鼓動には0・5秒程度の誤差があるように思えた、真夜中のキッチンでシンクの側に腰を掛けて水を飲んでいた、現実感はあまりなかった、と、普通は書くのかもしれないが、それがその日の中では一番の現実として成り立っていた、俺にとって現実とは目に見える世界のことでは無いのだ、あくまでも肉体への反動があるかないか、それだけが俺にとっての現実なのだ、俺は喉を通って腹の底まで落ちていく水の感触を確かめていた、身体が渇いているとそういったことを感じ取るのは容易い、最後に水を飲んだのかいつだったか思い出せなかった、もしかしたらまだ日があるうちだったかもしれない、今日夕飯を取っただろうか?取っているならその時に水分も補給しているはずだ、夕飯は―取った、それにしたって数時間は前だ―眠っていたのか?キッチンに腰を下ろす前はなにをしていた?寝床に居た記憶はなかった、でも、寝床に居なかった記憶もなかった、おそらくは眠っていたのだろう、そう結論付けるしかなかった、そしてその結論は、そこにあってもなくてもどちらでもよかった、身体の中を落ちていく水ほどに現実感を持ってはいなかった、眠っていて起きたからなのかもしれない、まだ身体が目覚めていないのだ、だから上手く思い出せないのだろう、俺はそういう、普通に行われることに関して凄く時間がかかることがある、理解出来ないのだ、その―動作やなんかに対する当然という感覚が―昔はそんなことで苦労することもあった、でも、そんなことは最早どうだっていいのだ、どこの基準がどうだろうが、俺は俺の基準だけで生きているわけだから、そして俺の摂取した水分はあっという間に身体中を駆け巡った、まるで身体の中で霧散したかのようだった、おー、と俺は声を出した、それはトンネルの中のように体内で反響した、ぎぃん、と、内耳で今日な残響があった、エコーだ、と俺は声に出した、別に声を出す必要はなかった、けれど、その日俺が必要としていたのはそんな風に身体の内側で起こる振動を感じることだったのだろう、エコーだ、と俺はもう一度口にした、耳鳴りのようにいくつかの残響がいっぺんに鳴り続けた、それから、コップを片付けて寝床に戻ろうとした、寝室で俺はベッドを見つめて茫然とした、そこに誰かが眠っていた形跡はなかった、俺が朝そこを離れた時と同じ状態で沈黙していた、眠っていたのではなかった、俺はひとつの仮定的な現実を喪失した、ずっとキッチンに居たのかもしれない、深く考えるべきではなかった、俺は今眠ろうとしているのだから…縫い針に差し込まれる糸のようにブランケットの中に滑り込むと、仰向けになって静かに目を閉じた、現実には何もない、それが本当なのだ、現実というのは、いつだってそれを感じられる瞬間にしか存在していないわけだから―日常とか習慣とかを現実のように語る人間は多いけれど、それはただの日常や習慣に過ぎない、目に見えて、感じているから現実と言えると思うのは間違いだ、現実というのはそれが確かにそうだと実感する瞬間のことを言うのだ、つまりそれが、風景であれ動作であれ、自分自身になにかしらの意図を持って語りかけて来る瞬間、現実というのはそういう現象の総称なのだ、愚にもつかない社会的リアリズムの言うことなんか聞いていてもなんの得もない、時間を無駄にするだけのことだ、この現代社会においては、クレバーと言われるもののだいたいは愚考であり愚行だ、どこにも行かない、なにを成すこともない、歯車として優秀なろくでなしどもの言訳の象徴だ、彼らは、自分たちが正しくあるために安直な結論にしか手を触れない、最初に浮かんだ言葉を結論として、さっさと片付けてしまう、そして次の、同じような、取るに足らない出来事を同じように片付けて、満足げに飯を食うのだ、もう一度言う、そんなものは現実じゃない、ただの慣れであり惰性であり―思考を必要としない下らない遊びだ、見上げる天井は時折ぼんやりと歪んだ、きっと明かりがないせいだ、俺はその奇妙な曲線をずっと眺め続けた、そうするうちに眠ってしまえればいいなと思っていたんだ、でも睡魔はやってこなかった、サンドマンは俺の順番を飛ばしたらしい、砂に不義理をした覚えはないんだけどな、けれども俺は、眠れないからといって悩んだりはしない、眠れないのならば眠くなるまで起きていればいいのだ、そういえば、寝つきが悪くなったのは眠る前に本を読む習慣がなくなってからのような気がする、どうしてその習慣がなくなったのか?目を悪くしたからだ、いまでは眼鏡の上からルーペグラスをかけないと本を読むことが出来ない、ベッドには眼鏡やなんかを置くようなスペースがない、スマートにいかないことが多くなって、寝る前の読書という習慣はなくなってしまった、まあ、でも今思えばその習慣には弊害もあった、読む本を間違えると果てしなくページを捲ってしまって読み終える頃には寝る時間が二、三時間しか残されていない、なんてことがよくあった、コーネル・ウールリッチを初めて読んだときはまったく寝る時間を確保出来ないまま仕事に行かなければならなかった、あんなの若かったからこそだよな、今でも集中力は落ちていないけれど、耐久力は随分落ちている、最後に徹夜した時には数日間心房細動が出ていたよ、さて、そんな話はいいとして…眠気を待つまでなにをして過ごそうかな、身体を落ち着かせるためにキッチンで水でも飲むとしようか…。
じくじくと膿んだ傷の中に次の一行があった、指を指しこみ痛みに悲鳴を上げながらつまんで拾い上げると血で汚れてよく読めなかった、苛立って声を上げながらシャツの裾で拭くとどうにか読めるくらいにはなったのでワードに書き写した、それには続きがあるような気もしたし、そこで終わるのではないかという感じもあった、でもどちらがしっくりくるにせよ、詩そのものがどちらを求めているかということには案外関係がないものだ、次の一行を見つけなければならなかった、まだ同じところにあるだろうか?指をさっきよりも深く入れた、生暖かい感触が指先を包む、しかし立ち上って来る臭いは奇妙な冷たさを感じさせた、きっとそれは人間の体内の温度なのだろう、肉の中は冷たいのだ、それは次のフレーズに適している気がした、肉の中は冷たい、だから人々は熱を求めるのか?陳腐かもしれなかった、でも陳腐なものが正解である場合だって無くはないのだ、一番歪んで見えるものが実は一番真直ぐだったりね、だからその場にあるすべてのものに飛びついて吟味していかなければならない、考えることなく得られる結論はどんな局面においても一番間違っている、タップするだけで手に入る真理なんてあるわけない、人間は手軽さを求め過ぎて本質を忘れてしまう、持たなくてもいい掃除機が正しいと思ってしまう、選ばなくてもいい音楽を好きだと思ってしまう、誰かが朗読してくれている物語を聞くことを読書だと言い張る、祖俺に言わせればそんなものはすべて奇形化した赤ん坊の玩具だ、選択を怠ると人間は堕落していく、社会ごっこ、人間ごっこの中で歳だけ食ってしまう、まったくおぞましい話さ、地獄の餓鬼の絵を最初に描いた誰かは、きっとそんな本質を見ていたに違いないぜ、ようやく拾い上げた次の一行が画面に足される、まずまずだと思う、でもずっと足りない、もっとなにかを見つけなければならない、もう同じところにはないだろう、シャツも赤く汚れてしまった、俺は舌を噛む、唇の端から血が漏れる、そこなら拭いたり洗ったりする必要が無いと思った、最初に血の中に混じっていたものを涎で洗って発券機の要領で口から出した、そこにはなかなかにこちらを滾らせるようなフレーズが記されていた、ほくそ笑みながらそれを打ち込