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空の星に願いを

変形性股関節症末期と言われて
右は寛骨臼回転骨切り術、左は臼蓋形成不全です

腰痛の原因は・・・

2013年06月16日 | 変形性股関節症
腰痛がひどくなって、整体に行ったら、「これは股関節が原因だよ」と言われた。

筋力がないんだよね」って言ったら、「筋力はあるけれど、筋肉が固まってしまっているんだよ」とのこと。
ストレッチをきちんとしなさいとのことだった。
簡単なストレッチはしていたけれど、筋力トレーニングばかりに気をとられていて、ほぐすことを忘れていたみたい。
寝る前と入浴時にストレッチを始めました。
そのせいか、前屈で頭が膝に着くようになった。

スロージョギングは、最近は家でその場ジョギングになってしまっていて、ダイエットどころではなくなっている。

ただ、少し効果があったのかズボンが緩くなってきた。
結果が出る嬉しいもので、続けてみようと思う。

腰痛は、きついな。
湿布薬はって、痛み止めのんで、運動は継続中。

無理にならない程度で、続けると筋トレになるかな?
年内に5Kgは落としたいな。
体脂肪を中心に落とすつもり。

やる気を出す方法が、まだ分からない。。。

何年ぶりかの診察

2013年05月29日 | 変形性股関節症
数年ぶり、いや、20年ぶりの診察に行ってきました。
すでに、引退状態の感じでしたが、診察は現役です。

ただ、だいぶお年を召されていて、手術をしてくださった頃のギラギラ感は消え失せていました。
それだけ、時間が経ってしまったのです。

あの頃は何例目で、先生がこの川田式の手術するまでの経過やエピソードなど、その当時には聞くことができなかったお話をしてくださいました。

事故の時に、診察なしでレントゲンだけで手術を勧めた医師の話をしたら、どこの病院おの何という医師だと怒っていました。
過ぎたことでもあるし、思い出したくないので、病院名も医師の名前も伏せておきました。

やはり、きちんと診察していたことを思うと、許せないのことなのでしょう。

先生の真摯な診察が、私に事故の時の手術拒否をさせたのかもしれません。

歳は召されても、診察は丁寧で、説明も丁寧でした。
そして、一番的確な助言をくださいました、
誰も言ってくれなかった、「痩せて体重を減らしなさい。10キロね」
「今度会うまでに、5キロは減らしてね」
流石です。
あのころは、今よりも10キロ少なかったから、言われることはありませんでした。

中年太りです。(笑)


追記:この先生は、どれだけ医師に厳しかったのだろう。
   反発すごいよ。
   患者には、どの医師よりも優しいのに。

股関節の講座に参加

2013年04月22日 | 変形性股関節症
股関節の講座に行って来ました。
人工関節の現状について知っておきたくてね。

費用が100万もするのは驚きでした。高額医療費で1ヶ月の入院で20万程で済むようです。
今のうちに入院保険に入っておかなくちゃ。

人工関節自体も15年ほど前に、進歩があったようだし、2年前にも新しい素材が採用されているようなので、歩けるうちは手術は待っても良さそうでした。


ただ、回転骨切り術は、15年以上または一生持つのは50~60%くらいなのだそうで、私は、その中に入っているような、入っていないような。


手術をすれば、なんでもできるような事を言われていたが、術前の状態が左右するみたいです。

私の場合は、あまり期待しない方が良さそうです。




お天気のせい?

2013年04月10日 | 変形性股関節症
今週は、なぜか股関節が痛い。

低気圧のせいだろうか?
こんな風になったのは、事故後から。

筋力がついたと思ったら、機構の変化ですぐに痛くなってしまうのです。
そんな時は、休養だと思っていると何もしなくなって、また筋力低下。
悪循環になっている。

取りあえずは、寝る前の簡単なストレッチしかないかな。

明日のお天気はどうかしら。
傘は持ち歩きたくないな。

視覚障碍者のための点字ブロックが・・・

2013年03月30日 | 変形性股関節症
足が悪く、キャリーバッグ引く私には、障害物になってします。
タイヤが、引っかかりバッグが前に進まず転びそうになってしまったり、ひっかたのを持ち上げようとして足に負担をかけてしまった。
最近の点字ブロックは、幅広だから、渡るのも大変だ。

誰かの意見を取り入れているのだろうか、時々、バッグを通せるくらいの隙間があるのは嬉しい。


歩道でも、砂利を固めたようなところは、砂利がはがれて凸凹があちこちにできていて、押しにくい。
これは、ベビーカーでも同じで、乗っている赤ちゃんには振が伝わるし、お母さんも押すのが大変だろうな。

障碍者のためのようで、障碍の種類によってはお互いが迷惑になったりする。
難しいね。

エスカレーターの歩き禁止はできないのかな?
海外から入ってきたであろう、エスカレーターの片側を歩く人用にあけるが、歩く人はちゃんと階段にしましょうよ。
運動不足解消になりますよ。
あまりにも階段が多い嫌になってしまうかもしれませんが、体力は付きますよ。

少なくとも、障碍者のためを考えて公共施設を設計するなら、視覚、聴覚、肢体、高齢者、介護者の方々の意見を聞くようにしてほしいですね。


同病者なのかな?

