその上で言葉を発するならば、
言葉には内容があって、躓つまずくことがない
無内容な言葉を吐いて失敗を演ずるということがない
事柄についていえば、まず誠を立ててその上で事柄を発動せしめるならば、
事柄には内容があって壁にぶっつかるということがない
行為についていえば、まず誠を立ててその上で行為すれば、更衣には常があって、
即ち首尾一貫性があって、やましさに悩むことはない
以上、結局ひっくるめて言えば道ということになるであろうが、
道についていえば、まず誠を立ててその上で道を実践して行けば、道には本源というものがあって、
袋小路に陥るということがない、千変万化して窮まる所がないところの妙用を発揮する
この 「道」 は、言、事、行の三者を内に含んでいるところの道、三者に共通な道、であろう

そこで、まず誠を立てねばならぬ、ということを次には論ずる


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