む、身体のあちこちで鈍い痛みを感じるけれど、途中でやめるわけにはいかなかった、それを打ち込んでしまうとあとは簡単だった、そのフレーズは今日の、記憶と感情のすべての蓋を開けた、そこからはずるずると、内臓を引き摺り出すかのように言葉が生まれ続けた、俺は言葉に憑依され、内奥に沈殿しているものをすべて引き摺り出すべく血眼でキーボードを叩き続けた、血はもの凄いスピードで血管を駆け巡り、神経系統はリズミカルな信号を絶えず送り続けた、すべてが連続する閃きの為に全力で稼働していた、そういうのは若い時だけだよ、と知ったような顔をする連中が居る、でもどうだ、俺はまだそれをやり続けている、まあもちろん、少しの間色々なテーマを追いかけて忘れていたこともあったけれど、結局のところそこに帰って来て、同じことをやり続けている、一生賭けて書き続けるたったひとつの詩なのだ、これはそういう類の蠢きなのさ、これは俺の血の速度であり、思考の速度だ、俺は自分の中に駆け巡る命の速度と振動をこうして書き写しているのだ、だから、俺は何も疑ってはいない、俺は生きている限りこれを続けるだろう、これをしない限り俺の肉体の流れは滞り、澱んで、腐敗を始めるだろう、俺にはそれが耐えられない、いつだってなにか、脳味噌に刺激を入れ続けて、すっきりした気分で居たいのさ、これは俺にとって最高の調律であり、癒しであり、娯楽であり、戒律なんだ、この流れの中にしか俺は存在しない、ここに並べられているのが一番正直な俺の姿だ、どこの誰でもない俺自身だ、それが奇妙だというのなら、モンスターだのなんだのと好きに呼んでくれて構わないよ、俺にしてみりゃどうだっていいことだ、やるべきことをやって生き続けてさえいればそれでいい、どうだい、スピードは感じられるかい、血の温度は、脈動は、俺は正しくそれを伝えられているかい、もしも確かに君がそれをこの文章の中に感じられているのなら、君はどこかに俺のような生きものを飼っているのさ、同化を認めない、馴れ合いを認めない、自分の為だけに生きる感覚を持つ、誇り高き不適合者だ、不適合って、馬鹿みたいな言葉だよな、自分以外のイデーに平気で染まることが出来る連中が言いそうなことだ、だってそうだろう、自分が基準だ、それが成り立たない世界は不自然なんだ、わかるか?安易な水準点など必要無いんだ、勘違いして欲しくないのは、俺が言っているのは利己主義的なことではないということだ、人間が本来の思考と品位を持って暮らすことが出来れば、それだけでいまよりもずっと美しい社会が成り立つと俺は考えているのさ、幼稚な連中の社会ごっこでお茶を濁す必要なんかもうなくなる、だから俺は書き続けている、でもね、俺が始めた話だけど、こんな考えはもうとっくに手遅れなんだ、つまり、社会云々についての話だけどね、人間はもう獣より少し賢いだけの生きものに成り下がってしまった、形骸化した美徳を抱いて滅びるのみさ、だからね、俺は書き続けて、その世界でも誰にも似ていない人間であろうと思っているのさ。
知らないでいたって別に困るようなことはなにもないけど、余計なことをたくさん知っている方が人生は楽しいんじゃないかと思うんだよね、どんなに金を貯めても魂が肥えるわけじゃないからね、俺が欲しいのはいつだって魂の肥やしなんだ、あの世に持っていけるのは魂だけだからね、やがて来るだろう輪廻転生のことを思えばさ、そっちを育てることに躍起になった方がずっといいじゃないか、人間は死んだらそれで終わり、なんていう話がある、生まれ変わりなんかないってね、でもさ、前世の記憶を持って生まれてくる子供なんかごまんと居るじゃないか、以前はどこそこに住んでいてこんな名前だった、なんてさ、調べてみたら本当にそういう人が居た、親族に会わせてみると実際に一緒に過ごした過去がないと到底知り得ないことをたくさん話した、なんて話は珍しくないんだよ、それでも死んだら終わりって言ってるやつらは、なにを根拠に話しているんだろうかね?