2013年03月21日 | 変形性股関節症
本日は、内科の検診日でした。
風は強かったけれど、桜も咲いていて、お花見しながらの通院でした。
満開で、桜の下でおにぎりを食べて、気分は上々でした。(笑)

そんな気分は、私だけではなかったようで、バス停で並んで座られた方と世間話をしていたら、手術した病院が同じで、同じ自家骨手術をしていました。
杖を持っていたので、もしやとは思いましたが、病院まで同じとは驚きました。
手術をした医師は、私の執刀医の後輩の方でした。これもびっくりです。

すでに人工関節への再手術をされていて、調子が良いと言われていました。
私の時は、手術はしないと言っていたのに。。。。。

小走りでも走れるようになったから、今は手術は避けたいと思えるようになったし、歩けるから手術はしたくない。


数年前、東大で長持ちする人工関節を開発したと発表している。
ほかの大学病院などでは、使用しているのだろうか?
こちら と こちら で東大が共同開発した人工関節のプレスリリースがご覧になれます。

良くなっているようで・・・

2013年03月05日 | 変形性股関節症
小走りできるようになってからは、回復は停滞。
時々、膝の痛みが出るから、後退したりしているみたい。

手術はしたくないから、リハビリをしなくてはね。

そういえば、歯磨きしながらのスクワットをしなくなった。
やはり、どこか運動不足になっているのかな。

歩くのが嫌になる時があったり、電車は立ったまま乗ってみたり、いつもより長く歩いてみたり、体調の変化激しいか、長続きしないか、三日坊主になっているだけなのか、痛みがぶり返してしまうだけなのか、などと考えてしまう。

最近は、筋肉が劣化したゴムになったような気がする。
筋肉を若返らせる方法はなにのかな??

突然の脱力

2012年11月26日 | 変形性股関節症
初めてのことが起きました。
今までは、手術をしたほうの足が歩行中に突然、力が抜けて歩けなくなるのことが起きていたのです。
足をついた途端に力が抜ける。膝がっくんをされた感じの抜け方と言ったらわかるかな。
それが、手術をしていない方の足で起きた。

横断歩道でなくて良かった。
踏切でなくて良かった。
人ごみでなくて良かった。

少しじっとしていると回復するのは、同じみたい。
筋を骨とうに引っかけた感じなのだろうか?
痛みもなく突然だから怖いのだ。

今後、気をつけなくちゃ。。。

発症は

2012年10月08日 | 変形性股関節症
小学校6年生の時に、突然、膝に痛みを感じた。
ひねったのか、ぶつけたのか、本人はまるでわかなかった。

ぶつけた記憶はなかったが、接骨院にしばらく通っているうちに股関節に痛みが出てきた。
生活には支障がないので、そのままにしていたけれど、中学生になったて、成長期になり、思春期になってくると股関節の痛みが強くなってきた。
それでも、運動クラブに入って活動をしていたのだが、さすがに限界がきたようで、2年生になってからは、クラブ活動の帰りは痛さで歩けなくなるともあった。眠るときには、腰と布団の間にタオルを入れないと痛くて眠れない。
椅子に座っているのすら、きつい。それでも、家族の中には、「甘えだ」と言っているものもいた。
ここで初めて、整形外科へ連れて行ってもらった。
なにせ、小児麻痺と言われていたらしく、診断だけしてその後の対応は何もしてくれなかった家族なので、手遅れも甚だしいのかもしれない。
初診で、人工関節の話が出てしまう状態になっていたのだから。

周りに私のような人がいないから、情報もないし整形外科に行くというのも思い浮かばなかったのだろうな。


人工関節の手術方法を勧められたが、20年しかもたないのならば大人になってからということで、運動を辞めてしまった。今考えると、筋力強化のために足上げはやっていた方が良かったのかな。
それでも、若さの体力は素晴らしいもので、高校生の時は無事に過ごせるはずだった・・・

マラソン大会に出なければ・・・・

育教師の無知により、悪化させてしまった。

高校卒業を控え、保健婦さんに相談をして大学病院の整形外科へ行くことにしたのだが、ここで、運命が変わったかもしれない。
大学病院に行ったその日は、午後から股間節の専門外来ということで、その日のうちに診察となった。
今思えば、屋根が半分しかなかったのが、素人の私にもわかった。
でも、この出会いが、今に結びついている。

この時点では、寛骨臼回転骨切り術(田川式)は行われていなかったと思われるが、確認をしたわけではないので確かなことは言えない。


この後は、いつか。。。


あの頃に・・・・

2012年10月03日 | 変形性股関節症
自己血輸血のシステムがあったのなら、今頃は楽しく生活していただろうと思う時がある。
とはいうものの、できなかっただろうな。
常に貧血で、血圧低めでは、無理だろうな。
自己血だと貧血は関係ないのかしら?

もし、今、手術をするときの輸血方法はどうなるのだろう?
「自己血になるのでは?」言う医師もいれば、「他人からの輸血」になるかもしれないと言う医師もいる。

手術した時に、身内からの輸血方法も選択できなかったことを考えると、どうなんるのかな?


先のことを心配しても仕方ないから、今の病状が悪化しないようにするしかないですね。

大学病院の内科の先生は、数年で交代してしまうけれど、カルテは20年分くらい前からあるから変化の時の対応が早く安心している。
なんでも相談しているし、私より病歴に詳しくなってしまっていて、自分で覚えようとしなくなっているのは逆に心配になってしまうのです。

安心できる、医師がいるとういうのはいいですね。