ほるすのしっぽ

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のんびりお付き合い下さい(笑)

FatMan and LittleBoy

2005年08月09日 | 映画
ずいぶん前になるが、同名の映画がアメリカで製作された
ポール・ニューマン、ジョン・キューザック、ローラ・ダーンetc
当時としてはそれなりにお客を呼べる出演者が名を列ねているにも関わらず、日本では劇場公開されなかった

理由は…
題名が示す原子力爆弾の開発に携わった科学者達を描いた作品であることに他ならない
Fat Man:プルトニウム型、長崎投下
Litlle Boy:濃縮ウラン型、広島投下
の別称
いや、蔑称と呼びたい…

この映画でも少しふれているが、原爆で命を落としたのは広島・長崎で原爆の直接被害に遭われた方、帰郷や調査で当地に足を踏み入れてしまった方ばかりではなく、開発に関わった科学者、研究施設のあったロスアラモスの住民、そして実験が行われたネバダ州の住民、プルトニウム製造施設のあったワシントン州の住民も、今なお後遺症に苦しんでいると聞く

何故60年の時を経ても尚、犠牲者が後を絶たないのか
それは被害が放射性汚染物質によるものではなく、すべてを突き抜けて体内を放射化してしまう中性子によるものだからだ
(※1999年9月、茨城県東海村のJCOで起こった臨界事故でも同様の被害が起こった)

放射性障害と言うのは、細胞やDNAが徐々に破壊されて時を経てから障害が起きる
それ故、実際のところ、原爆による被害者はいつになったら最後の一人になるのか想像もつかない
DNAの追跡調査をしなければならないからだ

そして今年も被爆により命を落とした方々の名前が、名簿に書き加えられてしまった

なぜそれほどまでに恐ろしいものが、戦争の名の元に使われてしまったのか
一つには数百億を投じた研究の結果を示さなければならなかったこと
そして原子力爆弾が出来たから…
それを使ってみたかったから…
と言う、「山がそこにあるから登るのだ」的…
いや、子供のダダと大差ない理由であることには開いた口も塞がりようがない
現に多くの科学者が「あの時、原爆を使う必要性など全く無かった」と発言している

言わばすでに『死に体』だった日本は、研究の成果を試すには絶好の獲物だったのだ

久しぶりの6ヶ国協議が開催されている(今日現在は休会中)が、日本は北朝鮮に対してだけではなく、唯一の原爆被災国として、もっともっと積極的に核兵器廃絶を訴えるべきだと思う
被災地の小学生でさえ、自分の足元で起こった残酷な歴史を知らない子がいると聞いた
日本の責任として、戦争の悲劇は永遠に語り継がなければと思うし、義務だとも思うのだが…


(※補足)
1999年9月30日、AM10:35
茨城県東海村にあるJCO東海事業所でウラン溶液の核分裂の暴走による臨界事故が起こった
国内原子力事故史上初の犠牲者を出し、東洋のチェルノブイリとも形容される事故となった
原因は認可された工程を全く無視した沈殿槽の使用によるものだったが、それよりもバケツと柄杓によるウランの溶解という事態が注目を集めてしまった
風評被害も大きく、東海村の人間だと言うだけで宿泊を断られたり、宿泊施設で「使ったものは全部持ち帰ってくれ」と言われた方もいたそうだ
この事故では、実に19時間40分にわたり望んでいない状況での「臨界」が続いてしまった
ちなみに「臨界」は英語ではCLITICALを使うが、意味は瀬戸際、断崖絶壁となり、極めて恐ろしいものとして表現されている
映画の中でも臨界事故で青い光を放った瞬間に、このセリフが叫ばれている

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