まったくああいう手合いは、自分の中ですべてを完結出来ると考えている節があるからな、現実を見ないででっち上げるだけのエセ賢者さ、相手にするだけ時間の無駄ってもんだよ、そう、輪廻転生がないんなら文学だって無意味だ、音楽だって、絵だってね、それはずっと受け継がれて繰り返されながら少しずつ形を変えていくものなのだから、そういうのは感覚で理解出来ないと意味が無いのさ、頭でっかちになって、自分の枠から出て来れないやつなんかお呼びじゃないんだよ、まったく、訊いてもいないのに勝手にドアを開けて上がり込んできて喋り倒しやがる、俺に出来ることは押し出してドアを閉めることぐらいさ、単純な話じゃないんだ、もの凄く複雑なプロセスを同時にいくつも進行させてこんな文章は出来上がるんだ、俺はね、混沌は混沌のまま差し出すのがシンプルだと思ってる、それは俺が唯一確信している事柄だと思う、そりゃそうさ、混沌は混沌でしか在り得ない、逆に言えば、混沌の中にはすべてがあるんだよ、だから俺は混沌に惹かれるのさ、詩はもっとも自由に出来る自己表現の頂点だと思う、書いている人間の数だけ真実とルールがある、そして誰もそれに異議を唱えたりしない、非常にパーソナルで可能性の多いツールだ、マルコム・マクラーレンがもしも一世紀早く生まれていたらキチガイ詩人をプロデュースしたと思うよ、いや、あいつが自分で書いたかもしれないな、誰がバンビを殺したのか?ってさ、お前自身だよ、お前でしか在り得ないよ、マルコム、飛行場のシーンカッコよかったぜ、でもいつだってお前はそんなことばかりなのさ、だからジョニーはお前を見捨てたんじゃないか、まあ、そんなことはどうだっていいや、つまり俺が言いたいのは、解釈はイメージだけにしとけってこと、事実は限定するべきじゃない、「以上の理由でこうだと思います」なんて、そんな文章誰が読みたいと思うんだ?少なくとも俺は読みたくは無いね、ああそうですか、っていう感想しか出て来ないからさ、それは表現として不自由なんだ、大事なのは自分で考えることだ、なにに手を付けてなににつけないのかを判断しながら書くことだ、それによって読むやつが自分で考えるかどうかが決まる、まあ、なにを読んでもたいして考えない人間ってたくさん居るけどね、ああいうのは本当に面倒臭いよ、よく喋るわりにまったく話が先に進みやしないんだ、一番浅い解釈しか出来ないからさ、おまけにいろいろ邪念や雑念も絡んでいるしね、いや、むしろそれだけで読んでるのかもしれないな、まったく本当に、もう少し落ち着けよってくらい唾を飛ばして喋るからね、例えば人生について考えてみるといいよ、人生なんて気にしなければぼんやりとした日常を繰り返すだけのものだろ、だけどその日常の中にある様々な風景にフォーカスを当てて分解したりイマジネーションを組み込んだりすれば、それはかけがえのない景色になったりするんだ、大事なのは見ることじゃない、見たものをきちんと脳内で処理出来るかどうかなんだ、分解して、想像して、そこにどれだけのものが隠れているのか解きほぐしてみるんだ、そうすることで自分の中でなにかが生まれてくるのを感じるんだ、それは生への欲求かもしれない、あるいは厭世観かもしれない、あるいは高純度の悟りかもしれない、どれかが欠けていてもいいし、どれかがふたつあってもいい、さっき言ったろ、それは混沌ということなんだ、なにもかもごた混ぜになっているのが当り前なのさ、どうして言葉にして理解しないといけない?