不定形な文字が空を這う路地裏

ラストマン・スタンディング(或いは暴いた繭の中の)




























動脈は情け容赦のない撲殺、静脈は金切声、細胞は無感覚なギャラリー、そんな蠢きの夜だった、与えられた寝床は求められたものと決して同じではなかった、湿気が強すぎたし、隣室には他人のものを覗いてばかりいる薄気味の悪い年寄りが住んでいた、そしてエアコンはスイッチを入れっぱなしておかない限りたいして効力を持たなかった、なにもかもが断線仕掛けたスピーカーみたいに途切れ途切れの音を発して、ところどころ歪んでしまったままプリント・アウトされた設計図を睨んでいるような時間―もっともそれは特別珍しい夜というようなものではなかったし、実際そんなふうに暮れてゆくのが当たり前の毎日だった、なにもかもが歪み切って、腐臭を発しながら生きて動いているみたいだった、ソウル・サバイバー―なんて、六十年代のロックンロールの幻影から逃れられないロートルならそんな風に言うだろう、でも俺はそんな言い回しにはもう興味はなかった、つけっぱなしのエアコンと同じで無意味に発し続けなければ認識してもらえないような概念になんて…シャツの下で汗が少し滲み始めている、だけど、完全に汗を遮断してしまうよりはそんなくらいで居るのがいい、自分が汗をかく生きものだと認識していられる状況でなければ、もしかしたら恒温動物であることすら忘れてしまうかもしれない、野性を忘れ、生殖を忘れ、肉を食らうことを忘れ、肉体の感覚すらも忘れてしまったらそれはもう動物とは違う種類の生きものだろう、そうじゃないか―?筋肉と、神経と、血と思考の連動を忘れてしまった文章になんて俺は何も感じない、だから無意味なものであり続けようとして―それはもしかして存在し続けようとして、と例えた方がいいようなものなのかもしれないけれど―もう忘れてしまうくらい昔からこんなものを書き続けている、まるで思考回路を冷ますために汗をかいているみたいにさ…俺にとってこれは、冷却水みたいなもんなんだ、こうしたときに書き綴るフレーズが、体内のどこかにあるタンクのなかに溜め込まれているのさ、いざというときに全身を循環するようにね―ああ!夏の夜だ!近くの道路では煩わしい祭りの準備が進められている、酒と、愚かな性交と、下衆な行為が渦巻く街、誇ることのなにもないこの街…なのにやつらは楽しそうな顔をしている、ただそれだけで生きていけると本気で信じている、近頃の異常な暑さのせいで、それは余計に狂ってきているみたいに見える…それは例えるなら害虫のようだ、あらゆる葉に喰らいついて駄目にしてしまうのさ、群がって…下品な羽音を立てながらね―窓ガラスに額をつけて街路を眺めていると、時々自分がファーブルになったみたいな気分になるときがある、カンサツするのさ…土をほじくる虫や、汚い鳴声の虫なんかをね…そうして、その中を歩く、失われたバランスの中できれいに歩くことは難しい、わかるかい、虫共は群がって来るんだ、あいつらはいつも束になって…でも、本気で噛みついてくるやつなんて一握りさ、たいていは噛みついてくる振りをしてるだけの臆病者ばかりだよ、まったく―下らないことをしている虫は必ず、無関係なものまでそこに引きずり込もうとするとしたもんなんだ…それは野性的な習性ではないのかって?それは違うよ、それは違うぜ、それは進化を否定する行為だよ、少なくともここまで繰り返されてきた進化を冒涜する行為だと言ってもいい、いいかい、俺たちは進化してきたんだよ、俺たちの牙はそこにはない、俺たちの牙は思考の中にある、俺たちの牙はいつだってその中で、研ぎ澄まされるのを待っているんだよ、嘘臭い暴力なんかでは辿り着けない次元の、そんなものを誰もが手にすることが出来るじゃないか―例えばそれはページをめくったりすることでね―俺は腐敗物の敷き詰められた虫の巣の中で、やつらと一緒に下らない踊りなんか踊りたくはない、そのせいで沢山のバランスを失っているけれど、おぼつかない足元は逆に清々しいというものさ―いいかい、もう少しだけ喋らせておくれ、街の中だけじゃない、このどうしようもない街の中だけじゃない、いま俺が首を突っ込んでいるこの世界にだって、汚い鳴声の害虫はごまんと居る、そうして糞を撒き散らしているんだ…羽音が聞こえているだろう、いいかい、バランスを失うことを怖がってはいけない、それは決していい結果にはならない、どこでもいい、違うルートを選ぶことだ、無自覚からは腐敗しか生まれない、辺りを見回せばすぐにわかることだ、不自然な段差を選んで乗り越えればいい、ほんの少し景色が変われば手垢のついてないものを見つけ出すことが出来るのさ…。

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