頭で理解することなんかそんなに重要じゃないよ、まずは身体が感触としてそれを覚えて、それを少しずつ脳に伝えるんだ、長い時間をかけてそれはある程度精度の高い答えへと変わる、それは結論を求めないからこそ出来ることなんだ、解答を求めてしまえば結果を焦ってしまう、でもそれにはどれだけ時間がかかるか誰にもわからないんだよ、早くわかることもあるし、遅くわかることもある、様々なコンデションが関係してくる、人間の理解のプロセスはひとつとして同じものはないのかもしれない、俺たちは思っているより刹那的な生きものなんだよ、ただ妙に考え込みたいだけの生きものなんだ、だけどさ、それを拒否したら動物と同じなんだよ、それならこんな込み入った骨格と脳の構成を持って生まれてくる必要なんかないんだ、ねえ君、一度じっくりと考えてごらん、君の中にある完結した世界が、現実より広いなんてことは絶対に在り得ないんだぜ。
緩く縛った紐ほどほどけ始めていることに気付けない、それはあまりメジャーじゃない真理だ、それは状態として変化していないせいだ、硬く縛った紐には緩やかな状態から変化した跡というものが見える、だから、それが再び緩んだときは誰でも気付くことが出来る、でもそれは真理としては初歩の初歩だ、言うまでもないことだけれど、だが人はそんな初歩の段階で満足してしまう、緩く縛られた紐には注意など払わない、彼らは一見してわかること以外相手にはしない、だから、ずっと同じものを見続けながら生きる、それはつまり紐についてはひとつの形態しか理解し得ないということである、俺はそういう時いくつもの状態にこだわってしまう、だから紐についても、ひとつの形態しか理解しない連中よりは遥かに深い理解が出来ていると言える、俺がどうしてこんな話をしているのか君には理解出来ないかもしれない、でも俺はこういう話を根気よく続けてゆくことが結構重要だと考えているんだ、もちろんこれはほとんどの場合徒労に終わる、なぜなら彼らの前提は遮断することだからだ、他人を遮断すれば自分が確固たる理論を持っているということになる、まあ、子供騙しだけどね、でもそんなことばかりして、永遠に自分を騙し続けたまま死んでいこうとしている人間はごまんと居るんだよ、そして俺はそんな現状が少々忌々しいと感じているんだ、大多数高なんだが知らないけれど、馬鹿が幸せに暮らせるような世界でいちゃ駄目なんだよ、敢えてこういう言い方をすることを許してもらいたいのだけれど、俺は可能性のある人間は導いてやりたいんだ、良き先陣としてね、それぐらいの資格はあると言えるだけのことはしてきたつもりだ、人間は旗じゃない、強い風に靡いていれば見映えよく見えるけれど、風が無い日にはしょんぼりとしなびていることしか出来ない、そんなのあまりにも情けないし、しょうもない話じゃないか、移動し続けることさ、ひとつの地点からひとつの地点へ、移動しながら考えるということをやり続けなけりゃ人間はすぐに野良の猿に仲間入りさ、そして、群れて馴れ合って居るだけでいっぱしの大人みたいな、そんな幻想に溺れて目が覚めることなく死んでいく、考えただけで鳥肌が立つね、少なくとも八〇年は生きていける時代だというのにさ、どれだけの機会をドブに捨てるつもりなんだ、でも遮断されてるからね、俺は特に彼らに話しかけることはしない、無意味なんだよな、初めから、すべての出来事について、考え得る可能性は無限にある、思いつく数だけある、安直な結論に終始するか、本当にその現象から受け取るべきものを幾つもの選択肢の中から掴み取るかは自由だ、けれど、選択は無限に行われる方が得るものは多い、それは当り前のことだ、当り前のことのはずだろう、けれど人によっちゃあ、塾講することを無駄足のように言うやつも居るよ、俺はほんのちょっと微笑んで返すのみさ、話にならないやつと話をしても仕方が無いからね、本当に、柄にもないこと言うけどさ、こんなに選択肢の無い世間で当り前のように生きていると人間としてはろくなもんになれないと思うよ、国が悪くなるのは政治家のせいじゃない、それは絶対に国民のせいなんだ、でも、政治家に責任を押し付けて知らん顔が出来るシステムがあるものだから、みんなそうして生きてしまう、国が悪くなるのは政治家のせいじゃない、国民のせいなんだ、国が変わる方法なんてひとつさ、全体のレベルを底上げするには、国民ひとりひとりが心を入れ替えて自分の人生を真剣に考えることだ、でもそんなこと不可能なんだよ、さっき言ったように、安直な選択をすることを結論が早くて有能なことだと勘違いしている馬鹿どもは一回しか書き込めない記録メディアみたいなものさ、上書き更新が出来ないんだ、だから最初に書き込まれたことを忠実にやり続ける、そして気付くことすら出来ないで骨に還っていくんだ、この社会は本当にそういう人間を育てることに長けているよ、俺みたいな人間は変り者って言われてお終いさ、おかしな話だぜ、俺はどこにも無い話をしているのに、よくある話しかしていないような連中がどうして俺の話していることを云々出来るつもりで居るんだろう?本当に、悪いんだけど、思考の成り立ちからして違うんだよね、もう少しわきまえて欲しいものだよ、どうにも今日はくだらないことばかり話してしまう、でもまあ、たまにはこういうのもいいんじゃないか、相手にしても仕方のないやつを相手にしなきゃいけない時もあるんだよ、だから俺は近頃終始イライラしてるのさ、イライラしたって何にもならないことだらけなんだけどね、こんな街に住んでいると、本当に時々、虫でいっぱいのプールで溺れているような気分になることがあるよ、呼吸をしようとしても虫しか飛び込んで来ないんだぜ、やってられないよな、疲れてるのかって?そうかもしれないな、でもそんなことばっかりだったぜ、小学生のころからさ。
非常階段の先で光輝く太陽を見た、それは死にゆくものが最期に見る光景のように思えた、でもそれを確かめる手段なんか何も無かった、それを知るには俺はまだ強欲過ぎたんだ、衝動に従って―意味も分からないままに歩を進め、名前も分らないビルの屋上でそういう光景を目にすることはよくある、俺はそういう時「呼ばれている」と言う、ある種の光景、風景が電波のようなものを使って俺に呼びかけるのだ、だから俺は常にどこかで、そういう電波をキャッチ出来るようにアンテナを伸ばしている、受信帯域を確保している、電波を受信するのは一瞬なのだ、僅かでも隙があれば折角のチャンスを逃してしまう、報道系のカメラマンがテレビで似たような話をしていた、でも俺のは仕事じゃない、言ってみれば娯楽のようなものだ、そこに意味が存在するかと言われれば無意味かもしれない、でもそれは明らかにただそこを訪れる場合とはなにか違うものを秘めている、そう、例えば、太陽の角度とかね―そういう、ほんの一瞬の為にアンテナは研ぎ澄まされるんだ、問題なのはその光景そのものじゃない、きちんと受信することが出来るかどうかだ、それはタイミングの問題なんだ、だってそうだろう、太陽の動きはほぼ決まっているし、建物や自然もそこに在り続ける、気まぐれに形を変えるようなことはまずない、だからそれは、タイミングの問題なんだ―何のタイミングなのかって?ある程度答えることは出来る、でもそれは完全な答えじゃない、でも答えることは出来る、そう、しいて言うなら、世界が違って見えるタイミングさ、違う世界のドアが開く瞬間のタイミングなんだ、それは外界だけの問題じゃない、この俺の中に、そういうものを求める瞬間というのが必ずある、もちろんこれは、俺だけのものではない、どこの誰にだってあるはずのものだよ、けれど、そうした欲望を確かに認識しているかどうかによって結果は違ってくる、俺はそれを求め、ある程度手に入れることが出来るということさ、それは受信出来ない誰かと何が違うのか?それは大袈裟な話になるよ、人生そのものが絡んでくる、近頃俺は人生についての話をし過ぎて少々食傷気味なんだ、それについて語るのはまたの機会にするよ、今日はそういう気分じゃない、そう、ほんの少しの視線の違いなんだ、簡単にそう言っておくことにするよ、簡単に言おうが詳細に説明しようが、分からないやつは分からないものだからね、もう俺は説明の必要性を感じなくなったんだ、一時期試してみた上での結果だけどね―ステージの違いっていうものがあるじゃない?分からないやつが分かるやつのステージに上がって来るなんて無理なことなんだ、だって自分自身の有様についての覚悟が違うんだから…まあそんな話はいいよ、ともかく俺は非常階段を下りて下界に戻った、その非常階段がくっついてるビルの入口にあるいくつかの看板を見てみたけれど、オフィスにせよバーにせよ喫茶店にせよ今はもうやっていないようだった、もう何十年も建物としての役割を果たせないままそこにある、そんな感じがした、入口であったのだろう場所は板で覆われていた、非常階段を降りている時に、階段の真裏に小窓があったことを思い出して回ってみた、よくある交差式の引戸タイプのサッシで、滑らせてみると当り前のようにすっと開いた、トイレか何かだろうか?ほんの少し背伸びをすれば簡単に入れそうだった、少し悩んで、入ることにした、入口が塞がれているのだ、中で誰かに遭遇する可能性は限りなくゼロだろう、そこはトイレだった、水洗ではあったが和式の便所だった、そこだけ見ると現役のように見えた、個室が三つ並んでいた、あとは手洗いだけだった、女子トイレなのかもしれない、ドアを開けて廊下に出てみるとやはりそうだった、入口が塞がれているので少し薄暗かった、が、階段に窓があるらしくまるで見えないわけではなかった、使われていないオフィスビルに女を追いかけて入る小説があったなと思ったけれどタイトルは思い出せなかった、一階にあるのはトイレと給湯室とシャワールームだった、あとは入口の側に受付のような小窓がある部屋があった、シャワールームというのが少し不思議に感じた、オフィスビル的な建物にそんなものついているだろうか、と思ったのだ、が、そう言えばバーとかも入っていたのだったな、と思い当たった、バーか、喫茶店か、どちらかの人間がこのビルに住んでいたのかもしれない、どちらにせよ、シャワーを浴びるためだけに一階に降りてくるというのは少し面倒に感じた、本来居住を目的に作られたビルではないだろうから、多少の不便は仕方ないのかもしれなかった、ひとつひとつドアを開けて覗いてみたがそれほど面白いものは見つからなかった、二階に上がろうとして、踊り場にある大きな窓が目に入った、そこからは隣のビルの壁面が見えるのみだったが、夕日が斜めに入り込んで窓だけを器用に照らしていた、俺は階段の前で立ち竦んだ、その窓の中に女が居てこちらを眺めていた、その目はなにかを懇願するみたいに潤んでいた、どうか、頼むから上に行かないでくれ、どうかこのまま帰ってくれ、俺にはその女がそんな風に言っているように見えた、折角来たのだからという気持ちが拭えずしばらくの間葛藤したが、意味も無くそんなことを訴えたりしないだろうと思い、断念した、窓にずっと感じていた圧迫感のようなものが、そこから遠ざかるに従ってだんだん薄らいでいくような気がした、俺は入ってきた窓から外に出て、非常階段の一番下に腰を下ろし、いったいなんなのだと考えた、答えは出せる筈もなかった、立ち上がり、表通りへと歩いていく途中で、何かが激しく地面に激突する音を聞いた、思わず振り返ったけれどそこにはただ打ち捨てられた静寂がへばりついているだけだった。